世界は再び君たちのものになった
―――ヘルマン・ヘッセ
ルビコン3にはクソほど寒冷地が多く、寒い。雪は降り積もり、食い物はまともに育たない。
ミールワームをあれこれ料理するのにも慣れたし、
オオグチは寒さに弱いわけでもないが、鉄はそうもいかない。
見事にパキンに折れたカタナを見て溜息をつきつつ、オオグチはそれを廃材の山の中に投げ込んだ。カタナは本物に近ければ近いほど、寒冷地で使用すると折れるし曲がる。これは伝統的な製造上、心金と呼ばれる刀身真ん中の柔らかい鉄が均等にならないからだ。寒冷地では鉄が冷やされその性質が良く出る。硬い皮と柔らかな心金の不均一なところに戦闘時の衝撃を加えると、カタナは想定されていない力がかかってたちまちに折れる。
なにがダメなのかは分かるが、それを解決する方法がすぐ思いつくとは限らない。悶々としたいらだちを抱えながら、彼女はACやMT、
その他さまざまな代物のジャンクが集積されているジャンクヤードを不機嫌そうに歩いた。のそりのそりと
ハンス・シュミットの乗るおんぼろACのワークマンがジャンクヤードの外を巡回していたが、時折ワークマンはぴたりと止まってしばらく動かなくなる。巡回しながら絵でも描いているのだろう。
ちらほらと雪がぱらついてきてはいたが、こうした時にパイロットスーツは優秀だ。ポケットがない問題も軍用のジャケットを羽織れば解決する。
ポケットの中でナイフの感触を弄んでいると、火が目に入った。そして、見知った顔も。
「姉貴」
ジャンクヤードの隅、焚火にあたって誰かと話し込んでいる姉、
ヒアリング・ルルーアンに言葉を投げる。
自分と姉が似ているとオオグチはあまり思ったことがない。見た目は確かに似ている。紫がかった長髪に眼帯、細身な身体つき。だが、振る舞いも口調もまるで違う。
姉はこちらの言葉に気が付くと、それまで話していた少年に一言断り、その頭を優しく撫でた。よく見るとそれはオオグチと同じ《ウルヴス》の
ブラバンソンだった。
オオグチが焚火の近くまで歩けば、姉とブラバンソンがこちらを見る。兵士と言うには幼く小さ過ぎる。細く、脆そうだった。
オオグチはジャケットの内ポケットからきれいな包み紙の飴を取り出して、ブラバンソンに投げ渡す。
「相談中だったな、ブラバンソン。これで許せ」
「こ、子ども扱いですか……?」
「ガキはガキらしくたまには甘やかされてりゃいいんだ。ほら行け」
「……分かりました」
しっし、とオオグチがジェスチャーをすれば、ブラバンソンは飴を口にはむっと入れて、ジャケットの前をぐっと寄せ寒空の下を足早に歩いて行った。
その小さな背中にひらひらを笑顔で手を振っている姉の隣に、オオグチは座り込む。姉はなにも言わずに薪の枝を三本、焚火にくべ、そしてほおを緩めながら言った。
「また折れましたか」
「また折っちまった」
「ふふ、素直に
タングステンに聞いたらどうですか。彼はなかなかの知識の持ち主ですよ」
「なんかあいつに聞くのは癪なんだよ。聞いて解決したらもっと納得いかねえ」
「我が妹ながらなかなか難儀ですねぇ。でしたら、他の頼れる人を当たるしかないでしょう」
「私と違って、彼女は彼女で重宝されていて忙しいんですよ? それこそ大量生産して皆が刀を帯びる必要性が出ない限りは難色を示すでしょうね」
「なんだよそれ」
「彼女の持つ力と地位は、解放戦線を運営する上で便利すぎるんですよ。なんでも知っていそうで、なんでもやってしまえそうなら、誰もがそれに頼ってしまうものです」
「姉貴だって―――」
そう口にしてから、オオグチは口をつぐんで視線を下げる。
オオグチにとってなんでも知っていそうで、なんでもやってしまえそうな人物は、長らく姉のルルーアンだった。
姉を頼っていた結果が自分のこの右目なのだと、オオグチはポケットのナイフの柄を強く握りしめる。
「今日の姉貴は意地悪だ」
「そうでしたか?」
「そうだよ」
むすっとした声でオオグチが言い、ルルーアンは焚火にさらに枝をくべた。
その顔はいつもよりもやつれているように見えたが、それは妹のオオグチにしか分からなかっただろう。
「それとは関係ないんです。ただちょっと、今日は……少し調子が悪くて」
「……そうか。なんかあったらすぐに言えよ、姉貴は誰にも頼らねえからさ」
「ええ、なにかあったらルシャール、あなたを頼ります」
陰りのある微笑み程、痛ましいものはない。
オオグチは姉のその笑い方が好きではない。姉は、ルルーアンは、ルルアは、自分が辛くともそれを誰にも明かさない。
「はあ……姉貴とウチの隊長、そういうとこ似てるよな」
「ああ、これと決めたら真っすぐだ。妥協がない」
「でも私はきっちり体を清めますし、処理もしてますよ?」
「……いやそういう意味じゃねえって」
「ああでも、隊長が不衛生なのは衛生面からしても不安ですから、今度私が彼女と話してみましょうか」
「そういう話でもねえって。姉貴がウチの隊長を追い回すって絵面はたしかにおもしれえけどよ」
「やってみたら楽しそうですよね。ちょっとやってみたくなりました」
「それやるにはまずウチの隊長をACから降ろさなきゃなぁ……」
パチパチと薪の爆ぜる音を聞きながら、姉妹は並んで静かに火を眺める。
二人して頬を緩め、リラックスして、肩を並べて。何も言わずに火を眺める。
ハンス・シュミットのACワークマンがまた場所を移動している音が、遠くに聞こえた。
「刀は私の伝手を当たってみますよ」
「すまんな姉貴、迷惑かけて」
「いいんですよ。誰かに頼られるのは悪いことではありませんし」
ルルーアンは枝をさらに焚火に放り込む。
それを見ながらオオグチはナイフの柄を弄ぶ手を止める。
「毎度思うんだけどよ……姉貴の言う伝手ってなんの伝手なんだ?」
「ん? それはですねー」
ふふふ、と笑いながら、ルルーアンは人差し指を立てて唇に当てた。
「秘密、です」
オオグチはそれを見て肩をすくめる。
秘密の多い女ってのは、強かでやりづらいものだ。
ワークマンがまた動き出し、雪がひらひらと、そしてしとしとと降り始めた。
『やあどうも。秘密の暗号回線持ちのバーンズさんだ。で、え? なに? カタナが欲しい? カーボンブレードの間違いじゃない? あ、違うの、カタナね。はいはい。なんとかしますよ』
関連項目
『もしもーし? バーンズさん忘れてるよー?』
最終更新:2023年12月02日 00:29