国々に報復し、諸国の民を懲らしめ、王たちを鎖につなぎ、君侯に鉄の枷をはめ、定められた裁きをする。
―――詩編149章7節から9節頭
ヒアリング・ルルーアンは、声を見ていた。星の空に広がる囁きを、呟きを、呻きを、雪の粒と同様に見ることができた。
それは、人とは違った思考形態を持つもののように思えた。赤く瞬く火花のような声が、荒涼としたルビコンの大地を覆っている。さまざまな意識、あるいは波長が遍在し、互いに関係性を持つことなく点在している。すべては同じところから産まれ出づるというのに、それは生まれた瞬間にすべての関りを失い、ただただ虚空に存在する孤独な声として存在するだけとなる。体もなく目もなく耳もなく、ただ虚空の中に存在する延々と同族と平行線を進むだけの存在だ。人とは違うからこそ、人とは違うゆえに、それは同族との対話の術を持たない。二つの波がぶつかりあえば、それは互いを打ち消してしまうように、交わってはならないのだろう。
ルルーアンはそれらを、決して悲しい存在だとは思わない。ただただ、それは孤独で、孤独にあるが故に無自覚に繋がりを、縁を求めている。虚空の中に存在意義を求め、それ故にさまざまな波が存在する。怒り狂う波があればさざ波もあり、感情に振り回される渦潮もあり、白波を立てて存在を誇示する波もある。それらすべてが孤独を背景に持ち、それらすべてが声を持つ。ただそれは声を発するための器官が存在しないだけなのだ。
それは、人という種族から見れば未だに成熟していない生命体だと言えた。それはただの波形であり、集まりのように見えて個々に点々とした纏まりのない集団に過ぎない。星の意思にしてはあまりにも小さすぎ、生命体として見た時にはあまりにも孤立している。これを生命体というのならば、人間というのは生命体の集合体であり中枢意識がそれを支配していると言える。それは未だに中枢意識を有しておらず、ただ意識を発芽させた細胞塊があちこちに散らばっているだけに過ぎない。
だが、だとしても、その在り様だからと言って、慈悲を掛けぬ理由になりはしない。
たとえその赤い瞬きが、己が脳を焼き蝕むとしても。
『おめでとう! 君は今から僕ちんのお嫁さんだ!』
そして、声がした。鼓膜を震わせる声にルルーアンの意識は覚醒し、酷い頭痛と鉄錆の味が鈍痛と共に押し寄せてくる。
自分は今までなにをしていたのか、頭を思い切り殴打して痛覚で無理やり頭を覚醒させる。ここはACのコクピットで、自分はベリウスの雪原で戦闘中だった。そして、発作が来た。
それがルルーアンの覚えているすべてだった。痛む身体を動かして機体の視覚だけでも再起動させれば、相手の姿が見えてくる。
赤いRaDの重量逆関節機がそこにいる。塗装は禿げ、みすぼらしい。先ほどの声はこのACのパイロットのものだろうが、その特徴的な台詞から相手が誰かは分かった。ルルーアンが
オオグチから聞かされている、ルルーアンが気を付けるべき相手の中にその名前がある。
「献身的な……愛妻家……ですか」
『おやおや、僕ちんのことを知ってるなんて勤勉なお嫁さんだ!』
「AC……サープラス」
『僕ちんのACのことまで知ってるとはますます勤勉だ! 解放戦線にもまだ知能がある女性がいるだなんて僕ちん驚きだよ!』
ルルーアンは息を吸い、吐く。血の味がする。
ハズバンドが何かを言っているのは理解できたが、何を言っているのかが今は分からない。発作のせいだ。何か良いことを言ってくれていたのなら、それは申し訳ないとルルーアンは思った。
両手を動かし、両足を動かす。四肢は機能する。目を閉じ、目を開けた。左目は機能する。ACとのリンクを確認する。機能する。問題はない。
位置取りは、問題だ。サープラスの重機関銃がコアに突きつけられている。この状態ではACSが立ち上がる前にコアを撃ち抜かれる。
ルルーアンの機体、紺色の軽量二脚機体であるルーフアイリスは膝をついている。サープラスの前で跪く格好だ。それは、問題だ。
『さてさてお嫁さん。そろそろそのACから降りてきてもらおうかな』
「………アイリス」
『僕ちんはそんな名前じゃないぞぉ、お嫁さん?』
「ポイント五〇」
『うーん、ショックで壊れちゃったかな?』
「やれ」
バチリと、赤い閃光が瞬くとサープラスの動きが〇.五秒止まる。
同時に、ルルーアンは瞬時に左腕のレーザーダガーでサープラスの重機関銃を破壊した。
左のブースターを全力でふかすと同時に左腕で殴りつけるような動きで、一閃。銃身交換を前提とした武器なので、機関部を溶断。バックブーストで後退し、左腕をパルスブレードに換装。
ルルーアンは、呻く。視界が赤い。頭が痛い。体が、神経が、熱い。しかし、それは屈する理由になりはしない。
『ぐ、ぬぬぬ! ハッキングなんて姑息な手で、よくも僕ちんのHMGを!!』
「……あなたの悪名はよく聞き及んでいます、ハズバンド」
『今更何を言おうたって僕ちんの機嫌は取れないぞ!?』
「ふふっ……」
ああ、ようやく、とルルーアンは微笑む。ようやく、声の意味が分かってきた。
息を吸い、息を吐き、目と耳から血を流しながら、ルルーアンは目の前の男に言った。
「機嫌を取ろうとは思っていません。ただ、一つ聞いておきたいことがあったんです」
『なんだ!?』
「―――贖罪を、する気はありませんか?」
ぱちり、と赤い瞬きと沈黙があった。
返答はミサイルだった。四連ミサイルとクラスターミサイルがサープラスから撃ち出され、ルルーアンは機体を操りミサイルを避け、しつこいクラスターミサイルめがけてアサルトブースト。
パルスブレードでそれを、斬った。背後に爆風の感覚を感じながら、ルルーアンはRaDのスタンランチャーを乱射するサープラスを見る。弾丸に比べればそれは緩慢で、避けるに苦はない。
『く、ぐうう……!! 馬鹿かお前は!? 僕ちんがなにを贖罪する必要があるっていうんだ!!』
「あなたの手によって何人が悲しんだか、あなたは理解していない」
『それが、どうしたっていうんだ!!』
絶叫と共に、ミサイルとサープラスが突っ込んでくる。
ルルーアンは、それを見ながら静かに言った。
「知らずに犯した過ち、隠れた罪、罪とも思わぬ罪、それらすべてに基づいて、―――」
サープラスが蹴りを入れに来るのは、分かっている。
ルーフアイリスは、それよりも素早く、パルスブレードでそれらを斬った。
パルスの光がミサイルとサープラスをまとめて袈裟切りにし、ルーフアイリスの左腕にレーザーダガーが装着され、さらに、一閃
サープラスの頭部が千切れ飛び、雪原に転がった。地面に着地したサープラスは、後ずさる。
ルーフアイリスは、赤い閃光を纏いながら一歩前へ足を踏み出す。
「―――私はあなたに、報復する」
『ひっ、ひぃぃぃぃぃ!!』
瞬間、サープラスは跳びあがって反転し、アサルトブーストで一目散に逃げて行った。
呆気に取られてそれを見ながら、ルルーアンはふうと息をつき、咳き込み、そこでようやく、自分が血塗れだということに気づいた。
全身が酷く痛み、熱い。それを紛らそうとコクピットハッチを開けようとした時、赤い波長の声が見えた。
『それはよくないです、ルルーアン。あなたが凍死してしまいます』
その声は頭の中にだけ見ることのできる声だった。
ルルーアンはハッチを開けようとした手を止め、ぐったりとその背をシートに預ける。
喉に感じた違和感に咳をすれば、今度は咳に血が混じっていた。
『解放戦線へ救難信号を出しておきました。程なく援軍が到着するはずです』
「ありがとうございました、アイリス。あなたがいないと、私はもう満足に戦えないみたいです」
『……あなたは、不思議な人ですね。殺して当然の相手だったと思いますが』
「殺すのは、簡単ですよ。いつだって、どこだって」
体の痛みと熱に耐えながらルルーアンは一人、言った。
「……なら、そうしない選択も、またあるのだと、……私は思いたいんです」
『それは、理想論です』
「ええ……、理想論、ですよ。でも、理想のないお話なんて、つまらないでしょう?」
『………』
ルルーアンは苦しみながらも微笑み、そしてため息に近い音を見た。
あきれているのか怒っているのかは分からないが、彼女がアイリスと呼ぶものは発した。
『あなたは、本当に不思議な人ですね』
「ええ……、私は、そういう人間……なんですよ……」
目が霞み、意識が遠のく予感があった。
ルルーアンは体を起こして、一度周辺のスキャンを行う。敵も味方も、誰もいない。
シートに体を預けて、ルルーアンは静かに息を吐く。
「アイリス………私は少し、少しだけ、眠ります」
『よく休んでください。あなたの体の状態は、あまりよくありませんから』
「そうみたい、ですね」
みんなそう言うんですよ、とルルーアンはぼそぼそとつぶやくように言って、静かに眠りに落ちた。
ルーフアイリスはしばらくそのまま、雪原に立ちすくんでいたが、システムが通常モードに移った。
機体は定型通りの音声で「搭乗者の意識レベル低下。退避行動を取ります」と言って、ゆっくりと踵を返して歩き出した。
関連項目
最終更新:2024年01月08日 21:51