「ヴァッシュ。問題が発生した」
ザイレム下層、機関エリアへ落着したヴァッシュに、
修理資材を満載したシェルパを手配してくれた
ヴィルが齎した不穏な報せ。

「アシュリーの様子がおかしい。
チャティの機体を破壊して、姿を消している。
嫌の予感がする、お前の方で連絡は取れないか」
チャティ自身は、コアブロックを緊急離脱させて
無事だったことが不幸中の幸いだった。
「なんだってまたそんな・・・」

そこまで呟き、ヴァッシュの脳裏に最悪の予感が閃く。
「当たりだよ!ヴァッシュ、また会えたね!!」
こちらから通信するまでもなかった。
アシュリーの声で語られる、知らない誰かの言葉。
いや・・・正確には、初対面ではない。
「・・・いつからだ??」

「えぇ・・・気づいてなかったの?
ずっと、一緒にいたのに??」
無邪気な声音だが、ヴァッシュの胸を抉る皮肉は
おそらく意図したものだろう。

アシュリーに取り憑いた敵性Cパルス変異波形は、
やはり消滅してはいなかった。
この最悪のタイミングを狙い、ずっと息を潜めていたのだ。
「ヴァッシュは、戻ってきてくれるって信じてたよ!
一緒に行こう。僕たちを焼き払おうとしているカーラを、
僕と、レイヴンと一緒に殺して、
この無茶な作戦を2人で止めようよ!」

そうしなければ、ヴァッシュが命を繋ぐために必要な
コーラルだってなくなるかもしれない。
ここにいる誰もが助からないだろう。
もしかすると、ルビコンそのものが
今度こそ破滅するかもしれない。

カーラが語ったコーラルの破綻にはなんら実感がなく、
対してそれを阻止するために失われるものは
あまりにも生々しく、重い。・・・だが。
「・・・それは、させねぇよ」
どうにか復旧したガルブレイヴが、
鈍い軋みをあげつつもなんとか身を起こす。

未だ共有されている位置情報を頼りに、
アリオーンの現在位置・・・右舷上層の高層居住区を
目指してアサルトブーストで飛翔する。
「姐さんは、自分の命も、チャティも、RaDのみんなも、
全部引き換えにすると分かっていてもやると決めたんだ」
目に見えるほどに濃度を増したコーラルの潮流が、
心なしか一層激しく騒めいて見える。

大きく弧を描く軌跡を引き連れ、ザイレム上空へと
飛翔したガルブレイヴの眼下、
市街地を高速で駆け抜けるアリオーンの姿を捕捉する。
「俺には、それを止めることなんてできねぇよ」
その行手を阻むべく、ボレーガンで高架を崩落させる。

「止めないで。カーラは僕たちを・・・
コーラルの存在を否定したんだよ!
今まで、散々好き勝手に利用して、
危ないと分かったら今度は自分たちの都合で
絶滅させようとしてるんだよ!?」
カモシカのように軽やかに翔んだアリオーンが
崩れた高架を飛び越え、ビルの屋根を飛び石伝いに
駆け上がり高度を稼ぐ。

「それはお前らの都合だろうが!
こっちだって、お前らに焼き尽くされるくらいなら
抵抗させてもらうぜ!」
アサルトブーストで追尾するヴァッシュの前で、
アリオーンは市街を覆う天蓋に銃撃で風穴を穿つ。
崩落する強化ガラスの破片を潜り抜け、
ガラスの天蓋の上へと飛び出したアリオーンを追い、
ヴァッシュもまたその破口から市街上空へと飛び出す。

頭上に広がる宵闇のような宇宙と
眼下に広がるルビコンの大地を背景に、
逃げるアリオーンと追うガルブレイヴの追走劇は
単純な直線速度の勝負になる。
こうなると、アリオーンが有利だ。
次第に遠のく背中に、止むを得ずヴァッシュはミサイルを放つ。
騎馬めいた敏捷な切り返しで直撃を交わすアリオーンだが、
ミサイルはその行手の足場を破壊し、迂回を強要した。

その隙に距離を詰めたガルブレイヴが
レーザーダガーを発振し、アリオーンへと斬りかかる。
「ヴァッシュならって、信じてたのに!!
なんで分かってくれないの??」
右側から迫るガルブレイヴの斬撃を、
アリオーンはレーザーレイピアで受け止める。
弾かれたガルブレイヴはバレルロールを絡めつつの
サイドクイックで逆側に回り込み
二の太刀を放つが、これもレイピアに捌かれる。

激しい剣戟の応酬の間隙を縫って、
アシュリーの声を借りたそいつは言い放った。
「レイヴンは、私たちの願いを聞いてくれたのに!!」
その言葉に含まれる事実は、ヴァッシュの太刀筋を鈍らせた。
押し負けたガルブレイヴをすかさず撃ち据える
インパクトガンの一撃で、機体はバランスを崩し転倒。
ガラス片を撒き散らしながら天蓋上を転がる。

「僕たちは、人に触れて、人を学んだ」
天蓋は終わり、眼前には目指す貯水ドームが見えてくる。
最大限の助走からの大ジャンプを見せたアリオーンが、
ドームの上空へとひとっ飛びに舞い上がる。
「人は、信じる道を違えたなら、殺し合うものだよね」
ドームを破るべく、背部の散布ミサイルを全弾射出。
「だから僕は、君たちと戦う!!」
落下軌道に入るアリオーンは、あまりにも遠く。

「───ブラストッッッ!!」
ヴァッシュは、痛む心臓に鞭を打つしかなかった。
1日に二度のイグニッション起動を試みるのは
初めての経験だが・・・
「っぐ・・・」
その負荷は、想像を絶するものだった。
過負荷に喘ぎ、不規則に暴れる心臓から送り出される
燃える血潮は血管を圧迫し、全身に紅い光が爆ぜる度に
内側から焼け付くような鋭い熱が走り抜ける。

それでも、ここで止まる訳にはいかない。
過給されたコーラルをブースターから吐き出して、
ガルブレイヴはアリオーンとの距離を強引に詰める。
「とんだ勘違い野郎だなァ!テメェはよ!!」
落下するアリオーンに上空からぶちかましをかけて、
ドームの天井に押さえ込む。

かつて、自我を奪われた時の経験を思い返し、
ヴァッシュはジェネレータに満ちるコーラルを解放する。
「人にはよ!言葉ってモンがあるだろうがッッッ!!!」
最大出力のコーラルアサルトアーマーが、
降り注ぐミサイルもドームの天井も、
そしてアシュリーに取り憑いた変異波形も、
一切合切をまとめて吹き飛ばす。

「・・・口ではそんなこと言ってさ・・・
結局、無理やり追い出すんじゃないか・・・!!」
消えゆく間際に残された言葉が
ヴァッシュの胸に重くのしかかる。
返す言葉も見出せぬまま、ガルブレイヴとアリオーンは
諸共に貯水ドームの中へと落下した。

度重なる戦闘の負荷と、イグニッションの反動に、
落下の衝撃が加わりヴァッシュは激しく咽こむ。
「おやおや。結局帰ってきちまったのかい。
本当に・・・バカな子だよ」
もう一度、どうしても聞きたかった声だ。
カーラの安否を確かめたいという一心で、ヴァッシュは
全身を苛む倦怠感に抗い、震えながらも身を起こす。

ガルブレイヴのハッチを解放して、
ドーム内の状況を確認して愕然とした。
戦闘は・・・とっくに終わっていたのだ。
床に散らばる残骸は、チャティの機体、サーカスと、
カーラの機体、フルコースのものだ。
無惨なまでに破壊された機体のコアから響く
か細い声を辿るように、愛機から飛び出した
ヴァッシュはフルコースの残骸に走り寄る。

歪んだハッチをどうにかこじ開けて、言葉を失った。
「おいおい、よしてくれよ・・・恥ずかしいじゃないか」
もう、助からない。
何人もの仲間の死に目に遭ってきたヴァッシュには、
それが嫌でも分かってしまった。

「でもまぁ。せっかく来てくれたんだ。
少し、お喋りに付き合ってくれるかい」
掠れた声で無理やりに言葉を絞り出すカーラに、
ヴァッシュは無言で頷きを返すことしかできない。

「・・・坊やには、悪いことをしちまったね。
本当はもっと、あんたの行く先を見たかった。
コーラルと人の間に立ち、それを繋ぎうる存在に
あんたがなれるなら。私たちのように、
ただ焼き払うことだけを目指す大人達とは、
違う道を切り拓くことも、できるかもしれないからね」
遠くを見つめるようなその視線には、
きっともう、何も映ってはいない。

「でもまぁ、残念ながら時間切れだ。
コーラルの本質も知りゃしない馬鹿どものせいで
破綻までのタイムリミットは繰り上がって、
結局燃やす以外の選択肢は無くなっちまった。
笑えるだろ?」
声をあげて笑い飛ばそうとしたが、口から
溢れたのはどす黒い血液だけだった。

「ああ、クソ・・・私の方も、そろそろ時間切れだ。
でも、これだけは聞いてくれるかい」
とっておきの笑い話を披露する時の、得意満面の笑顔で。

「・・・チャティがさ。笑ったんだよ。
最後に一度だけ。ビジターと戦っている最中にね。
馬鹿みたいだろ?私まで、笑っちまったよ」
自分を殺した仇のことを、カーラは嬉しそうに語った。

「なんでだよ」
一つ残されたカーラの左手を両手で包む。
「あんなにしてまで助けたレイヴンに、俺達は
裏切られたんだぞ。ずっと、コーラルを焼くために
戦ってきた姐さんの計画を、無茶苦茶にしたんだぞ」
酷く、冷たかった。
「なのになんで。あんたは、まだ笑えるんだよ!?」

弱々しく、カーラの手が握り返し、
「それでもさ。『生きてるなら笑え』だ。
 ・・・いきな、ヴァスティアン・ヴァッシュ
あんたの道は、ここからやっと始まるんだよ」
そして、力を失った。

「・・・ごめん、姐さん」
笑ってなんていられない。
レイヴンの選択を、受け入れることなどできるはずがない。
自分の存在価値を初めて認めてくれた恩人だったのに。
「俺には、無理だよ」
その命を奪った相手を、どうして笑って許せというのだろう。

託された想いに背きたくはないのに。
それでも、いや、だからこそか。
溢れる憎悪で暴れ出しそうな体を抱えて蹲り、
ヴァスティアン・ヴァッシュは声を押し殺して泣いた。

どのくらい、そうしていたのだろう。

「・・・ヴァッシュ」
亀のように丸まった背中に乗せられた手は、
目を覚ましたアシュリーのものか。

「ザイレムの動力が落ちている。
機関部のジェネレーターが破壊されたらしい。
この船は直に落ちる。脱出するぞ、ヴァッシュ」
よろめきながらも立ち上がりかけたヴァッシュを
一際大きな振動が襲う。
「これは・・・!今度はエンジンが破壊されたのか?」
誰がこんなことを?・・・考えるまでもなかった。

操縦席に飛び込んだヴァッシュが、
傷だらけのガルブレイヴを起動させる。
「待て・・・何をするつもりだ、ヴァッシュ!!」
決然と上空を見上げるその姿に、
アシュリーは湧き上がる激しい憎悪を見出した。

「決まってんだろ」
ドームに自ら開けた破口から、ガルブレイヴは
上空へと舞い上がる。
いつの間にか。ザイレムは大きく傾ぎ、ゆっくりと
大気圏へ呑まれつつあった。

動力が落ち、闇に蝕まれたザイレムの天蓋に
佇立する2体のACの機影を見て取る。
どちらも・・・見覚えのある機体だった。
片や、大破して膝をついた真紅の機体は
ヴァッシュが灰の祭壇で見出した守護神像、HAL826。
片やは・・・疑うべくもない。
コーラルを巡る戦いの道筋で、ずっとヴァッシュの
行く先々にチラついていた、ルビコンの火種。

「レイヴン・・・!」
咄嗟に飛び出しかけたヴァッシュだが、
HALとすれ違った時にふとした違和感を感じる。
それは・・・機体から溢れ出るコーラルの
悪戯だったのだろうか。
漂う紅い煌めきに触れた瞬間に、確かに感じたのだ。
コーラルに乗せられた、搭乗者の意思を。

技研都市で鹵獲されたHAL、救出できなかったハンドラー、
そしてスネイルが繰り返し口にしていた『ファクトリー』。
その全てが、一本の線に繋がる。

「そうか。あんたが」
ハンドラー・ウォルター。
独立傭兵レイヴンと共に、集積コーラルを巡る
一連の戦いの流れを決定づけた男。
肉体を失い、コーラルに散逸したその末期の意識が、
ヴァッシュの胸を深く抉る。

そして知った。
目の前の傭兵が、一体何を裏切ったのかを。
「なんでなんだよ」
我知らず、ヴァッシュは飛び出していた。
背を向け、ザイレムを飛び去ったレイヴンの背を目掛け、
躊躇わずミサイルを放つ。

背中に目でもついているのか。
容易く追撃を回避したレイヴンが向き直り、
迫り来るヴァッシュを迎撃する。
「なんでウォルターを裏切った!?
あの人が、どんな想いでお前を送り出したのか、
お前にはわからねぇのか!?」

応える言葉はなく、放たれる砲火がその返答だった。
ことここ、この場、この時に至るまで。
様々な形で伝え聞いていた、独立傭兵レイヴンの脅威。
その全てが、事実の重さをまるで
表現できていなかったことを
ヴァッシュはその身を以て思い知る。

それは、ルビコンが生んだ、名前のない怪物だった。

「ヴァッシュ!やめろ!!
お前が勝てる相手じゃない・・・!!」
アシュリーの必死の叫びを跳ね除けるように。
ヴァッシュは三度、自らの心臓を強く打つ。
「『ブラスト』ッ・・・!!!」

三度目はもう、痛みさえ感じない。
焼け付くような熱狂に苛まれる肉体を
俯瞰する精神は、驚くほど明澄に透き通っていた。
レイヴンの繰り出す猛烈な反撃の全てが、
静止して見えるほどの極限の集中。

大気を満たすコーラルの全てが
ヴァッシュの神経と繋がって、世界を読み取る指先になる。
意識の手は躊躇いなく伸ばされ、憎むべき仇敵を捕まえる。

そして。
「ああ・・・あなたにも。私の声が、視えているのですね」
確かにそれは、そこにいた。
ウォルターが見出した、ルビコンの火種。
レイヴンを狂わせ、ザイレムを堕とすに
至らしめた悪魔の囁き。

「貴方がたを裏切ることになった私が・・・
何を言ったとしても、もう届かないのかもしれません」
そう、思い定めてひたすらに憎むことができたなら。
「ですが・・・私は。
人とコーラルの可能性を守りたかった」
きっと、レイヴンが放ったその一撃を、
凌ぐこともできただろう。

「いつか。貴方ともまた、
手を取り合える日が来ることを・・・
私は、ずっと待っています」
今度こそ致命傷を負ったガルブレイヴが機能を停止する。
コーラルの赤光を、ヴァッシュそのものの血液のように
周囲に吹きこぼしながら、堕ちていく。

「もうやめよう、ヴァッシュ。もう休もう。
帰るんだ・・・私たちの、ルビコンへ」
意識を失い、重力に引かれるままに堕ちてゆく
ヴァッシュをアシュリーが抱き留める。
カーマンラインの潮流に乗って、2体のACは
緩やかに地表へと降下していく。

独立傭兵レイヴンの選択によって
未来を繋がれたルビコンが、
ヴァスティアン・ヴァッシュ
新たな物語の渦へと巻き込んでいく───



関連項目

投稿者 堕魅闇666世
最終更新:2024年01月25日 08:56