例え同じ扶桑人であっても、仲間を傷つける狼藉者を許すわけにはいかない。
命を奪うつもりはなかったが、魔女を片手で押えこむ不可思議を考慮し、美緒は少年の意識を奪うための一撃を放った。
相手が無防備な背中を見せている時に、というのは気が引けたが、それがもっとも安全な方法だった。
だが。
そこまでしたにも関わらず、うなじを狙って打ち込んだ扶桑刀の先端は、容易く防がれてしまった。
振り返った―――何時の間に?――少年の右手には、一振りの剣が握られていた。
片刃の、まるで獣の牙のように武骨なそれは、驚くべきことに、氷から造られた物だった。
少年は氷の刀身を盾にして、扶桑刀の先端を受け止めたのだ。
「どうせ、こうなるだろうとは思っていた。俺はあんたの言うとおりにしてやったのにな」
美緒の頬に、冷や汗が垂れた。
美緒が扶桑刀を両手で握っているのに対し、少年は右手のみを使っている。
膂力には、差があるようだった。
「後悔することになるぞ、人間」
空手だった少年の左手に、もう一振りの氷の剣が現れる。
彼の右脇腹から左肩方向に擦り上がった刃が、扶桑刀を弾いた。
その衝撃を利用し、美緒は大きく後退した。手がびりびりと痺れる。
木製の鞘には裂傷。美緒にはそれが、相手を侮った己の甘さの象徴のように思えた。
(意識を奪うだと? 冗談じゃない)
美緒は、扶桑刀を鞘から解き放った。降り注ぐ月光を受け、刀身が三日月のように輝く。
鞘を捨てる。刀を正眼に構える。腹に、力を込めた。
(―――殺す気でやらなければ、殺される)
少年が、両手を翼のように広げた。次いで襲い来る寒気は、彼の総身から放たれる殺気の効果か。
美緒は、初めてだった。人間と戦うのも、殺気を向けられるのも、だ。
無論、対人戦の訓練は何度も経験してきた。だが、それが殺し合いに発展したことはない。
そして、ネウロイは殺気を放たない。彼らは機械のように戦い、殺し、壊すだけだ。
美緒は、自他ともに認める熟練のウィッチである。幾多の戦場を乗り越えて来た、百戦錬磨の戦士である。
そんな彼女が………新兵だった頃のように、自分の心を蝕もうとする恐怖と戦っていた。
「逃げろ、サーニャ」
美緒は扶桑刀を構えたまま、硬直しているサーニャに声をかけた。
幸い、この辺りは樹間が広く、最低限滑走するだけのスペースはある。
「で、でも」
「早く行け!」
怒鳴り声を上げると、サーニャがようやく動きだした。
彼女は、必ず助けに戻りますから、と言い残し、夜空に飛び立っていった。
少年は、頭上を通り過ぎるサーニャを、一瞥さえしなかった。
「追わないのか」
美緒の問いに、少年はふんと鼻を鳴らした。
「あれにはもう用はない。一応、質問に答えてくれたしな。今回は見逃してやる」
少年の目が細まる。放つ殺気に、怒気が絡んだ。
「だが、あんたはダメだな。質問に答えてくれない上に、不意打ちまでしてきた」
「仲間を守るためだ。目を瞑ってくれないか?」
「あんたの目を潰せっていうなら大歓迎だ」
少年の語尾が夜気に融けた、次の瞬間。少年の姿が掻き消えた。
虚を突かれ、美緒は剣尖を揺らした。月光が急に遮られたことに気付かなければ、命はなかっただろう。
美緒は前方に飛び、直上から振り下ろされた二刃をかわした。
少年は、地に着すると同時に、蛙のように跳ねた。
右手の剣を横薙ぎに振るい、先程の仕返しとばかり、美緒のうなじを狙う。
「くっ!」
美緒は屈み込み、どうにか死神の鎌をやり過ごした。
苦し紛れの後ろ蹴りは、左手の剣に阻まれる。靴越しであるにも関わらず、氷の冷たさが足裏を刺す。
美緒は蹴り足を戻すと同時に足を伸ばし、再び正眼の構えで少年と向き合った。
少年は静かに双剣を交差させ、腰を浅く沈める。何時でも飛びかかれるという、攻撃的な姿勢。
(強い、な)
息をつかせぬ猛攻。攻撃に転じるための、隙がない。
片手で振るっているというのに、斬撃が驚くほど速い。
技術としては、剣術以前のただの棒振りだが、それを補ってあまりあるパワー。
(ここが空で、ストライカーユニットを履いていれば、話は違うんだが)
しかしここは地上であり、身に帯びているのは扶桑刀のみ。
(………楽しい)
美緒は、我知らず上唇を舐めていた。
恐怖心が消えたわけではない。勝利への道が見えたわけではない。
ただ、それらを飲み込んで、美緒はこの状況を楽しんでいた。
飛び交うのは、ネウロイが放つ不粋なビームではない。人間が――おそらくは、だが――振るう、白刃なのだ。
ただ純粋に、今まで積み上げてきた剣の技量が試される。この状況を、美緒は心から楽しんでいた。
(とはいえ、命がかかっていることに変わりはないか)
軍人として、戦場で散ることは覚悟している。しかしそれは、積極的に死に向かっているという意味ではない。
少年の腕力は、大したものだ。速度があることも認めよう。
しかし、重ねて言うが、剣士としての技術はない。そこに、付け入る隙がある。
「私を殺すのに、時間をかけていいのか?」
美緒がそういうと、少年は眉間に皺を寄せた。
「その内、私の仲間がやって来るぞ」
「それなら、望むところだ。俺達は、戦いこそが喜びだ」
少年は、怯えの欠片もない笑みを浮かべた。
これが演技だとすれば、そのまま劇場に出演できるだろう。
美緒は内心で舌打ちした。これで少年が焦り、攻撃を仕掛けさせるのが目的だったのだ。
彼が誘いに乗らず、逆に今の挑発で警戒心を持たせてしまったとしたら、こちらが不利となる。
「―――と、言いたいところだが、こっちもいい加減きつくなってきた。とっとと始末させてもらう」
言い終わるが早いか、少年が地を蹴って突撃してくる。
釣れた。
動こうとする口端を、美緒は奥歯を噛んで堪えた。勝負は、ここからだ。
少年は瞬く間に美緒に肉薄し、右の剣にて刺突を放つ。
美緒は、そこに剣尖を当てた。真正面からではなく、僅かに左に向けて。
すると、氷の剣は刺突の勢いを保ったまま、右に逸れた。
驚く少年の目が見開かれる。それでも姿勢を崩さなかったのは流石と言えた。
剣術は、ただ剣を振るうだけが能ではないのだ。
「どうした? それで終わりというわけではないだろう?」
再び、誘い。美緒は左手を柄から離し、手招きをした。
少年の口が、横一文字に引き結ばれる。そして、氷刃の乱舞が始まった。
上。
下。
右。
左。
あらゆる角度から繰り出される斬撃、刺突を、美緒はたった一振りの扶桑刀で捌いた。
ぎん、ぎん、と甲高い音が夜気を割る。
双刃の猛攻を、完全に捌き切ることはできず、美緒の肩や大腿に浅く傷が刻まれる。
しかし、そのどれ一つとして、致命傷にはなり得なかった。
一分か、一時間か。時間の流れさえ忘失してしまう攻防が、ぴたりと止まった。
少年が、よろめくようにして後ろに下がった。息は荒く、両肩が激しく上下している。
美緒も、それほど余裕があるわけではない。心身ともに疲れ切っていたが、顔に出すわけにはいかない。
ここで弱みを見せれば、そこを突かれる。
美緒と少年は、しばしの間、ただ睨み合っていた。少年の乱れた呼吸音だけが、林の中に響く。
その時。
「ぐうっ……!」
疲労が極限にまで達したか、少年が片膝を突いた。両手から、氷の剣が離れる。
それは、少年が見せた、初めての隙。見逃す手はなかった。
(もらった!)
美緒は、扶桑刀を大上段に掲げた。
殺しはしない。捕えて、何者か尋問しなければならない。
それには、少年の抵抗する意思を削ぎ落しておく必要がある。
この時、美緒は気付くべきだった。
今の少年が、あまりにも恰好の獲物であるということに。
振り落ちる刃は、少年の右肩の肉を切り裂く、筈だった。
「――――狙い通りにいったと、思っただろう」
少年が、僅かに身を引いた。流れた扶桑刀の先端が、地中に埋まる。
なっ、と美緒は声を上げ、刀を引こうとした。
しかし、先程の弱々しさはどこへ消えたか、すくっと立ち上がった少年の足に、峰を踏みつけられる。
美緒は、急に自分の頭が冷えていくような気がした。
誘われ、釣られたのは、自分の方だったのだ。
「くっ」
押しても引いても、扶桑刀はびくともしなかった。
美緒がふと刀身を見やると、金属ではない輝きを放っていることに気付いた。
氷である。
氷が、まるで大蛇のように扶桑刀を飲み込もうとしていた。
美緒は慌てて手を離した。僅かに遅れて、扶桑刀の柄が、氷に包まれる。
扶桑刀は、いまや地に斜めに突き立つ、巨大な氷柱と化していた。
(これは……まずいな)
美緒は、丸腰だった。
軍人であれば、徒手空拳で戦う術は心得ているが、それで勝てる相手とも思えない。
少年は、落ちていた双剣を拾い上げると、刀身を交差させ、鋏のようにして美緒の首に当てた。
氷の冷たさとは別の理由で、美緒の背筋が震える。
自分の命を、自分以外の者に握られる、おぞましい感覚。きっと、これが最初で最後になるだろう。
「さてと。覚悟はできてるな」
少年が、にこりともせず言った。
「……嬲るな。殺すなら殺せ」
美緒は瞼を閉じた。
諦めるのは、彼女の性に合わない。決して諦めるなと、部下にも常日頃から言い聞かせている。
しかし、どれだけ考えても、今直面している死の顎から逃れる術が思い浮かばなかった。
例え蹴りなり拳なりを放っても、きっと少年が自分の首を切り離す方が早い。
それでも、
(せめて、一矢報いてやろうか)
拳が届けば、少年の顔に痣くらいは作れるだろう。美緒は意を決し、両手を握り固めた。
しかし。
「がはっ!」
突如、少年は喀血した。血飛沫が、唖然とする美緒の顔を赤く染める。
まだ、美緒は何もしていない。他の誰かが、この場にいるわけでもない。
少年の手から、再び双剣が離れた。地面に落ちると同時に、ガラス細工のように砕け散る。
扶桑刀を包んでいた氷も同じ道を辿った。
「おっと」
ふらりと倒れ込んできた少年を、美緒は思わず胸で受け止めてしまった。
戦っている間は気にする暇もなかったが、少年は思っていた以上に幼かった。年の頃は、十四、十五といったところだろう。
よく見ると、そこかしこに治りかけの火傷を負っている。倒れた理由は、それが関係しているのかも知れない。
目鼻立ちに、これといった特徴はなかった。街で見かけたとして、一瞬後には忘れてしまいそうだ。
(……忘れられるか。あれだけ暴れておいて)
しかし、豊かな胸の谷間で細く息を吐き出す少年は、この世で最も無害な存在のように思えた。
美緒は溜息をついた。昼間の謎の怪物といい、今日はどうもわけのわからないものと出会う。
サーニャが仲間達を連れて戻って来るまでの間、美緒は少年の頭を撫でたりして遊んだ。
二人が戦っていたのは、時間にすると、たった五分間の出来事だった。
最終更新:2013年01月31日 15:10