E413-K09、K09支部で“加工”された“E棟413番目”の完成品。
 K09支部はファクトリー素材再利用計画を中心に進めている。

 E413-K09――通称エリカは、腹部に抱え込んだカプセルを経由して、己のアーマード・コア“エンバーミング”を身体の端子部に接続した。

 錯覚。全身の皮膚が金属に覆われていく。
 錯覚。脳髄が赤く赤く熱されていく。
 錯覚。自分とACの境界線が曖昧になっていく。
 母親。ここに、いる?

「母さん……見ててね」

 メインシステム、戦闘モード起動。

「お嬢様、ご指示を」







 コックピット内を映したモニターには、白い髪の女性がこちらを見ていた。
 彼女が、被験者だ。

『この命はお嬢様の為にあります』

 いくつもの情報がせわしなく動き回るモニターの並んだデスクに腰掛け、エヴァレットは嘆息した。

「その命は、アーキバスに捧げなさい」

『御意に。お嬢様のご命令とあらば』

「ですから、そうではなくて……」

 とはいえ、予算の都合もある。これ以上の再調整は控え、管理下に置いて直接教育するしかないだろう。
 我が母親ながら、とんでもない案件を押し付けてくれたものだとエヴァレットは歯噛みした。

 当該の素体についてエヴァレットの母から紹介があり、仕様書を読んだ時は、なるほど卓越した身体能力はACから脱出したあとの使い道にも困らないだろうとは思った。
 流体ゲル化不活性コーラル複合義肢と、外付け式コーラル・リアクター。
 極めつけは遺伝子情報の近い脳を分割、再構築した、生体サブコンピュータ。この場合は素体の母親が素材となっている。
 感情が安定し、処理能力も上がる。何より、旧世代型強化技術のメリットだけを享受できる。
 生体サブコンピュータは劣化してきたらクローニング培養したものと交換すればいい。
 今回のテストまでに、既に3回ほど交換しているが、今のところ変異もなく安定している。

 冷静沈着で、指示をしっかりこなす。
 日常動作に溶け込ませるために一通りの家事と、それから作戦行動への理解度を検証する目的で業務のアシスタントもさせてみせた。
 いずれも、そつなくこなしてくれているし、こと家事に至ってはこちらが指示しなくともベッドメイクまで済ませてくれるほどだ。
(部下の一人が冗談で彼女に「メイド服でも着てくれば似合うんじゃない?」などと言っていたので、発言者を再教育センター送りにした)

 だがこの素体、何度言っても忠誠を誓う相手が“エヴァレット個人”で固定される。
 情報書き換えを行ってもプロテクトが掛かっていて、この様子ではテコでも動かないだろう。
 おそらく、ナノマシンに搭載されたAIによる脳機能の補助が上手く噛み合っていないのだ。
 他の被験者では上手く行っていたので、ナノマシンとAIに不備はない。

 ウズラマにも同様の傾向はあるが、あちらは別系統の技術を使用しているし、当人と両親がアーキバスの実験手術に協力してくれているという点から、周囲からの追及を免れている。
(それでもここ最近は精神の汚染が悪化しているため、そろそろ危ぶまれてもいるが……)

 だがE413-K09は素性も抹消した、どこぞの馬の骨だ。いよいよ私兵と疑われてもおかしくはない。

「どうしてもと仰るのなら。企業のために、私は貴女に命じるとしましょう」

『仰せのままに』

 あとは……母が顔を出してくる事が懸念事項か。
 ――それはエヴァレットが想定していたよりも、ずっと早くに来た。







 エヴァレットは一度目のコール音が鳴り終える前に、遠隔通信回線を開く。
 大きなモニターの前で、直立する。


『久しぶりね、エヴェリン』

 この声の主――画面に映る、眼鏡をかけ、肩まである長髪に白髪が混じっている女性こそが、エヴァレットの母親だった。

『貴女の識別名が実名に近いのは、呼びやすくて助かるわ』

 その話は既に何回も聞いたし、挨拶代わりに言われてもいい加減返す言葉も尽きてきた。
 無駄話に時間を割いているほど、人員に余裕は無いのだ。

『報告書には目を通しました。ご苦労様。E413-K09は無事に届いたみたいね。ちゃんと動いているようで何よりだわ』

「はい。お父様のプラズマ伝達技術の応用があった箇所も、想定以上の効力でした。報告書にある通りです」

 出だしは好調だ。
 このまま、虎の尾を踏まないよう慎重にキーワードを吟味しながら話を進めていく。
 かつてはこの雷を恐れて、折檻のあった日は眠れなかった。
 今は違う。

『ところで貴女のところのウズラマは、あの被験者E413-K09に、良いあだ名を付けたわね。エリカ、だったかしら』

「はい。私もそう思い――」

『――エヴェリン・ヘムウィック・オブライエン』

 ……始まってしまった。
 フルネームで呼ばれたという事は深い失望を意味し、また冷徹なトーンで発言を被せてくるという事は、今の発言が評価に値しなかったという事を意味する。
 この場合の“良いあだ名”は、皮肉と嫌味のほうだったらしい。

『私は呼びましたよ。聞こえていませんでしたか?』

「はい」

『貴女は道具に名前を付けて後生大事に棚の中に入れておくのですか?』

「いいえ」

『そうよね、違うわね。では、そうしてはならない理由は理解している?』

「情が湧いて、いざという時に判断を誤――」

『――そこまでわかっていながら何故、直属の部下にそのような遊びを許すのです。そのような体たらくだから惑星ルビコンでの巻き返しが上手く行っていないのです。レポートの追加を命じます。明日の朝までに提出。反論は許可しません』

「はい、お母様」

 もちろん、従う。
 この場ではエヴァレットに非がある。

『我々は企業です。一人一人の不手際、手抜かりが、今後いかなる重大な影響を及ぼすか。振り返り、責任について内省するべきなのです。また泣くまで殴られたいのですか?』

「私はアーキバスに全てを捧げます。お母様のお手は煩わせま――」

『――口だけなら何とでも言えます。結果を示しなさい。それと、早く結婚相手も探しなさい。それでは、また』

 一方的に通信は切られる。

「……ッ」

 結婚相手くらい自分で選ぶし、するかしないかくらいの選択肢はあるだろう。それを物のついでみたいに。とことんまで、尊厳を足蹴にするつもりか。
 とはいえ、涙は随分前に枯れ果てた。
 怒りもない。

「結構な事です。あはは。あはははは」

 これは当然の報いなのだ。
 結果が出ないなら、企業にとって邪魔なだけだ。
 使えないならどんなにぞんざいに扱ったところで、ゴミをゴミ箱に入れるのと大差ない。
 今までだってそうしてきたしこれからもそうする。涙も、怒りも。

 毎年の誕生日を誰からも祝われなかったとしても。
 流行りの映画の制作に70%以上アーキバス系列の企業が関わっていなければ観る事はおろか話題に出す事すら許されなかったとしても。
 全部、正当なのだ。

 それに……親は決して褒めてくれなかったが、企業は褒めてくれた。
 やはり企業だけが、心を救ってくれる。


 では通信。
 ……母に、やり返すのではない。
 懸念事項について充分な情報伝達がなされていないと判断しただけだ。
 今度は、こちらから通信を入れる。

「お母様。報告事項がまだ残っています」

『報告書に目を通せば済む話でしょう。余計な手間を増やすのですか? こちらの時間がいつでも貴女の為に用意できるとは思わない事です』

 こっちの時間は容赦なく奪っていくし、今日の口頭報告だってそっちが当日に言い出した事なのに?
 ……とは言わない。聡明なエヴァレットは、そのような無駄口を叩かないのだ。

「はい。申し訳ございません。しかし、お母様からの戴き物に関する、大切なお話です」

『ああ、まあいいでしょう。続けて』

「被験者E413-K09ですが、忠誠を誓う相手が私個人で固定されており、脳深部書き換えにも応じないのです。そちらで何か手を加えましたか?」

『実の親の、それも再教育センター支部長の手抜かりを疑うのですか』

 ええそうですよ。まさかその歳で耄碌したなどとは申しませんよね?
 ……とは言わない。聡明なエヴァレットは、そのような無駄口を叩かないのだ。

「いいえ。そちらにも累が及ぶ事を考慮し、早期にコンセンサスを取っておいたほうがリスク管理の面で有用かと。仮に“もし実の娘に情が湧いて、高価な最新技術を盛り込んだボディガードを送り付けた、公私混同甚だしいバカ親”などという風評がそのまま企業からの評価として下れば……もうおわかりでしょう?」

『……』

 そ~れ見た事か、ちゃんと隅々まで報告書には目を通しておけこのクソババアがよォ~!
 ……とは言わない。聡明なエヴァレットは、そのような無駄口を叩かないのだ。

「名目上であっても、監視が必要です。我々が離反を意図して作っているわけでは断じて無いという事を証明するためにも」

『一考の余地はあるでしょう』

 あ~! それ言う時だいたいそっちに非があるからそっちで対処しなきゃいけないんだけど、絶対に「ごめんなさい」が言えない時だよね~!
 クソオヤジと仲良く本社の決定に震え上がっておけこのボケカスがよ~、こっちは命かけて前線張ってんだコンチキショーがよ~!
 無駄にマウント取る暇あるなら会社の成長戦略を考えるんだよ~部署関係ないよ~それすらできない穀潰し共はさっさと皆殺しにして肥料にでもしてやろうよ~!
 ……とは言わない! 聡明なエヴァレットは! そのような無駄口を! 叩かないのだ!

 だが念押しは必要だ。

「我々は企業です。敢えて用意したものでない限り、穴があれば埋めねばなりません。親子とはいえ、私情を抜きで申し上げます。早急に対処を」

『……ええ、わかったわ。もういいでしょう? 時間が無いから切るわよ』

「はい。貴重なお時間をありがとうございました。全てはアーキバスのために」

『ええ。全てはアーキバスのために』

 楽しい打ち合わせは、これで終わりだ。
 何かあった時に親子で潰し合うのも馬鹿馬鹿しい。
 それよりもこの世からアーキバス以外の企業の一切合切を殲滅ないしは吸収合併して、永劫天下を作り上げる事に心血を注ぐべきであって、くだらないマウントの取り合いなど0.0000001Cの儲けにもならないのである。

 エヴァレットは今や、新生ヴェスパー部隊のACパイロットだ。
 羽化したのだ。
 蝶のような姿をした、怪物か何かとして。
 誰よりもアーキバスに貢献できる力と自覚を持った今、後方勤めの両親の言葉など、羽毛より軽い。

 今に見よ。親愛なる父よ、母よ。
 必ずや好転の足がかりの、その礎となってみせようじゃないか。
 あのACと、新機軸の強化技術があれば、それが可能なのだ。
 栄えあるアーキバスに黄金の時代あれ。

「あはっ、えへへ、えへへ……」

 ――では。
 次なる、成果を。

 エヴァレットは口の端から垂れそうになったよだれを、アーキバス製のハンカチで拭った。
 そのうえで、アーキバス系列企業製の口紅を塗り直した。
 いずれも、通信終了を悟ったと思しきエリカが、トレーに乗せて運んできた物だった。
 今まではポシェットに入れて運んでいたが、これなら確かに業務効率が上がるだろう。


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投稿者 冬塚おんぜ
最終更新:2023年11月21日 00:02