シャーロット・E・イェーガ―にはスピードが必要だった。
新しい高性能なストライカーユニットでもいいし、何かしらの魔法でもいい。
手段は選ばない。
ただし、今すぐに必要だった。
(……ぴったりと後ろにくっついて来てやがる)
シャーリーは奥歯を噛み締めた。
振り返り、感じる気配の主を確認する余裕はない。
周囲の景色が線となって流れてゆく。空の青を下地に、雲の白が混じる。
長い髪が叩かれた蛇のようにばたばたと暴れる。
使い魔である兎の耳は、風圧で頭にぴったりと貼り付いていた。
彼女の固有魔法は超加速。
その名の通り、飛行速度を向上させる効果を持つ。
普段からシャーリー自ら整備・調整しているストライカーユニットの性能と合わせれば、スピードだけならストライクウィッチーズ内でも彼女に比肩し得る者はいない。
…………だが、それも今は昔の話となりつつあった。
不意に、シャーリーの目の前に、青い人影が現れた。
風を切り裂く四枚の翼。
エメラルド色の複眼の一つ一つが、シャーリーの姿を捉える。
鉤爪の生えたダークブルーの右手は、まるでそれが木の棒であるかのような気軽さで機関銃の銃身を握っている。
牙がずらりと並んだ口が、笑みの形に歪んだ。
「鬼ごっこは楽しいな、イェーガー?」
老人のようにしわがれた声は、確かに愉快げ
である。
流れてゆく景色の中、俺の姿はしっかりと実像を保っていた。
つまり、シャーリーとまったく同じ速度で飛んでいるのだ。
シャーリーが今出せる限界の速度を、顔色一つ変えずに。
「くそっ!」
シャーリーは自動小銃の引き金を引いた。
目と鼻の先の俺に向かって、ペイント弾の群れが殺到する。
が、どれも虚空を貫くだけに終わった。
一瞬であるが、後方に櫛状の触角が流れるのが見えた。
「うわっ!?」
どん、と背中に衝撃。
速度が出ていた分、姿勢は崩れやすかった。
シャーリーは風に煽られる木の葉のように、くるくると宙を転がった。
天と地が激しく入れ替わる。
遥か昔、ウィッチになり立ての頃の記憶が蘇る。
どうにか姿勢を立て直すと、今度は正面から氷の塊が飛んで来た。
丸いが、人の頭ほどもあり、何より速い。
避ける間もなく、シャーリーはシールドを展開して防御した。
シールドに衝突した氷塊は、呆気なく砕けて散った。
猛攻に耐え、安堵の溜息をついたシャーリーは、自分の敗北を悟った。
圧倒的な実力の差を前に、これ以上戦闘を続けても勝てないと認めたからではない。
シャーリーの右側頭部に、俺が機関銃の銃口を押し付けているからだった。
「さて、どうする。今度は俺が鬼になってもいいぞ」
俺がおどけて言った。
声に嘲りの響きはなく、その証拠に油断も隙も見当たらない。
「………ちくしょう」
シャーリーは力なく両手を上げた。
兎の耳が、力不足を悔やむかのようにぺたりと折れた。
風はなく、雲も疎らで日光が強い。
俺は、快晴の空を気分良く飛んでいた。
模擬戦とはいえ、白星が増えるのは悪くない。
ネウロイとの戦いも、何時かの二枚貝のような変わり種が現れることもなく、飽きを感じていたところだ。
俺の後ろを、少し離れてシャーリーが飛んでいた。
明らかに気を落としているようだが、俺は放置していた。
勝者に慰められたところで、惨めさが増すだけだ。
それに、悪い事をしたとも思っていない。
全力を出し……たとは言わないが、正々堂々と戦ったのだ。
殺すどころか、怪我ひとつ負わせてはいない。
文句を言う奴がいたら、口を氷漬けにしてやろう。
青空を心ゆくまで堪能した俺は、灰色の滑走路に着陸した。
櫛状の触角が体内に収納される。
体表を覆うダークブルーは肌色に戻り、黒い髪が生える。
エメラルドの複眼は、通常の結晶体に変わった。
二メートル以上あった体が縮む。
四枚の翼が俺の体に巻き付き、紺のパーカーに変わった。
俺は、どこからどう見ても普通の少年だった。
「今度は私が相手だ!」
降って来た声に顔を上げると、既にストライカーユニットを装備し、戦闘態勢に入ったバルクホルンが浮かんでいた。
眉間に皺を寄せ、火でも噴きそうな目でこちらを見ている。
俺にとっては、いつものバルクホルンだ。
全身、ペイント弾の塗料に染まっていなければ。
俺は視線を切って歩き出した。
「今のあんたじゃあ俺には勝てない。時間の無駄も大概にしておけ」
「ま、まぐれで勝ったからといっていい気になるな!」
「三度もまぐれで勝ちを譲るまぬけだって自己紹介しているのか?」
「ぐっ……」
舌戦でも勝ち目はないと、ようやく理解したらしい。
次こそは、と苦い顔をしながら、格納庫に向かって飛んでゆく。
俺の目的地も同じ場所だった。
俺は少し考えると、音速には程遠いが、自動車にも負けない速度で走り出した。
四回戦はスピード勝負だ。
当然、負けるつもりはない。
不意を突いたとはいえ、相手は空を飛んでいる。
プラスマイナスゼロ。条件は互角だ。
というわけで、僅差で四度目の勝利を掴んだ俺は、格納庫の中に入った。
使い方も知らない機材や、使用していないストライカーユニットなどが並んでいる。
顔には出さないものの、俺はあまりこの場所が好きではなかった。
薄暗さはあまり気にならない。夜中でも昼のように見通せる目を持っている。
しかし、オイルや排気ガスの臭いは、どうにも耐えがたい。
今は懐かしき、彼の故郷を連想させる。
意識して嗅覚を鈍らせることも可能だが、完全に遮断できるわけではなかった。
「お疲れさま、俺さん」
ミーナが労いの言葉をかけてくる。
滑走路が見える基地のテラスで、俺の模擬戦を見守っていたのだ。
視線を横にずらすと、最初に戦った芳佳、リーネ、ペリーヌのチームが休憩していた。
芳佳は肩を落とし、リーネは悪魔でも見てしまったかのように震え、ペリーヌは鋭い眼差しを向けて来る。
ミーナと共に見学していた美緒にいいところを見せようと、先行し過ぎて真っ先に撃墜されたのを覚えているらしい。
オーバーな奴らだ。俺は溜息をついた。
今回の模擬戦を提案したのは、ミーナと美緒だった。
いつもとは違う相手を戦うことで、新たな刺激になると考えたのだろう。
戦いであれば、自分に関係無くとも買うのがデビルマンだ。
俺は喜んで引き受けたが、あまり楽しい遊びにはならなかった。
「どうかしら、うちの子達は?」
「話にならない」
俺は無感情に言い捨てた。
ミーナが苦々しく笑う。
「……手厳しいわね」
「お世辞は苦手だ」
三人とは戦いにすらならず、バルクホルンとの力比べも、シャーリーとのスピード勝負も、汗の一滴も流さずに終わった。
美緒との再戦や、世界でも有数というエーリカとの手合わせをしてみたかったが、二人とも今回は参加しなかった。
ルッキーニという少女も、姿を見ない。
「俺さん……す、少し手加減というものを……」
「宮藤さん、何を情けないことを言ってますの!?」
ぺたりと力なく垂れる芳佳の犬耳と、興奮してぴんと立つペリーヌの猫耳。
感情の表現方法ばかりは、俺よりも優れているようだ。
俺は三人の前に立つと、断固とした意思を込めて告げた。
「俺は戦いに関して、他の何を置いても、絶対に妥協しない」
だん、とテーブルを叩く音が食堂に響いた。
コップが倒れ、水が零れる。
「あーもう! どうしたら勝てるんだよ、あんなの!」
シャーリーは感情を押し隠そうともせず叫んだ。
遠慮する必要はなかった。
昼食を終えて、今この食堂にいるのは、彼女と気心の知れたルッキーニだけだ。
(ちぇっ、あそこまで差があるなんてなあ)
俺がネウロイと戦うのを見たのは、たったの二回。
一回目は、俺がこの世界に現れた時。
二回目は、あの二枚貝の超大型ネウロイが現れた時だ。
並々ならぬ相手であることは承知していた。
だが、ここまで手も足も出せずに叩きのめされるとは。
模擬戦とは名ばかりで、実際には戦いにさえなっていなかった。
絶対の自信があったスピードでさえ、まったく歯が立たなかったのだ。
向こうが本気を出していれば、自分はその影にさえ追い付けなかったに違いない。
悔しい、と思うことさえできなかった。
ぎりぎりで負けたのならともかく、そんなレベルには達していない。
あるのは、自分の無力さに対する苛立ちだ。
「あーあ、なんとか俺のやつにひと泡吹かせてやりたいなー」
シャーリーは椅子の背もたれに体重を預け、天井を見上げた。
その時、隣に座るルッキーニの手の中で、何かが光るのが見えた。
「ん? ルッキーニ、何だそれ」
「うじゅ? これ?」
ルッキーニが小さな手で弄っていた物。
それは、水晶のように透き通ったカブト虫だった。
造形は緻密で、細い肢の節々まで再現されており、色さえ付ければ木に貼り付いていても違和感はない。
ガラス細工だとしたら、さぞ名のある職人が作ったのだろう。
しかし、シャーリーの記憶が正しければ、ルッキーニはそんな物は持っていなかった筈だ。
「これはねー、俺が氷で作ってくれたの!」
「………なんだって?」
指先を伸ばして触れてみると、たしかに冷たい。
融ける様子はなく、鉄のように硬かった。
魔性の氷。確かに、俺の作品らしい。
だが、彼が戯れに氷の造形品を作ることがあっても、それを誰かに贈る、というのは想像できなかった。
最近、以前よりは俺の態度も軟化し、食堂で共に食事を取ることも多くなった。
しかし、自分からは滅多に話しかけず、用事が無ければすぐに部屋に引っ込んでしまう。
ルッキーニと会話を交わしている姿など、見たこともなかった。
「こんなの、何時もらったんだ?」
「んー……一週間くらい前かな」
ルッキーニの数多い趣味の一つに、昆虫採集がある。
基地の周辺には自然が多く、彼女が楽しむには十分な数と種類の虫が生息していた。
よく晴れたある日のこと、ルッキーニは俺が住処と決めていた林に足を踏み入れた。
その日は獲物が見つからず、意地になって探すあまり、知らず知らずの内に入り込んでしまったのだ。
空っぽの虫かごを肩から下げ、虫取り網を手に、ルッキーニは茂みを掻き分けて突き進んだ。
それでも目ぼしい虫は見つからず、やがて円形に開けた空き地に出た。
そこにも虫はおらず、その代わり………俺の後ろ姿に出会った。
円の、ちょうど真ん中の辺りに座り込む、何やら手を動かしている。
よほど集中しているのか、ルッキーニの存在には気づいていなかった。
――――早く逃げなきゃ。
ミーナには、俺には近付いてはいけないと言われていた。
近付いたら何をされるか分かったものではない、とはバルクホルンの弁だ。
ルッキーニは慌ててその場から立ち去ろうとしたが、ふと違う考えが首をもたげた。
こんなところで、いったい何をしているのだろう、と。
ただでさえ好奇心旺盛なルッキーニである。
一度興味が湧くと、もう止まらなかった。
抜き足差し足忍び足。
足音はもちろん、衣擦れの音も出さないよう、慎重に俺の背中に近付く。
不意に、俺が右手を虚空に掲げた。
気付かれたのか。
ルッキーニは思わず息を止めた。
俺はゆっくりと振り返り、怯える彼女に襲い掛かった……りはしなかった。
俺の右手から、角張った氷柱が伸びる。表面には矩形の穴が規則的に開けられている。
武器には見えないそれを、彼は目の前の地面に突き刺した。
その周りには、大小の違いこそあれ、似たような氷柱が刺さっている。
氷の線を挟んだ向かい側には、小さな氷の塊が無数に並んでいた。
正方形で、小さな穴が開いており、三角屋根が乗った……それは……
「わかった、家だ!」
ルッキーニは思わず声を上げた。
よく見てみると、他にも大きな建物や、細長い四角錐の塔のような物が添えられている。
俺は空き地に、氷で出来た小さな街を作っていたのだ。
氷の線は、街を正中から貫く道路だろうか。
日の光を受けて、全てが優美に輝く。
行為としては、芸術品の作成というより、砂場で城を作る子供のそれに近いと、ルッキーニは感じた。
例えどんなに作業に集中していたとしても、これで気付かなければ鈍感以前の問題である。
振り向きつつ立ち上がった俺は、ばつが悪そうに顔を歪めた。
俺が舌打ちすると、氷の街は一瞬にして水に変わり、土に染み込んでしまった。
「うじゅ、もったいなーい」
精巧なガラス細工のような、綺麗な街だった。
俺は、そんな物には執着しないぞとばかりに鼻を鳴らし、ルッキーニの細い肩を掴んだ。
痛みを覚えるほどの力が込められていたが、不思議と恐怖は感じなかった。
少なくとも、彼には自分の力を戦い以外に使う心がある。
バルクホルンが吹聴するような、単なる凶暴な魔物ではないのだ。
「…………あんたは何も見なかった。いいな」
俺が唸り声で言葉を紡ぐ。
明らかに、俺は目撃者の口を封じたがっていた。
つまり、チャンスというわけだ。
ルッキーニはにんまりと笑った。
「じゃあ、あたしにも何か作って!」
「何かって、なんだ」
「えーっとね……虫がいい! ムシムシー!」
虫ね、と呟き、俺は両掌を重ね合わせた。
周囲の気温が急激に下がる。
ルッキーニが肌寒さを感じる前に、俺は作品を作り上げ、彼女に手渡した。
「俺が元気な内は、絶対に融けないんだって。すごいよね!」
氷のカブト虫を眺めるルッキーニの横顔を見ながら、シャーリーはまずこう思った。
…………口止め料を貰っておいて、自分に話してよかったのか、と。
とはいえ、時間は巻き戻せない。
聞いた内容を忘れることもできない。
それに、俺の意外な一面を知ることができた。
(氷の街、か。子供っぽいところがあるんだな)
シャーリーはテーブルに上体を倒して思案する。
証拠付きとはいえ、ルッキーニの話は、にわかには信じられなかった。
見た目は、どこにでもいそうな普通の扶桑人の少年なのに、この基地にいる誰にも増して大人びて見える。
いや、考えてみれば、そもそもそれが彼らしくないと言えるほど、シャーリーは俺のことを知らなかった。
言葉を交わしたことなど、ほとんどない。
普段、彼が何処で何をしているのか、今まで考えたこともなかった。
とにかく強くて、嫌な奴。
そんなイメージで固まってしまっていた。
本当は、中身は見た目通り、普通の少年なのかもしれない。
そこまで考えて、シャーリーは椅子を蹴立てて立ち上がった。
驚いたルッキーニがひっくり返る。
「そうだ……だったら、そういう手があったんだ! ありがとうルッキーニ!」
戦いでは、まったく勝ち目がない。
得意のスピードでも歯が立たない。
しかし、シャーリーはもう一つ、強力な武器を持っていたのだ。
正真正銘、この世の誰にも負けないという武器が。
しかも、俺には絶対に持ち得ない。
これなら、あるいは。
シャーリーは拳を握り締め、鼻息荒く食堂を飛び出していった。
残されたルッキーニは、しばらく呆然としていたが、やがてひっくり返った時に落としたカブト虫を探し始めた。
テーブルの下に転がっていたカブト虫の半透明な体には、傷一つ付いていなかった。
最終更新:2013年01月31日 15:13