ペリーヌ・クロステルマンには、嫌いな物がある。
食べ物だと納豆だ。あの臭くてねばねばした豆は、自分の高貴な舌には似合わない。
扶桑人の食文化は異常である。悪い意味で。

人間で一番嫌いなのは、あの俺という男に栄冠が輝く。正確には人間ではないが。
新入りのくせに態度が大きく、周囲に対しあまり敬意を払おうとはしない。
彼の実力はペリーヌも認めるところであり、仲間の何人かが今も元気に飛んでいられるのも彼のおかげであると理解はしているが、それとこれとは話が別である。

しかし、それ以上に気に入らないのは………俺が、ペリーヌが尊敬して止まない坂本美緒に気に入られているということだった。



早朝。
登りかけの太陽が、澄み切った大気を連れてくる時間帯。
基地近くの海岸で、一組の男女が刃を重ねていた。

その一人、女の方は坂本美緒であり、朝日を受けて鈍く光る真剣を正眼に構えている。
もう一人、男の方は、俺という名のデビルマンである。氷の太刀を両手に握り、八双の構え。

美緒が横薙ぎに刀を振るえば、俺は絶妙の見切りでそれをかわし、俺が氷の刃を振り下ろせば、美緒は切っ先を巧みに操って軌道をすらした。

力と速度では俺に、技では美緒に分があるようだ。

「空でなくても、なかなかやるな」

俺がおもしろそうに笑うと、美緒も口端に笑みを浮かべた。

「伊達に鍛えてるわけじゃないさ」

そうして、二人は再び刃を交わし始めた。
どちらも振るうのは凶器で、一太刀でも浴びればただではすまない。
にも関わらず、その剣舞に危なげなところはまったくない。舞台に立てば、観客は息を飲みつつ見惚れることだろう。

しばらくして、美緒は刀を鞘に収めた。軍服から手ぬぐいを出して汗を拭く。
俺は氷の太刀を消し、体に伸びをくれた。こちらは汗一つ掻いていない。

「毎朝すまんな、俺。さすがに真剣を使うとなると、お前にしか頼めないんだ」

美緒は満足そうな顔で言った。
そもそも、この基地で剣を使うのは美緒だけだ。
ネウロイばかりを相手にしていては、魔力とは関係のないところの剣技が鈍るということで、多少なりとも剣を使える俺が訓練に付き合うことになった。
俺としては断る理由もない。
どうせ、戦う以外はたまに力仕事を手伝うか、勝負を仕掛けてくるバルクホルンをからかうだけの生活である。
俺は薄く笑いながら言った。

「剣士を相手にするのは、なかなか新鮮で悪くない。力任せに刃物を振り回すやつとは何度も戦ったけどな」

「あまり一緒にはされたくないな……どうだ、お前も習ってみないか?」

「やめておく。技まで覚えたら、この遊びがつまらなくなる。勝敗の分かりきった戦いほど、退屈なものはない」

「自信家だな」

「事実だ」

そう言い切る俺に、美緒は莞爾として笑った。
美緒は目の前の少年のことを、少なからず気に入っていた。
物言いは素っ気なく、どちらかといえば無愛想ではあるが、それは自分一人でも生きて行けるという自信の表れなのだ。
といって、他者にまったく興味がない、というわけでもないらしい。
でなければ、とうの昔にこの基地から去っている筈だ。

事実として、俺は芳佳を助け、シャーリーの命を救った。
そのことを言うと、彼は機嫌を悪くして、しばらく口を利いてくれなくなるのだが。

自分は人間ではないと言いながら、事実その力は人間を超えていて、けれど誰よりも人間らしい俺を、美緒は可愛らしいとさえ思っていた。
もちろん、そんなことを口走った瞬間、美緒は言の葉ごと氷漬けにされてしまうに違いない。

「そろそろ朝食の時間だ。食堂に―――」

美緒は、一秒だけ視線をずらしただけだった。
その間に、俺の姿は煙のように消えていた。
動きはまったく感じられなかったから、どうやらテレポートを使ったものらしい。今頃は食堂にいるのだろうか。
美緒はしばらく目を丸くしていたが、苦笑とともに歩き出した。

「今度は、私も一緒に連れて行ってもらうかな。一瞬で別の場所に移動するというのはどんな気分なんだ?」

二人のやり取りを、木陰でじっと見つめていた者がいた。
ブロンドの髪と眼鏡が特徴の少女、ペリーヌ・クロステルマンだ。
魔女には付き物の端正な顔を怒り一色で染め、血が出そうなほど噛み締めた奥歯をぎりぎりと鳴らしていた。
ペリーヌが美緒を慕っている(この表現は優しい方だ)ことは、基地にいる者なら誰でも知っている。
突然現れて、自分と美緒が一緒に過ごすべき(と思い込んでいる)時間を奪った俺は、憎むべき敵なのだ。

「坂本少佐に刃を向けるなんて……千回射殺しても飽き足りませんわ……!」

しかし、今のところ、その願いは叶いそうになかった。
ペリーヌはブループルミエ……青の一番の異名を持つ、ガリア空軍きってのエースウィッチである。
そんな彼女でも、俺の前では赤子も同然で、千回射殺どころか一発のペイント弾も当てたことがない。

思い切ってトネールを放ってみたこともあったが、彼は避けようともしなかった。必殺の雷撃を見えないバリアで呆気なく防がれてしまった時は、さすがにショックを受けたものだ。
そんな経験もあって、ペリーヌは、実力で俺を打ち倒して溜飲を下げるプランを保留にしていた。
あくまで保留だ。決して諦めてはいない。

「待っていてください、坂本少佐。いつか必ず、あの悪魔の呪縛から解放して差し上げますわ!」

そう言って、拳を青空に向かって突き出したペリーヌは、完全に朝食に遅れた。
その日はネウロイの襲撃もなく、実に平和な一日だった。




夜も更け、墨色の空に三日月が浮かぶ頃。ペリーヌは厨房に忍び込んでいた。
時々、昼間の訓練や出撃で腹をすかせたウィッチが勝手に軽食を作って食べることがあるのだが、今回は少し事情が違っていた。

「さあ、今夜も坂本少佐に喜んでいただくために特訓ですわ!」

エプロンを身につけ、少し小さめの胸を張る。
美緒の関心を引くために、ここ数週間、ペリーヌは料理の練習をしていた。
恥を忍んで、芳佳に教えてもらうという選択肢もあったが、彼女が作れるのは和食だけだ。
どうせなら、故郷のガリアの料理を、尊敬する美緒に食べてもらいたい。
それに、陰で努力するというのがポイントである。
白鳥が美しいのは、水面下で必死に足を動かしているのを見せず、優雅に水上を滑るからだ。
これ見よがしの努力は美しくない。

ペリーヌは、水を注いだ小さな鍋をガス台に置いた。
傍には野菜や鶏肉がずらりと並んでいる。今夜はポトフを作るつもりだった。
ポケットからレシピを書き写したメモを取り出す。料理は得意ではないが、レシピ通りに作ればなんとかなるものだ。

しかし――――窓から差し込んでいた月光が、突然消えた。
どうやら、月が雲に遮られてしまったらしい。
いつもは、わずかな月明かりを頼りにレシピを読むのだが、これでは包丁で自分の手を切らないようにするのがやっとだろう。
かといって、電灯を点けることはできない。秘密の特訓が仲間達にばれてしまう。
ペリーヌはしばし闇の中で迷い、

「き、気合でどうにかしますわ」

そう言って、傍に置いてある包丁の柄を握った。
ぐにゃりとした感触。
目を凝らしてよく見ると、それは長ネギだった。

「…………」

ペリーヌは、自分が何か取り返しのつかないことをしようとしているような気がした。
しかし、今さらやめて部屋に戻るというのも、何だか情けない。
意を決し、ペリーヌは包丁を握った。硬い木の柄の感触が手に返る。
そして、まな板の上にニンジン……と思しき野菜を置き、包丁を振り上げた。

「なかなか面白いことをしているな、クロステルマン」

「きゃわぁっ!?」

突然、背後から声をかけられ、ペリーヌは素っ頓狂な声を上げた。
危うく包丁を取り落としそうになる。
振り向いても、ぼんやりとした輪郭しかわからなかったが、声に聞き覚えがある。

「え、あ、俺、さん? ここ、こんなところで何を」

ペリーヌの動揺は続いていた。
秘密の特訓を、よりによってこの男に見られてしまった。
彼女とは対照的に、俺は氷の塊のように冷静に言葉を紡いだ。

「それはどちらかといえば俺の台詞だろうよ。ケチャップの瓶を包丁で切ってどうするんだ?」

「へ?」

ペリーヌは改めてまな板の上に乗っている物を見た。
オレンジ色、というよりも赤で、細長くてつやつやした……トマトケチャップの詰まった瓶だった。
自分自身でなければ、まな板の上に乗せた時点で引っ叩いていただろう。
ペリーヌは、ケチャップの瓶入りポトフを食べる美緒を想像した。好意を伝えるどころか、間違いなく暗殺を疑われる。

「あんたが夜中に起き出して、電気点けずにこっそり料理を作ってたのは知ってたけどな」

「………」

「今夜は曇ってるからどうするのかと思って―――おい、どうした」

「最悪ですわ……!」

ペリーヌはその場で膝から崩れ落ちた。
よりにもよって、ネウロイの次くらいに嫌いな俺に、秘密を知られてしまった。
何せ、自ら悪魔であると公言する男だ。弱みを握られたら、何を要求されるかわからない。
きっと、あんなことやこんなこと、更にはそんなことまでやらされて―――――
一人顔を真っ赤にしているペリーヌの頭に、枕ほどの氷の塊が乗っかった。

「冷たいっ!?」

指先で凍てついた空気中の水分を弄びながら、俺はふんと鼻を鳴らした。

「なんとなく、俺で碌でもないことを考えてるような気がした。頭を冷やせ」

ペリーヌは頭を前に傾けて、氷の塊を床に落とした。
たしかに頭は冷えた。凍えるほどに。
髪に付着した水分を振り落とし、すっと立ち上がる。
いつもなら、感情に任せて俺を怒鳴っているところだが、そんな暇はない。
再び包丁を手に取り、まな板に向かう。

「おい」

「放っておいてくださいまし」

「知らなかった。こっちの人間は、ニンジンでカブが切れるのか」

「………」

切れる筈がない。
月明かりさえなく、まさしく一寸先は闇。
俺はよく見えているようだ。
どうやら、ペリーヌの欲しいものは、すべて俺に取られる運命らしい。
ペリーヌは泣きたくなった。目の前に俺がいなければそうしていたかもしれない。
俺の前で泣くくらいなら、涙線に蝋を詰めた方がマシだ。

その時、ペリーヌの横顔を、青い光が照らした。
眩し過ぎることのない、ささやかな輝き。
見ると、ペリーヌの顔から少し離れたところに、青い火の玉が浮かんでいた。
闇を押し退け、静かに揺らめくそれは、まるで物語に出て来る鬼火のようだった。
間近にあって、熱をまったく感じない。明らかに、自然界に存在するものではなかった。

ならば、魔法の産物か。
しかし、ストライクウィッチーズに、こんな力を持った者はいない。
一人―――仲間と認めるのは癪だが―――を除けば。

「事情は知らないが、他の連中にばれたら困るらしいな。これなら、明かりが外に漏れたりはしないぞ」

俺がそう言うと、火の玉がまな板の上に移動した。
まな板も包丁もよく見える。調理するには十分な明かりだ。
少なくとも、ニンジンとケチャップの瓶を間違える心配はない。
ペリーヌは、反射的に礼を言おうとした。
が、一つの可能性に行き着き、我が身を抱き締めた。

「か、体は許しませんわよ!?」

「まだ氷が欲しいのか」

俺は手近な椅子を引き寄せ、腰を下ろした。

「見ててあまりにも憐れだから、手の一つでも貸してやろうと思ったのさ」

かちん、と来た。
あまりにも偉そうな物言いである。

「同情なんていりませんわ!」

「明かりもいらないか?」

「ぐっ……」

ペリーヌは下唇を噛んだ。
夜空の雲が牛歩戦術を行っているのか、月明かりはまだ戻らない。
ペリーヌが無傷で、なおかつ食べれる物を作ろうとするなら、俺の明かりは絶対に必要だった。
このまま口論していたら夜が明けてしまう。

「あなたって、本当に悪魔ですわね」

俺は破顔した。

「褒め言葉としては、なかなか悪くない」



野菜や鶏肉を切る。
鍋に火をかける。
仄かな青い光に照らされ、調理は何の支障もなく進んだ。
しかし。

(………気まずいですわ)

ペリーヌは、横目でちらりと俺の方を見た。
相変わらず椅子に腰かけ、こちらをじっと見つめている。
時折、退屈そうに欠伸をするだけで、その場から動くつもりは無いようだった。
二人きりで沈黙に包まれているというのは、どうも居心地が悪い。

何か話をしなければ、と思ってしまう。
とはいえ、共通の話題があるわけでもなく、そもそも血の繋がっていない異性と会話した経験など、数えるほどしかなかった。
遠くで、梟の鳴く声がした。静寂を破るには、か弱すぎる。

「そ、そういえば、あなたの故郷はどんな所ですの?」

言ってから、ペリーヌは後悔した。
何が「そういえば」なのか。そもそも、なぜいきなり故郷の話になるのか。
郷土料理を作っていたせいで、余計な里心がついてしまったのかも知れない。
ペリーヌは恐る恐る俺の方に視線をやった。少年は不思議そうな顔をしていた。

そんなことを聞かれるとは、思ってもみなかったのだろう。ペリーヌもそんなことを聞くとは自分自身思っていなかった。
頭がぐるぐると回る。危うく、包丁で手を切りそうになった。

俺は少し悩むと、「聞きたいなら」と呟き、

「俺が住んでたのは、日本って国だ。こっちじゃ扶桑だったな。そんなに違いは無いだろう」

俺が素直に答えたことに、ペリーヌは少し驚いた。

「たしか、そちらにはウィッチやネウロイはいないんですわよね?」

「代わりにデーモンがいたわけだが……まあそれはいいだろう」

人類と異種族との戦争。
俺が、その最前線で戦っていた戦士であることは、ミーナや美緒の話から知っていた。
しかし、戦いに参加することになった経緯までは、隊の誰も知らない。
比較的俺と親しい芳佳やシャーリーも、それだけは聞いたことがないという。
きっと、それは触れてはいけないものだ、とペリーヌは直感した。

「俺の家があった東京には、東京タワーっていうでっかい塔があってな。何百メートルかは忘れた。昔は、それに登るのが夢だったんだ」

「あなたなら簡単そうですわね」

「朝飯前だろうが……簡単過ぎてつまらなさそうだ。持ち上げるに変えた方がいいかな」

そう言って、俺は首を竦めた。
普段とのギャップのせいか、その仕草が妙におかしくて、ペリーヌは口を押さえて吹き出した。
何時の間にか、俺との会話を楽しんでしまっている自分に気付き、慌てて顔を引き締める。
相手は、美緒を独占している憎き敵なのだ。
何より、俺は悪魔である。迂闊に心を許してはいけない。

ペリーヌは口を閉ざし、切った具を沸騰した鍋の中に入れた。
後はしばらく煮て、調味料を加えるだけだ。
その時、今度は俺の方から訊ねてきた。

「そういうあんたの故郷はどうなんだ? いいところか?」

ペリーヌは、一切の動きを止めた。
全身の血液が、急速に冷えてゆくのを感じた。
瞼を閉じれば、今でも目に浮かんでくる。
忘れることなどできはしない。
自分を取り巻く、全ての世界が失われた日のことを。

それでも、ペリーヌは笑顔を作ろうとした。
ネウロイの手に落ちたガリアを取り戻すまでは、悲しみに浸っている暇などない。今まで、そう自分に言い聞かせて戦ってきた。
「ええ、素晴らしい国ですわ!」と、毅然とした態度で言い放てばいい。

「――――」

「いや、やっぱりいい。悪かった」

喉奥から出かけた言葉が押し込められる。
ペリーヌは顔を俺に振り向けた。
芳佳や美緒と同じ、黒い瞳に出会う。
いや、同じなのは色だけだ。
心の奥を見透かされるような、鋭い眼差しが違う。
今、初めて気付いた。それとも、彼が意図的にそうしているのか。
ペリーヌは息を呑んだ。急に口の中が渇く。
このまま、自分の全てを暴かれてしまいそうな不安感。

「あなたに……私の何がわかると……っ!!」

もつれる舌を動かし、ペリーヌは言った。
俺は目を伏せただけで、何も言い返してこなかった。
氷も降ってこない。
それどころか、今にも平身低頭して謝りそうな気配がある。
自信に充ち溢れ、堂々とした常日頃の彼とはまったく真逆の態度だった。

ペリーヌは、他にももっと言いたいことがあったが、それ以上は口に出来なかった。
相手が何も言わないのをいいことに、一方的に怒鳴り散らすのは、流石にみっともない。
ペリーヌが再び料理に意識を向けると、再び薄闇に沈黙が訪れた。
最終更新:2013年01月31日 15:15