ヴェスパー・ヴェリファイの格納庫の隅で
バーンズは頭を抱えていた。
彼が椅子に座って操作しデータを表示しているのは、シュナイダーのエンブレムと社名が刻まれた機材であり、表示され再生されているモデルを見る限り戦闘時の機体動作系を再現するもののようだった。
シミュレートされているのは
V.V イレヴンの機体アイスブレーカだったが、機体が急激な機動を見せると機体表面にまとわりつくように緑系統の幕が現れ、かすかにあちこち赤い色が点在している。
バーンズはそれを見ながら別の画面になにかのデータを打ち込み、さらにシミュレートを再開してまた同じように赤い点が見えると一時停止し、再度頭を抱えてまたデータを打ち込む。
その動きがいちいちコミカルなので、後ろでそれを観察している
V.V リヒターは見ていて飽きなかった。癖のある黒髪の軟派そうな男がコミカルな動きで真面目に仕事をしているのだから、面白いったらない。リヒターは、イレヴンと
V.O ヴァージニアがなにやら二人で遊んでいるので、今日は肩から力を抜いてのんびりできると思い、サーモマグに珈琲をなみなみに淹れてぶらついていたら、この一人コントを発見した。見続けてだいたい十分は経ったと思うが、一向に
バーンズがこちらに気づく気配は無い。それもそれで面白い。
とはいえ、さすがにこれだけ後ろから何か仕事をしている様子を観察していると、
バーンズがなにをそんなにキャラに似合わないほどに真面目に仕事をしているのか気になってくる。ここまで真面目に仕事をされていると珈琲の一杯でも持っていきたかったが、生憎と手元には自分のサーモマグしかなかった。リヒターは足音を極力出さないように静かに近づいていく。真後ろまで来たところで、
バーンズがこちらを面倒くさげに一瞬振り返り、またモニターに目を向け、瞬時にまた振り返る。見事な二度見だった。
「うっわびっくりした! 男が背後にケツとって忍び足とかどんなホラーだよ笑えねえよ!?」
格納庫に
バーンズの声が響き渡るが、大抵のことで
バーンズは声が大きいので整備士もノーリアクションだ。
そういうところも含めて愉快な男だとリヒターは口端を上げ、サーモマグの珈琲を飲む。
「こっちは大分愉快だったぞ、
バーンズ。お前の動きがいちいちコミカルでな」
「そっちが愉快でもこっちはケツの心配で縮み上がっちまったよ。俺はそっちに興味ないの」
「そうかい。で、キャラに似合わずなにをそんなに弄り回してるんだ?」
「見てわかんない?」
「戦闘データが元になってるのは分かるな」
「んまぁ、あんたの腕前でなんか気づきがあるかもしれんから説明してやっかぁ……」
項を右手で揉みながら左手を腰にあて、
バーンズはリヒターがモニターのシミュレーションを見れるように体をどける。
「アイスブレーカだな?」
「そうそう、イレヴン坊やのアイスブレーカ。この前、新造したアルバに換装したアイスブレーカちゃんよ」
「急激な機動の際に出るエフェクトは……空気の流れか」
「大当たりだけど景品は出ないぞ、あんたが大人の男だから。んまぁ、見ての通りの空気力学だ。シュナイダーお得意の」
「カラーエフェクト通りなら良い線行ってるように見えるな」
「実用上問題はないってレベルっちゃレベルだよ。問題はイレヴン坊やの化け物じみたスキルの方で、それに機体を合わせにゃならんってことよ」
「面倒そうだ」
「珈琲飲みながらさらっと流されるとモチベーションがん下がりなんだが?」
「俺の仕事じゃないからな」
「そうだけどもうちょっと労ってもバチは当たらねえよ?
バーンズさん頑張ってんだから。まったくもう、頼むからそのマグを精密機器の上に置くんじゃないぞ」
唇をとんがらせてジト目でリヒターを一瞥し、
バーンズは再びシミュレーションを見ては一時停止してなにかを打ち込む作業に戻る。
こんなコミカルで愉快な男の
バーンズだが、彼はシュナイダーからの出向技師兼アーキテクトで、アーキバスの強化人間部隊、オリジナルのヴェスパーの第4部隊に所属していたのだ。
空力狂いのシュナイダー社のメカニックとしてはかなりまともな部類だと、リヒターは思っている。それは
バーンズが自ら組み上げた機体、フローズンダイキリを見ればわかる。こんな愉快な男だが、根にある真面目さはどうやったってあちこちに見て取れる。本人は破天荒で軟派であろうとしているし、それにリヒターはたまに振り回されることもあるが、そこはまだ無視できる範疇だ。
珈琲を飲みながらシミュレーション画面をリヒターが眺めていると、アイスブレーカ以外の機体名がタブにあった。どれもこれも、エルカノとシュナイダーのパーツを合わせた機体だ。まめなことにアイスブレーカ以外の機体は緑色のチェックマークが付けられている。
「本当に便利な男だな」
「それもこれもスパイ容疑でアーキバスの豚小屋にぶち込まれた賜物さ。ねえ、なんで
ライスリングが裏表がない性格だからって先に娑婆に戻れたのか謎過ぎると思わなーい?」
「俺が
サリエリと同じ立場でも同じ選択をしただろうな」
「あーっそ……
バーンズさんポイントマイナス45点」
「技術畑のパイロットがいると機体の調子の心配をしなくていいのは助かる」
「分かりやすい愉快な男で助かる」
「うーん? ……それはちょっとなんか審議必要だなぁ?」
「そういうこともある」
控えめに笑いながらリヒターが言えば、
「笑うなってこっちは真剣に仕事してんだからよぉ……って、あら、親子そろって?」
バーンズは不満げに唇をさらに尖らせ、そしてリヒターの肩越しになにかを見て声を上げる。
嫌な予感がしつつもリヒターが振り返れば、親子のように仲良く手をつないだイレヴンとヴァージニアがいた。
銀髪と褐色に碧眼という特徴が同じ二人が並ぶと、どうしても仲睦まじい親子に見えるが、片やアーキバスの女帝にして完成された強化人間、片や頭のおかしいシュナイダーの生み出した第11世代強化人間。背景を知っているとこの二人が並んで歩いているだけでなかなかゾッとする光景なのだが、どうやら
バーンズは背景を知っていても親子だとか言える類らしかった。
「どうもー。ちょっと楽しく遊んでたら時間を忘れちゃったわ」
「リヒター、やっぱりヴァージニアはすごいぞ。すごくすごく攻めにくい!」
「あらあら、誉められちゃった」
今にも跳ねまわりそうなイレヴンとにこにこと嬉しそうなヴァージニアを見て、リヒターはどう反応すればいいのか悩み、後ろの
バーンズはうんうんと腕くみしながら頷く。
そしてイレヴンは
バーンズが掛かり切りになっているシミュレータの映像を見て、今度こそぴょんと飛び跳ね、ヴァージニアの手を振りほどき、リヒターの横を通り抜けて機材に飛びつきそうな勢いで
バーンズの隣に停止する。
「背中の変な感じのやつだな」
シミュレータが動いていないのに、イレヴンがそう言った。
そうそうと引き続き首肯していた
バーンズは一瞬首を傾げ、跳びあがった。
バーンズらしい大げさな反応だった。
「えっ!? 分かるの!?」
「ああ。でも背中の変な感じ以外はパーツを変える前よりは良くなってたぞ」
「そりゃあ新造にあたっていろいろ変えたから良くなってなくちゃ困りモンよ。背中の変な感じはあれだ、ブースターの推力で消し飛ばせると見積もってた渦が指向方向によっては一部残るからだ。良いかイレヴン、空気ってのは水と同じで流体なんだぜ。んでナハトライヤーと違ってアルバはそこら変、結構粗削りだから空気がたまにダマになんのよ」
「これ直すのか」
「背中が変な感じしてたら嫌だろ? 俺だったら嫌だね!」
「今のままでも私は最強だが、もっと強くなれるなら文句ないな!」
「よーしよし。空力の男の
バーンズさんに任せなさい」
「その割に
バーンズはいつも踏み込みが足りないけどな」
「うっわこのガキ、ピンポイントで人様の急所つくねぇ……ちなみに今のは
バーンズさんクリティカルだ」
親戚のオジサンと話してる子供のような二人を見つつ、リヒターは振りほどかれた手を握っては広げているヴァージニアに歩み寄る。
それは単にイレヴンから距離を取るという意味もあったが、もう一つ確認したいことがあったからだった。
「うちの怪物とは今日が初対面じゃなかったか」
「嫌ね、リヒター。人には名前があるものよ。呼べるうちに呼んでおくべき名前が」
「初対面であそこまで仲睦まじくなれるとは羨ましいことだ」
「あら、答えてくれないのね。いいわ、話してあげる。実際に会うのは今日が初めて」
「ならどうやった?」
「あの子が試験管の頃に私と私の戦闘データは何度も戦ったのよ。主な戦闘データの持ち主で生きてて、あの子のお眼鏡に叶うのが私ってだけ」
「大した自信だな」
「いじけないでね? 自信を持つことと身の程を知ることは排他ではないのよ、リヒター」
「助言と受け取っておくよ。なんならアレも引き取ってくれれば楽になる」
「イレヴンよ、リヒター」
すっとヴァージニアの目がリヒターを見る。口元は笑っているが、目が笑っていない。
「あなたがどう思おうとあなたの勝手だけれど、私の前では名前で呼んで」
「その目はやめてくれ、肝が冷える。了解だ」
「あらあら、怖がらせちゃったかしら」
「そうやってわざとやってるところが空恐ろしいな」
「伊達に私も女帝って呼ばれているわけじゃないの」
ふふふ、と微笑みながら、ヴァージニアはリヒターの胸元を人差し指でつっついて、イレヴンと
バーンズの方へ混ざりに行った。
それを見守るでもなく、リヒターは踵を返して格納庫から出た。
サーモマグの珈琲が空になった。リヒターは今、熱い珈琲が欲しかった。
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最終更新:2024年01月06日 20:26