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「痛っ!」

シャーリーは悲鳴を上げたが、それは破瓜の痛みによるものではなかった。

額がずきずきと痛む。
手を当てると、少し腫れていた。
察するに、指か何かで弾かれたのだろう。

シャーリーは瞼を開いた。
天井しか見えない。

上体を起こすと、俺はとっくに自分から離れ、何事もなかったかのように、ベッドの端に腰かけていた。
いや、実際何事もなかったのだ。
少なくとも、シャーリーが想像し、恐れていたような結果にはならなかった。
額の痛みは耐え難いが。

「どうした、イェーガー。悪い夢でも見てたのか?」

「へ? あ……え?」

シャーリーは目を白黒させた。
そう言われてみると、夢だったような気がする。
俺の態度は、つい今まで女を組み敷いていた男のそれには見えなかった。

しかし、シャーリーの手首にははっきりと俺の手の跡が残っていたし、何だか体が火照っている。
そういえば、あれ程まで男性を近づけたことは、今までに一度もなかった筈だ。

何を言えばいいのか分からず、シャーリーは口を開閉した。
俺はそんな彼女を一瞥すると、口辺に憎たらしげな笑みを寄せた。

「ところで、なかなか面白い寝言が聞けた。しおらしいところもあるじゃないか」

「なっ」

シャーリーの顔が、一気に朱に染まる。


―――お願い。せめて、優しく―――


今になって思い出してみると、到底自分の口から出たセリフとは思えなかった。
優しく、いったい何をされるつもりだったのだろう。
シャーリーは慌てて、以前芳佳に習った土下座を実行した。

「頼む! みんなには黙っててくれ!」

もし、自分がそんなことを言ったと知られたら、今後、仲間達とどんな顔をして向き合えばいいのか。
俺はふんと鼻を鳴らした。

「俺だって、女を押し倒して、そんなことを言わせるような奴だと思われたくない。あんたの自業自得とはいえ、な」

「ほ、本当か?」

「しつこい」

俺はにべもなく返した。
その淡白さが、逆に彼女を安心させた。
悪魔よりも信用できないのが、ぺちゃくちゃと口先だけ発達させたおしゃべりだ。
シャーリーは胸を撫でおろしたが、心の余裕が生まれると、今度は悔しさが染み出して来た。

結局、自分は俺にからかわれたのだ。
男に慣れているわけでもないくせに、色仕掛けに手を出し、見事逆手に取られて醜態を晒した。
無様過ぎて、涙が出てくる。

シャーリーは自分の体を見下ろした。
さすがに毎朝、鏡の前で見惚れるようなことはしないが、同年代の少女達と比べて大きいとは自負していた。
出会った男達の視線が、まず何処に向かうかも知っている。

「………なあ」

「何だ」

「私の体って、そんなに魅力ないか?」

シャーリーは、ベッドの端で欠伸をしていた俺に訊ねた。
彼も人間ではないにしろ、男性には違いない。
それが、自分が持つ女の武器に目もくれないというのは、はまらないパズルのピースのような不気味さがあった。
俺は視線を扉の方に向けたまま答えた。

「魅力がどうのは知らないが、女の裸くらいでうろたえるほど、俺もウブじゃない」

それに、と俺は続ける。

「俺達デビルマンは、自分の欲望の面倒くらい見れる。というより、普通の人間よりもずっと理性的だ」

そう言われてみると、シャーリーの中で、たしかに合点するものがあった。
自分勝手な振る舞いが目立つが、特に問題は起こしていない。
先の模擬戦でも必要以上に相手を傷つけることなく、事実シャーリーは怪我ひとつ負っていなかった。
普段から俺に食ってかかるバルクホルンも同様だ。

そうしてみると、悪戯を仕掛けた自分の幼稚さが浮き彫りになる気がして、シャーリーは恥ずかしさに裸体に近い身を竦めた。
大人と子供の差は、物理的な力だけではないようだ。

「あと、あんたから油と排気ガスの臭いがした。せめて香水か何かで隠せ、くさいぞ」

「くさいとか言うなよ、女の子に!」

シャーリーは身を捩り、自身のにおいを嗅いでみたが、何も感じなかった。
扉の向こうから、においで侵入者の存在を知る俺だからこそ、分かる程度のものなのだろう。

「………ま、しょうがないか。いつもストライカーユニットとかバイクとかいじってるから、染み付いたんだな」

その時。
突然、俺はシャーリーに首を振り向けた。

「い、いきなり、どうしたんだ?」

何か気に障ることでも言ってしまったのか。
しかし、皿のように見開かれた俺の目から発せられるのは、怒気や殺意の類ではなかった。

「あんた、バイク持ってるのか」

「ああ、軍に入る前はレースとかにも出てたからな」

さらなる速度を求めてウィッチになったとはいえ、シャーリーにとって、バイクは自分の半身である。
この基地にも持ち込んでいるし、暇を見つけては乗り回している。
そこで、シャーリーは一つ思い当たった。

「………もしかして、バイクが好きなのか?」

返ってきた無言は、肯定を意味していた。



正午をやや過ぎているが、日はまだ高かった。
午前の模擬戦が終わった後は、滑走路を使う何事もなく、ミーナに許可を取れば簡単に使わせてもらえた。

青空を貫くエギゾーストノート。
鈍く輝く鉄の馬が、滑走路を駆ける。
バイクに乗ったシャーリーは、先に待たせておいた俺の前で止まった。
このところ忙しさにかまけ、こうして跨るのは久しぶりだったが、運転技術は鈍っていない。

「どうだー? かっこいいだろ」

「ああ」

返事は小さかったが、そこには明らかな感嘆が込められていた。
俺の目は、バイクに釘付けである。
顔に普段のような険は無く、年相応の……好きな物を目の前にした少年の表情をしていた。
シャーリーは、ふふんと誇らしげな笑みを浮かべた。

何せ、あの俺に、こんな顔をさせたのだ。
いつも仏頂面で、あまり表情を変えることのない俺に。
きっと、まだ他の誰も知らない俺の顔を、自分だけが知っている。

シャーリーは、幼い頃読んでもらった、人類未踏の秘境に初めて足を踏み入れた冒険家を思い出した。
彼は遺跡や宝物などを発見していたが、これはそれに勝るとも劣らない偉業なのではないか。

「……高校生になったら、絶対に免許を取ろうと、思っていたんだ。家族には反対されたけど、どうしても乗ってみたかった」

俺が、ぽつり、ぽつりと自身の過去を口から零す。
無意識の垂れ流しと、シャーリーは聞いた。
バイクに注がれる視線は、車体を貫いて何処か遠くに向けられている。
それもまた、シャーリーの知らない俺の姿だったが、今度は何故か、喜ぶ気にはならなかった。
バイクを降りて、少年の肩を叩く。

「見てるだけじゃつまんないだろ。乗ってみないか?」

「………いいのか?」

「ここまできて、お預けなんてしないさ」

シャーリーは俺をバイクに跨らせると、運転の仕方を教えた。
軽く走るだけなら、特別なテクニックは必要ない。
俺は教室で机に向かう学生のような熱心さで、シャーリーの話を聞いていた。

「ま、実際に動かしてみた方が早いだろ。ちょっとやってみな」

バイクの上で、俺が自信なさげに頷く。

エンジンが唸り声を上げた。
マフラーが振動する。
俺がハンドルを捻ると、生まれて初めて男を乗せたバイクが、車輪を回して発進した。


十秒後。
バイクの上には、誰もいなかった。


何が起きてそうなったのか、シャーリーには理解できなかった。
とにかく、滑走路の上に俺が大の字になって寝転がっていて、バイクはそれに構わず走り去ってゆく。
俺は不思議そうに瞼を開閉させていた。
どうやら、体を張った冗談ではなかったらしい。

「あー……大丈夫、か?」

「………」

この後、俺は十回バイクに乗った。
そして、十回振り落とされた。

十一回目。
俺はバイクに跨り、ハンドルを握ったが、発進させようとはしなかった。
少し俯き加減になった彼の中で、どんな気持ちが渦巻いているのか、シャーリーには分からなかった。

だって、どんな下手糞でも十回は振り落とされない。
というか、発進して十秒で振り落とされるなどという現象は、普通起こらない。
シャーリーは、ある意味奇跡を目撃しているのだが、喜ぶ気にはまったくなれなかった。
少なくとも、俺が見るからに落ち込んでいる間は。

俺は静かにバイクから降りた。
鉄の馬への憧れは、脆くも崩れ去ったようだ。
それでも、俺は怒り狂ってバイクを破壊するような真似はしなかった。

「……もういい。すまなかった」

おそらく、平静を装おうとしている俺の努力に反して、彼の顔は大好きなおもちゃを買ってもらえない子供のそれになっていた。
つまり、拗ねているのだ。

ううん、とシャーリーは唸り声を上げた。
このまま俺を放っておいたとしても、例えば……彼女を氷漬けにして海に流す、なんてことはしないだろう。
この一連で、彼が極めて理性的であることは確認済みだ。

しかし、物理的な利害を越えたところで、シャーリーは納得していなかった。
彼女はバイク教で迷える子羊を導く聖女ではないにしろ、できるだけバイク好きを、つまりは同志を増やしたいと思っている。

今現在、目の前にいる俺はバイク好きだったが、まともに走ることすらままならないという現実の前に、バイクを嫌いになろうとしている。
それは、シャーリーの本意ではなかった。

「なあ、ちょっと待てって」

シャーリーは、とぼとぼ立ち去ろうとする俺を呼び止めた。



俺のためにシャーリーができることはたった一つだけだったが、それは見事に成功した。
少なくとも、俺は一分以上バイクの上にいる。
ただし、一人で、ではなかった。

「どうだ、乗り心地は?」

「……悪くない」

シャーリーは、後ろから聞こえてきた言葉を、脳内で勝手に翻訳した。
最高だ、と。

実際にハンドルを握っているのはシャーリーだった。
バイクは、長年背中に乗せてきた主人を裏切ることなく、快調に走っている。

俺はその後ろに乗っていた。
シャーリーの背中にしがみ付くように、細い腰に腕を回している。

(意外と重いんだな、こいつ)

二人乗りには慣れているが、重心を後ろに傾けたのは、俺が初めてだった。
思えば、変身した彼の身長は二メートル以上にも達する。
それが圧縮されているのだから、重いのは当然かも知れない。

(ああ、そういえば俺って、人間じゃなかったんだっけ)

午前中、空であれだけ打ちのめされたにも関わらず、シャーリーはそのことをすっかり忘れていた。
というより、人間かどうかなど、些細な問題になっていたのだ。

バイクを目の前にした時の俺は、ただの少年に見えた。
見た目相応の、ルッキーニや芳佳と、何一つ変わりの無い。
仕返しをしたいとも、もう思わない。

「………俺のために、手間をかけさせたな、イェーガー。ありがとう」

ぽつりと声が湧く。
感謝の意を、彼の口から聞くとは思わなかったシャーリーは、慌てて返した。

「ん、まあ、別にいいさ。お礼に模擬戦で手加減とかしてくれたら助かるけどな。あはは」

「それだけは絶対にできない」

声には、断固たる意思が込められていた。
シャーリーは鋼の砦を連想した。
何人も、決して立ち入ることのできない何かを感じる。

「戦って勝つ。それだけが、今の俺の誇りだ。それだけは、この世の誰にも譲れない」

それだけ、というフレーズが、シャーリーには何故か気に食わなかった。

しかし、ある程度は理解できる。
シャーリーは、自分の速さに誇りを持っている。
スピードを競うレースで八百長してくれなどと頼まれた日には、そいつを二度とレースに出れないような体にする自信があった。
それは、一秒でも時間を縮めることに命をかけてきた今までの自分に対する裏切りになるからだ。

俺が同じことを思っているかどうかは分からないが、きっと似たものなのだろう。

「……悪かったよ。変なこと言って、ごめん」

背後で、俺が首を横に振る気配。

「だが、してもらったことには、俺なりに報いたいと思う。いつか、何かで」

「ああ、期待してる」

日が傾きつつある中を、二人乗りのバイクが走る。
そうして、滑走路を何週かしたところで、警報が鳴った。

戦いの鐘だ。
最終更新:2013年01月31日 15:14