久しぶりの一人きりを遮る者がいた。

「なんじゃ、子供がこんなところで」

「子供……?あんたに言われたくはないなあ」

 グリッドの端近く、高台からルビコンの大地を見下ろせる場所。どうせならこんな景色も、と軽い気持ちで来たのだが、間の悪い相手というものは何処にでもいるもの。
 白髪の少年の、老いた口振りが先に来る。

「わしを知っとるんか?」

「ご冗談を、白毛殿……あれに見覚えがないとなれば、話は変わってきますが」

 茶髪の少年が、くい、と目線で示した先には、青白いACがあった。その何処となく細身の機体には軽い修繕を施されている。装甲に出来た傷は爆発物の直撃が原因だ。見る限り、何一つとして装備がない。

「ああ……ちょっと前の……ヴェスパーの小僧か」

「ええ、その小僧です。しかし痛かった、あの猛攻は俺にゃできませんや」

「そうは言うても、しっかりわしのこと殺しに来とったじゃろ」

「まさか」

 二人の少年の口が笑う。茶髪の少年の目は笑わなかったが、白髪の少年はまるで日常のような、気の緩んだ笑みの色を浮かべていた。
 茶髪の少年はもう引き上げるつもりでいた。目の前にいるのは経験も技術も格上である。苦戦を強いられたどころか大敗を喫した以上、真正面から戦うつもりはなかった。
 白髪の少年としても、追うつもりは毛頭なかった。それが敵対企業の人間だからといって無闇矢鱈と殺しにかかるほど狂ってはいない。戦場でもないのに無理に戦う必要はない。
 笑い声はない、だが不思議と敵意もない。いつの間にかとんとん拍子に、酒盛りめいて二人で景色を楽しんでいた。発端は茶髪の少年が呑気に水を飲んだことか、あるいは白髪の少年がACを降りたことか。お互いに考えたのは『今ぐらいは』である。

「小僧も義体かえ?」

「いや、手術の後遺症でさァ。別に不自由もしてませんが」

「羨ましいのう、儂なんて転んでばっかじゃ」

「子供らしくて良いじゃありませんか」

「良かないわい、歩くだけでふらっとばたりじゃもん」

 そもそも子供らしい言うても、儂は結構歳食っとるんじゃよ。そんなこと言って、まだまだ現役なんじゃないんですか。言葉にすれば酒の席の一コマだが、実際にそこにいるのはまるでピクニックのように飲み物を味わう子供二人である。なお、厳密には子供に見える中年と老人なので、酒の席であっても間違ってはいない。
 僅かな人数で見渡す広々とした景色は、どうにも所属やらわだかまりやらの矛先を一旦下ろさせるようであった。
 すると、日頃から命を賭す者は僅かな虚無をぼそりとつぶやく。緊張がたわむせいか。つぶやきの大半は突拍子もないことだ。

「……ここで死んだらどうなるんだろう」

「む、酒が不味くなる話は勘弁じゃ。つまみもないんじゃから」

「あー、死んだ後になってもこんな景色が見られるのかなー」

「話聞いとる?」

 わざとらしい発言に呆れた白髪の少年が、口直しとばかりに度数の弱い酒を、こく、と一口飲む。対して茶髪の少年はごくごくと水を飲み、水筒から数滴しか出なくなるのを見ると、蓋を閉めた。

「んむ……まあ、観れたとしても、今みたいに誰かと観てる方が楽しかろ」

「……口説き文句のレクチャー?」

「なんじゃ小僧、口説きたい娘でもおるんか」

「いいや?あんたみたいな美人さんなら悪かないが……なんつって」

「うへえ、気色悪い。しかも寒い」

 繰り返すようだが、彼らは子供に見える中年と老人である。茶化してばかりいる中年と、景色を肴に酒を飲む老人。ははは、と初めてその場に笑い声が湧いた。

 ACに乗り込んだ茶髪の少年が、白髪の少年に通信で別れを告げる。

「また会いましょうや」

「う〜ん、どうせ会うんは戦場じゃろ?」

「そりゃそうだ。ならまあ、正面衝突しないように祈っときますよ」

 白髪の少年が吹き飛ばないように、ACは歩きながらその場を去っていった。
 一人酒の時間だ。そう思った矢先、酒が既に残り一杯分ほどしかないことに気付く。飲み過ぎたか。話し過ぎた。

「少し、風に当たろうかの……」

 こんな遮蔽物も柵もない場所で寝転がるとは、これを知られたら安全に関して口酸っぱく言われるじゃろな。
 案の定、白髪の少年は大の字になった。



「む。お前は……アドミンの!」

 アリーナへ戻り武装を回収、本格的な修繕の為にACに乗って帰ろうとしたところを、褐色の少年が呼び止めた。同行者がいない以上、前方から歩いてくる者からの呼びかけなら自分以外考えられなかったので、茶髪の少年は会釈をする。

「まあ、そうです。ご存知なんですか、俺のこと」

「他の部隊のことも把握しておけと言われたからな」

「光栄だ。それで、要件はなんです?」

「どうしてすぐ撤退した?」

 戦慄が茶髪の少年に滲む。先程の僅かな時間をどこで知った?監視があったようには思えない。
 どうやら、褐色の少年にとっては純粋な疑問だったようなのだが。

「お言葉ですが、主語が抜けてるといまいち分かりませんぜ」

「あ、すまない。何故大豊のACを相手にすぐ撤退したんだ?」

 茶髪の少年は気を取り直し、冷静に努めようとする。こういう手合いに嘘は通用しない。

「どこで知ったんです?」

「お前のACが向かったのと同じ方向へ、大豊のACが向かったんだ。戦闘したかと思ったんだが、今のお前のACには新しい傷はないし、僅かな血も付いていない」

 なるほど、何時ぞやに隊長殿も評価していた気がする。よく鼻が利く。凍てついた、恐ろしい獣。茶髪の少年は言葉を選ばなければ危険だと一瞬考えたが、これは尋問ではないことが頭から抜けていたことに気付く。
 やましい事は何も無いが、怪物を目の前にすると何かしでかしたのかと思ってしまう。そんな茶髪の少年の不安など知らず、褐色の少年は答えを待っていた。

「ん〜……戦略的撤退、ですかねえ」

「うん?戦ったのか?直近の戦闘痕は見たところないが」

「戦いましたよ。少し前の試合で、ですが。ボロ負けしたんで、勝ち目はないと思いまして」

 む、と褐色の少年は考える。あまり気にしていなかったが、確かにそんな試合があったような。対戦記録を見れば詳しく分かるだろう。だが確認をする気はない。疑わしきは罰せずというか、そもそも単なる疑問だったので相手がそう言うならそれで、という気持ちだ。それならしかたない、と褐色の少年は応えた。
 納得したらしいのを確認して、茶髪の少年はただただほっとした。ランクAを敵に回して勝てるわけがない。ましてやV.Vの中核を成すお方を相手に下手を打てば、もし、何かの奇跡が何千回、いや何万回起きて勝てたとしても、他の連中が許しはしないだろう。機嫌を損ねないのが一番だと、茶髪の少年は判断した。

「次に会った時には倒せるといいな」

「あ〜……そうですね。成長は苦手ですが、頑張ります」

 茶髪の少年は状況の理解を放棄した。生まれてこの方、営業のための笑顔をする日が来るとは思わなかった。しかも知らない相手ではなく、一応は味方に。
 何事もなく去っていく褐色の少年を一瞥して、茶髪の少年は自身のACの様子を見に行く。

 褐色の少年は一人、大豊の手先への興味から追跡を始めた。自分より格下でもヴェスパーはヴェスパー、それを退けた相手とはどんなものか。方向は当然理解している。周辺の地形からおおよそのルートも把握できる。
 そうして向かった先には、結局誰もいなかった。褐色の少年は一度首をかしげたが、モニター越しに見た『足跡』を見て、その疑問は解消した。ACの移動痕が二つ。新しいと言えば新しいが、ついさっき残されたとは言えない程度に古い。

「こっちも撤退したのか」

 ここに来るためにACを用いて、アリーナの会場から相当な距離を移動した。立ち去るに至ったタイミングがいつであれ、もう追いつけないだろう。目の前の景色は、星の地表をハッキリと写している。ここから降下して離脱することだって難しくはない。
 空は暗くはない。だが眠りについたように静かだった。地上の戦火は燻るように種を残しているが、この空は、かつてこの星で起きた戦乱をも静かに受け入れていたのだろう。

「うん」

 周辺にスキャンをかけたが伏兵はいない。生体反応は自分だけ。コクピットから降り、褐色の少年は深呼吸した。
 母なる星の冷たい空気を、ミルクのように吸い込む赤子。どれだけ怪物だと言われようが、彼は未だ若いのだ。とてつもなく。
 そして彼も同じく、高所の蒼を見つめながらつぶやいた。

「良い場所だな」

 数秒の静寂の後、褐色の少年はまた、自身の機体に搭乗する。

 広大な景色は、ふとした一瞬だけ、全てを忘れさせる力を持つ。お偉方やお仲間からの叱責を受ける理由になりうる、三人分の迂闊を作りはしたが。それでも、あの天と地の境界線を見つめた数秒以上は、僅かな休息のチャンスを生み出したのかもしれない。
 戦いの最中、再度あの景色を見つめる時間は、果たして。


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投稿者 生贄さん

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小説 生贄さん
最終更新:2024年03月07日 13:44