美術史
聖華世界における美術史は聖華暦700年1月1日を分岐点として、古典美術と現代美術に分けられる。
古典美術
この項目では旧人類文化の弾圧による美術、芸術文化の断絶と、その後の時代に美術が復活していくまでの流れをまとめるものとする。
- 聖華暦0~50年代:壁画アートの始まり (フレスコ画、モザイク画など)
- 過酷な開国時代では新人類たちに余裕がなく美術を育むことはできなかった。
- しかし、開拓の傍ら漆喰などを用いて壁画を描く人間が現れはじめる。
- 聖華暦100年代:旧人類美術(ゴシックアート)
- 聖華暦190年 旧人類文化の弾圧
- 精霊機 セイン・オオラ・ブラムの建造に端を発する旧人類文化排斥運動により、旧人類に由来した絵画や芸術も弾圧の対象となった。
また、科学技術を葬ったことで文明レベルが著しく低下し、絵の具すら満足に作れなくなり、事実上の美術史の断絶が起きた。
- 精霊機 セイン・オオラ・ブラムの建造に端を発する旧人類文化排斥運動により、旧人類に由来した絵画や芸術も弾圧の対象となった。
- 聖華暦215~219 第一次聖帝戦争
- 科学排斥の原因となった精霊機問題が発端となり、新人類史上初となる同族間での大規模戦争が勃発。
この時代においては芸術を育む余裕はなく絵を描く文化は完全に停滞する事となる。
- 科学排斥の原因となった精霊機問題が発端となり、新人類史上初となる同族間での大規模戦争が勃発。
- 聖華暦223年 初期カナド美術(北方画)のはじまり
- 聖華暦238年 旧人類美術の復活 (南方画) のはじまり
- 聖華暦190年から旧人類美術品の保護をしていた男がいた。名をレノルズ・ジーシャア。
当時、ロココ家で芸術を学んでいたこの男は、油彩画の制作許可が降りたことを旧人類美術再興の好機と見る。
レノルズは綿々と受け継がれて来た旧人類の油彩着色法を彼のシンパの芸術家たちに授け、彼が新設するアートスクールの教師とするべく育成した。
聖華暦238年、レノルズは大陸南部に存在するナプトラ王国にて「ロココ・アートスクール」を開校、旧人類史に存在した着色技法を用いて制作した絵画を公開した。
この時、各国からは名だたる芸術家が訪れており、アートスクールにして公開された作品は参列者たちに衝撃を与えた。
ロココの絵画はたちまち話題となり、彼らの元で学ぼうとする若き芸術家はこぞって大陸の南方を目指して旅だったという。
後に南方画と呼ばれるこの時に公開された作品は旧人類の初期ルネサンス美術に酷似していたとされが、その技法の出所は巧妙に偽造され、レノルズによる独自の新技法として発表された。
- 聖華暦190年から旧人類美術品の保護をしていた男がいた。名をレノルズ・ジーシャア。
- 聖華暦248年~ 北方画と南方画の対立構造
- ロココ・アートスクールで学んだ画家達が活躍することで美術界隈での南方画の権威が強まっていく。
- 結果、北方画は低く見られ軽視されるようになり、両者の間では対立の火種が出来上がっていく。
- ロココ・アートスクールに対抗するように北方画も美術学校を開校し、大陸各地で様々な美術・芸術学校が設立された。
- この時に多くの美術派閥が生まれたことで、芸術家たちは優劣を競い合い、美術は進化を遂げていく。
- 聖華暦540~610 南方画:印象主義の始まり
- サン・ラザール駅
- ムーラン・ド・ラ・ギャレット
- この二枚の絵から感じられる活気が人々に勇気を与え、新たな技法を目にした画家達はこれを取り入れようと美術界にも活気が取り戻される。
また、『サン・ラザール駅』から着想を得て自由都市同盟では蒸気列車の開発が始まった。
この時に公開された絵画は旧人類のアール・ヌーヴォーと呼ばれた時代の作品であったが、余計な軋轢を生まないためロココ家による新作として公開されている。
これ以降の時代では南方画では「印象派」と呼ばれる、上記二作の技法を取り入れた作品が主流となる。
- 聖華暦640年 南方画:後期印象主義
- 聖華暦610年に生まれた印象主義を発展させた感覚的な光と色彩に偏らず、対象の形態や内面を捉えて再構成する様式を生みだされた絵画が登場する。
技法の確立には北方画の技術も取り入れられており南方画の一つの完成系ともいえるものだった。
この時代の作品をリスペクトして作られた作品は現代においては「後期印象派」と分類される。
- 聖華暦610年に生まれた印象主義を発展させた感覚的な光と色彩に偏らず、対象の形態や内面を捉えて再構成する様式を生みだされた絵画が登場する。
現代美術
現代美術と古典美術の境目は聖華史における『700年1月1日の成人式』と呼ばれる出来事によって区分される。
聖華暦700年1月1日。美術界において『成人式』と呼ばれる出来事があった。
ロココ・アートスクール第14代会長トロゥ・カモトは新人類たちの美術は必要十分まで進歩を遂げたと判断し、ロココ家に保管されていた旧人類の美術資料の全てを公開することを決意。
ロココ・アートスクール第14代会長トロゥ・カモトは新人類たちの美術は必要十分まで進歩を遂げたと判断し、ロココ家に保管されていた旧人類の美術資料の全てを公開することを決意。
旧暦の20世紀頃に流行った絵画文化、即ちフォーヴィズムと表現主義、キュビズムと未来派、抽象と構成主義、さらにダダ・シュルレアリスムやエコール・ド・パリと素朴派など。保管していたこれらの絵画を参考資料として公開。
これらは各国のロココ・アートスクールを通して複製原画が美術館や美術学校に一斉配布が行われた。
当該資料は旧人類のものであるが、余計な混乱を避けるため、「各国の名もなき天才たちによる新作」として発表された。
これらは各国のロココ・アートスクールを通して複製原画が美術館や美術学校に一斉配布が行われた。
当該資料は旧人類のものであるが、余計な混乱を避けるため、「各国の名もなき天才たちによる新作」として発表された。
この唐突かつ全く斬新な絵画の発表は美術界を騒然とさせた。
公開された作品郡は画家達の間で波紋を呼び、公開当日に行われた会見での質疑応答に際してロココ・アートスクール第14代会長トロゥ・カモトは「これは成人式だ」とだけコメントを残している。
この発言から、この衝撃的な出来事は『700年1月1日の成人式』と呼ばれるようになった。
公開された作品郡は画家達の間で波紋を呼び、公開当日に行われた会見での質疑応答に際してロココ・アートスクール第14代会長トロゥ・カモトは「これは成人式だ」とだけコメントを残している。
この発言から、この衝撃的な出来事は『700年1月1日の成人式』と呼ばれるようになった。
『700年1月1日の成人式』から約一世紀の間に画家達は与えられた絵を基に様々な作品を作り、独自に発展した画法が生まれて行く。
【現代美術に含まれる画法】
画材
- 塗料
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