ep1(仮)
イブの夜、俺は整備兵一同とクリスマス会を楽しんでいた。最初は俺も混ざり歓談していたのだが
宴も酣になると、次第に一人になることを好んだ。俺自身、元々大勢で寄りあって何かをする性分
ではないため、静かな所を選んで座って酒を嗜んでいた。時がたつにつれ、みるみるうちに男たちは
酔いつぶれていく。
そんな時、俺は後ろから突然に声をかけられる。見ると声の主はサーシャだった。サーシャは俺にじっと
瞳を向けて立っていた。俺は殊更に緊張する。
サーシャ「俺さん、こんなところで飲んでいたんですか」
俺「まあな…。サーシャこそ、一人でこんな所に来てどうした?皆と一緒にいたんじゃないのか?」
サーシャ「先ほどまで皆さんとご一緒でした。ところで、俺さんは今お暇ですか?」
俺「一応、暇ではあるかな」
サーシャ「もしお暇なのであれば、私たちの所に来ませんか? これから502の方でも始めようと
思ってるのですが」
思っても見ない提案であった。俺は最初から彼らと最後まで飲む気でいたし、彼女は彼女たちで502の
面々とやってるだろうと考えていたのだから。しかし、俺には一つ気がかりなことがあったのでこう答えた。
俺「あー、わざわざ誘ってきてくれたのは嬉しいんだけどさ。けど…俺みたいな男が混ざっても大丈
夫なのか?」
サーシャは、少し照れくさそうに笑いながら答える。
サーシャ「特別そういうのを気にすることはないので、大丈夫です。それに、皆が俺さんの事を待ちかね
てるようですしね」
俺「…んー、だけどな、酔いつぶれてるこいつらの面倒をどうなるんだ? このままだと、地獄絵図にな
りそうだぞ」
俺は、酔いつぶれてる彼らを見る。数えるだけで青ざめてぐったりうなだれてる人が多数。さっきまで、飲み比べ
をしていた威勢のいい男たちには見えなかった。
サーシャ「彼らなら多分大丈夫ですよ。ちょっとはしゃぎすぎちゃっただけみたいですし」
俺「んー、とてもそうはみえないけど」
サーシャ「ほらほら、さっさと俺さんもくるの!」
彼女は溌剌とした調子で言い放つと、俺の腕を引っ張り、歩き出す。華奢な体をした少女は強引だった。
オラーシャの人間って皆こうなのだろうか…。
引っ張られながら俺とサーシャはとある部屋の前に来る。サーシャは『俺さんを連れてきました』と言い放って
扉を開けた。中を恐る恐る覗くと、中には既に502の面々が集まっていた。
菅野「おせーよ俺、待ちくたびれたぞ」
ニパ「おれぇー、お腹空いたー」
クルピンスキー「ようやく主役のおでましか。ほら、僕の隣に座ってよ。今なら先生もセットでついてくるよ」
皆待ちくたびれているようだった。正直ここまでして俺の事を待っていてくれてたなんて夢にも思わなかった。
曹長だけはクルピンスキーを呆れ顔で見てたけれど。
ロスマン「全くもう何言ってるのよ、伯爵…。 あー、俺くんは大尉の隣が空いてるから、彼女の隣に座ってね」
ロスマン曹長にそう促されると、俺は見回して席を探し始める。すると、下原少尉が手を振って教えてくれた。
下原「俺さんの席はこちらですよ」
ジョゼ「お疲れ様です、俺さん。サーシャさんもこちらにどうぞ」
俺とサーシャは指定された席に静かに座る。その席は一同を見渡せる位置であったため、俺はどうやら彼女らの
表情を眺める事ができた。電灯の灯りに照らされて各々の表情は愉しげだった。
それぞれが席についたことを確認すると、ラル少佐は端然として立ち上がり、一同を見回すと淡々とした口調で
話し始めた。
ラル「よし、ようやく集まったな。 普段なら、皆こうやって集まるときはミーティングなのだが、今日は
クリスマス・イブだ、堅苦しい挨拶はなしで行こうと思う。今だけは戦時だということを忘れ、それ
ぞれ雑談に興じてほしい。さて、今日は一番最後に来た俺に音頭を一任したいと思う。それじゃあ
確かに任せたぞ、俺」
俺「ええ!? そこで俺ですか? ……りょ、了解しました。 えーっと、隊長に音頭を任された俺です。
今日はクリスマス・イブということで、あんまり羽目を外しすぎない程度に楽しんでもらえたらと思います」
クルピンスキー「俺くん、表情が堅い、堅いよ」
一同から笑いが起きる。俺はどうやら顔を強張らせていたらしい。彼女の言葉で大分緊張も和らいだようで、次の
言葉も自然に紡ぐことできた。
俺「……ちゃちゃいれるやつは置いといて、そろそろ始めようと思います。お手元の机にあるクラッカーを手にしてく
ださい。せーのの掛け声で始めますよ。…準備はよろしいですか? それじゃいきます、…せーのっ」
一同『メリー・クリスマス!!』
あちこちから歓喜の音が響く。紙テープがあのポストトラスのように綺麗に交差し、紙吹雪が部屋中を緩やかに舞って
この冬の敬虔な夜を静かに讃えた。燭台の夥しい光が今日を祝福しているように思えた。俺はこの光景をきっと忘れ
ることはないだろう。たとえこの戦争が終わっても…。
菅野「おい、そのケーキは俺のだぞ!」
ニパ「いーや、私のだね。手を出したのが0.1秒程早かったし」
菅野「このぉ、往生せいやー!!」
クリスマス会が始まったと同時に早速取り合いが始まっていた。
下原「二人とも、まだたくさんありますから落ち着いて下さい」
ジョゼ「そうですよ、ニパさんも菅野さんも皆仲良くして…ひにゃー」
二人の投げ合いが始まって、とばっちりがジョゼにも飛んでいく。なんとも不憫である。
俺は遠くからその様子を微笑ましく観察していた。できるだけ、被害が及ぶ範囲から離れて。
俺「しかし、俺なんかがこの中に入っても良かったのかな? 一人だけ浮いてるような気が…」
クルピンスキー「そんなお堅いことは気にしちゃダメだよ、クリスマスは皆で楽しまなくちゃね」
ロスマン「伯爵に言われたくはないわよね、俺くん。 伯爵は普段からもう少ししゃんとしてくれないと困るわ」
クルピンスキー「…そんな事ができる人間に見えるかい?」
ロスマン「確かにね、まあ元から期待はしてないけど」
クルピンスキー「はは、こいつは手厳しいね」
こんな二人の掛け合いも相変わらずでなんとも微笑ましい。俺はその二人を見て微笑を浮かべていた。
そして、先生は俺の顔を向けてこう切り出してきた。
ロスマン「ふふ、訳を知りたそうな顔をしているわね。確かに私達が俺くんにもね、ここに来て欲しいっての
もあったのだけれどね…」
俺はその意味深な言葉に耳を傾ける。わざわざ呼び出すということは何か大事な用事でもあったのかもしれない。軍曹は
サーシャの方をちらと見る。
ロスマン「…実を言うとね、このことは大尉の強い希望でもあったのよ」
俺「え…」
ロスマン「最初はね、私も向こうは向こうでやるから別にいいんじゃないのかなって思ったのだけれど、彼女が
是非俺くんもと言ったものだから」
想定外の返答に俺はしばらく言葉が見つからずに沈黙した。彼女が希望したこと、その理由に対して俺には全くの
心当たりがない。うーむ、これはサーシャに聞いてみるしか無いかな。
サーシャの方を向くと、どうやら下原さんと歓談していた。やがて俺の視線に気がつくと、こちらの方へ歩み寄って
来るのがわかった。
サーシャ「あら、どうかしましたか、俺さん? 私に何か用事でも?」
オラーシャ人独特の静的な笑みをしながら、こう言った。
俺「あーいや…その」
俺は彼女の莞爾たる笑顔に魅せられてしまい、何も言えなくなる。こんな時に俺はどうしたというのだろう。
不思議なことにこの時俺は彼女の一挙一動が気になり始めていた。
ロスマン「ちょうどね、大尉が俺くんを熱烈に希望してた、という内容の話をしてたところなの」
そう言って彼女は意地の悪い笑みを浮かべる。心なしかどこか愉しんでいる風にも見える。サーシャは困惑した
表情になる。
サーシャ「…あー、あのね、俺さん。…彼女の言うことは真に受けないでくださいね。彼女いつも幾分意地の悪い
ことを言うから」
クルピンスキー「フフ、素直に俺くんと一緒にいたいって言えばいいのに。…でもそういう所が可愛いけどね」
彼女は指摘されて、顔を赤らめる。
サーシャ「むー…。と、とにかく俺さんがこの会に来て欲しかったから誘ったのは本当です。俺さんにも肩の力
を抜いてもらって今夜を楽しんでもらいたかったかったし…」
俺は素直に彼女の心遣いが嬉しかった。彼女の言葉には朗らかな優しさがあった。
俺「ありがとう、サーシャ。俺、502の皆でわいわい出来るなんて思わなかったからさ、凄く嬉しいよ」
サーシャ「それはよかったです。それとそうと、俺さん。一つお願いがあるのですが…」
俺「…ん?」
サーシャ「えっと、後ででもいいですから私と一緒に基地の外を散歩しませんか? 2人だけでその…色々と
お話したいこともありますし」
彼女は緊張しているのか、俯いていた。俺もなんだか落ち着かない、妙な気分だ。
俺は暫く考え込んでいたが、特に断る理由がなかったため彼女の提案に賛同した。
俺「いいよ、俺もサーシャと2人だけで話したいこと…一杯あるしさ」
サーシャ「あ……」
俺はいつの間にかサーシャの頭の上に手をぽんと置いていた。
本当は上司相手にするのは失礼だけど、友人同士の間柄であったため、そういうのは気兼ねなくできていた。
何故かサーシャの頭から湯気が出てたけど…。でも、ぽーっとしていた彼女はとても可愛かったことは追記しておく。
夜宴も深夜に差しかかると、多種多様な姿を目の当たりにすることが出来る。
下原とジョゼが支え合うようにしてソファに座って眠る姿や酔いつぶれてテーブルに俯せになる隊長と先生の姿、
罰ゲームを賭けてトランプ勝負をしていたのか顔中落書きだらけになって床で横になって眠る菅野とニパの姿。
その傍らで、俺はサーシャと二人だけで小さなテーブルを挟んで向かい合うようにして座りながら、酒を酌み交
わしていた。テーブルの上は、酒の香りと燭台の炎の灯りで、成熟した雰囲気を演出していた。
俺「皆はもう寝たようだな。まあ、あれだけ馬鹿騒ぎしてたしなー」
サーシャ「フフ、そのようですね。あら、このブランデー美味しいわね」
サーシャはそういいながら、もう一杯注いでいく。
俺「さっきまで、スピリタス飲んでたのによく飲めるよなあ。俺はもう飲み過ぎてふらふらなんだけど」
サーシャ「ブランデーは半分お水みたいなもの。 俺さんももう一杯くらい飲めばいいのに」
どうやら彼女は酒に強い体質らしい。度数の高いお酒でも平然としている、そればかりかますます血色がよく
なっていた。彼女は乾いることのない酒に夢中であった。
一方の俺はというと5~6杯のブランデーでぐったりしていた。酒を次々と飲み干していく身体の小さな華奢な少女
の様と、背もそこそ高い青年が突っ伏している様の対比はなんとも滑稽である。
暫くの間二人で歓談していたのだが、後ろから突然、ワインボトルを片手に持ったクルピンスキー中尉がやってくる。
クルピンスキー「やあ、俺くん。二人で楽しそうだね。ちょっと混ざってもいいかな?」
二人の間で歓談してる最中に割り込まれたのが不満だったのか、大尉はみるまに機嫌が悪くなっていた。
サーシャ「クルピンスキー中尉、あちらでラル少佐と二人で飲んでいたのではないのですか?」
クルピンスキー「うん、そうだったんだけどね。ほら、あの御覧の有様だしさ。だから話に混ぜてもらおう
かなーって。あ、ひょっとしてお邪魔だったかな?」
そういって、中尉は俺の横に腰掛ける。妙に俺との距離が近い。それを見た彼女はますます眉を吊り上げる。
サーシャ「べ、別にお邪魔ということはないのだけれど…」
クルピンスキー「ならいいじゃないか。一寸の間だけでもいいから。おっと、俺くん。一杯どうだい?」
俺「い、いただきます」
そういって中尉は俺のグラスに白ワインを注ぎはじめる。サーシャは伯爵をにらみつつもその様子をじっと
眺めていた。彼女は物憂げな瞳で何かを哀訴しているようにも見える。
クルピンスキー「ところで俺くん。 君はどういうタイプの子が好みなのかな?」
突然の問いに俺は戸惑う。
俺「えっと…、なんでまた急に?」
クルピンスキー「ふふ、実は前々から俺くんに興味があったんだよね。で、早速なんだけどどうだい? 今日の深夜
過ぎにでも一緒に外に繰り出さないかい?
サーシャ「!?」
俺「ははは、それは相手のいない俺に対する気遣いか何かかな」
中尉は少し間をおくと、驚くほど深刻な調子でこう答えた。
クルピンスキー「もし本気だとしたら…?」
彼女が急に真摯な態度を見せたので、俺は内心動揺する。彼女の行動の真意が見えない。俺は焦燥に駆られ始める。
俺「えっと、冗談ですよね?」
クルピンスキー「じゃあ、証明してあげようか?」
いつになく真っ直ぐな中尉の眼差しに俺はたじろぐ。そして、俺に考える間もなく、"伯爵"と称されるその女性は俺に
身を寄せて、俺の顔を両手で挟みこんだ。
俺の瞳には、すでに俺の顔から30cmくらいの距離しかないクルピンスキーの顔が映り込む。そして、徐々に
彼女の顔が接近してきていた。俺はもう何も考えられずに、頭が真っ白になる。
サーシャ「だ、だめぇー!!」
俺「うぶ!!」
接吻するかしないかの寸前で、サーシャに突如として押され、俺はものすごい勢いで横に吹っ飛ぶ。彼女の行動に俺の
身体は反応出来なかった。
サーシャ「あ、あれ?俺さんは?」
俺「……」
サーシャは足元に目をやって、ようやく床に俯せになる俺の姿に気がつく。
サーシャ「え、あ!? お、俺さん、しっかりー!!」
クルピンスキー「うーむ、これは少しからかいが過ぎたようだね」
申し訳なさそうに中尉がそう漏らす傍らで、俺は意識が遠のき始める。倒れた椅子はまだ、かたかたと揺れていた。
目が覚めるとそこにはサーシャの顔があった。彼女は目を覚ました俺を心配そうに見つめている。
サーシャ「えっと、その…さっきは、本当にごめんなさい。 お身体の具合は大丈夫ですか?」
後頭部が柔らかかったので、すぐに膝枕されているのだと分かった。彼女は今にも泣きだしそうな表情をしている。
まだ、頭部の辺りに鈍い痛みが残っていた。俺は、これ以上は心配をかけまいとしてひとまずは『大丈夫だよ』と答えた。
サーシャ「その、私ったら俺さんをあんなにぶっ飛ばして…。 ほんとにごめんなさい、…怒ってますよね」
俺「ははは、これ具合平気だよ。 それに俺はこんなことじゃ怒らないよ」
俺は咄嗟にこう答えたものの、それを聞いてサーシャは余計に沈黙して伏し目になる。それを見た俺はこう切り出した。
俺「うーんと、そうだ。サーシャ、さっき約束したことさ、それ今からやらないか?基地の外を散歩するってやつ」
サーシャ「え…?」
俺「酔い気覚ましのついでにもなるしね、ちょうど今夜あたりはいい景色が見れそうだね」
そういって、俺は横たえた身体を持ち上げて、座っている彼女の方に向き直す。
サーシャ「…あ、俺さん、まだ横になってたほうが」
俺「俺はもう大丈夫だから」
サーシャ「けど…」
俺「へーき、へーき」
俺は彼女の手を握ると、静かに彼女を引っ張り上げる。
俺「そんじゃ、散歩に行きますか」
サーシャ「…う、うん」
彼女の頬が少し赤くなる。…少し俺の行動は普段より大胆すぎたように思う。
深夜過ぎに基地を出ると、外はまさしく空虚な夜であった。
目の前には雪原が延々と広がり、この世で最も幻惑的な闇を見事に演出していた。
空はまだ月も覗かぬ曇天である。俺たちは外套を身に纏い外を歩き始める。向かう先は、近くの小山。
なんでもサーシャには俺に見せたい景色があるのだという。
サーシャが先導して俺の目の前を歩く。俺はその彼女の後を雁行する。
彼女は鞠玉のようにはずみをつけながら足跡を残していく。彼女が歩くと白銀の粉が舞って、足元で
次々と白い花々が咲いては散っていくようであった。
俺は、彼女のその様子を見て自然に笑みがこぼれる。俺は夜の沈黙さえ、心地良く感じていた。
山の中腹辺りになると叢林が生い茂り始める。サーシャはその樹々を眺めながら、こう訊いた。
サーシャ「たしか、俺さんの故郷って扶桑でしたよね。生まれ育ったところがどういう感じなのか気になります」
俺「んー、そうだなあ…。俺の住んでたところは、こんなに針葉樹林が生い茂るような所じゃなかったかな。俺の
故郷は山に囲まれた小さな農村で、外界からは遮断され、都会の娯楽とも縁がないところだったっけ。病気を
患った時などは、医者を呼ぶにも一苦労なところだったよ」
サーシャ「子供の頃はどういった感じの子でしたか?」
俺「俺の少年時代は一人遊びをするような内気で体が弱い子供だった。元気のいい子供はそれはもう快活だったが、
俺は外堀を作って他人とは距離をおいてたくらいさ」
サーシャ「そうですか、なんだか今の俺さんからは想像つかないですね…。私と
初めて会った時の俺さんは、とても
話しやすくて大らかでしたし」
俺「正直言うと、ここに配属が決まったと知った時、俺なんかがうまくやれるだろうか、という不安が常に頭の中に
あったんだ。その頃ようやく対人関係が築けるようになった矢先で、しかも、それまで女性とも縁がなかったか
らね。だけど…」
サーシャ「だけど…?」
俺「部隊に配属されたあの日、初めて対面したあの日、サーシャを一目見て、この世の中にはこんなに綺麗な女の子も
いるんだなって正直驚いた。そしてこんな可愛い女の子の笑顔がいつまでも見れるのだったら、支えてやりたいってね。
不思議な事にさ、あの時の俺は快く言葉が辷っていったんだ」
彼女は俺の目をみることができずに、恥ずかしそうに顔を背ける。上気した頬と、潤んだ瞳はとても可愛らしかった。
この時の俺は、流露する心を抑えられずにいた。堰を切ったかのように口疾に出ようとする言葉を止めることが出来ずにいたのである。
サーシャ「あなたはなぜこうもまっすぐ…。は、恥ずかしくてまっすぐ俺さんの顔を見られないじゃない」
俺「ちょっと大げさすぎたかな。その時の胸中を極めて叙情的に表現したつもりだったんだけど」
サーシャ「…俺さんはなんでもかんでもストレートすぎるんですよ」
彼女は顔を真っ赤にして言う。
俺「はは、ごめんよ。そういえばさ、サーシャのこと聞いてなかったな。サーシャの故郷はどういう感じだったんだ?」
彼女のことも気になったので、今度は自分から聞いてみる。
サーシャ「んーっと、そうですね…。私はノヴォシビルスクっていう、オラーシャでも比較的大きい都会で生まれ育ちました」
俺「ここからちょっと東南にいったところだっけ? この位置からだとかなり離れてるけど」
サーシャ「ええ、たぶん航空機でも結構時間がかかるかと。そういえば…俺さんには一度も、私の身の上について語ったことが
無いですよね。実を言うと私の家は一般的な労働者階級の家庭でして、私の父は機械技師を生業としています。父は
非常に優秀な技師でして、日夜腕の精錬に余念がありませんでした。私はそんな父を尊敬していました。私も技師に
なりたくて、必死になって父の技を盗もうと時々作業場にいって困らせてましたっけ…」
俺「なるほどなあ。そういえば、この間の出撃でめちゃくちゃに壊れた菅野のユニットをてきぱきと修復してたっけ」
サーシャ「あれくらいならお手伝いできるかと思いまして。今でも余計なことだったかなあって思いますけどね」
俺「いやー、結構助かったけどね。他のことでてんてこ舞いだったから。でも、そんな彼女が技師の道に進まずに軍人を
やってるのは、やっぱり皆を守りたかったからなのかな?」
サーシャ「それもありますし、やっぱりこの国と父の暮らした街が好きでしたから。だから…私は軍隊に志願したんです」
彼女の言葉には明確な強さが感じられた。誰にも負けることのない確固たる意志を、彼女は持っていた。
俺「なあ、サーシャはさ…もしこの戦争終わったら、故郷に帰って家業とか継ぐのか」
サーシャ「恐らくはそうなりますね。父のことも心配ですし、それに私自身、街のために貢献したいという思いが
ありますから。そういう俺さんは?」
俺「俺か? そうだなあ、俺は故郷に帰らずにサーシャの家の手伝いでもしようかなあ」
サーシャ「え? えええ!? 俺さん、それは一体どういう意味でs」
俺「おー、やっと頂上についたみたいだな。ってどうしたんだサーシャ」
俺は彼女の言葉を遮ってしまったようだ。彼女は不満そうに、顔をふくれさせていた。
サーシャ「…俺さんの馬鹿」
俺「あっと、その…ごめん」
彼女はそれを聞いて微笑を浮かべる。
サーシャ「…まあ、俺さんらしいといえばそうですね。それより見てください、この景色を俺さんに見せたかったんです」
それは、驚くべき白銀の鳥瞰図だった。頂上から見下ろす光景は、一望のもとに基地を眺めることができた。
彼方には家々から仄かに白煙が立ち上り、峻険な山々のふもとでは汽罐車が白銀を巻き上げながら通り過ぎていくのが見える。
後に残る煤煙が沈黙を孕みながら、闇に消えていくのがわかった。
そして、それはまた泡沫の夢のようであった。何しろ、平時であれば瑣末にもかけない荒涼たる風景が雪で白粉され、地上の
様相が凡てにおいて変えられていたのだから…。地表の雪が、闇の中で仄明るく輝いている。
サーシャ「私、この景色が好きなんです。哀しくなった時、辛くなった時、よくここに来てました」
俺「これは凄いね…。うまく言葉がでてこないけど、こんなに夜が明るいなんて思わなかったよ」
サーシャ「まるで綿花の海みたいですよね。風が吹くと、その綿が舞っていくんです」
彼女の言葉は的を射ていると思った。まさしく、地上で咲いた綿花は、様々な形をとっている。
それらは烈しい波のうねり、海辺にある硝子の砂、泡の飛沫の形であったりした。
まるで綿花でできたオブジェの展覧会みたいに。
俺「俺とサーシャ以外にここを知ってる人はいるのかな」
サーシャ「んーっと、あとは多分ニパさんくらいかと。残りの502の皆さんは恐らく知らないかと思います」
そう言うと、彼女は愛くしむような眼で、またこの景色を眺める。俺も彼女と共に茫漠たる雪原を眺めた。
俺はしばしの間、この景色に見とれていたのだが、忘れていたことを思い出した。
俺「あー、そうだ。サーシャに渡したいものがあったんだ」
そう言って、俺は小さな黒い子猫のぬいぐるみを彼女に手渡す。
サーシャ「あの…俺さんこれは…?」
俺「俺からのクリスマスプレゼント。渡しそびれちゃってたけど」
サーシャ「…これ、いつの間に用意してたんですか?」
俺「まあね。ルマール少尉から、これが好きだって聞いてたから」
サーシャ「ありがとう、俺さん。この子猫凄く可愛いです…」
サーシャはそう言うと、猫のぬいぐるみを抱く。彼女は嬉しそうに眼を細めた。そして彼女もまた何かを思い
出したかのようにこう言った。
サーシャ「じゃあ、私からも俺さんにサプライズです。これ、受け取ってくれませんか?」
そういうと、彼女はポケットから綺麗に包装された小さな箱を渡す。
俺「中開けても大丈夫かな?」
彼女はこくりと頷く。俺は包装を綺麗に取ると、箱を開けた。
俺「お、これは…万年筆か」
そこには落ち着いた色の万年筆が入っていた。
サーシャ「俺さんがご家族と頻繁に手紙をやりとりしてると聞いて、それで書いていただけたらと思いまして。
あの、ひょっとして気に入らなかったでしょうか…」
俺「そんなことない。これ、凄い気に入ったよ。ありがとうな、サーシャ」
サーシャ「フフ、大事に使ってくださいね」
俺は素直にサーシャからのプレゼントが嬉しかった。家族に手紙を送るたびにこの万年筆を使うことが、楽しみになりそうである。
多分その前に、彼女に真っ先に初めての手紙を送るだろう。無論、手渡しになるけど…。
交換の後、暫くの間、俺とサーシャは沈黙していた。冬の冷たい風が俺の頬を打つ。梢の擦れる音が静けさを煽りたてる。
数分間、会話のない時間が続いたが、ついに彼女が均衡状態を破った。
サーシャ「あの、俺さん。実はその…俺さんに大事なお話があるのです」
彼女が改まった口調で話しだす。俺は彼女の言葉に思わず身構えた。
サーシャ「時間を少し取らせてしまうかもしれません。けど、今を逃したら多分素直にはなれなくなると思うから、
…だからもう話しちゃいますね」
俺は彼女からの言葉をひたすらに待つ。彼女は緊張は極に達したようで、しばしの間俯いていた。
彼女の瞳が忙しなく動く。やがて、意を決したのか彼女はゆっくりと顔を上げる。
サーシャ「私……」
その瞬間、雲間から月の光が射し、サーシャは稀薄な光に包まれた。彼女の陰翳が雪の上で淡く滲んでいく。
月の光の中で彼女の柔肌がより一層白皙となり、彼女はより一層彼女になっていった。
そして、彼女は最後の言葉を振り絞る。
サーシャ「私…俺さんのことが好きです」
俺は彼女の言葉に、瑕瑾のない彼女の美しさに、心を奪われる。
柳のようなしなやかな物腰と、その艶冶な肌が眩いばかりであった。
俺は暫く間をあけると、自分の言葉で、ありのままに話し始める。
俺「俺さ、サーシャと出会って以来、ずっと背を追い続けてた。どうやったら、彼女みたいな強い人に、優秀な技師に
なれるのかなあって、それだけを考えてた」
俺は馬鹿みたいに独り言のように呟き始める。この時、心臓が早鐘を打っていた。
俺「だけど…、ようやくわかった、それだけじゃなかったんだって」
俺は息を大きく吸い込む。そして、俺は彼女に向く。いつになく真剣な眼差しで。
俺「俺もサーシャのことが好きだ。前々からずっと好きだった」
サーシャ「…っ!」
彼女は静かに距離を詰めて、片手にぬいぐるみを持ったまま俺に抱きついてくる。俺は彼女の背中に手を回す。
彼女の眼は涙で滲んでいた。
空を見上げると、雪がちらつきはじめていた。俺は、彼女との出会いについて考えをめぐらしだした。
彼女との紐帯はいつから始まったのだろう。初めて会った時からだったのだろうか、
それとも、彼女と一緒に作業をした時からだったのだろうか…。
人との結びつきとは不思議なものだ。ひょっとしたら、一種のもつれのような相関だったのかもしれない。
俺には、ただそう思えてならなかった。
ジョゼ「うわあ、雪がこんなに降ってますね」
ジョゼさんは子供みたいにはしゃいでいた。私も彼女と同じように、真っ白な雪を見て童心に帰った心地になる。
私は空を見上げながら、あの言葉を自然と口にしていた。
下原「上見れば虫っこ、中見れば綿っこ、下見れば雪っこ…」
ジョゼ「あのー、それって…」
下原「扶桑のわらべ歌にあるんです。上を見上げれば飛びまわる虫のようで、中を見るとふわふわの綿のようで、
下を見下ろすとやっぱり雪だった」
ジョゼ「言われてみればそうですね。 この夜に相応しい、とても素敵な言葉だと思いますよ」
そう言って、彼女は柔らかな笑みをみせる。私もそんな彼女を見て、微笑を浮かべる。
そう、…冬はまだ始まったばかりなのだ。だけど、私には春がすぐそこに迫っているような気がしてならない。
だって、その時の彼女の笑顔がとてもあたたかだったのだから。
おわり
最終更新:2013年02月15日 13:07