说曹操曹操就到

 ―――諺



 白毛と呼ばれる人物に三代目が初めて出会った時、彼は白毛と言う名前ではなかった。
 子供心は単純だ、と今になって三代目は思う。油と鉄と火薬と、整備員たちの汚れの臭いのする格納庫に静かに直立した自社製のACを見た時、子供心はゴム製のボールのように嬉々として心の中を跳ねまわっていた。
 父はそれを心から喜ぶような人間ではない。企業人としての父は、祖父の遺産を欠けることなく使いまわし成果を得る傑物だったが、父親としては失格で、それ以前に人間としても出来が非常に悪い男だ。
 だから、父が喜んでいる息子にやったことは、酷く残酷な行為だった。彼は子供の手をきつく握りしめ――その時点でろくなことにならないと当時の自分は察していた―――、忙しく仕事をする整備員を呼びつけ、一言何かを言った。整備員は困惑した表情でなにかを言い返そうとしたが、彼の権力を考えて言葉を飲み込んだようだった。
 そして、ACのコクピットハッチが開かれる。整備員たちが立ち止まり、さまざまな感情が入り混じった表情でそれを見た。
 父はにやにやとした顔で引きずるように子供をコクピットハッチまで連れて行き、中を見せた。なにかが入っている。人ではないようだった。


「よく見ろ、見ろ、小朋友。これが本当の人でなしだ」


 父がどんな表情をしていたのか、三代目は覚えていない。自分はずっとその人ではないなにかを見つめていた。
 なにかが詰まっている箱のようなものに、いろいろなチューブや機材が繋がっている。消毒液の匂いが鼻を突く。
 そして、目が合った。小さな白いものが目に移り、それに目を合わせた時に初めて、それが目だと気づいた。
 子供は悲鳴を上げ、目は悲しそうに細められ、父は歯を見せて笑った。

 それが三代目の覚えている、白毛と初めて出会った記憶だった。 





 いくつかの仕事をさらに片付けた後、自分のオフィスに着き、三代目はとりあえずソファに座って横になる。落ち着いたシックな色調が神経を落ち着かせる。
 父は俗物以外の何物でもない。大豊の権力者らしい見た目もやり口も狸のような男で、常になにかを虐げていなければ満足しない人格破綻者だ。
 故に息子である三代目―――王 叡(ワン・ルイ)は、彼を失墜させ闇に葬った。欲深い男は怨みも多く、その過程は長く面倒なものではあったが困難ではなかった。楽しくもなかったが。 


「まったく……」


 あの爺ときたら、と叡は頬を緩める。
 今の白毛は昔の白毛とは違う。白髪の少年か少女のような見た目で、老人のような言葉遣いで青年のような振る舞いをする。
 生き生きとしていて、飯を食って、酒を飲み、笑う。なんとも、良い姿になったものだと叡は思う。
 大豊核心工業集団の第2世代型強化人間獲得計画は≪三新計画≫と呼称されている。新型新世代新技術、欲張りの満漢全席。
 それに誰が志願するか、という点は工業団地の周囲にある掃き溜めの掃除によって解決され、正確な数も分からぬほどの人間が消費された。
 白毛は、その中の一人だ。成功例の一人であり、そして、数少ない生き残り。
 それが叡の祖父の遺産。叡は祖父も父も愛したことはなかったが、白毛という遺産は得難いものだと思っている。


「さて」


 ソファから立ち上がり、叡は箱詰めされている自分の私物や道具を荷解きしていく。
 外面用の家族写真がいくつかと、会社支給の端末と自前の端末、小さな龍の飾り物、私物の酒、―――。
 叡はオフィスの前で小さな影がうろうろしていることに気づいた。誰かと思うこともなく、叡はロックを解除して扉を開ける。


「白毛」

「仕事終わったかの。酒を持ってきたんじゃが」


 作りの荒い歪んだ透明な酒瓶を片手に、白毛がいた。
 瞳は金色で、猫のようにころころと表情が変わる。なんとも、これが自分よりも年上の老兵とは。
 子供の頃の憧れと恐怖は、叡の中に未だに記憶されている。そして、年を重ねることで生まれた敬意もまた、彼の中にあった。


「……これから荷解きってところで、部屋がまだ完全ではありませんが」

「完全じゃなくとも酒飲みの場にはなるじゃろ?」

「まったくその通り」


 最硬度のセキュリティを施した部屋に叡は白毛を招き入れ、頬を緩める。
 祖父とも父とも酒を飲み交わしたことはなかったし、する気もなかったが、白毛となら良いだろうと叡は思った。



関連項目


三代目 王 叡(ワン・ルイ)
白毛



投稿者 狛犬えるす
最終更新:2024年03月10日 16:09