信仰を有する者は、殉教者たるのみならず、道化となる覚悟がなければならない。

ギルバート・ケイス・チェスタートン
『異端者の群』




 インナースーツ、アウター、調整よし。
 各部プロテクター問題なし。

 つま先を立てる。
 重心バランスを計測する。
 つま先を寝かせ、かかとを接地させる。
 周辺のオブジェクトとの距離、および安全リスクの確認完了。

 深呼吸。
 心肺機能チェック、オーケー。

 E413-K09――舞踊、開始。


 素体の記憶によれば、7歳までは体幹を鍛えるためという事で、バレエスクールに通っていたらしい。
 体幹の機能調整は、コンピューターに接続するよりも、実際に身体を動かすほうが効率的だ。

 眠れる森の美女のオーロラ姫という演目で、ヴァリエーション……一人で踊る見せ場だ。
 通っていたジュニアクラスでは、カリキュラムの締めくくりに、これを一人ずつ踊った。


 最初にクロスさせる脚は、左足が前だったか。右足だったか。
 アラベスクは、このタイミングで良かったか。

 あやふやな記憶は、しかしAIの補助と、クラウドから脳へダウンロードした複数の動画から現在の体格に最適化され、身体の動きへ適用される。


 後方左35度、ゲート開閉音。
 足音ならびに周辺の温度変化パターン計測完了。

 ――お嬢様だ。

「エリカ」

「はい。出撃でしょうか」

 エリカの問いかけに、エヴァレットは静かに首肯した。
 その眼差しに、エリカは僅かな高揚を覚えた。
 近頃は素体の生体脳にナノマシンのAIが馴染んで、認識機能の最適化が進んできた。
 最適解への到達は、漸進的ではあるが最短記録を更新し続けている。

「それと……続きは帰還後に。ウズラマにも見せてあげなさい」

 肯定の言葉を検知するのと同時に、セロトニンとエンドルフィンの分泌を自覚した。
 表情筋が機能してさえいれば、きっと満面の笑みを浮かべる事もできただろう。
 エリカは――正確にはエリカのニューロンを這い回るナノマシンに搭載されたAIは、それを不必要であると切り捨てて、初めから機能回復を視野に入れていない。
 主人たるエヴァレット“お嬢様”は、そのようなものをこの素体に求めてなどいないのだから。

 兵器としての価値を示せば、それだけで事足りる。
 エリカは、痛む筈のない胸に幻痛を感じながら、エヴァレットとウズラマの待つ格納庫へ向かった。

 もう一人ほどいたような気がするが、知った事ではない。
 あのような、踏めば折れる程度の強度しかない惰弱な精神がBランクとは。
 独立傭兵界隈は迷走しているのだろうか。
 妙な気を起こして余計な手出しをしないでいてくれるなら、それでいい。



作戦領域 アーキバス先進開発局ルビコン第四研究所
依頼主 ベイラムインダストリー
目標 研究施設設備破壊
報酬 50,000COAM
備考 -リオ・グランデとの協同作戦
-設備破壊数に応じて報酬追加

「こちらベイラム実働部隊 レッドガンのリオ・グランデだ。
 アーキバス先進開発局の保有する、強化人間実験施設を破壊したい。
 俺が西側から、雇われは東側から侵入し、中心部で合流する。

 中央のジェネレータが施設の心臓部だ。
 最悪、こいつさえ壊してくれれば作戦目標は達成って扱いになる。

 先行した部隊がセキュリティシステムを無力化しているが、
 道中にはほぼ確実に、実験体が乗せられたACが現れるだろう。
 間違っても、手心を加えようなんて思うなよ。
 ここに放り込まれた連中は、どうやっても助からない。
 これ以上人間じゃなくなる前に終わらせてやったほうが、まだ幸せだろうよ。

 以上だ。
 よりにもよって、あのウェディングマーチのご指名とはね……
 腕は悪くないと思っていいんだよな?」



『聞こえてんな、独立傭兵。ブリーフィング通りだ』

「こちらグレイモンド、問題ない!」

 峡谷の中腹に開かれたトンネルを通って侵入する。
 先行した部隊がセキュリティシステムを無力化しているため、ゲートは開け放たれている。

『俺は反対側にいる、ヘマしても助けてやれねえからな』

「大丈夫。助太刀を頼んでいる」

『言っておくが、一人分しか報酬は用意してねぇから折半だぞ?』

「構わない」


 ――俺は、仕事を通じて、俺の手の届く誰かが救われるならそれでいい。
 理想主義者のうち、望み通りにできる腕前の持ち主は滅多にいないとしても。
 他に納得できる生き方ができないから、それでも諦めきれないだけだ。

 伊達と酔狂、人助け。
 旅は道連れ、世は情け。
 この指とまれ、落ちこぼれ。
 助からなくても、前を向け。


 この依頼は願ってもないチャンスだ。
 同行したリビングデッドとスモールバケットは、ここからルートを外れて本懐を遂げてもらう。
 家族の再会を手助けするのもまた、英雄的振る舞いリストに記載している。

 企業間の利害が絡む依頼は基本的には請けないようにしているが……
 今回は例外だ。

 通信を切って、ひとりごちる。

「……俺一人でやるつもりはないさ」

 憐憫?
 ――違う。

 義務感?
 ――違う。

 端末にメモをしたリストだけでは、身の回りのそこかしこに貼り付けた張り紙だけでは決められない、胸にこみ上げる、コーラルよりも熱く煮え滾るなにかに突き動かされた。

 ――リビングデッドを見た時。
 恐怖より先に、その正体不明の感情が「彼に手を差し伸べろ!!」と強く叫んだ。

 ――ウェディングマーチから情報の開示があった時。
 疑念より先に、その正体不明の感情が「今すぐ動け!!」と腕を引っ張った。


 通信のスイッチを入れる。

「バケットさん! どう!?」

『……どうせ俺は正規の運びより、泥棒仕事のほうが適性ありますよ。身体の所有権についてご存知でしょう? 困るんですよ、現地で騙し討ちみたいなふうにするの』

 うん、元気そうだ。
 グレイモンドは安堵した。

「そっちに潜入したリビングデッドの様子は、どう?」

『……緊張しちゃってるようですねぇ。俺なんぞよりずっと強い筈なのに』

 リビングデッドは今回の作戦の要だ。
 このミッションを利用して、妻と娘に会いに行く。
 家族との再会を望んでいるなら、それを手伝うのが英雄的振る舞いだ。
 リストにもそう書いてある。



 館内放送がノイズ混じりに指示を飛ばす。
 かなり音質が悪いのは、遠くから指示を出しているのだろうか。

『侵入者は二方向、既に動き始めています。これを排除しなさい』

 どこか高飛車で陰湿な雰囲気をまとった女性の声だった。
 人を印象だけで判断してはならないのだったと慌てて思い直すも、次に館内放送で聞こえてきた言葉がすべてを決定づけた。

『……各位、アーキバスへの忠誠を見せるのです』

 ――ああ、これは。
 どう考えても、まともな相手ではない。
 今までの依頼でもアーキバスからの襲撃者はいたが、ここまで嫌な感じの声は初めてだ。

『了……解……はいじょ……侵入しゃ……』

『助けて……喉が渇いて死にそう……』

 ここの防衛を担う強化人間達がどのように使われてきたのか、その一端が伺えたような気がした。

『胸糞悪ぃ、最悪の気分だ……おい独立傭兵、さっさと終わらせて帰るぞ』

「同感」

 本命の用事が無ければ、こんな依頼を受ける事も無かったろう。
 結局のところ、引き金に指をかけた責任を取りたくないだけなのだ。
 そこから目を逸らしたところで、別の誰かが引き金を引くだけだというのに。
 胸の内で膝を抱えた臆病で頑迷な中心部分が、拒否している。

 こんな時は、敵を止めるしかない。
 ACSの限界まで負荷を与えて、システムをフリーズさせる。
 そして、放っておく。殺さない。

「……ごめんな」

 ここで見逃したところで、死ぬ時が先延ばしになるだけだ。
 ……だとしても。
 ここで命を奪うのは、諦める事と同じだ。
 リビングデッドと彼らに、なにか違いはあったか?
 ほとんど、変わらないだろう。

 奥へ進むにつれて数を増していく彼ら一人一人が、過去も現在も未来も奪われ、生き人形で在り続ける事を強制された人達だ。

 そして何より、割り切って殺すなんて、英雄的振る舞いとは言えない。
 リストにも、そのように書かれている。
 山積していく雁字搦めの自己矛盾と守りきれていない自尊心の傷跡から零れ落ちた落涙鮮血吐瀉物指、手、脚、目、そんな形をしていた何かが、きっと文字に姿を変えて、こちらを観測している。

『驚いたな。殺さずに来ているのか』

「いつか、助かるかもしれない。本当は俺が助けたいけど……」

『好きにすりゃあいいが……本命をしくじったら当然、報酬はナシだぞ』

「わかってる」

 アサルトブーストを起動。
 距離を取り、攻撃をかいくぐる。

 実験体は皆、直線的な動きしかしない。
 テスト用プログラムにも劣る。

 武装がレーザーハンドガンとプラズマミサイルしかない。
 とはいえ、これだけの数だ。とにかく多い。
 一つの施設に、これだけの数量を用意できるアーキバスという企業の巨大さを思い知らされる。


「マーチ、こちらの様子はモニターできてる?」

『うん。グーちゃんのバイタルサインが緊張で乱れまくってる所までバッチリ。こんなに大所帯でカチコミかけるのマヂうける。グーちゃんだから頑張ってねじ込んだケド、フツーなら断ってたんだからね!』

「うん、ありがとう! 無理言っちゃってごめんね。一番に、あなたの顔が思い浮かんだから……」

『……オッケー、許す!! じゃあ奮発して、敵側の通信を傍受しちゃう! それで、グーちゃんの機体にだけ特別に聞かせてあげちゃうね? 二人だけの秘密だゾ♡』

 通常、敵側の周波数は傍受できない。
 あちらからコンタクトを取ってこない限りは。
 優秀なハッキング能力を持つ者でなければ、不可能な芸当の筈だった。
 Cランクの独立傭兵が持っている事について、グレイモンドは「なんて多才な人なんだろう」と思った。

 一瞬のノイズ。
 ややくぐもった音質ではあるが、確かに聞こえてくる。
 ゲートから、同じフレームのACが3機。

『雇われの独立傭兵、目先の利益に目が眩んだようですね……エリカ、ウズラマ

 一番濃い色の機体から。先の館内放送の声だった。
 識別名、V.O エヴァレット。機体名、ウォーターコープス。

『お側に……』

 白い機体からの声。ひどく無機質な声音だ。
 識別名、E413-K09“エリカ”。機体名、エンバーミング。

『準備出来てます……!』

 青い機体からの声。緊張している?
 識別名、ウズラマ。機体名、エンターピース。

 敵側の機体は、これで出揃っただろうか。

 そして、少し遅れてリオ・グランデのドア・ノッカーが現れた。

『相手は3機か……だが目標は施設の破壊だ。胸糞悪ぃが殺り合うかどうかは任せるぞ』

 当然、殺り合いは避ける。
 時間を目一杯稼ぐ。

 グレイモンドの機体、サムワンズ・ホープは、もともとの火力がそこまで高くない。
 瞬間火力の高いものを搭載したりなどしては、やりすぎてしまうかもしれない。
 護衛対象ごと破壊してしまうかもしれない。

 時間を稼ごうと意気込んだものの、そもそも必然的に時間がかかる。
 ましてやホバータンク型が3機で、数的不利もある。


『ジェネレータ直撃……!? クソッタレ! 悪いが撤退するぞ……!』

 苦悶の声を上げ、去っていくリオ・グランデ

『ニョッキモッキ ニョッキモッキ おーはなーがくんっくんっ
 ニョッキモッキ ニョッキモッキ おーみみーがぱったぱった
 ニョッキモッキ ニョッキモッキ しーっぽーがくーるくーる
 ニョッキモッキ ニョッキモッキ あーなたーはだーあれ?』

 突然歌い始めるウズラマ

 敵は3機。
 こちらは1機と、残りはリビングデッドとスモールバケットの2人が別行動中。

『こちらスモールバケット。該当のタグを探したが、辺り一面がカプセル入りの脳ミソだし、ちょうどそのタグの物は持ち出されている! こりゃ駄目だ。帰還しますよ!』

「そう、か……」

 じゃあ生きてはいるけど、人の形は保てていないのか。
 それって、あまりにも……報われないじゃないか。

 あとは、リビングデッドを待つだけ。
 ウェディングマーチは「心配しないで、段取りはこっちで全部やっとく」と言っていたが……

 3対1……この数を、この機体で。
 はたして時間稼ぎになるだろうか。
 弾切れを狙う?
 それを許してくれる相手ではない。
 少しでも牽制をして、遠ざけねば。

『まだ歯向かうつもりか……。 貴様はここで処分する』

 迫りくるエリカ。



『――ちょーっと待ったぁー!』



 聞き覚えのない女性の声だった。
 息を切らせながらも、叫ぶような声音だった。

「……誰!?」

 グレイモンドの疑問は、すぐに氷解する。


 機体はデッドストック。
 つまり、先程まで別行動をしていたリビングデッドの機体だった。
 コックピットハッチが開くと、リビングデッドの首元にナイフを突きつける女性の姿があった。
 揺れるコックピットの中でナイフとはまた危なっかしいが、あえてそれをやるというのはつまり、相当な手練という事か。
 グレイモンドでも、流石にそこを侮りはしなかった。

ステラという元独立傭兵は聞き覚えない?』

「ごめん! 誰!?」

 一瞬、ステラと名乗った女性はひどく悲しそうな表情をしたような気がした。
 が、そのような些事に気を取られている余裕などないのだ。

『……投降すれば命までは奪わない。私については帰ったら調べてみて』

 そんな甘い対応で大丈夫なのだろうかと、思わず自身を棚に上げてしまった。
 また、ガリガリとノイズが入る。おそらく、あちら向けの通信に切り替えているのだろう。

ウズラマ、しっかり狙ってて。そいつが逃げないように』

『……うさぎさんのおかげで、くまさんはみんなとおともだちになれたんだよ? ちゃんと、ありがとうっていおうね?』

『……よし、いいぞ、そのまま! それで、エリカ! 私の隣にいる、この男に見覚えは!?』

『……その腐りかけの死体をお嬢様に見せるな。目に毒だろう』

 ひどい言い草だ。

『死体って……君のお父さんかもしれないんだぞ!』

『――ッ!?』

 息を呑む音が聞こえてきた。僅かな動揺を含んでいるような気がする。
 畳み掛けるように、ステラが続ける。
 今度はリビングデッドに。

『おい、あんた! ヒース・パターソニーという名前に聞き覚えは! 奥さんが透子で、娘さんが理佳って名前じゃないか!?』

 本来、その名前に辿り着いているのは、こちらであるべきだった。
 必要なピースが、均等に割り振られているような錯覚があった。

『思い出せなイ……それはそれとしテ、彼ヲ……』

『構わないよ』

 再び、通信を切り替える音。

『聞こえる? 下手に暴れられて設備に被害が出ても困る。降伏するなら、君は外まで送り返そう。従わないなら……判るね?』

「待ってくれ! それじゃあ、リビングデッドは!」

『……私は残ル。問題なイ』

「――ッ!」

『決まりだ。それじゃあ3秒以内に武器をパージして』

 言われるまでもない。
 ミサイルも、ロケットランチャーも、サブマシンガンも、レーザーブレードも、パージする。
 これで丸腰だ。

『それでいい。回れ右して。そう。そのまま、まっすぐ帰って。妙な動きを見せたら、殺す』

「わかった」

 言われたとおりに、引き下がる。

『……誰が指揮権を委任したと言うのです。捕まえて尋問すれば情報は入手できる。加工して戦力に引き入れる事だって。その機会を奪うというのですか?』

『いや、アレに設備を破壊する余力はもう残されてない。泳がせたほうがいい』


 帰路は、あんなに所狭しと並んでいたAC達が消えていた。

 こんな筈じゃなかった。
 リビングデッドの家族を回収したら、脱出するという手筈だった。
 腕が足りない。判断材料が足りない。時間も足りなかった。
 賭けは、今回も負けだろうか。

 リビングデッドは無事に家族と会えただろうか。
 せめて結果を観測したかった。
 そうであれば痩せ細っていく自尊心を、少しは満たせたかもしれなかったのに。


リビングデッド……」

 ヘリに回収され、施設の出入り口が遠ざかっていく。

「俺は、なれたか? あんたの希望に」

 どんより曇ったルビコンの空は、何も答えてはくれなかった。

 そうしてグレイモンドは、ルビコン運送の規約違反で利用停止となった。
 今回も、得るものより、失うものが多かった。



 ――この数日後。
 リビングデッドの名義で、おそらく彼の全財産と思しき金額が振り込まれた。
 それはすなわち、彼が本懐を遂げながらこの世を去った事を意味していた。

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投稿者 冬塚おんぜ
最終更新:2024年01月04日 00:06