ルビコン解放戦線。
アイビスの火以前からルビコン3を居住の地とする者やその子孫らが、自分たちを抑圧する惑星封鎖機構、そしてルビコンに進駐して資源や土地を食い荒らす企業勢力に対して、力をもって対抗するために結成された武装組織である。
現在、指導者たるサム・ドルマヤンはその精神に異常をきたしていると判断されており、実質的な指揮は帥叔と称されるミドル・フラットウェルが担っている。
「やはりラスティを失ったのが手痛いか……独立傭兵に、ここまで頼らねばならぬとは。」
フラットウェルは机上に広げられた地図と、そこに広げられた駒の盤面に難儀する。現在、解放戦線はザイレム会戦とそれに伴う地上戦で撃退したアーキバスを追討する立場にある……はずだった。
しかし想定より早いアーキバスの戦力再編と、予想されていなかったベイラムの再進駐により、戦況は先の戦い以前のような三つ巴に逆戻りしつつあった。
それでも以前の状況を考えれば、企業勢力と三つ巴を張れるだけ大きな躍進と言えるだろう。しかし同時に戦力は充実しているとは言い切れず、このままでは掴み取った結果もいずれは元の木阿弥となってしまう。
それ故に、今は解放戦線も同志を集め戦力の増強を図りつつも、塞がらない穴は独立傭兵という同志でない戦力に頼らざるを得ないというのが実情だ。
ふと、1人の傭兵の姿が脳裏に浮かぶ。灼けた空の上での戦いぶりが、彼らを奮い立たせ、勝利を手にすることができた。その力をもう一度貸してはもらえないか────
そう考えているところに、急の報せはやってくる。
「入電です!ガリアで訓練中の部隊が、所属不明のACの攻撃を受けたとの報告が!」
駆け込んできた同志の様子を認めて、それが大事であると察するフラットウェル。動じる様子はないが、内心それが厄介事だという点は無論理解している。
一方その隣では、必要以上に狼狽える者がいた。諜報や渉外交渉など後方での様々な任務を担う同志で、アーシルと呼ばれている人物だ。
「ダムではツィイー達がシュナイダーACの訓練をしていたはず……被害状況は!?」
「それが……不意打ちで攻撃された機体を除いて、大した損害はありません。敵もすぐに撤退したようなので……」
あまりに拍子抜けする報告内容に、フラットウェルはその大袈裟な様子との落差で溜め息を吐く。一方アーシルもアーシルで、安堵から大きく息を吐き出した。
「む……被害が少なくとも、無視はできん。企業が戦力建て直しの最中である以上、奴らが差し向けた陽動や撹乱である可能性もある。一時訓練の規模を縮小し、全ての同志に警戒を強化するよう伝えろ。」
フラットウェルから指示を受けると、駆け込んできた同志は伝令として部屋を駆け出していく。アーシルはすぐさまガリアとの連絡を取り、詳細な被害状況を確認していた。
「赤い、AC……?ああ、分かった。報告ありがとう。それと無事でよかった、ツィイー。しばらくは気をつけてくれ。コーラルよ、ルビコンと共にあれ。」
元はと言えば、ガリア多重ダムで彼らの同志が訓練していたのも、企業勢力に対抗するためである。ようやくシュナイダーACの生産体制が軌道に乗りつつあり、あとはパイロットの養成という段階で受けた襲撃。偶然より必然を疑う方が自然だ。
アーシルはツィイーと呼んだ通信相手との会話を終え、本来の業務に戻る。そこには幾許かの名残惜しさも含んでいたが、他方これきりで事が済んでしまえば、それ以上の吉報はない。
故に同志──あるいはそれ以上に大切な存在──が無事であることが判れば、とりあえずは一息つける……そう彼が思った矢先であった。
『BEEP!BEEP!BEEP!』
不明機接近の警報が鳴り響く。赤いACの件に気を取られた隙に、本来の監視網の内側に侵入されていたようだ。アーシルらは自分達の失態を反省しつつ、拠点防衛に就いていたMT部隊に戦闘配置を呼びかけ────ようとした瞬間、広域チャンネルからの通信だ。
『こちらは独立傭兵の
MBイレーネ。戦闘の意思はありません。繰り返します、戦闘の意思はありません。貴君らの指揮官との面会を所望します。……所属不明の赤いACナインについて、我々には情報があります。』
その呼びかけは平易で丁寧、通常なら発言内容からして疑うことは考えにくいものである。……だが。
「赤いAC……何故それを!?まさか、奴はガリアを襲った機体の仲間か!すぐに迎撃を!」
アーシルの呼びかけに呼応して、MT部隊が一斉に発砲を開始。派手なマゼンタに彩られた《ブレインクラッシャー》に弾幕が集中するが、跳躍によりすぐ虚空への弾幕に変わる。
「…………なんでこうなるんですかね?こっちは戦闘の意思はないって言いましたよね!私の機体、峰打ちとか器用なことする気無いんで困るんですよ!どうしてくれるんですか!アホですか!?」
両手に2種類のバズーカ、肩にはグレネードキャノンの拡散バズーカ、おまけに高い跳躍能力の副産物として強力な蹴り。《ブレインクラッシャー》の攻撃はいずれも威力に特化した物であり、手加減は効かない。
敵対の意思を持たないイレーネとしては、それ故にMT部隊の猛攻をただ避け続けるしかないのだ。幸いACや四脚MTのような強力な機体は確認できず、MTの弾幕を避けるだけならどうとでもなるのが救いか。
『攻撃の意思はありません!赤いAC、ナインについて情報の共有を行いたいだけです!攻撃を中止してください!』
「敵の虚言に惑わされるな!攻撃を集中しろ!」
今は拠点の管制官を担うアーシル達の指示は変わらない。イレーネの根か、MT部隊の弾薬か。どちらが先に尽きるかの我慢比べに終わる気配はなく、双方の苛立ちだけが募っていく。
しかしその状況を終わらせたのは、どちらの限界でもなかった。格納庫から飛び出した、1機の機体。
MT部隊は目立つ敵機に近づくその機体を見て、全機が思わず発砲を止める。まるで射線を塞ぐように位置取ったその機体は、フラットウェルのAC《ツバサ》であった。
「こちらはルビコン解放戦線のミドル・フラットウェルだ。今一度確認させてもらう。お前に我々を害する意図はなく、ただ情報の共有を求めている。それで間違いないか?」
『さっきからそう言ってるんですけど!今は企業からあんた達を襲えとか、そういう任務受けてるわけじゃないんですよ!本気で脳味噌ぶっ壊されたいんですかこの人たち!』
「とのことだ。各機、攻撃を中止。所定の通りに補給を済ませ、配置に戻れ。……疑心に駆られて焦れば、それこそ企業の思う壺だ。冷静さを失うな。」
フラットウェルの号令は、焦って攻撃指示を出したアーシル達に深く刺さる。仲間想いの固い結束は時に士気を高める好材料になるが、一方仲間を守らんとして視野を狭める恐れもある。元がゲリラや民兵上がりに偏る彼らの弱点、あるいは悪癖と言えるだろう。
何はともあれ、イレーネは事態が収拾したことに一息つき、回避行動のために急遽起動した戦闘モードを解除する。次いでコクピットを降り、搭乗者が地面に降り立った時には、既に彼女を疑う者はいなかった。
「こちらの不手際で迷惑をかけたことを謝罪する。申し訳なかった。」
「すまない……良くない報せが入った直後で気が立っていたせいで、早とちりをしてしまった。必要であれば、機体の修理等は我々で引き受けたい。」
フラットウェルとアーシルが、イレーネに対して平謝りのような形で詫びを入れる。それに対してイレーネの反応は、戦闘モードの時に比してかなり冷静で丁寧なものだった。
「こちらこそ武装の解除か、せめて白旗の携行くらいはしておくべきでした。配慮の不足をお詫びします。機体に関しては大した損傷もありませんし、そのままでも問題はありません。それで、所属不明ACの件についてですが……」
本来の用件に戻ろうとして端末を取り出すと、アーシルから「待ってくれ」と制止がかかる。そしてイレーネがやろうとしたことと同じ動作で、画像を映した端末を差し出してきた。
「先ほど、同志から映像が届いた。もしかして、あなたの言うナインとは、この機体のことじゃないだろうか?」
先走るアーシルを静止しようとしたフラットウェルだったが、流石に今度は判断を間違えているわけでもなかったので、出かかった言葉を飲み込みつつ、イレーネの反応を2人で待つ。
差し出されたアーシルの端末に目を落とした彼女は、その映像と何度も睨めっこを繰り返し、拡大や縮小を何度か行い、その間に目まぐるしく表情を変えながら、最終的にため息を吐いて、2人が待つものを出す。
「詳細はともかく、現在私たちが追っている機体は……良く似てはいますが、その機体ではありません。」
机上に返された端末に映された画像。そこには赤と黒に彩られたACが、青い単眼を輝かせていた。
とある入り組んだ路地の中で、そのACの画像を見せる者がいる。
「それで最近噂になってるんですよ。レッドガン本隊の生き残りって言われてるパイロットが、この赤いACで傭兵を襲ってるって。」
金や名誉を求める者達、あるいはそういう人間を娯楽として楽しむ者達、そしてそれに紛れて死んだように生きていく者達。そんな変わり者達が流れて集う、ここは
グリッド051。
ここでは謀略渦巻く企業と解放戦線の争いは縁遠く、力を以て己を示すしかない。故にここにはあらゆる人間が集っては去り、その残香を大多数の中に紛れて残していく。
この独立傭兵が語る赤いACの話も、誰かが持ち込んだ残香の一つ。それらは誰かに染みつき、やがて新たな来訪者に移り、それを繰り返して長く残留する。今も傭兵はある男に、その残香を擦り付けようとしているのだ。
「なるほど……それはお互い、気をつけなければ。」
では、その語りを聞く者は何者か。
薄汚れた様相とそれなりに立派な図体は、一見流れのドーザーか何かを連想させる。だがトレンチコートにハンチング帽という格好は、それらにしては少し整いすぎているというか、文化の匂いが強い。
そして、喋り方には節々に風格、あるいは経験が滲み出ているが、表面的には至って紳士的。それが逆に怪しさを感じるという者はいるだろうが、少なくとも個別の事情を除けば、これで激昂するような者はいないだろう。
そういった情報を、一々じっくりと検分しているようでは三流だ────そんなことを彼は考えつつ、赤いACについて語った傭兵と別れる。実際その傭兵も目の前の彼について考えるにあたって、そういう外形的な情報ばかり意識していたのだから、実際三流だ。
その答えは、彼が言い放った「お互い」という言葉にある。独立傭兵に対して「お互い」などと言えば、その時点で彼は傭兵もしくは企業所属のパイロットであることが明白となる。
時に、コンテクストという組織はそういう雑多な情報溢れる中から、重要な“文脈”を正確に抜き取るために存在する。そういう組織に仕立てたのは代表
アダマントの意向と、そして彼────
アーノルドの手腕。
「三流の情報に精度を期待しても意味ないか……騙したい訳でもない善意だろうが、真相じゃあないだろうな。」
薄汚れた格好が似合うように振る舞いながら、アーノルドは路地を歩く。
外観情報の混雑は、分かる者には素性を隠していることが露呈するものの、正体そのものを掴ませない意味での変装としては十分だ。増して分からない者には何も分からないのだから、今この場に彼がコンテクストのアーノルドだと分かる人間は一人といないだろう。
そんな彼が次に接触したのは、強化人間と思しき青年だった。古臭いパイロットスーツからは粗末な義体がわずかに覗いており、アーノルド同様小汚い身なりには旧世代型のようなレトロ感が滲んでいる。
「久しぶりだな、アリーナの調子はどうだ?」
「振いませんね、どうにも微妙な感じで勝ちを逃すことが多くて。そういうあなたはどうなんです?最近の稼ぎは。」
彼はアーノルドの知り合いらしく、話題も取り留めのない近況報告だ。このグリッドではそんな会話を一々気にする人間はおらず、大衆の注目はより大きな、あるいは面白い情報にばかり向いている。
「賭けは当たらんし、シノギも時化てる。細かい稼ぎはないこともないが、それだけでやっていける程、ここは甘くないだろう?」
アーノルドもまた、強化人間の青年の同様に近況が芳しくないことを伝える。その距離感はあくまでただの知り合い。コソコソと談義している訳でもなく、内容も平凡となれば、その存在を認識はされても、記憶されることはほとんどない。
そう、それはグリッド051という環境において、ある意味では平凡すぎてあまりにも異質。だがそれに気が付けるほどの注意力がある人間もまた異質であり、少なくとも彼らの周囲には存在しなかった。
「じゃあまた何か稼ぎの種があれば連絡してくれ。せこい商売ばかりやっててもつまらんしな。」
「そっちこそ、良い任務あったら回してくださいよ。アリーナよりそっちの方が楽なんですから。」
そんな形で二人は別れ、また雑踏の中の独り同士に戻る。こうして彼らの残香は途絶え、二人が会話したという事実もまた、忘れ去られていく。こうしてグリッド051は、いつもと変わらぬ日常を続けるのだ。
それからしばらく時間を置いて、強化人間の青年はACに乗ってグリッド051を後にした。迷彩柄に塗られたその機体の右肩には『Sc-02』という表記が、左肩にはその所属を表すロゴが描かれている。
その少し前にはよく似た機体が同様にグリッドを去ったが、やがては混同され、1機の迷彩ACが去ったという記憶に書き換えられるだろう。
「お互いに確度の高い情報は無し。噂レベルの話はあるけど、真実とは考えにくい、か……これは、師匠と一緒にもっと色々調べないといけないかな?じゃ、合流急がなきゃ!」
《スカウト02》の自動操縦に身を委ねながら、青年は符牒を照らし合わせて今後の行程に心を躍らせる。コクピットの中であれば、グリッド051に溶け込むためのペルソナはもはや必要ない。変装のために汚した肌を拭いながら、彼はジョン・トゥーへと回帰していった。
所属不明の赤いAC、ナイン。その噂は徐々に傭兵や各勢力に浸透しつつあり、そして幾許かの違和感を孕んでいる。
関連項目
- MBイレーネ
- ミドル・フラットウェル - レイヴンと交戦した際に破壊された乗機《ツバサ》は修復されている
- アーシル - 本作では解放戦線主要メンバーはラスティ以外全員生存している想定で進行されています。
- グリッド051 - アーノルドとジョン・トゥーが情報収集のため潜入した先
最終更新:2024年01月04日 22:11