独立傭兵といえば言葉面と聞こえは良いが、その実態はそこまで良いものではない。
グリッド051の油と埃とイオンと煤煙と、なぜか小便臭いハンガーで自分の機体を眺めながら、ボブカットに整えられた茶色い髪をぐっとと乱暴に掻き揚げ、
ネニシェスクは盛大にため息をついた。
彼は今、そのことを痛感していた。企業という後ろ盾がどれだけ大きいのか、そして傭兵たちがなぜ徒党を組むことが多いのか、それを勉強中というわけだ。まだ年齢にして23歳の彼にとって、世界の物事はだいたいこのようなものだろうという見込みはあったが、実際にそれに関わるとその推測は実態の二十分の一ほどをぼんやりとしか掴めていないことが大半だ。実際に触れて体験してみなければ、その程度がわからないという当然のことを、彼はつい最近になって学んだ。
「さっきの試合、惜しかったな」
ピトッと冷たい感触が頬に押し付けられ、
ネニシェスクは反射的にビクッと跳ねる。
イライラしていたところだったので声の主をにらみつけると、そこにいたのはツナギを着込み眼鏡をかけた黒髪の青年だった。
先ほどの冷たい感触の正体は、ビン売りのバーニックのノンコーラルコークスだった。
「惜しかったなで済むか。Bランク昇格戦だったんだぞ、
チップマン」
「でも相手が
ソロリーブスだったし、試合だって良い線行ってたよ」
「良い線行ってたで金が貰えるなら俺だって喜んださ……。もう俺はしばらくタッグマッチで憂さ晴らしするよ」
「依頼の方も受けた方がいい。
ネニシェスクの腕ならそう赤字にはならなそうだ」
「それでまた俺はババアに向かって
レディ・ゴーラウンドだなんて、呼びたくもないレディ呼びをする羽目になるんだ」
「今日は愚痴ばっかりだな」
「愚痴りたくもなるさ。お前だってアリーナでくらい、もうちょっと―――」
そこまで言って
ネニシェスクはようやく、チップマンの機体のスペアキーがハンガーから消えていることに気が付いた。いつも当然のようにそこにあったから、今の今までまったく気づかなかったのだ。
ネニシェスクはハンガーから消えた機体と、チップマンのなんとも後ろめたそうな表情で、どういうことなのかが大体わかった。コークの蓋を開けてぐいっと煽り、また大きくため息をつきながら彼はチップマンに言った。
「元の居場所に戻るのか」
「俺に居場所があるかは分からない。それでも、首根っこ掴まれて戻れと言われたら、戻るしかないだろ?」
「俺なら、戻らない」
「君ならそう言うとは思ってた」
「……でもまあ、戻ってこいって首根っこ引っ掴むくらいに情がある上官なら、仕方がないか」
「俺のところの現場はお前のところの五十倍は酷かったぞ」
「ベイラムとアーキバス、どっちも酷いところがあるって話だものな」
「そうそう、それだよ」
どいつもこいつもさ、とぶつくさ言いながら、
ネニシェスクはコークをぐっと飲みほした。
この惑星でコーラルをやっていない人間はそう多くはないから、ノンコーラルコークスは珍しい代物だった。最後になるかもしれないからと探してきて、しっかりと冷やしてきたのだろうと
ネニシェスクは思う。チップマンという奴はそういう奴だと、彼は知っている。
二人はベイラムとアーキバスという違いはあれど、コーラルを巡る戦いの中で隊を脱走してこの
グリッド051に潜り込んだ生き残り仲間だ。初めて出会ったとき、ハンガーにアーキバス系列のACとベイラム系列のACが並んで互いに面食らったのをつい昨日のことのように思い出せた。
二人は、アリーナでくすぶる脱走兵という、希少な背景を共有する友達だった。
また溜息を吐いて、
ネニシェスクはチップマンに視線を向ける。
チップマンは肩をすくめて、控えめに口元を緩める。
「………まあ、だから、なんだ。大事にしてくれる上官がいるなら、お前もそいつを大事にしろよ、チップマン」
「そうだな。この星から出るためにも、頑張ってみるよ」
「帆に風が吹かないなら漕げ、だ」
「お別れなのにまた御祖母さんの諺か?」
「悪いかよ」
「悪いとは言ってない」
「それにな、俺はさよならなんて言うつもりはない」
「別れの言葉も断られるくらいに実は嫌いだった?」
「嫌いじゃねえよ。嫌いじゃないから、さよならなんてのは無しだ」
ネニシェスクは口をへの字にしながらチップマンの肩を小突いて、言った。
「また今度な」
「……ああ、また今度。できれば敵同士じゃないところで」
肩をすくめながらチップマンはそう言って、そのまま猫背気味に去っていった。
あとに残された
ネニシェスクはまた大きくため息をついて、自分のACブラジーニを見上げながら、借金の総額について考え始めていた。
アーキバス相手に160万コーム、シュナイダーに155万1千コーム、
レディ・ゴーラウンドに修理代とパーツ代で36万コーム。これを
グリッド051のハンガーの借り賃と居住費に生活費、その他諸々を払いながら返さなければならない。別に企業の借金は踏み倒すのも手段ではあるが、
ネニシェスクは企業を敵に回して生き残れるほど自分が良いパイロットだとは思っていない。金で解決できるなら金で解決した方がいい。
ネニシェスクは祖母もよく言っていたとある言葉を思い出す。血は金で買えるが、命は金では買えない。
「……泥船でも船頭がついてるだけ、俺にはベイラムのがマシに見えるけどな」
ぼそりと独り言ちながら、
ネニシェスクは機体のロックを解除して、白亜の機体ブラジーニを
ジュリーリグ・マックスに預ける。
これにも金がかかる。
ネニシェスクは額面の整備費から一〇%底上げして払っているが、これは整備士たちへのチップだ。万全の状態でない機体で出撃して痛い目を見るのは他でもない自分なのだから、そこは今も昔もしっかりとやってきた。
「マックス、あとはよろしくな」
「あいよ。料金はいつもので頼む」
「足元見るなよ。金欠だ」
「金を取るならお前以外にする。強請ったってなにも出てこなそうだ」
無愛想な足取りでブラジーニに向かうマックスの背中に
ネニシェスクは思いっきり中指を立てた。
修繕跡が目立つパイロットスーツから丈夫でそこそこ防寒にもなるツナギに着替えて、
ネニシェスクは
グリッド051の居住区画に向かう。
古くて半ば司法から見放されたメガストラクチャー特有の違法改造横着増築ありありのゴミゴミとしていて狭苦しい通路を抜け、階段を上り、降り、また歩いて原始的な鍵を使ってロックを解除して自室に入る。これまた骨董品の洗濯機にパイロットスーツを投げ込み、洗剤をぶちこんで洗濯開始。
かつて、地球には〝クーロン〟という巨大なスラム街があった。
ネニシェスクは見たこともないが、きっとそこはこの
グリッド051みたいなところだろうと思った。
部屋は狭い。それでも洗濯機とベッドが置けて、便所の臭いがしないだけ上等だった。手のひら大の窓まであるのだから、文句は言えない。言いたくてもここよりいいところを買う金がない。
へたれたスプリングに気を付けながらベッドに腰を落とし、
ネニシェスクはそのまま横になる。
独立傭兵といえば言葉面と聞こえは良いが、その実態はそこまで良いものではない。何かと入用で、自由を自由と思う暇も無い。
ただそれでも
ネニシェスクにとって、その不自由な自由は心地よい。
この不自由は、誰かに使いつぶされるよりは、何百倍もマシな不自由なのだ。
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最終更新:2024年01月01日 22:44