――談話室



俺「食糧が尽きかけてる……?」


アドラーの一件で受けた傷が癒えた頃、朝日が談話室を照らす中、俺は予期せぬ困りごとを耳にした。


ラル「ああ。次の補給よりも先に尽きてしまいそうでね。どうしたものか、と思ってな」

俺「確か、ウィッチと基地の衛兵や整備班の食糧は別なんだろ? だったら、そっちの方から貰えばいいじゃないか」

ロスマン「食事と言えば、戦場では数少ない娯楽よ。こちらの手違いで、彼等の安らぎは奪えないわよ」


故郷を離れ、遊興がほぼないに等しい異国の地では、食事は心の平静を保つ重大な要素である。それを奪われれば、士気が落ちるのは目に見えている。
しかし、俺の目から見れば、それは不要な配慮であった。
この基地の人間は士気が高く、兵士達のウィッチに対する敬意や感謝は本物で、邪なものは何もない。もしラルが命じたのであれば、何の不満もなく二つ返事で問題は解決するだろう。

が、そこはそれ。ラル達もまた基地の兵士を尊重し、敬っている。何せ、自分達の戦う下地を作る者達だ。
余計な心配なぞしてはいないが、操縦士は整備員の機嫌を損ねてはならないとも知っている。軽々しく扱えるわけもない。


俺「それで、どうするつもりだ?」

ラル「街で臨時補給と銘打っての買い出しだな」

俺「…………金は?」

サーシャ「それぞれの自腹です。文句はありませんよね」


にこやかに聞いてくるサーシャに、俺は伯爵も管野もこの笑顔で押し切られたんだろうな、と心の中で呟いた。

自分の腹に収まるものだ。異論はない。
しかし、誰が臨時補給に向かうか決まっていない以上、油断は出来なかった。
サーシャや下原、ジョゼ、ラル辺りが向かうのなら安心できるが、管野、ニパは不安は拭いきれない。管野は料理をしたことがないし、後者は持ち前の不幸で可笑しなものを可笑しな値段で売りつけられそうである。
最大の地雷はクルピンスキーであろう。あの享楽家は普段の態度からして、折半の金に任せて馬鹿みたいな買い物をすると想像するのは仕方のないことだ。
そして、意外にもロスマンも中々に不安のある人物だ。仕事は真面目であるが、それ以外の私生活は結構な享楽家である。性格的に伯爵と合わないように見えて、共通点は少なくない。


俺「……………………」

ロスマン「……何かしら、俺? 言いたいことがあったらハッキリ言ってもいいのよ?」

俺「……いや、別に」


ジト目で見据えてくるロスマンから視線を逸らす。分かった。あの様子だと、彼女が補給に行くのは間違いない。

金を出すのに不満はないが、必要以上に払うのは勘弁願いたかった。
如何せん主武装がナイフで、それを殆ど使い捨てにしている俺にとっては金の有無は重要な問題である。
最近は銃の腕前もそこそこ上がってはいるものの、まだまだ平均値に達した程度。戦闘をするば、不測の事態に備えて手榴弾と組み合わせた爆発型ナイフは必須。

さてどうしたものか、と考えると即座に案を思いつく。
厨房にはまだまだ調味料の類は余っていたし、都合よく扶桑から取り寄せた醤油や味噌もある。赤ワインなどもあるといいが、そこは伯爵がこそこそと隠していること請け合いだ。

上手く事が運べば、次の補給まで金を払う必要はなくなる。
問題があるとすれば、冬に入って旬が多少過ぎてしまっていることだが、雪が降り始めたのはまだまだ最近だ。食べる分に問題はない。


俺「うん、いけるな。ちょっと時間をくれないか? 一週間、いや三日でいいや」

ラル「…………? どうかしたのか?」

俺「ああ、金を払わずに兵站を確保できそうだ」

サーシャ「え? でも、どうやって?」


不思議そうに顔を見合わせる察しの悪い依頼人達に肩を竦める。
本格的にはやっていなかったが、今まで多少は続けてはいた。もっとも、記憶に留まるほどにしたことはなかったので、彼女達の反応も仕方あるまい。


俺「そんなものは決まっている。狩猟(ハンティング)だよ」


さも当然とドヤ顔で答えを口にする俺であったが、彼女達が見せた反応はポカンと口を開くだけ。
そんな中、いち早く立ち直って目を輝かせたのはロスマンだった。


ロスマン「シビエね! 私も行くわ!!」

俺「えッ?」










――森林地帯 三日後



二人がトラックから降りる。
俺は普段と変わらぬ佇まいであったが、ロスマンは厚手の白いコートを羽織り、首には赤いマフラーを、更には革製の手袋をして完全防備である。


俺「俺としては一人の方がよかったんだがなぁ……」

ロスマン「そう言わないで。獲物の持ち運びだって一人じゃ大変でしょう?」

俺「持ち運びって、先生が? そんな華奢な身体で? 三日前も罠を仕掛けるだけでくたくたになってたのに?」

ロスマン「うぅ……ッ! な、何もそこまで言わなくてもいいじゃない!」


図星を突かれ、これから狩りをするというのに、大きく声を上げて俺の背中を叩く。だが、悲しいかな。羞恥によって力が入っていなかった。

二人が来たのは人の生活圏からもネウロイの勢力範囲からも大きく離れた森と山岳との境にある地点だった。
周囲は雪が浅く積もっているが動き回る分には問題はない。天気も快晴、雪が降ってくる心配もなさそうだ。小型トラックで片道一時間もかけてきた甲斐があったというものだろう。


ロスマン「それに、ほら。今日は足手纏いにはならないわよ」


そう言って見せたのは、肩に下げたライフル。
モシン・ナガンM1891/30。オラーシャにおける代表的な小銃であるが、ウィッチには馴染みの薄いボルトアクション・ライフルだ。

ボルトアクション方式自体はさして珍しくはないが、ウィッチが使うのはもっと高火力の対戦車ライフルが殆どで、空の上で好き好んで使う代物ではない。そのおかげか、倉庫の肥やしとなっていた一品でもある。


俺「いいけど、先生それ使えるの? ライフルとか使ってるの、熊さん以外に見たことないんだけど?」

ロスマン「う……」


漏れた呻き声に、本当に連れてきて良かったのかねと俺は不安になる。

正直な所、ロスマンはこれを握るのは初めての経験だ。ましてや狩猟も初体験。
如何に銃の取り扱いに心得があるとはいえ、ネウロイとは全く違う動きを見せる野生動物相手では、それも通用するかどうか。


ロスマン「そ、それはそれとして、何を狙うの? 熊?」

俺「デカい、狙う獲物がデカいよ。そうだな、ここらへんじゃ野兎に鹿、猪と、後は狐かなぁ」

ロスマン「……俺、それは人の使い魔を分かっていて言っているのかしら?」

俺「それを言うなら、先生だって真っ先に熊が出てきたのはどうかと思うけど?」


そこまで言って、何故か思い浮かんだのはロスマン(狐)とサーシャ(熊)が何故か対戦車ライフルを握って撃ち合っている光景。
使い魔の耳を生やして鬼女そのまんまの表情で、お互いをハントしあう熊と狐。そこに半泣きで怯えている下原(兎)。
発砲音が響き渡る頭の中で、もう止めよう怖いと決着の瞬間を頭の中から掻き消した。


俺(最後に勝つのは先生だろうなぁ。……狐の狡賢さ的に、ナインテイル的に考えて)

ロスマン「ねぇ、俺。何かすごく失礼なことを考えてないかしら?」

俺「…………気のせいじゃないか?」


もっとも俺は狐を見つけたとしても、見逃す方針ではある。
野生の獣の肉は、独特の臭みがある。殊更、狐は酷い。
シカなどとは違い、丁寧に下処理をしなければ、とても食べられたものではない。しかも下処理をしても臭みはなかなか消えないので、カレーにでもぶち込むしかない代物だ。


俺「取り敢えず、風下から近い順に罠へ向かおう」

ロスマン「どれくらいかかっているかしらね」

俺「大体、10くらい仕掛けておいたから、上手くすれば、3、4匹は採れてるだろうさ」

ロスマン「そんなに?」


俺もただ漠然と罠を設置した訳ではない。
雪の中、獣の残した排泄物や足跡、それぞれの習性を発見し、通り道と思しき場所に罠を仕掛けてた。問題なくかかっているはずだ。

特に会話もないまま、俺とロスマンは森の中へと進んでいく。
足を取る雪と少ない己の体力に悪戦苦闘しながらも、俺の助けもあってか転倒することなく一つ目の罠に辿りついた。


ロスマン「はぁ……、はぁ……」

俺「先生、体力無いんだから無理するなよ。身体に響くぞ」

ロスマン「大丈夫よ、これくらい。…………あら?」

俺「こりゃあ、珍しいもんがかかってたな」

ロスマン「何かしら、これ……?」


罠にかかっていたのは体長60㎝のリスとネズミを混ぜたかのような可愛い生き物。
その上を通った動物の脚に巻き付いてその場から動けなくする括り罠にかかり、成す術も身体を忙しなく動かして何とか抜け出そうと足掻いていた。


俺「マーモット、だな」

ロスマン「これが……あら、でも、冬は冬眠するって、聞いたような」

俺「それを言うなら、本来こんな場所にはいない生き物だ。こいつらはもっと山岳地帯で暮らしている」

ロスマン「そ、それも食べるの……?」

俺「ああ、食べられるしな。……もしかして、可哀想なんて言わないよな?」

ロスマン「………………」


彼女が予想していた狩猟は、何というか、もっと大物を狙うものと予想していた。
それこそ熊だとか猪だとか、油断をすれば此方の命が危ういような獣を相手取ると思っていたロスマンは、この可愛い生き物を食べるという発想がまず理解できない。
頭の中では豚や牛を食べるのと同じ道理だと分かっているが、食べるものを生きている状態で見るのは初めて。罪悪感や言葉に出来ない心境になるのも致し方ないことだ。

見かねて言葉の一つでもくれてやろうと思った俺であったが、何と伝えるべきか迷う。
元より割り切っている己ならいざ知らず、心優しい乙女にどう伝えれば納得してもらえるのかが分からない。あれこれと考えても仕方ないので、あえて本能に訴えることにした。


俺「マーモットなどの野生のネズミ類は肉の味が濃い。少々油っこいのが難点であるが、非常に美味で柔らかい」

ロスマン「………………」

俺「これをターメリック、コエンドロ、黒胡椒、唐辛子、生姜、大蒜などの香辛料とココナッツミルクで……」

ロスマン「…………分かった! 分かったから! それ以上、お腹が空きそうなことを言わないで!」


慌てて目を閉じ耳を塞ぐロスマンであったが、その直前にゴクリと喉が鳴ったのを俺は聞き逃さなかった。彼女が可哀想と抱いた感情が食欲に負けた瞬間である。

俺によって手足を縛られたマーモットは助けを求めるようにロスマンを見ていた。
暫しの間、彼女は抱き上げたマーモットと目を合わせていたが、そのまま目を逸らして俺の持ってきた袋の中へと修める。


ロスマン「あれはお肉、あれは食糧、あれは夕飯……」


ブツブツと呟き出した少女を前にして、やっぱり連れてくるんじゃなかったと後悔し始めた俺であった。


ロスマン「……でも、不思議ね?」

俺「うん?」

ロスマン「本来なら此処に居なくて、冬眠している筈のマーモットが何故……」

俺「こいつらの生息地はアルプス、カルパチア、タトラ、ピレネーなんかのヨーロッパにある山脈が主。この意味が分かるか?」

ロスマン「それって、ネウロイから逃げて、ということ?」


彼女の疑問に俺は頷いて肯定する。

理由は定かではないものの、ネウロイは山脈や海を超えてこない。
それでも超えられないことと近づかないことは別だ。何らかの試みによって近寄ることはあるだろうし、新型が超える可能性もある。

ましてや、瘴気の届く範囲に巣が来たのなら野生の動植物には死活問題だ。
どの程度の影響が出るか分かってはいないものの、あんな凶悪な存在が空を飛び、地を闊歩して生きていける程に野生動物は愚鈍ではない。

恐らくこのマーモットは、ネウロイから逃れる為に冬眠すら中断して北上してきた野生動物の一匹だったのだろう。


俺「もっとも、俺等に捕まっちゃあ、徒労に終わった逃避行ではあったがね」

ロスマン「……ねぇ、俺」

俺「逃がそう、なんて言うなよ先生。どの道、コイツ等のせいで割を食う野生動物だっている。可愛いからって特別扱いじゃ、自然の摂理が正しようがないほど捻じ曲がる」

ロスマン「…………そう、ね。私達がやることは、一刻も早くネウロイを倒すことよね」

俺「そういうこと。あるべき形に戻したいなら、元を断たなきゃ話にならん。コイツ等にはその為に必要な体力になって貰おう」


憐みも同情もあったが、それは人間の傲慢と断じ、ロスマンはその場に膝をついてマーモットの入った袋に祈るように手を組んだ。
決意を新たに。今一度、ネウロイを倒すことを誓う。祖国や無辜の人々のみならず、住処を追われた動物達の為にも。それが、命を奪って生きている自分に出来ることであると信じて。

俺からすれば、それは余計な感傷に他ならない。ネウロイとの戦争であろうがなかろうが、大なり小なり人は他の命を奪って生きている。それが人の在り方である。
住処を追われた野生動物だからと憐みを抱くのは、家畜を可哀想だと嘯くように意味がない。
それでも感傷が力になるのなら、それでいい。もしロスマンにとって余計な重荷になるのであれば、一機でも多くのネウロイを撃墜するだけだ。故に、彼女の行為に口を挟まなかった。


俺「さて、次の罠に行くとしよう」

ロスマン「ええ、そうね」


既に立ち上がった俺に手を差し伸べられ、それを取って立ち上がる。
手袋の向こうから伝わってきた温もりに、僅かに頬を緩めながらロスマンは俺の後に続いていった。










――3時間後



仕掛けた罠を見て回り、森の奥へ奥へと進んでいった。


ロスマン「うーん、思ったよりも採れないわねぇ。これじゃあ、次の補給まで持たないわよ?」

俺「だろうな。502は痩せの大食いが多くて困る」


腰に下げた袋の中にはマーモットが一匹、野兎が二匹。ジョゼを筆頭とした女性陣の前では一食分もあるかどうかといった量である。
だが、元よりこんな小動物を目当てでこんな森の中まで足を踏み入れた訳ではない。
三日前に見かけた樹皮を食われた木々、近場を流れる小川、雪の上に残っていた特有の足跡。そして、針葉樹と落葉樹の混合樹林。目的の獲物が生息する条件は満たしている。


俺「…………―――――!」

ロスマン「え、? お、俺!? ムグッ!?」


ドサ、と音を立ててロスマンは抵抗する間もなく雪の上に押し倒され口を塞がれる。

突然の出来事に彼女の困惑した。
男は油断のならないものだ、と同僚やかつての上官に聞かされてきたが、俺に関してはその類の男には当て嵌まらないと信用しきっていた。

裏切られたという思いと抵抗しなくてはという危機感が正常な判断力を奪って手足をバタつかせる。
虚しいことにこの抵抗は全くの無意味。そもそも身体能力の乏しいロスマンと人外染みた俺とでは、勝負すらなりはしないのだ。


俺(……こ、ら、暴れるな!)

ロスマン「むぐ! むぐぅぅぅ~~~~~ッ!!」

俺(え? …………あ――ち、違ッ! 違う! あれ、あっち!)


咄嗟の行動に、自分の行為が実に危険な試みであったことを知った俺は、小声で勘違いをしたロスマンに語りかけながら、慌てて首を振って視線の先を指し示す。
現状に何とか落ち着いた彼女は、俺の下でぐるりと身体を反転させ、視線で指の先を辿った。

見れば、立派な角を付けた動物が十頭前後の群れをなしながら一心不乱に樹皮を食べていた。
ヨーロッパではエルク、北リベリオンではムース。つまり、ヘラジカの群れである。


俺(アレが今回の本命だよ、分かってくれたか)

ロスマン(…………ご、ごめんなさい)

俺(い、いや、俺も説明が足りなかったよ)


雪の冷たさも冬の寒さも何のその。お互いの行為と思考のズレによって生まれた勘違いに二人揃って火を吹きそうなほど真っ赤になる二人。
俺は、さてと深呼吸一つしていち早く立ち直るとロスマンの身体の上から退くが、退かれた本人は雪に顔を埋めて自らの失態に悶絶していた。

年上としてアレはない。もっと優雅と言わずとも落ち着いて対処することも出来ただろうし、何よりも俺をもっと信用していれば、あんな恥ずかしい真似をしなくても済んだ。
ああ結局、自分も女なんだという虚しいような嬉しいような、何とも言えない気分のまま手足をバタつかせたくなるが、ヘラジカが近くにいる以上、それもままならない。
彼女からすれば、誰もいない場面でなければ顔を手で覆って、きゃーと叫びたくなるような失態だったらしい。


俺(先生、……先生!)

ロスマン(な、何かしら?)

俺(いや、別に無理して取り繕わなくていいから。声裏返ってる)


寛容と優しさが籠った俺の声に、ボスリとまたしても顔に雪に埋めるロスマン。
その様子に、これ以上声をかけても逆効果だと判断した俺は、手短にこれからの手順を伝える。


俺(俺は猟犬、先生は猟師だ。もし気付かれたら、合図を待たずに撃ってくれ)

ロスマン(え、え? ちょ、ちょっと俺?)


伝えた言葉の意味をロスマンが理解するよりも速く、俺は行動を開始した。足元の雪を口の中に放り込み、近くの木へと音もなく駆け上る。
余りの速さと静けさに彼女は一瞬、今まで居た俺は幻か何かだと錯覚してしまうほどの動きだった。

呆としていたロスマンは、木から木へと飛び移りながらも樹上の雪を一切落とさずに移動する俺を見て、ようやく正気を取り戻してモシン・ナガンを構えた。
その際、俺と同じように雪を口へ含む。立ち上る白い吐息で獲物に察知されないようにするためだ。
歯に沁みるほどの冷たさに、あやふやだった心身が鋭さを取り戻していくのを全身が感じ取った。


ロスマン(…………そういえば、こうして生き物を撃つのは初めてね)


何の感慨も沸かないかと言えば嘘になる。軽い気持ちで着いてきたことに後悔しそうになるが、決して無意味ではなかった。
生きるために奪うという人の性。それに対して吐き気を憶える自分は、まだまだ兵士としても人としても幼いのだろう。
だが、改めてみれば、また一つ新たな力を得られたような気もする。次に何かを食べる時には、自分を取り囲む全てに感謝と、得られた全てを力に変えようという誓いを立てた。


ロスマン(少し、気負い過ぎのような気もするけれど……)


それでもいいわよね、と誰にも耳にされることのない言葉が無言のまま紡がれる。

その時、光が顔を洗った。
見れば、前方80mの樹上で俺がナイフを使って日の光を反射させている。
あそこで待っているということは、発砲の瞬間に起こる一瞬の硬直に合わせてヘラジカの群れを強襲するつもりだろう。


ロスマン(合図……!)


逸れかけていた思考を本来の目的へと再修正。
照星と照門を合わせ、その先に待つ着弾点を指定する。既に調整は三日前から行っている。問題なく目標を直撃するはずだ。
狙いは頭部ではなく胴体を。辺りさえすれば、ヘラジカがその場に倒れ込む威力。即死でなかったとしても、俺が何とかできる。

呼吸を止め、酸欠に脳が喘ぐよりも早く引き金を引く。あとは、それだけだ。


ロスマン(…………!)


彼女が思っていた以上に簡単に、迷いなく指は滑る。そして、引き金は引き絞られ――――










――1時間後



俺「こんなもんか。…………先生、大丈夫?」

ロスマン「え、ええ…………いえ、やっぱりちょっと気分悪いかも」

俺「だから無理して手伝わなくてもいいって言ったのに」


見事、ヘラジカを一頭仕留めると、その場で解体作業を行った。
当初、俺が全てを行うつもりであったが、ロスマンの強い要望によって共同で作業することに。

首を切って血を抜き、腹を捌いて内臓を取り出し、毛皮を剥がし、不要な骨を取り出す。
俺としては手慣れた作業であったが、そういったものと縁のなかった彼女としては、中々にショッキングな出来事ではなかっただろう。


ロスマン「はー、疲れたー」


ドサリと血で真っ赤に染まった皮手袋を放って、雪の上へと倒れ込む。慣れない作業で熱くなった身体を冷ますにはちょどいい塩梅だ。


俺「おいおい、まだ肉を運んでいく仕事が残ってるんですけど?」

ロスマン「そーねー、これからまだ歩かなくちゃならないのよねぇ……」


明らかに眠そうに間延びした返事に、遊び疲れた子供か! と俺は頭を抱えたくなった。

はあ、大きく溜息を吐いて、モシン・ナガンと人間一人分はあるのではないかという重さの本日の成果を背中に背負う。
そして、もう三分の一は夢の世界に旅立っているロスマンを両腕で抱え上げた。お姫様抱っこである。
そう言えば、伯爵との酒盛りの後もこうしたっけ運んだっけと思い出す。


ロスマン「うん、俺って見かけによらず、かなり力持ちよね」

俺「ああ、そう? シユウじゃ同年代の中でも非力な方だったけどな」

ロスマン「そういう人達の基準で考えないで。…………はッ!? ちょっと待って、なにこの状況!!」

俺「いや、気づくの遅すぎるだろ」

ロスマン「は、離して! 自分で、自分で歩けるから!」

俺「さっきまで眠そうにしてた奴の台詞じゃないからな、それ。つーか、もう体力の限界だろうに」

ロスマン(は、恥ずかしい……!)

俺(顔赤くしてるなぁ。…………いけね、俺まで何だか恥ずかしいことをしてる気分になってきた)


本人の考えはどうあれ、残念ながら現在進行形で恥ずかしいことをしている俺である。
ロスマンもまた同様。恥ずかしさから耳まで赤くなって顔を覆い隠すも、男からすれば返って逆効果だ。

男とこうして密着した状態になるのは初めての経験であるし、妙な安心感を感じるのも羞恥を煽る。
現実逃避がてら、あのエセ伯爵も同じ状況になったら、どうなるだろうと考えた。
恐らく、自分ほど狼狽しないにせよ、同じように頬を染めるに違いない。どう考えても彼女は“される側”ではなく“する側”だから、きっと慣れていない。


俺「……は、はは。いやほら、別にこれが初めてって訳じゃないし、前の酒盛りの時も――」

ロスマン「その話は忘れなさい。早急に、即刻に、即座によ」

俺「―――――……はい」


あれだけ染めていた頬と慌てふためいていた顔を一瞬で真顔に戻すや、氷の刃を思わせる声で言った。あの状況から逃げた俺としても、黙らざる負えない威力を秘めていた。

俺の余計な一言で冷静さを取り戻したロスマンは、何度か咳払いをすると口を開く。


ロスマン「俺、今日はありがとうね」

俺「ん? どうしたのさ、急に」

ロスマン「ほら、最初も一人で来たいって言ってたじゃない。それに、今も迷惑をかけてるし……」


今日は替えの効かない貴重な体験をしたからとほんの少しだけ寂しげに微笑んだ。
その言葉に、自身の体力も少なく華奢な身体に負い目を感じているのは、俺の目からでも見て取れた。

彼女はこの身体のせいで、どれだけのものを得られなかったか。
病弱だった幼い頃、家の外に遊びにいくこともできなかった。軍の基準を満たさず、一度はウィッチへの夢を諦めた。挙げていけばキリがない。
身体のことで両親を恨んだことはない。それこそ運命の悪戯というものだ。人の身でどうにかなる領域ではなかった。
だからこそ、自身の境遇を恨んだことも、呪ったこともある。何故、自分がという疑問を、何度となく抱いたものだ。

ウィッチになってから次第に忘れていったが、ロスマンの心の底には溜まった汚泥のような澱を残していた。


俺「気にすることなんかない。俺は、思っていたよりも楽しかったよ」

ロスマン「……え?」


意外な台詞に、少しだけ目を丸くする。
俺としては素直に本心を伝えただけのこと。それでも、溜まりに溜まったを澱を払拭するような言葉だった。

とても一般人の範疇にはない一日ではあったが、今日は楽しかった。
ロスマンが目を丸くする度に面白かったし、何か質問をしてくる時は答えるのに自然と熱が籠る。
それが普通の日常であり、己がそんな中に立っていることが、どうしようもないほどに違和感はあったが、違和感に勝る一日であったことは否定しない。

かつての自分では得られなかった奇妙な充実。
こんな生活も悪くない、などというには厚顔にもほどがあるが、楽しかったと首肯することに罪はあるまい。


ロスマン「全く、そんなことを言われたら、難しいことを考えてた自分が馬鹿みたい」

俺「……?? どういうこと?」

ロスマン「ふふ。こっちの話よ」


はあ、気のない返事と何も分かっていないと示す俺を余所に、くすくすと笑い声を漏らす。

俺としては、ますますもって訳が分からない。何かそんなにツボに嵌っただろうかと、自分の台詞を反芻するくらいだ。


ロスマン(こういう所が、あのエセ伯爵が可愛いっていうところなんでしょうね)

俺「なんか言った?」

ロスマン「いいえ、なんでも。…………えいッ!」

俺「おわッ……!」


湧いて出た悪戯心の赴くまま、ロスマンは俺の首に両腕を回した。
突然の出来事に、危うくバランスを失って転倒しかけた俺であったが、腕の中の保護対象を守る為に超絶の平衡感覚を発揮する。


俺「な、急に何するんだよ……!」

ロスマン「してみたくなったから、しただけよ?」

俺「か、顔が近い。離してくれよ」

ロスマン「いいじゃない、このままで。手持ち無沙汰なの」


ああだこうだと俺が何かを発すが、のらりくらりと交わすロスマン。

夕闇に閉ざされようとする白銀に染まった森の中、男が慌てふためく声と女が可笑しそうに笑う声が、静かに響いていくのだった。
最終更新:2013年02月06日 23:28