イツモシヅカニワラッテヰル

 ―――『雨ニモマケズ』宮沢賢治




 姉は自分より出来た人間だと、常に思っていた。

 いや、より精確に言うのなら、オレは常に思い知らされてきた。

 優等生という表現では足りない。姉は、人間なのに聖人だった。

 だからオレは、生にしがみつかずに楽に死ぬべきだった。






 脳深部コーラル管理デバイスのもたらす弊害を、オレは良く知っている。
 激しい戦闘を終える度、姉の目は落ち着きなく、まるで痙攣しているようにあちこちに動いていた。
 自分の生身の身体を確かめるように手足を動かして、汗で髪の毛が張り付いていることにも気づかず、ひきつった笑顔を浮かべる。
 いつもの姉ではなかった。姉はいつも、窓から差し込む光のように優しく微笑む。自分がどれほど辛くても。
 オレは、怖かった。恐れた。手術がではなく、己の頭の内側から体を蝕むコーラルを恐れた。姉はそれでいいと優しく言った。
 代替技術による強化人間手術が開発されたと聞いた時、オレは志願した。これ以上、姉にすべてを背負わせるわけにはいかないと。
 そして術後に、光を失った。


「脳や他の能力に異常は見られませんが、視神経に異常が発生しています」

「しかし、ACに繋げば視えるようになるんじゃないかね。ACには目がある」

「どうでしょう。一度やって見ましょうか」


 車椅子で運ばれ、ACに繋がれる。
 怖かった。全くの暗闇の中、オレはただ聞くことしかできない。
 メカニックと医者がああでもないこうでもないと言うのが、罪状を読み上げ死刑に値するか否かを議論する裁判官の声のように聞こえた。
 開けているのに、まるで牢獄に居るかのようだった。
 そんなオレの手に手を重ねてきたのは、姉だった。


「大丈夫ですよ、ルシャール」


 さらりとした髪の毛が、オレの顔を滑る。
 そして、温もりが優しく抱きしめる。無意識のうちに、両手が姉を抱きしめ返す。


「私がついています。大丈夫」


 まるで子供をあやすように、姉の手がオレの背中をさする。
 それでも、オレはなにも視えなかった。




 オレに適合するドナーがいるかどうか、という話を姉はしつこく上司に聞いた。
 最初は同情してそれに付き合っていた上司だったが、姉はしつこすぎた。珍しく、上司を信用していなかった。
 結局、オレは廃棄処分として安楽死するか、あるいは普通の社員として雇用されるために再教育を受けるか、ということになった。
 結論は一週間後、それまでに決めてほしい、と。
 それから毎日、姉は病室に来た。
 その日も消灯時間ぎりぎりに息切れしながらオレの病室にやってきて、そのまま壁際に座り込んで、そして言った。


「ルシャールは、どうするんですか」

「どうもこうもねえだろ。無い頭で会社員でも目指すさ」

「聞き方が間違っていました」


 ああ、嫌だ。
 姉がこういう時は、ろくでもない。
 この言葉で姉は、いつもろくでもないものを背負い込む。
 そして、代償を支払う。


「ルシャール」

「やめろ……」

「あなたは」

「やめてくれ……」

「どうしたいんですか?」

「やめてくれよ!!」


 大声を出した。
 けれども、姉が驚いたような気配はない。
 ああ、嫌だ。
 なんでそこまで覚悟を決めているんだ。
 オレは何一つまともに覚悟なんてできていないのに。


「いやです」

「なんでだ……なんでやめてくれない!? オレはもう、もう……いいんだ!! こんな目じゃなにも見えない、何一つ見えない、ACにだってもう乗れない!!」

「大丈夫です」

「大丈夫? 大丈夫ってなんだよ、なにがいったい、このザマを見てなにが大丈夫なんだよ? オレはもうダメなんだ、ぶっ壊れてまともじゃない、ゴミなんだよオレは!!」

「ルシャール」

「やめろって言ってるだろ!?」

「やめるもんですか!!」


 体がびくっとした。
 姉が怒鳴るのは何年、いや、何十年ぶりだろうか。
 一緒に産まれてからこのかた、初めてだったかもしれない。
 姉の怒鳴り声は、震えていた。


「………泣いてるのか?」

「ええ、泣いています。そして、怒ってもいます」

「なんでだよ、諦めてくれよ……もうこれ以上、姉ちゃんに迷惑かけたくねえんだよ……」

「私は迷惑をかけてもらっても良いんです。迷惑なんて思ってません」

「くそっ……だから嫌なんだ、それだから嫌なんだ」

「ルシャール」

「なんだよ」


 そっと頬を撫でた手は、温かくて震えていた。
 その時、思った。オレが死ねば、きっと姉はもっと報われるはずだと。
 でもそれは、怖かった。恐ろしかった。
 打ちっぱなしのコンクリートのようなのっぺりとしたグレイの死が、とても恐ろしい。


「あなたは、私の妹じゃないですか」


 姉の声は震えている。きっと泣いているのだろう。


「ああ、そうだよ……」


 オレの声もまた、震えている。泣いている。
 怖くて、恐ろしくて。
 自分が本当に情けなくて。


「姉妹だからなんだよ……ルルア」


 その日は二人で泣いて、朝になると姉はいなかった。
 あの時、オレが覚悟を持ってグレイの死を甘んじて受け入れると言っていれば。
 あの時、涙も流さずに姉に対して毅然と拒絶の言葉を吐くことができていれば。
 きっと、あんなことにはならなかったのだろう。





 結論から言えば、姉は自らの利き目でもある右目をオレに提供した。
 私物の近接戦闘用カーボンブレードと拡張マガジンを差した拳銃で上司と医者を相手に大立ち回りを演じ、無理やりオレの手術の場を設けた。
 手術は成功した。麻酔で意識が混濁しているオレを見て、姉が泣いていたような気がする。たぶん、オレも泣いていた。
 目が、世界が見えるようになった。ACにも乗れるようになり、廃棄処分や再教育は撤回された。姉は半年間の減給処分を喰らっていたが、満足そうだった。
 しかし、姉はしっかりと代償を支払っていた。

 二人でこなした仕事の後、姉はコクピットから降りてこなかった。
 コーラルの脳の焼き付きと精神汚染は右目と視神経を廃棄処分予定の妹に提供するという予定外の工程を経たことで、より悪化していた。
 オレのせいだ。
 姉がなんと言おうと。
 これは、オレのせいだ。
 だからこそオレは、生にしがみつかずに楽に死ぬべきだった。
 そう思った。今でも、たまに思う。
 昏睡状態から目覚めた姉は、その夜、不思議なことを言った。 


「誰かが、呼んでいる気がするんです」

「誰かって誰だよ」

「分かりません。でも、私を……」


 姉は少し考えた後、にこりと微笑んで言った。


「私たちを呼んでいる気がして」

「なら今度は、そこに行ってみるのか」

「一緒に来てくれます?」

「……当然だろ」


 今にも泣きそうになるのを堪えて、オレは笑おうとして、笑えなかった。
 オレはアンタみたいに笑えない。そんな優しい人間になれなかった。アンタが、アンタが優し過ぎるからオレには無理だと。
 だから、オレは精一杯に口端を釣り上げてやった。


「オレたちは、姉妹なんだからな」


 次の日、オレたちは1隻の船と自分のACと、必要なものを奪って逃げた。
 その後は知っての通りだ。オレたちはルビコン3なんていう辺境の惑星にいる。
 大丈夫だ。今のオレは死ぬ覚悟も出来ている。片目を閉じれば、いつだって死が見える。






 ―――時折、姉は人間に産まれるべきじゃなかった、と思う。
 こんなにも出来た姉は、こんなにも優しい姉は、いつか人間の身では背負いきれないものを背負って、自分にあるものすべてを投げ打って、その代償を払うだろう。
 血まみれになって体がどこか欠けてても誰かが助かっているなら、姉は静かに笑っているだろう。そうして、四肢が千切れ、内臓がいくつも失われ、最後には命も、魂までもを使い果たす。
 だからもし、次に産まれることがあるのならば、姉は天使かなにかになればいい。姉だけで足りないのなら、オレを使って踏み台にしてくれたって良い。二人で一人前だ。帳尻は取れる。


 姉はこの地で死ぬだろう。
 静かに笑いながら、変わらぬ優しさを胸に、善人であろうとしながら、死ぬだろう。
 オレは、それを見届ける。葬式をやって、墓穴を掘って、埋めて、墓石を立てる。


 オレは、アンタの、ただ一人の妹だから。






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最終更新:2023年11月26日 23:20