すべてに耳を傾けて得た結論

「神を畏れ、その戒めを守れ」

これこそ、人間のすべて

―――コヘレトの言葉12章13節



 不味い珈琲を注いだマグを三つ並べたところで、それが泥のような珈琲であることが変わるわけではない。
 ならなぜ、このクソ不味い珈琲をなみなみに注いだマグが三つも並んでいるのだろうか。しかも、整然としながら要塞のように様々なものが積み重なっている事務机の一角に。
 もしかしてこれはなにかの冗談か、あるいは笑いの種として設置されているのではないかと、リヒターは訝しんだ。
 リヒターはそうなのかと言わんばかりに首を傾げながら要塞の主を見るが、彼はこちらの視線に気づくと、その泥水三兄弟の手近なやつを手に取って、ずずっと飲み始めた。


「なにか用ですか、リヒター?」

「こっちでイレヴン関連の事務もやっていると聞いた。アイスブレーカの件だ」

「ああ、なるほど。あなたが来るほどのことなら、アルバの表面処理の件ですか?」

「モニターに出せるか?」

「私のところにあるのは予算と納期関連のものだけですが、―――これを」


 珈琲を片手に、バルデスは三面モニターの一つにそれを表示した。
 V.V イレヴンの機体、アイスブレーカ。手つかずの氷原の凍土のように、白い機体。白い怪物。
 先の戦いにおいて実質的に戦犯と目されるシュナイダーが、保身のために作り上げた贋作のアルバが使われている。
 皮肉にも、その偽りの夜明けは白夜となり、星外企業の手によってさらなる最適化と空力調整が行われていた。


「表面処理を変えるだけで、この額か」

「変えるだけと言っても、一から頭とコアを新造しているからこの額ですよ。エルカノと我々じゃマンパワーも機材のレベルが違う。特に根が我々の技術なら弄りやすい」

「シュナイダーの連中が聞いたらさぞ肝を冷やすだろうな」

「冷えるだけ冷えればいい。事ここに及んで無自覚なのは罪だ。中身のイレブンもそうであれば弄りやすかったろうに」


 ずずず、と湯気もたっていないマグの中身を啜りながら、残った二つのモニターでバルデスは仕事を続けていた。
 バルデスの出したデータは本当に予算と納期関連が主であり、それにシュナイダー製作部の書いた概要が載っているだけに過ぎなかった。
 機体スペックに関する詳細は、リヒターが持っている。ここにあるのは計画予算と諸経費の計上、その関連書類だけだ。
 少しばかり自分が機嫌を悪くしていることに気づいたリヒターは、バルデスの表情を伺った。ただ、モニターだけを見て、珈琲を飲み、仕事を処理している。表情などない。


「中身に中身がないも同然だ。あれは、そういうものとして扱うしかない。苦労するでしょう、リヒター?」


 この男は悪気もなくそう言った。仕事の片手間に、まるで世間話をしているかのように。
 三杯の泥水がどのような意味かなど、その時点でリヒターは考えるのを止めた。そこに感情的な意味などないのだ。必要だから珈琲を淹れ、それをストックしているだけだ。
 仕事ができるのは良いことなのだろう。前ヴェスパーは強化人間の情報処理能力を生かして、パイロット以外の職務も隊長格に兼任させていた。故に、壊滅となった時に致命的な劣化が発生する。ヴェスパー再建にあたって不足した事務処理能力を補ったのは、他でもないこのバルデスだ。便利な男だが、好かれる男ではない。


「苦労など、もう苦労とは思えん」

「それは良かった。他になにか?」

「―――バルデス、ウェンディゴを手懐けるには、どうすればいいと思う」


 ふむ、とバルデスは手を止めてリヒターを見た。
 白い肌をした痩せぎすの、神経質そうな壮齢の男。ガラス玉のようなブラウンの瞳に、オールバックにまとめた黒髪。
 じっと椅子に座り珈琲を飲み、ただ仕事を処理している様は作家か詩人かなにかのように見える。
 だが、リヒターはこの男に人間味を感じない。人間のような人形だ。


「畏れさせますね、私ならば」


 傀儡は言った。また、ずずずと泥水を啜った。
 リヒターは静かに、


「そうか」


 とだけ言った。
 嫌な男だ、と思った。
 ユーモアを介さない、嫌な男だ。

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最終更新:2023年11月26日 23:22