Ju52輸送機を飛ばす操縦俺の頭の中を、思い出が走馬灯のように駆け巡った。

 静浜基地、第11飛行教育団に所属し、T-3型初等練習機に乗っていた頃。
 訓練飛行を終了してRTB、一旦海側に出てベースターン、RWY-09にアプローチ。 
 そこはいつも、地形の影響で風が“巻いている”ため、急に高度が下がることがある。
 そのため、機体をオンコースに保つのが非常に難しかった。

 そして、11教団の卒業を間近に控えた頃、
 希望していた戦闘機操縦者課程ではなく輸送機操縦者課程の履修を命ぜられたこと。

 美保基地の第41教育飛行隊に入隊し、T-400型中等練習機に搭乗していた頃、
 離陸直前にスラストリバーサーが不時作動し、危うく墜落しかけたこと。

 T-400は、米国レイセオン・ビーチクラフト社製の小型ビジネスジェットであった。
 それを航空自衛隊が練習機仕様に仕立てたものであったが、元々は三菱重工が設計した機体である。
 それ故に、細かい部分まで計算された機体設計は完成度が高く、乗り易い機体だった。

 シャーリー「良いもんだろ。空を飛ぶっていうのは」
 いつの間にか、シャーリーがコックピットに顔を出していた。
 操縦俺「まあ…、ね。地上の嫌な事なんか全部忘れちまう」

 だが、空は空で、面倒なことや嫌なこと、そして何より危険も山ほど存在する。
 パイロット学生時代も、ウィングマークを取得した後も、教官や先輩から嫌というほど叩き込まれきたことだった。
 そして、ウィングマークを返納して地上に降りたとき「もう空を飛ばなくてもいいんだ」と安心していた自分に気付いた。

 故に。
 無邪気に空を舞うウィッチが操縦俺にはとても眩しく見え、それに嫉妬に似た感情すら抱いたこともあったのだが。

 ――だがそれを今言うのは野暮ってもんだ。

 管制官「クリヤード・フォア・VLS、RWY-30アプローチ。ディセント・アンド・メインテイン10。
    ターンライト、ヘディング0-2-0フォア・ベクター、トゥー・ファイナル・アプローチ・コース」
 操縦俺「RWYインサイト。ギアダウン、ビギン・ディセント」
 管制官「アフター・ランディング、コンタクト501TWR」
 操縦俺「ラジャー」


 基地にランディング後、俺達は外周点検とフォーム記入を済ませて飛行場地区を後にした。
 その後、ミーナの元に報告に機体受領完了の旨を報告した。

 ミーナ「はい。3人とも、お疲れさまでした」

 新しく受け取った機体は、すぐに任務に投入されるという訳ではない。
 俺達のJu52もシャーリーのP-51Dもドックに搬入され、整備員らの手によってACP(受入検査)が実施されることになった。

 シャーリーのストライカーユニットのACPはすぐに終了したが、Ju52のACPが完了するまでは3日を要した。
 Ju52のACPはノースコーク(異状なし)で完了し、OR(任務可能)機となるのだが、
 俺達が隊長室に呼び出されたのは、ACP期間の最中だった。

 そして、隊長室で俺達に伝えられたこととは。

 ミーナ「お2人と、この輸送機をもって支援飛行班とします。
    任務は、要務飛行及び航空輸送等、各種支援任務です。
    パイロットは操縦俺さんで、整備俺さんは、整備責任者と機上整備員を兼ねてもらいます。
    運用に必要な整備は、整備隊の、主に外来機支援班の支援を受けることとします。
    班長は、機長である整備俺さんにお願いします」
 整備俺「(なんだそれ、滅茶苦茶だろ!)」

 こうして、俺達の新たな所属となる、501支援飛行班が新たに設置された。
 パイロットが1名、整備士官が1名、輸送機が1機というちっぽけな部署であったが、
 ともかく、俺達に固有の仕事場が与えられたのだった。

 そして、慣熟飛行訓練を順調に消化しつつあったある日。
 ロンドンの司令部から、ミーナの元に出頭命令が届いた。
 その、ロンドンへの要務飛行が、俺達支援飛行班にとって初の任務となった。
最終更新:2013年03月30日 02:02