「よし・・・ジェネレータとFCSはちゃんと動いてる・・・ブースターも調子はバッチリ・・・これでいける!!」
一人の少女がACのコックピットで動作チェックをしている。オレンジ色に塗装された機体の名前は『ワンダー』。作業用AC『
ウォーカー』を簡単に武装させた機体だ。
彼女をシルヴィと呼んだのは、先のルビコン解放戦争で解放戦線の指揮官と務めた男、ミドル・フラットウェルだ。師叔とも呼ばれる彼は戦いを冷静に見据えられる洞察眼を有する戦士である一方、ルビコンの戦火で孤児となったシルヴィを引き取り、解放戦線の仲間と共に育て上げた義父的な存在にもなっている。
「うん。私はいつまでもみんなに守ってもらうわけにはいかない。それに、このルビコンを、この世界をもっと知りたいんだ。」
「そうか・・・ならばそれを引き止める理由はない。」
細く引き締まった肉体を有する壮年の男は表情を変えず、しかしどこか寂しげな色を目に浮かべてコックピットを出る。
「・・・壮健でな。」
「ありがとう、フラットウェル。いや、『叔父さん』。」
かなり使い込まれた中古のACはブースターを起動させ、赤く染まる空へと飛び去っていった。
シルヴィが向かったのは
グリッド051と呼ばれる、比較的古い時代に建造されたグリッドだ。
(『グリッド051に行けば仕事を斡旋する人間はいくらでもいる。だが気をつけろ、相手はお前を使い捨てとして任務に投じるかもしれないからな。』)
フラットウェルが言っていたことを思い出す。仕事を得られるかもしれないという期待とそれをこなせるかという不安の両方を抱えつつグリッドに降り立った。
「よっと・・・ここが露店街かぁ。すっごい人が多い・・・」
解放戦線の治める地域に住んでいたときでは考えられないような賑やかさや発展ぶりを肌に感じる。至る所で商人や労働者が忙しく歩き回り、その一方で屋外の賭博場で賭けに興じている連中も見かける。泥酔しているのか、作業着を着た男たちが掴み合いを始め、周りの卓を破壊しているところもある。
すると露店の一角で人が集まっているのが見えた。好奇心が疼いて駆け寄ってみるとどうやら乱闘騒ぎのようだ。
誰が争っているのかを見ようとした瞬間、癇癪玉が弾けたような、甲高い音が響き渡る。反射的に身を屈めるが何も起きない。恐る恐る頭を上げると、ナイフを握る体格のいい男を、拳銃を片手にした青年が見下ろしていた。シルヴィよりほんの少し年上程度であろう青年の顔には痛々しい裂傷の跡が深々と刻まれている。その眼光はフラットウェルのそれと同じものであった。
(あの人は一体・・・?)
「これがおもちゃだとでも?言っただろ、これはストリートファイトじゃないと。」
「ちっ・・・アリーナは覚悟しろよな!!」
青年のやや軽蔑の念が入った言葉に対し、大男はナイフをしまって毒づきながら立ち去っていった。青年は露店の主人のところへ行って何やら詫びをしているようだったが、二言、三言話すとその場を去っていってしまった。
(あの人・・・普通じゃない。なんでだろう・・・フラットウェルおじさんと似たようなところがあるっていうか・・・)
そう思いながら先ほど青年が会話していた『ミサキ』と看板が掲げられた露店の主人の元へ行く。品を注文しながら初老の主人に尋ねる。
「あの・・・先程のお兄さんは一体何者なのですか・・・?」
突拍子もない質問に少々困惑しつつも無愛想な主人はゆっくりと話し始める。
「・・・ああ、あいつか?俺もさっき会ったばかりだからな。だがあのチンピラ野郎相手に一歩も引かなかったばかりか、まるでガキでも見ているかのような余裕があった。まあ元軍人か何かだろうな。」
そう言いながら奥で湯気の立つ鍋をかき混ぜる。大鍋には焦茶色の液体が入っており、強火で熱せられてぐつぐつと煮だっている。
「・・・わかるのですか?そういう人のことが。」
まあな、と主人は続ける。
「俺もここに住んで長いからな。どこまでもクズなやつ、戦い慣れして普段の生活に戻れなくなったやつ、コーラル漬けになって廃人になったやつ、そして半端な覚悟でグリッドに転がり込んできて捨て駒にされて帰ってこなかったやつ・・・色々見てきたさ。」
と彼女の方を振り返る。その目ははっきりとシルヴィの目を見ている。
「あんたもAC乗りだろう?その格好でわかる。そのジャケットに着いているワッペン、遠い昔に存在していた解放戦線のとある部隊のやつだ。俺も所属していたから知っているが。」
「!!」
主人の言葉に驚く。まだ会って数分程度の彼女の素性を瞬く間に暴いて見せたのだから。
「で、でしたらここの仕事について」
「やめておけ。」
「え・・・?」
彼女が言い終わる前に主人は言い放った。
「やめておけと言ったんだ。どうせここなら仕事が舞い降りてくると教わったんだろう。確かに、仕事はいくらでもある。だがその大半は書類上だけの高額なペイで釣って、捨て駒同然の自殺ミッションに放り込むのが実態だ。俺が聞いた中で一番ひどかったのが、丸腰のウォーカーだけ与えてRaDの残党の工廠に侵入してブツを盗んで来いってやつだったな。結局あいつはスマートクリーナーの破砕機の錆にされちまったがな。」
ははは、ひでぇ話だろと世間話のように主人は笑う。だが話を聞いてひどく落ち込んでいる彼女の姿を見て流石に突き放すだけはばつが悪いと思ったのか、一つ質問をした。
「あんた、ランクは?」
「え?」
「ランクだ。アリーナのな。独立傭兵ならライセンスを持っているだろう?オールマインドが認定しているランクを教えろと言っているんだ。」
だが、シルヴィはフラットウェルからライセンスを受け取っただけでそれをどう使うのか教わっていなかった。
「ええと・・・これの・・・これです?」
と不用心にライセンス情報を表示したデバイスを差し出す。その様子に主人は顔面に手を当てる。
「・・・あのな、あんた本当に独立傭兵か・・・?この界隈で私物を相手に提示するなんて盗んでくださいと言っているようなものだぞ?」
「え、そうなんです!?ま、盗まれたら取り返すまでですけどね!!」
と元気な声で答える。はあとため息をつきながら主人は画面を見る。ライセンスにはアリーナランクと機体情報が提示されている。
「ランクF、か・・・」
「はい、シルヴィっていいます。機体は・・・まあアレですがとりあえずのことはできますよ・・・って最後まで聞いて、ねぇお願い行かないでよぉ!!」
店奥に立ち去ろうとする主人を必死に引き止める。
「あんたがまだそこそこのランク帯ならツテで仕事を紹介できなくはなかったが、このランクじゃ鉄の棺桶にされて送り返されるのが関の山だ。諦めて故郷に帰れ。」
「じゃあ誰かの護衛にでも!!」
「これじゃあんたが護衛される側だぞ。」
「じゃ、じゃあ見張りの仕事でもいいですから!お願いです!!」
「ダメだったかぁ・・・流石に何か実績がないとダメなのかなぁ・・・とほほ・・・」
そう言いながらシルヴィはマーケットの間を歩いていく。結局あの主人には断られてしまい、予定が狂った今はグリッドの街中をぶらぶらしている。
と、誰かにぶつかった。
「あ、ごめんなさい。」
「あ?どこ見てんだこのアマがぁ!!」
スキンヘッドの男が怒声と共に詰め寄って来る。
(あー・・・チンピラに絡まれちゃったなぁ)
「おい、何見てんだ女。文句あんのか?」
男はしつこくシルヴィに詰めかける。
「いえいえ、こっちの不注意でした。気を悪くしたならごめんなさい。」
「すみませんで済むと思ってんのかテメェ!」
とジャケットの襟を掴む。そしてシルヴィの身体を舐めるようにして眺めるとニヤつきはじめる。
「そうだな、テメェが『お詫び』をしてくれんなら、俺も許してやってもいいけどな。」
「それはちょっと・・・」
「あ?文句言える立場なんか?」
(これだからドーザーはなぁ・・・)
フラットウェルから聞いていた通りだった。こういう連中はわずかな例外を除いてクズばかりだ。
「なんならここでテメェの服を剥いでやっても・・・」
そう言って男がインナーに触れた瞬間、手首を掴んでもう片方の手で男の鼻面に手刀を入れる。ギッという声だけあげて男は白目を剥いて地面に倒れた。
「おいおいそこの女ぁ、何やってんだ?」
「お前、痛めつけられてぇようだな。」
「ひひひ、久しぶりにいいのが狩れそうだな。」
何人か仲間らしき連中が集まってきた。
「はー・・・バカばっかりだなぁ。」
連中の一人が殴りかかって来るのを最小限の動きで避けるとそのまま足をかけて転倒させる。もう一人が後ろから飛びついて羽交い締めにしようとするが頭突きを顔面に入れ、素早く体を捻って肘鉄を続けて頭部に入れる。一瞬の間に連撃が入って怯んだ男の股間を膝蹴りが直撃して再起不能に陥れる。
最後に残っていた一人が彼女を突き飛ばして地面に倒し、馬乗りになる。そのまま首を絞めようとするが先にシルヴィが男の頭を両手で掴み、両目を親指で押さえつけて目潰しをする。たまらず飛び退いたところを逆に後ろに回り込んで男の首を締め上げる。一瞬で締め上げられたので抵抗虚しくチンピラは気絶してグッタリとなる。
三人とも制圧して立ち上がると周囲の人がポカンとした表情で見ている。そしてその群衆をかき分けて一人の見覚えのある男が出てきた。
「・・・全く、派手にやってくれたな。」
彼女を騒動の場から連れ出したのは『ミサキ』の主人だった。あまりにも必死に売り込んでくる彼女に情が湧いたのか、彼女に簡単な仕事を持ちかけるつもりで追いかけていたのだという。
「だが、さっきの戦いぶりを見て気が変わった。あんた、戦闘術を誰かから教わっているな?それもまともに戦争をやってきた奴から。」
「でもさっきのは素手の・・・」
「関係ない。ランクが低いのはまだACでの戦闘が少ないからだ。あんたは世辞抜きでセンスはある。だからそのセンスある自分を無闇に散らすか、それとも生き抜いて成長していくかはあんた次第になる。」
と何やらデバイスを操作する。するとシルヴィの携帯デバイスに通知が来て情報が表示された。
「本当は一人だけに依頼しようと思っていた仕事だったが、あんたも付き添いとして入れてやるよ。」
「!ありがとうございます・・・」
「話はまだだ。条件がある。まず報酬はもう一人の額の三割だ。あまり大した仕事ではないからこれは妥協してもらう。」
それともう一つ、と主人はシルヴィを見据える。
「もう一人には雇い主のことは口外するな。これは元来匿名依頼の仕事だったからな。」
そのもう一人は決まってるのかと聞くとまだだ、と返答が来る。
「だが有望な奴はいる。今まさにやっているアリーナでやられなければの話だが・・・」
と話をしているとテーブルが揺れる。わずかに空気が揺れるような感覚がして空を見るとグレーのACが一機、グリッドから飛び去っていくのが見えた。
「・・・どうやら、杞憂だったようだな。」
話が終わって帰る段取りになった時に、シルヴィが主人に問う。
「あなた、なんていう名前なのですか?」
「・・・なぜ俺の名前を聞く必要がある。」
「雇い主の名前を知らないのは失礼なように思えるんでね。」
その返答にしばし沈黙し、口を開いた。
「決まった名前はない。だが多くの人は俺のことを『ホールデン』と呼んでいる。」
ホールデン、いい名前ですねとシルヴィは続ける。
「でしたらよろしくお願いしますね、ホールデン。」
若きACパイロットは、そう勝気な笑みで返した。
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最終更新:2023年11月27日 02:56