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背中に潮風を受けながら、俺はふわりと海辺に降り立った。
手には細く鋭い氷の槍。無数の魚を刺し貫き、途中に生えた返し針で固定している。
俺の姿は人間のままだったが、背中では四枚の青い羽根が逆十字を形作っていた。
ぶるっ、と俺の体が一瞬震えると、羽は体内に収納される。

今の彼は、誰がどう見ても普通の少年だった。
とはいえ、細胞の配列を自在に変えられるデビルマンやデーモンは、外見で強弱を判断できる生物ではない。
人間の姿のままでさえ、俺はオリンピック選手も羨む身体能力を持っている。

「よっと」

俺は、あらかじめ起こしておいた焚き火の傍に向けて、氷の槍を放り投げた。
氷は空中で瞬時に溶け崩れ、鱗だらけの胴体に風穴を開けた魚達が地面に転がった。

俺が501に居着くようになってから、一週間の時が過ぎた。二十年ぶりの、心穏やかな日々だった。
デーモンがいないこの世界では、奇襲に備えて気網を張り、眠りを浅くする必要もない。
寝床も、冷たく硬いコンクリートの上でなく、柔らかな草のベッドだ。
食べ物も、海を見れば溢れんばかりにある。

(傷も、完全に治ったな)

魚の腹を裂き、内臓を取り出しながら、俺は自身に意識を向けた。
元より、デビルマンは傷の回復が早い。そこへ、芳佳の回復魔法である。
数日前までは、皮が引き攣るようなむず痒さを感じていたが、それも消えている。
この地を離れ、新天地を探すことは、もう何時でもできる。

(とはいえ、一機も倒さずに、っていうのはな)

ネウロイである。
この辺りの土地を利用する代わりに、ネウロイと戦うというのが、ミーナと交わした契約だった。
報酬だけ得て、義務を果たさないというのもおかしな話だ。

契約を履行しないことで、魔女たちに悪く思われるのは別に構わない。
熱線銃や細菌銃、なければ鉛の弾丸を吐き出す骨董品の機関銃を撃ってきても、まあいいだろう。
しかし、自分が不義理を働いたという事実は、生きている間、永久に心に残り続ける。
そして、思い返す度に苦い物を吐き出すのだ。肉体に与えられる、どんな苦痛よりも耐えがたい。


…………耐えがたいと言えば。


(……また来たのか)

俺は焚き火の向こうから近付いてくる小柄な人影に、本日二度目となる溜息を漏らした。
ぱたぱたと軽い足音と、作り立ての料理の匂い。
小さな鍋を抱えた宮藤芳佳が、満面の笑みを携えてやって来た。

「あ、こんにちは俺さん!」

俺が「また」と言ったように、これは今日が初めてではない。
この一週間毎日、しかも朝昼晩欠かさず。

最初の数日は、近づいてくる芳佳に気づき、身を隠したこともあった。
俺がその気になれば、人間などに見つけられる筈もない。

しかし、それでも芳佳は諦めなかった。

俺の生活域内を歩き回り、隣の国にまで届きそうな声で名前を呼んでくる。
結局、うるささに耐えかねて先に折れたのは、俺の方だった。
向こうが飽きるのを待つよりも、その場その場であしらう方が簡単だと気付いたのだ。

「さっきはおはようございます、後でこんばんは」

当然のように焚き火の向こうで正座する芳佳に、俺は頭を抱えた。
彼女を氷漬けにして海に流せたら、どれほど楽だろうか。

「いい加減にしろ。来るなと、何度言ったら分かる?」

「でも、魚だけじゃ栄養が偏っちゃいますよ」

そう言って、芳佳は鍋の蓋を開けた。中身は肉ジャガだ。
良く煮込まれたジャガイモとニンジン、豚肉が、鼻に心地良い香りを放っている。
今朝は、たしか卵焼きと握り飯だった。
まだ、俺が人間の少年だった頃ならば、可愛らしい少女の手料理なら例え泥でも食べただろう。

「……今朝も言ったし昨日も言ったが、もう一度言うぞ。いらない」

だが、今は全てが変わってしまった。
宮藤芳佳は、もはや「可愛らしい少女」ではない。「人間」の一人なのだ。
毒が入っていようと好意が詰まっていようと、口にするのは憚られた。

「そんなぁ、おいしく出来たのに」

芳佳が悲しげな声を上げるが、知ったことではない。

「さっさと持って帰れ。二度と来るな」

「一口、一口だけでも」

結局、言葉は無意味だという答えに行きつく。
鍋に菜箸を突っ込む芳佳に向けて、俺は軽く指を振った。
すると、鍋は芳佳の手を離れ、垂直に上昇した。サイコキネシスだ。
UFOよろしく浮遊する鍋は、芳佳の頭上を飛び越して、基地の建物がある方へと飛んで行った。

「あーちょっと待ってー! 待ってったら―!」

それを追いかける芳佳。俺はぎりぎり届かない高度を維持する。
ぴょんぴょんと兎のように跳ねながら遠ざかっていく少女の後ろ姿は、少しく俺の心を和ませた。
この追い払い方は、もう何度も使っている。
その内、虫取り用の網を使って、空飛ぶ鍋を捕まえるようになるかも知れない。

(それまでには、ネウロイを倒してここから離れられたらいいんだが)

この世界の人間にとっては不謹慎なことを思いながら、俺は魚を焼き始めた。
芳佳とのやりとりは、食前の軽い運動のようなものだ。

「おっ、いい匂い。一本貰っていい?」

しかし、どうやらもう少し運動しなければならないようだ。
ブロンド髪を短めに刈った少女が、俺の目の前に現れたからだ。

芳佳と同じくらい小柄な体に、黒い軍服が奇妙に似合っている。
少女の名前は知っている。たしか、エーリカ・ハルトマン。
身に纏うのんびりとした雰囲気とは裏腹に、ネウロイの撃墜数は三百機に達するらしい。
得てして、人は見かけに寄らないものだ。

俺が何か答える間もなく、エーリカはひょいと焼き魚の刺さった串を奪い取ってしまった。
彼女と話すのはこれが初めてだが、早くもどんな人物なのかわかりかけてきた。

「塩なんて振ってない。そんな美味い物でもないと思うが」

「あちちっ。いやー、こういうのもたまにはいいね」

エーリカは俺の向かい側に座り込むと、話も聞かず魚を齧り始めた。
別段、魚を取られたくらいで怒りはしない。だが、芳佳のように毎回来られるようになっては面倒だ。
あのバルクホルン辺りが妙な勘繰りをして、怒鳴りこんで来る可能性は否めない。

そうなると、俺は重大な選択を迫られることになる。
三人の来襲を我慢し、義理を通すか。不義理を働いてでもここから逃げ出すか。
ネウロイよ、頼むから来い。
早めに。

「……あんたは何の用だ? こちらから招待した覚えはないぞ」

「用がなかったら来ちゃダメなの?」

「用があっても来て欲しくはないな」

「だけど、別の世界から来た男、なんてそうそう見れるものじゃないし」

「信じたのか?」

「どうかなー」

「……………」

エーリカは魚を骨に変えつつ、にこにこと笑っている。
空に浮かぶ雲のように捉えどころのない笑みだ。
そういう人間の言葉を、額面通りに受け取ってはいけない。

俺が軽く念じると、地面から突如として伸び上がった氷柱が、焚き火を貫いて掻き消した。
ぱっと、白い灰が巻き上がる。砕けた炭が飛び散った。
鏡のように光を撥ねる表面に、二人の顔が歪んで映る。

それで、エーリカは俺が楽しくお喋りする気分ではないことに気付いたようだ。
一瞬、少女の表情が硬くなる。

「エーリカ・ハルトマン。用件は、なんだ?」

俺は、一語一語区切りながら言った。有無を言わせない力強さがあった

「………デリケートな内容だし、慎重にって思ったんだけどさ」

エーリカは、ばつ悪げに頬を掻いた。悪戯がばれた、子供の仕草だ。

「なんで、自分からみんなに嫌われようとしてるの?」

瞬転。エーリカの瞳に、真剣の輝き。
なるほど。たしかに、デリケートな部分に斬り込んできた。
俺は素直に答えることにした。

「人間が嫌いだからだ。デビルマンだからな」

「人間とデビルマンは違うの?」

エーリカが首を傾げる。俺は喉を震わせて笑った。

「人間は普通、空も飛ばないし氷も出さない。変身もしない」

「んー、でも私達ウィッチだって空飛ぶし、固有魔法とかも使えるよ。それでも違うの?」

「ああ、違う」

俺は断言した。
ウィッチとデビルマン。魔女と悪魔の間には、地獄の底より深い断崖がある。

この一週間、俺はただ、魚を食って寝ていたわけではない。
ラジオのアンテナのように電波をも捉える触角を使って、情報収集に勤しんでいたのだ。
俺が予想していた以上に、この世界は前の世界と大きく違っていた。

特に、キリスト教が数多ある宗教の中に埋もれる、少数勢力に過ぎないと知った時は驚いた。
世界のあちこちで思想をばら撒いたキリスト教無くして、一体どうやって今の社会に辿り着いたのか想像もつかない。
それに関係してか、異能を振るう魔女が実在していたにも関わらず、魔女狩りの類は起こらなかったという。
ネウロイの侵攻が始まった、それ以前の時代であってもだ。

ネウロイが現れてからは、ウィッチの価値はさらに増しただろう。
あの生物だか機械だかよく分からない連中に対抗するには、ウィッチが持つ魔力とやらが必要不可欠だからだ。
その上、ウィッチは皆、見目麗しい少女ときている。
俺が知っているのは十数人だけだが、たしかに不細工に分類される者は、一人としていなかった。

日の当たる世界で、華麗に咲き誇る花。
詰もうと邪心を働かせる輩もいるだろうが、社会全体から排斥されたことはあるまい。


だが、デビルマンは違う。


デビルマンは、醜い。
かろうじて人に似た姿をしている俺などは、まだ可愛い方だ。

顔面が縦に割れ、そこに牙が並び、両手の代わりに触手が四本生えている者。
巨大な鰐の口先に人間の顔が貼り付き、背中に無数の針が生えた者。
半透明の粘液の中に、首が一つ、漂っているだけの者。
むしろ、正視に耐えられる姿をした者の方が少ない。

例え、デビルマン軍団総帥である不動明が描いた絵の通り………
人類の味方としてデビルマンが登場したとしても、快くは迎えられなかっただろう。
見た目としては、敵であるデーモンと何も変わらないのだ。

英雄として祀り上げるには、あまりにもおぞましい。
美しいこの世界のウィッチとは、あまりにも違う。違い過ぎる。

「違っても、仲良くできるよ。きっと」

エーリカが、俺を真正面から見据えながら、呟くように言の葉を刻んだ。
青い瞳に映る、俺の顔には。

「………」

俺は、何時の間にか握り締めていた拳を解いた。
掌の皮が破れ、赤い血を噴き出している。変身すれば、青黒く染まる血を。

「ほら、これからは一緒に戦うんだし。どうせなら仲良くした方が……」

「そういうことを言った人間は、前にもいたよ」

エーリカの言葉を断ち切って、俺は立ち上がった。その目は、既にエメラルド色に輝く複眼に変わっていた。
額を突き破り、櫛状の触角が天を突いて伸びる。
纏っていた衣服は体内に吸収され、皮膚がダークブルーに染まる。
両手の指は鋭く尖り、両足の指は二本の鉤爪に束ねられ、踵から新しく一本生える。
背中から生えた四本の羽が、逆十字を描く。

間近で俺の変行を間近で見たエーリカは、両目を見開いて硬直していた。
俺はそれを、二メートルの高みから見下ろす。

「そして、その全員が、俺を裏切った」

老人のようにしわがれた声が、大気を振動させる。
俺はサイコキネシスを使って、自身を青空へと運んだ。羽ばたいて飛ぶわけではない。
といって、背中の羽も飾りではなく、高速飛行の際に軌道を安定させる役目があるのだ。
俺が地上から三十メートルの高さで上昇を止めると、体ごと後ろを振り返り、無数の視界に海を収めた。



―――――来た。戦いのゴングが鳴った。



俺は体を前方に傾けた。折り曲げた膝を、見えない足場があるかのように、一気に伸ばす。
高速から、瞬時に音速へ。
衝撃波を発生させながら、俺は青空を切り裂いて飛んだ。

その場に置き去りにされたエーリカは、しばらく茫然としていた。
が、間もなく鳴り響いたサイレンを聞いて我に返ると、慌てて基地に向かって走り出す。

「……そういうこと言われると、余計ほっとけないんだよね」
最終更新:2013年01月31日 15:12