惑星ルビコンに、雨は滅多に降らない。
50年前に周辺星系をも焼き払ったアイビスの火以降、荒廃した大地には常に雪が降り積り、空気は当に冷え切っている。
ふぅ、と吐きだされた息が白くなるのを覚めた目で眺めながら、少女……マイアは目を細めて遠くを見やった。
視線の先、空を貫かんばかりに立ち並ぶのはグリッド051と呼ばれる高層建造物群だ。
アイビスの火以前は工業地帯として栄え、今ではルビコン運送をはじめとした幾つかの組織が根拠としているという。しかし、マイアにとって生まれる前の、アイビスの火以前のことなど又聞きでしかないし、現在においてもルビコン運送以外に関わったことはない。

……何もかも、私の知らないことばかりだなぁ。

音にならない声で独りごちる。
物心がついたとき、マイアの世界は真っ暗だった。
窓の塞がった出口のないボロボロの廃屋。薄暗い部屋の中にはゴミが散乱し、常に寝ているか男と寝ているだけの、生物学的な母親だと思われる女のシルエットだけが彼女の世界だった。
それも妙な服に身を包んだ男達(後にアーキバスの兵士だと教えてもらった)が押し入ってきて、綺麗だけど寒い建物の中に入れられた。……母親だった女は、途中で撃ち殺されたらしい。
それから短い間、建物の中に一人ぼっちで閉じ込められた後だ。
建物がバラバラと崩れ、大きな巨人が少女を見下ろしていた。

「……お前が、お前の意思で選べよ」

巨人からしてきたくぐもった声に、少女は理由もわからず、ただ気づけば手を伸ばしていた。
それが巨人の冷たい指に触れたからこそ、彼女は今ここにいる。

……あの時のお義父さん、かっこよかったな。

頰を緩ませて、少しだらしない表情でにへらと笑う。
彼女を引き取った義父……ユージーンはそれなりに知られた傭兵だった。なんでも義母のメイヴィと一緒にルビコンの外から来たらしい。
マイアは、ルビコンの外を知らない。否、このルビコンですら知らないことばかりだ。
引き取られて以降、枕元で義父と義母が語ってくれる星外は、彼女にとって知らない世界だった。
高層に立ち並ぶ巨大なビル群に星々を行き交う大船団、人々が雑多に暮らす都市や緑の生い茂る広大なジャングル……。
声のない少女は願った。

『いつか、私も外に行きたい』

辛うじて書けるようになった下手な字で書いた願いに、義両親は優しい笑みを浮かべて抱きしめてくれた。
あの時はわからなかったけれど、今ならわかる。

……お義父さんたちの手は血塗れで、きっと外に戻れないんだ。

外からルビコンにやって来る人たちの中で、義父たちは血に塗れすぎてしまったのだろう。そうして居られなくなって、ルビコンにやってきた。
だからかな、とマイアは足元に視線を移して思う。
彼女の足元……其処には彼女の愛機である中量二脚型のAC、“ダウター”が在った。
アーキバス製コアの流線型ボディに探査用ACの手足。頭は傭兵支援機構のオールマインドが独自開発したパーツ。
自分もACに乗る……と初めて一旦時、義両親は何処か懐かしむように笑っていた。
直ぐに最新のパーツカタログを取り出して機体のパーツを選んでくれた。とはいえ、最新鋭の高級パーツで揃えようとした時は流石に恥ずかしくて止めたのだけれど。
義両親の応援もあって、傭兵として正式に登録して以降、マイアは自分が義父とは違うんだな、とそう思えるようになっていた。
戦場に立って、命を奪う。ただそれだけのことが、義父が軽い調子で話していたのが不思議なぐらいに、心と身体に重石として酷く伸し掛かったのだ。

「お前は優しい子だからな」

初めて戦場に立って人を殺した後、泣きじゃくる私を義父と義母は優しく撫でてくれた。







……あれから、もうどれぐらい経ったかな。

拾われてから三年が経ち、傭兵になってから一年ほどが経っただろうか。ただそれだけの間に、マイアは自分が随分と変わったと思うようになった。
依頼のため金のため……、そう言って敵を殺してはその分だけ重石が伸し掛かる。けれど、それとは別にある感情が生まれ始めていた。

……あれは。

と、そう思うと同時にインカムから声が雑音混じりに声が聞こえてきた。

『まもなくターゲットが当該領域に到着します。準備の程を』

淡々とした声に若干辟易としながら、マイアは愛機のコックピットに乗り込んだ。
狭いコックピットの中、ベルトを巻いてリニアシートに身体を預けると、機体のシステムを起動させた。

『メインシステム、戦闘モード起動』

COMの感情を感じさせない音声とともに、機体が静かに、けれど震えるように声を上げる。
コックピット内のフレームを優しく撫でながら、寝起きの相棒におはよう、と心の中で告げる。
モニターの中のレーダーを注視すると、作戦領域に入り込んだターゲット……護衛のMTを複数機ほど引き連れた、全身をベイラム製の【MELANDER】フレームで統一したACを視界に収めた。
依頼対象……MTを護衛につけたACは星外企業ベイラムの保有する戦力であり、マイアが受けた依頼はこのACの撃破だった。
対象は作戦領域の中、集落の廃墟近くで立ち止まる。どうやら休憩を取るらしい。
対象を確認した彼女は、ダウターの右背部に搭載した2連装グレネードキャノン【SONGBIRDS】を構え、引き金を引いた。
ガオォン、と【SONGBIRDS】の特徴である2連キャノンの連続した重苦しい発射音が鳴り響き、護衛のMTを数機ほど爆風によって吹き飛ばした。

『な、なんだ!?』

『敵襲、何処からだ!?』

初撃は成功。爆発によって吹き飛ばされなかったMTは思わぬ攻撃に怯んでいた。
マイアはダウターのアサルトブーストを起動する。そして混乱する敵陣へと突撃を敢行した。

『AC!?』

『独立傭兵か……!!』

迎撃体制をとるMTに向かって、右手の軽ショットガン【SG-026 HALDEMAN】と左肩の6連装ミサイル【BML-G2/P03MLT-06】を放つ。
効果は上々、ショットガンで蜂の巣にされたMTは穴だらけになって倒れ伏し、6連装ミサイルの直撃でMTは複数機が爆風と直撃のダメージによって物言わぬ残骸になる。

『独立傭兵が……! くそ!』

ベイラムACが反撃とばかりに此方に接近する。
武装は普及型のアサルトライフルとマシンガン、背部は6連装ミサイルと小型2連双対ミサイルで武装している。
灰色と黒に白の差し色が入った角張ったフレームの機体が、コックピット越しのマイアを睨みつける。

『金で雇われた傭兵ごときに……!』

ライフルとマシンガンの弾幕がダウターに襲いかかる。
その程度ならクイックブーストを吹かせば十分だったのだが、次節、飛んでくる小型2連双対ミサイルと6連装ミサイルの挙動が不意撃ちに寄って着弾を仕掛けようとしてくる。

「……」

一方でマイアはそれを軽やかに躱すと、6連装ミサイルを放ってベイラムACを追い立てる。避けたところに2連キャノンを直撃させ、相手のACSに負荷をかけていく。

『クソ、やたら避ける!』

右手の軽ショットガンを撃ち放つが、紙一重に回避される。
気を取り直して2連キャノンを放つと同時に、6連装ミサイルを放つ。
キャノンが着弾時に巻き起こす爆風に僅かとはいえ巻き込まれたベイラムACに、死角からミサイルが立て続けに直撃する。
ACS負荷が限界を迎えたベイラムACがスタッガー状態に陥る。
動きの止まったベイラムACにマイアはアサルトブーストを吹かして急接近し、左手のレーザースライサー【Vvc-774LS】を起動する。
ギラリと青白い光刃が唸り、連続した斬撃がベイラムACに叩きつけられる。

……浅い……。

レーザースライサーの当たりどころが軽かったか、ベイラムACは辛うじて耐えきっていた。

『おのれぇ……この俺が、貴様のような金の亡者に……!』

悪態を吐いたベイラムACが、ACSが回復したのを気に再び仕返しとばかりに攻撃をしかける。
ライフルとマシンガンの弾幕の合間にミサイルがまた襲いかかってくるが、マイアはその全てを軽やかに回避する。再び2連キャノンを構えようとした時に、しかし、背中に衝撃が走った。

「……!?」

思わずレーダーとモニターを交互に再度確認する。
そしてベイラムACの背部に視線が向いた時に気付いた。
ベイラムACの背部、交互小型2連双対ミサイルが排熱状態になっている。6連装ミサイルの後、遅れて小柄2連双対ミサイルを放つことで時間差攻撃を狙ったのだろう。

『薄汚い金のために、死んでたまるものか……!』

吐き捨てるように男が叫ぶ。ベイラムACからはあからさまに殺意が漏れ出ている。当然だ。何せ此方は殺すために来ているのだし、現に護衛のMTを潰している……無論、中のパイロットなどミンチの方がマシな末路だろう。

『なんとか言ったらどうだ!』

仲間を殺された怒りからか、ベイラムACが吠える。
両手のライフルとマシンガンが放たれる。
その瞬間、マイアは不思議と本能からなのかレーザースライサーを起動させていた。
回転するレーザースライサーの光刃は、ダウターに直撃する軌道の弾丸を防いだ。

『何ぃ!?』

続けてブースト。レーザースライサーの刃を回転させながら、ベイラムACに対して突撃する。
思わぬ攻撃に怯んだベイラムACの正面から、回転する光刃が直撃した。







『お、おのれ……傭兵ごときに……私が……』

バチバチと各部から火花を散らしながら、ベイラムACが機能不全に陥っていた。

「……」

マイアはコックピットの中で、荒く呼吸していた。知らず知らずのうち、滝のような汗がパイロットスーツの中をぐっしょりと濡らしている。
操縦桿を握ってダウターを起こし、ベイラムACの前に歩み寄る。

『クソ……、ベイラム……向かって……なるか……わ…っ………のか……』

最早通信機器も損壊しているのだろう。ノイズどころかマトモに声も聞こえない。
再びレーザースライサーを起動する。ベイラムACのコアブロックに突き立てようとして、少しだけ、ある考えが頭を過ぎった。

……じわじと嬲ったらどうなるのだろう。

義父の異名……もとい悪名は又聞きで知った覚えがあった。
いわく、……相手をじっくりと嬲るように殺す、悪意に満ちた狂人であると。
それはどういうことなのだろうと思っていたのだが、彼女は今この瞬間になって、マイアは細やかな欲望に駆られていた。

「……」

レーザースライサーの出力を弱め、コアをじわじわと削るようになぞっていく。

『な、貴……………やめ…………な…………を…………!?』

ベイラムACの中から、パイロットのものらしいノイズ混じりの悲鳴が聞こえてくる。
男の低い声帯から発せられる、恐怖の色が混じった声がマイアの脳に言い知れぬような快楽を刺激として伝えていた。背筋からゾクゾクとした感覚が全身に走り、自然と口角が釣り上がっていく。

「……!! ………………!!」

音の出ないマイアの口から、思わず声にならない嬌声が溢れ出る。

愉しい。

愉しい。

あぁ、もっと聞かせて欲しい。


モット私ニ、ソレヲ聞カセロ……!!!


操縦桿を握る手に、力が込められる。

息が荒くなる。

スライサーの光刃が装甲を溶解するように貫きはじめ、段々と奥深くへと潜っていく。

『……………や…………助………は………………てくれ…………!! ……ャ…アア………!?』

ノイズ越しの悲鳴がより迫真のものへと変わっていく。

「……!」

アハァ、と心の中で一際心地の良い嬌声が生まれる。
段々と操縦桿を握る手が汗に濡れ、手に入る力がいよいよ強くなり始めていき……、

『…………ギ…………ァ……ガ………………………………』

僅かに断末魔のような音が奏でられたかと思うと、それから何の音もしなくなった。
ダウターのスキャンを起動するが、ベイラムACからは生体反応の欠片も検出されなくなっていた。

……終わり、なの……?

はぁ、と息を吐く。
汗のせいだろうか、身体が無性に熱く感じられる。
マイアはコックピットハッチを開けて、機体の外へと踏み出た。
寒々とした外気と裏腹に、周囲は焼け落ちたMTやACの残骸が燃え盛り、熱気が辺りに帯びていて何処か暖かい。
取り残された空虚感に、思わず空を見上げる。薄暗い灰色の空に、残骸からもうもうと昇る黒煙が空へと溶けていた。

……私は……。

生暖かい液体が頰を伝う。
涙なのだろうか。と、思った途端、ポツ……ポツ……と空から冷たい雫が、疎らに落ちてきていた。
なんだろう、と思っていると、ふと義両親から教えてもらったことを思い出した。
ルビコンでは滅多に降らない、雨という気象現象のことを。

……あぁ、雨だ。雨なんだ、これが……。

始めてだった。これが雨なんだと、土砂降りの中で冷たい雫を全身に浴びていく。全部雨なのだと、頰を伝う生暖かい雫のことは、今だけは考えたくなかった。







「あぁ、お帰り……。雨なんて久しぶりに見たから、少し心配していたんだぞ」

マイアが輸送ヘリのもとに帰るなり、生活スペースのリビングでソファに寄りかかりながら、義父であるユージーンはコーラルを吸いながら迎えてくれた。
何時もの精悍な顔立ちとは違う、恍惚としただらしのない顔。
そのすぐ横には義母のメイヴィが涎を垂らしながら、同じように恍惚とした笑みでユージーンにもたれかかっている。

「マイアぁ……おひぁへりぃ……」

何時もの調子の二人を確認するやいなや、マイアは足音を立てながら近づくと、ユージーンからパイプを奪い取った。
何時もは呆れているかスルーしていた義娘の珍しい行動に、ユージーンは驚く。

「おい、お前……」

取り返そうとするユージーンの目の前で、マイアはパイプの吸口に口をつけ……、コーラルを思い切り吸い込んだ。

「………っ!? …………ッッッ!!」

頭を駆け巡った酩酊に思わず噎せ返り、肺から全て吐き出すように息を吐く。

「ろうしたの、らひく、ないじゃない……」

コーラルに酔いながらも心配そうに此方を見つめてくるメイヴィ。
マイアは二人に見れるように、震える手で懐からタブレットだすと、画面に文字を入力して見せつけるようにかざした。

『やっぱりわたし、こーらるはだめみたい』

そうぎこちない笑みを浮かべながら書いた彼女は、気づけば二人の義両親に抱きついていた。

「何か……、あったんだな……」

コクリ、と小さく頷く。
二人は意識を酩酊させていながら、それでも義娘の小さく華奢な身体を、ただ優しく抱きしめていた。

「マイア……んふふ、かわひい子……大丈夫だからね……」

二人は抱きしめてくれるだけで、何があったのか聞いてはくれない。けれど、それでも今のマイアには、ただ義両親の体温を感じられるだけで良かったのだ。

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小説 中澤織部
最終更新:2023年12月15日 18:46