町々はさやぎてありぬ 子らの声もつれてありぬ

しかはあれ この魂はいかにとなるか?

うすらぎて 空となるか?

―――中原中也








 魔女と呼ばれた母、狂乱の笑顔、緩やかに上がる右腕とのっぺりとした拳銃、硝煙の香りと飛び散る脳漿と、空薬莢が落ち転がる澄んだ金属音。
 浅黒く日に焼けた父、皺の多い不器用な表情、筋肉のついた身体は次第に細く小さく筋張っていき、ついには病床のベッドで萎み、潰える。
 悲しみは時間が和らげるものだと語った叔父も出自のせいで袋叩きにされ、内出血と炎症で膨れ上がった肉袋になって無惨に死んだ。
 雪風荒ぶ中で生きる男たちと女たち、貧しくも踏みにじられた者たち。銃弾が飛び、砲弾が落ち、すべてが赤黒く染まっていく。


「………」


 ≪壁≫の最上層から眼下を見下ろしながら、クリシュナは脳裏に瞬く赤い煌めき越しに過去と己の内面を見つめている。
 クリシュナの生きる道には、死が転がっている。一人、二人、そしてふと後ろを見れば、足元を見れば、その身体は死体の上に立っている。
 逃げることも目をそらすこともできない。赤く赤い湿った世界にお前は立っていると自分の髪の一房が、自分の瞳の色彩がいつも物語っている。

 いつか父の故郷に、母の弄んだあの星へと願い、独立傭兵としてクリシュナは死体を積み上げた。
 そして、雪の積もった自然とグリッドの黒灰が混在する父の愛した故郷、このルビコン3という惑星で、彼女は自分の生い立ち故の宿命を理解した。
 魔女の血の流れる己の身体に、ルビコニアンの血の流れる己の身体に、赤き髪と瞳を授かったその身に、もっとも相応しき生きる意味を見出した。

 死体を積み上げながら、彼女は同志を集めていった。ルビコンの解放を願い、望み、そのためならば死を厭わない者たちを集め、選別し、ただひたすらに前へと歩み続ける。
 それが彼女の見つけた宿命だった。父にも、他の誰にもできぬことだ。死人は前には進めない。死人に未来は開けない。
 ただ生者の行進によってのみ、扉は開かれる。ただ生者の御手にのみ、旗は掲げられ意味を持つ。
 クリシュナはそれを理解したのだ。脳裏に煌めく赤い瞬きの中に。

 それがコーラルの脳の焼き付きによるものだと、彼女自身にもよくわかっている。幻覚か、あるいは現実性の乖離が生んだ夢か。
 だが人によってはそれらが天啓となり得る。縋りつくだけの意味を持つ縁となり得るのだ。彼女は掴んで引きずり上げ、旗として掲げているだけだ。
 掲げられる赤い旗は、コーラルの色であり、血の色だ。自由と競争を掲げた企業共の足によって踏みにじられ、声を声とも思わぬ悪党どもによって封殺された声の色だ。

 いかに汚らわしきを知ろうとも、いかに貧しきを知ろうとも、知っただけで彼らと同等になれるわけではない。なれるわけがない。
 クリシュナの血は半分だけがルビコニアンだ。どれだけ親身となろうとも、どれだけ心を寄せ、肩を並べようとも、己が出自と運命の糸には逆らえない。
 真にルビコンの解放がなされる時、そこに立っているのが自分でなければよいとクリシュナは考えている。それが、真に解放と呼べるものだからだ。

 それは血に汚れ、泥にまみれ、死人の灰に埋もれて、蝿に集られ血を吸われ肉を食まれ、唾棄の的となるだろう。
 自由と言う棍棒によって笑いながら殴殺され、殺しを殺しとも思わぬ畜生共によって食い散らかされることだろう。
 ついに肉は腐り骨は砕け、身包みは剥がれてこの世から痕跡すら残らぬだろう。

 だが、旗は掲げられなければならない。旗を掲げて前へと進まねばならない。それは生者にしか出来ぬ行為だからだ。
 それを笑う者は見向きする価値もない。それを悪しざまに言う者は口にする価値もない。それしか出来ぬものに、生者を名乗る資格はない。
 クリシュナは、生者たちは、世界を創るのだ。そこに大小はない。創り出すもの、生み出すものを笑う者に、使う時間などない。

 人によって繋がれ紡がれる物語によって、新しき世界は開かれる。
 物語を歩む者、物語を創る者、生者はそうして旗を掲げながら空の下に行進する。
 もはや下が霞んで見えぬ死者の山を見下ろしながら、彼女の視界に彼女の髪の一房が視界に入る。

 赤い、赤い髪が。
 赤く赤い湿った世界の表象。
 そして、掲げるべき旗の色。



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投稿者 狛犬えるす
最終更新:2024年04月30日 22:33