ホワイトオークの古木がある日突然に人の形を取って不機嫌に歩き始めた。
マッケンジーの人物紹介テロップの頭にそう書いてあっても、彼を知る人は皆、それで大体当たっていると匿名で編集ロックをかけるだろう。そしてそれを見た奴がマッケンジーの頭を見て噴き出して、彼に睨まれ凄まれ威圧されているのを見て笑うのだ。笑っちまったらどちらにせよ、結局マッケンジーに睨まれることになるのだが。
そんな老人が、ベイラム駐屯部隊のメスホールを不機嫌そうに練り歩いている。口に爪楊枝を咥えて、両手をポケットに突っ込み親指を引っ掛け、歩く度に足音がメスホールに反響した。がちゃついていた金属食器の擦れ合う音がいつの間にか小さくなり、ひそひそ声があちこちで上がったが、マッケンジーが一瞥すると奇跡が訪れたかのように無音になった。彼ら彼女らは目を丸くし一様に塹壕の中で砲撃を喰らっているような顔で、金属製食器を使い牛の如く静かにジャーマンポテトを喰い始めた。ルビコンに来る前のメスホールで使っていた使い捨ての紙製食器が奇跡の産物のように思えた。
使い古した軍靴の奏でるメトロノームのような一定の旋律がメスホールを支配していた時、マッケンジーはただ一人を睨みつけていた。日焼けした極東系の浅黒い肌に、灰色の髪をクルーカットに纏めた初老の男。名前は知っている、知っているから探しに来た。背丈6フィート3インチ、体重265ポンド。大柄で筋肉質。取ってつけたような灰色の眼が、マッケンジーを見た。隣まで来るのにやかましく足音を立ててやったのに、この男は一度もこちらを見なかった。筋肉もりもりのアジアンクソ野郎はわざとこっちを見なかったのだ。
「ぶち殺すぞクソガキ」
低くしゃがれた声で言いながら、マッケンジーは男の眼を見た。岩のような顔面にお遊びシールセットについてる目玉をつけたらこんな比率になるのだろう。
じっとこちらを見ている初老の男に、マッケンジーは口をへの字に曲げて爪楊枝で歯の間を掃除しながら続けた。
「いつ着やがった。言っておくが俺はここの先任だ、その席も俺の席だ。敬意を払えクソガキ」
「つい先日、ベイラム教導兵団からの出向でルビコン3派遣を命じられ昨日の夜中に着任したところだクソジジイ」
マッケンジーの眉がつり上がるのと、メスホールで何名かが椅子ごとひっくり返るのは同時だった。
ゆっくりとマッケンジーが振り返って派手にひっくり返った馬鹿どもを庭に上がり込んだリスかキツネを見るような眼で見たが、彼は特になにも言わず視線を戻した。
「随分と大それたことを言うようになったな、クソガキ」
鼻で笑いながら老人が感情を含ませながら言い、初老の男はゆっくりと立ち上がった。
意外なことに、身長差はそれほどない。ただ、マチズモの彫刻家が掘ったゴーレムのような男と、古木の妖精では筋肉量が違う。
初老の男の手が動いた時、さらに何人かが椅子と一緒にメスホールから逃げ出そうとした。が、肉と肉を打つ音は響かなかった。
代わりにあったのは、親愛の滲む低く落ち着いた声だ。
「言ってやるために来ました」
初老の男の胸には、黒地に銀字のネームタグがある。そこには”Tonlé Sap”とある。
差し出された丸太のような右手をじっと見て、
トンレサップの顔と何度か見比べた後、マッケンジーは咥えていた爪楊枝をぷっと吐き捨てて、丸めた紙くずに似たくしゃっとした笑みを浮かべた。
ぐっと
トンレサップとマッケンジーの二人が握手をする。それだけでも意外だったが、マッケンジーはさらに左腕を上げて、
「来いよ坊主」
と言った。ハグをしろ、と。
メスホールで数十個のフォークやスプーン、さまざまな調理器具がほぼ同時に床に落ちた。
マッケンジーがハグをしている。極東系のマッチョマンと。ルビコンは明日消滅するのか。
彼らは握手をしながらハグをして、互いの手を全力で握り込みながら背中に手を回して思い切りぶっ叩く。
「生意気なクソガキが。まだ生身か」
「強化手術はしていないが、いくつか内臓をやった。そこは入れ替えてる」
「潰したか? どうせ出来っこないのに俺の真似でもしたんだろう」
「今はもうやってない」
「やってるようなら今ここにいないだろうな」
二人が静かに笑い合いながら離れると、マッケンジーは右手で思い切り
トンレサップの左腕をぶっ叩いた。
細身の老人の一撃にゴーレムがよろめく。それだけでマッケンジーは彼が本当に未強化なのだと確信し、唇を尖らせた。
「この、クソガキめ」
「ご挨拶をしても?」
「やれよ坊主、手短にな」
にやけながらマッケンジーが許可を出せば、
トンレサップは手本通りの直立不動の態勢を取る。
「レッドガン第1分遣隊《マッケンジー隊》隊長に申し上げます。ベイラム教導兵団、ルビコン3駐屯《アンコール分隊》隊長、
トンレサップであります」
「休めこのクズ。いいか、感謝しろ。俺のシマにいるのは許してやる。だが―――」
「俺に指図するなら殺す」
「可愛げくらい身につけて来い、頭が灰色になっても脳味噌は真っ黒か? その通りだ、ルールに従え」
「了解しました」
まったくこのクソガキが、とぼやきながら、マッケンジーはメスホールを行進し、去っていく。
まるでハリケーンが去った後のように皆が胸を撫でおろす中、
トンレサップは苦笑しながらマッケンジーが吐き捨てた爪楊枝を拾ってゴミ箱に捨てた。
トレーに残っているジャーマンポテトを全部食ってしまおうと
トンレサップは席に戻り、そして背後の気配に気づいて振り向いた。
包丁ではなくコンバットナイフを右手に、皮むき途中の芋を左手に持った
スカマンドロスが、ぼけっと突っ立っていた。この世の神秘を目にした猫のような顔だった。
「どうしたんだ?」
「えっ……あの、教官……、まさか教官はマッケンジーとお知り合いで?」
「そうだが」
「私は、知りませんでした」
「誰にも言っていないからな」
「そう、ですか……。着任、おめでとうございます」
「ありがとう、スカマンドロス。俺は今でも教官だ。聞きたいことがあれば、いつでも相手になる」
「はい、感謝します。それでは、失礼いたします」
他の兵の見本に出来そうな礼をして、スカマンドロスが調理場に戻っていくのを
トンレサップは見送った。
誰も彼も相変わらずだなと、彼はジャーマンポテトをフォークでつつきながら思った。マッケンジーもスカマンドロスも、そして自分さえも。
それが良いことか悪いことなのか、
トンレサップは評価しなかった。このルビコン3に赴任する時に、良し悪しなどという基準は捨てたのだ。良くあったところで、死ねば意味がない。ここまで老いて、彼はようやくそのことを知った。現実に突き付けられた。思い知らされた。
だから今、彼は気楽だった。
ポテトを掬って、食う。
ただそれだけのことだというのに、彼はこのポテトが少しばかり美味いと思えた。
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最終更新:2023年11月26日 23:19