V.N ステラ、本日より着任しました」

 ステラは敬礼した。
 かつてとは全く異なる姿に変異した身体は滞りなく動かせるようになり、肩や肘の関節の違和感はとうに消えていた。
 術後しばらくは、敬礼どころか指一本動かすにもひどい違和感だった。肉の塊に手を突っ込んで中から動かしているかのような、思い出したくもない感覚だった。
 今はもう、それがない。
 自身の身体が想像以上にコーラルデバイスとやらに適合しているという事実は、心に些かの影を落とすには充分すぎた。

「はい、ご苦労さまです」

 眼前でにこやかな笑顔で敬礼を返した女性……エヴァレットは、艶のある黒髪を頭の後ろでまとめ上げている。
 パンツスーツ姿だから事務方なのかと錯覚させるが、こう見えてパイロットだ。
 開けた襟元からパイロットスーツが覗いている。

「以降は私、V.O エヴァレットのもとで働いていただく形となる、というのが表向きだそうですが――」

 エヴァレットは途中で言葉を区切り、音もなく距離を詰めてくる。
 口元は確かに弧を描いているが、目は全く笑っていなかった。

「――本社からの、監視ですよね? お待ちしておりました」

 アーキバス系列企業で製造されている、合成ミントの歯磨き粉の香りがした。
 思わず妙なところに注意が向いてしまったが、そうではない。
 今、彼女は明確に“待っていた”と発言したのだ。
 事前に監視について知らされていた事があったとして、それはなんとなく納得できる。

「え! 監視を待っていたというのは……!?」







「ええ。待ちわびておりましたよ。私を真正面から監視してくださるならば、報告書は必ずや公正な内容となりますでしょう? このヴェスパー・オフシュートにおいて私以上の忠義者はいません。さあ、ステラさん。私達と共にルビコンを我々アーキバスの手中に収め、新たなる秩序の担い手となりましょう。過去がどうであったのかを忘れ、これからの企業の輝かしい未来へ向けて邁進しようではありませんか! さあ、さあ、さあ!」

 エヴァレットは発言の最中、己の恍惚を自覚していた。
 アーキバスという単語が自らの口から発音されるたび、胸の奥が暖かくなり、下腹に甘い痺れが来る。
 この感触が、この感覚が、命に理由を与えてくれる。
 両親から決して認められていない自らの能力を、合格水準へ伸張せんと前を向く事ができる。

 だがステラは目を見開き、かぶりをふっていた。
 ステラがこちらの事情をどこまで知らされているかはともかく、彼女もまた凡百のその他大勢に同じく、真正面から受け入れてはくれなかったようだ。

「まさか、素で言っているのですか……?」

 まるで異物でも見るかのように。
 所詮は、独立傭兵上がりか。

 失望をあらわにするエヴァレットの眼前を、パイロットスーツ姿の女性が瞬時に横切り、そしてステラを指差す。
 ふわりと靡く真っ白な髪から、おそろいのシャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。

「――貴様。お嬢様の発言を疑ったな?」

 E413-K09、通称エリカ。

「はいはいはいエリカちゃんストップ! お姉様は今大事な話をしてるからね! どー、どー」

 直後に黒髪の令嬢――ウズラマが飛び出してきて、エリカを羽交い締めにした。
 それでも微動だにしない。残念ながらエリカは融通が利かない。
 エヴァレット以外の指示にまったく反応を示さない。たとえ名付け親のウズラマであっても、これだ。

 そのせいで作戦行動には随伴させないと使い物にならない。
 だが上層部の「弱点の発生しない条件下で運用をすれば良い」という一言で再教育は打ち止めとなった。
(これに関しては、エヴァレットも同意するしかなかった)


「エリカ。下がりなさい」

 エヴァレットがエリカの肩に手を置くと、それでようやく腕を下ろした。

「御意」

 ウズラマに目配せすると、エリカを連れて下がっていく。
 だがエリカの視線は依然としてステラへ向けられていた。

「はぁ……すみませんね。再教育センターでも、あの性分だけは直らなかったようで。結局、私が直接指導するのが低コストであるとの判断で、あのままになりました」

「いえいえとんでもない。良い部下をお持ちですね」

「ええ。企業のために喜んで命を投げ出せる、従順で優秀な人材です。ねえ、エリカ?」

「はい。お嬢様のご命令とあらば、この命はいつでも捧げます」







 エリカは、まるきり表情を変えないまま、胸に右拳を当てて一礼する。

「……」

 ステラは完全に顔面蒼白だった。
 これが、アーキバスの研究の一つの到達点だというのか。

「気色悪いなどと言いませんね? 貴女も独立傭兵から、今や栄えあるアーキバスの一員――受け入れなさい。貴女も、企業です」

 急に壁まで追い詰めて壁ドンするのをやめてほしい。
 目を見開き、口が裂けそうなほどの笑みを浮かべているのは、一体どういう感情なのか。

「あ、怪しい宗教に勧誘されているようにしか見えない言動は、慎むべきかと……」

 ステラは全身が総毛立つのを自覚した。
 アイランド・フォーの動乱でも感じたことのない、奇妙な感覚だった。
 根本的に理解の外にある、何か別の怪物のような。

「神の実在は今日に至るまで誰も証明できていません。ですが企業は実在し、明確に私達の生活を支え、私達と共にある」

 ここまで来ると、もはや邪教の司祭だ。


「は、はぁ……」

「もうお解りでしょう? 人は企業のために生きるべきです。成果を生み出し、企業を成長に導き、その見返りとして初めて生活というものが許されるのです。まさかその摂理を理解しないまま、権利ばかりを主張する怠惰な連中と、貴女が同じ考えをお持ちではありませんよね?」

「もしや、この人はヤケクソになっているのでは?」

 横から首を掴まれる。
 耳元で、無感情な声が鼓膜を這った。

「貴様。今お嬢様を愚弄したか?」

「いや、何も! 何も言ってません! 何も!」

「エリカ。ステラには今後、私への物理的な加害行為を現認するまで手を出さないように」

「はい、お嬢様」

 これではまるで、良い警官と悪い警官だ。
 取り調べでも受けているのだろうか。

「……まあ、いいでしょう。私の言動について思う所があるなら、他の方々にもヒアリングを。貴女にとっても悪い話ではないと思いますが?」

「はい。そのつもりです」

「では、私はコックピット内にいますので。AC、便利ですよね。デスクワークも全部そこで完結する」

「お嬢様、荷物をお持ちします」

 エリカは足元に置いてあった鞄を抱え、エヴァレットの数歩後ろを随伴していく。
 それをウズラマが、どこか寂しげに見送っていた。

「じゃ、お姉様は忙しいみたいですし、私が案内しますね!」

 向き直り、ウズラマが微笑んだ。
 プロファイルデータ資料によれば、彼女は両親がアーキバスの社員で、その英才教育を受けて自ら強化人間の実験プログラムに志願したとか。
 献身的で健気な子だと思ったが、同時に彼女があのような上司――エヴァレットについて働いているという事実が気がかりだった。







 案内が一通り終わり、ウズラマと別れた。
 設備の基本的な情報は本社から教えられている。
 先程ウズラマが教えてくれた情報との齟齬は今のところ見られない。

 逆に言えば、必要以上の情報は手元に持たされていないという事。
 元独立傭兵という立場である以上、捨て駒としての軛は脱せない。


 自室へ戻る最中、見るからに辛気臭い空気を漂わせた男性に、すれ違いざまに声をかけられた。

「君は本社直属の……」

「ヴェスパー・ヌルのステラです」

「私はヴェスパー・オフシュートのサリエリだ……わからない事があれば遠慮なく聞くといい……」

 どう考えても隊長格とは思えない、覇気の欠片もない姿だった。

「あ、ありがとうございます」

 サリエリは丸めた背中を伸ばそうともせず、幽鬼のような足取りで曲がり角の向こうへと消えていく。
 ステラは訝しんだ。

 資料の写真より、随分と老け込んで見える。
 最初、誰だかわからないほどだった。
 よほどの激務だったのだろうか。
 それよりも気がかりだったのは、右手に持っていた、綿の飛び出たボロ切れだった。

「一体、何が……――ぐっはッ!?」

 天井に背中を打ち付けた、と身体が認識する頃には、ステラは床に転がっていた。
 基地の中を、それも人間用の通路を走るバイクなど聞いた事がない。
 当然、その衝突事故を起こしたのはバイクなどではなかった。

「わぁぁああああん!! いやよ、いやよ! サリエリさま! お待ちになって! わたくしに、どうか弁明の機会を! あなたさまの愛好する、ぬいぐるみを直させてくださいまし!」

 走り去っていく後ろ姿を見るに、長い髪をきれいに手入れした、長身の女性のようだった。
 よく見ると、サリエリが持っていたものと同じくらいの布の塊を持っていた。

 痛みに霞む視界と、コーラルを応用した物質による急速回復に伴う激しい痛みにのたうち回りながら茫洋と眺めていると、いかついプロテクターに包まれた手が視界を遮った。
 サリエリとは別の、男の声が聞こえてくる。

「災難だったな。立てるか」

「は、はい」

 長身痩躯の男性だった。

「彼女は……サリエリのぬいぐるみがほつれていたのを直そうとしたつもりがとどめを刺したみたいでな。すっかり堪えたサリエリに、しばらく顔を見せないようにと言われた結果が、あれだ」

「はぁ……大変ですね……ところで、お名前を伺っても?」

「ドラクロワ。V.O所属かつ、シュナイダー出向中の身だ。貴様はステラだろう? 監視の業務は気苦労が多い。気をつける事だ」

 ドラクロワはプロファイルデータ資料を貰っていない。
 いい人なのかもしれないと思った。
 しかし次の瞬間、それは翻った。


「おい、女狐。いつまで転がっている。受け身くらい取れただろう」

 似たような状況で倒れている女性の服にはヴェスパー・ヴェリファイのエンブレムが付いていた。
 髪の色と背格好はプロファイルデータ資料と一致。彼女はジュスマイヤーだ。
 別の誰かが既に監視をしているそうだが、詳細はステラも知らされていない。

「廊下でばったりなんだからしょーがないでしょ。それよか、そこのお嬢ちゃん。手を貸してくれない? アタシ、ちょっと足を痛めちゃったみたいなの」

 差し伸べようとした手をドラクロワに遮られる。

「無用だ。放っておけ」

「え!? で、でで、でも……!」

「この女狐は私達より強いし、この基地での勤務経験もある。不測の事態を予測しなかったのは彼女の怠慢だ」

「ちょっと。レディに向かってその言い草は無いんじゃない? アンタ絶対モテないでしょ」

「生憎、仕事に色恋沙汰は持ち込まない主義なんでな」

「もういない男を追いかけているくらいだからねぇ?」

 一瞬、空気がある種の粘性を帯びたような気がして、ステラは無意識に自らの喉元に手をやった。
 単なる湿気とは隔絶した、おぞましい何かだ。

「ああ、そうだとも。彼奴らに飲まされた煮え湯は吐瀉物のような味だった。話せば長いが、聞いていくか? 出撃ギリギリまでたっぷり聞かせてやるぞ」

「またの機会でいいかしら?」

「いいとも。そら、ご歓談の間にそろそろ痛みも引いただろう。せいぜい頑張れよ。腕前だけで信頼を勝ち取れるとは思わないことだ」

 ドラクロワは振り向きもせず去っていく。
 呆気にとられている間に、ジュスマイヤーもいつの間にか姿を消していた。

「……」

 ジュスマイヤーの鮮やかな身のこなし。
 ドラクロワのシュナイダーへの執着。
 お互いの喧嘩腰。
 これらが表向きの態度であり、実際には内通者同士の暗号だとしたら?
 不仲営業だとしたら?

 ふと、頭をよぎる。
 確証は無い。無いが、可能性はゼロではない。


 ――ゴツン。ゴツン。ゴツン。
 鈍い音が一定のリズムで響く。
 誰かが下手なドラムの練習でもしているのか。

 音の方角へ歩けば、そこにはステラが言葉を失う光景があった。
 先程まで「まだ話が通じそうだ」と思えたウズラマが、虚空を見つめて何かをぶつぶつと呟いている。

「悪い子はブゴャモクドリュケッテに連れて行かれちゃうんだ」

 ゴツン。

「そうだ、そこでチーズの山を掘って埋めて」

 ゴツン。

「ムヌメバスツュマビョビョのくまさんが友達にならないといけないね~」

 ゴツン。

「スビマンキティティダマヒョッポを手に入れて、空中庭園へ旅行しよう!」

 ゴツン。

「スビマンキティティダマヒョッポ空中庭園あれ! 旅行あれ! マラソンマンに相談だぁ」

 ゴツン。
 もちろん大半の人がそうであるように、ステラも血の気が引いた。


「わ、わぁあああああ!?」

 必死に走る。あまりの恐怖に足を何度かもつれさせながら、エヴァレットのいる格納庫までたどり着く。

「エヴァレットさん! ちょっと! ウズラマさんがバグりました!」

「ああ、またですか……エリカ、いますね?」

「ここに」

 ステラとは正反対に、エヴァレットとエリカは冷静に話を進める。

「あの子を調整カプセルに繋いでおきなさい。処置は覚えていますね?」

「お任せを、お嬢様」

 エリカは短く一礼すると、格納庫を静かな足取りで去っていく。
 小走りですらないが、こなれていて素早い。

「随分と、その……慣れているんですね」

「すでにある技術に新しいものを足せば、多かれ少なかれそういった弊害は出ます。戦闘時には発生しない不具合ですのでご安心を」

「いや、そういう問題では……はぁ、大丈夫です、はい」

 次から次へと……
 自らの身に受けた事を思い返せば、どれも別に不思議ではないが、この会社はとことん倫理観とは対極の方角へと突き進むのだなと、直視し難い現実を目にして天を仰ぐ。
 このとっ散らかった一日をどうやって日報にまとめようか、などという考えで現実逃避する以外、特に思いつかなかった。


登場


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投稿者 冬塚おんぜ
最終更新:2023年12月05日 00:38