会議室を後にしたサヘーはパイルフィッシュを引き連れながら、勝手知ったる足取りで路地を行く。
 薄暗い通路を歩くその背中を、切れかけた電灯がちかちかと照らす。

 「さっきはよう立ってくれた」

 パイルフィッシュに背を向けたままサヘーはぼそりと言った。

 「いや、そんな…自分は」

 パイルフィッシュは嬉しさを隠しながらそう言って口ごもる。 
 ルビコンに来てから生きるために日銭を求めてあくせく働いてきた。
 縁もゆかりもない土地で誰も彼を顧みる者はおらず、日々を過ごしてきた。
 ささやかにでも人に頼まれるというのは、若者には得難い喜びであった。
 しかしそれを素直に述べるには年若い彼にはまだ気恥ずかしく思えた。

 「金のためか?」
 「自分は傭兵っすけど…」
 「まぁそれでもええ」

 また二人は黙り込んで歩き続けやがて、大きな扉の前に行き着いた。
 サヘーは扉の脇にある端末に右手をかざす。
 すると端末が指紋を認証したことを示す電子音が鳴り、扉がゴロゴロと音を立てて開いた。

 パイルフィッシュは目を細めた。

 薄暗い路地から急に明るい場所に入ったからだ。
 そこは広い倉庫を改修した場所だった。
 天井照明が部屋全体を明るく照らし、その下で直径数メートルほどもある透明なドラムを架台に乗せた装置が部屋一面に並んでいる。

 ドラムはゆっくりと回転し、その中で緑色をした植物の茎のようなものが転がっている。

 「スプラウトや」

 装置の一つを前に足を止めてサヘーは言った。
 ドラムの中では新芽を出した植物が転がされており、時折中心を通る軸から液体が噴霧されている。

 「ブロッコリーの新芽や。三日ほどで食えるようになる」

 パイルフィッシュは息を飲んだ。
 植物の緑など、久しく拝んでなかったために照明の強さも相まってまばゆく輝いて見えたからだ。

 「おまえらが集めた糞のおかげや。糞は肥しとなり、燃料となり、こうして役に立つ」

 そう言ってサヘーはさらに部屋の奥にある扉に向かって歩き出す。

 「おれはこいつをシノギにしてようさん銭を得た」

 扉の先には通路があり、そこを右に左にと曲がりながら進む。
 途中何度か、白い無塵服を着た作業員とすれ違う。
 マスクで表情はわからないがサヘーの姿を見るとみな恭しく会釈をしていく。

 さらにシャッターで遮られたフロアをいくつか通り過ぎていくが、そのたびに鼻をつくような刺激臭が高まっていった。

 さらに進んでいくとやがてMTが通れるほどのひときわ大きなゲートの前にたどり着いた。
 二人はその横隅にある作業員用の通用口を通って入る。

 通用口を抜けると天井が薄暗がりに沈むほどの広い部屋に続いていた。
 そこには数十メートルほどもある巨大なタンクがあり、しかもそれが部屋に何基も並んでいる。
 どのタンクの上にもいくつもパイプがつながっており、一番太いものはACが通りぬけられそうなサイズである。

 「おまえが糞樽に落っこってきたのも何かの縁や」

 そう言ったサヘーの視線の先には、部屋の一番端にあるタンクに向けられていた。
 タンクは内側から破られたように裂けており、そこから転がり出たかのようにACが横たわり、周囲にはロープが張られていた。

 それは一週間前、パイルフィッシュを乗せてと共に落ちてきた彼の乗機キリングヒットであった。

 彼がやけくそにアサルトブーストを吹かして敵MTもろともに落下したエレベーターシャフトは、途中でグリッドを巡る下水菅につながっており、それの行き着く先がこの糞樽と呼ばれるタンクであった。
 その名の通り汚物が溜められている。

 「しかしウンがよかったのう。減圧中でなけりゃ溜まったガスでドカンや」

 パイルフィッシュはその時に意識がなかったために記憶はない。
 彼は横たわる愛機の周囲に貼られたロープを乗り越え、その姿をまじまじと見つめた。

 元々茶褐色に塗装された機体であったために遠目にはわかりづらかったが、今は錆に覆われている。
 焼夷兵器で炎上させられたときに防錆剤も兼ねた下地塗装も燃えてしまい、むき出しになった金属の地肌は短時間で酸化したためだ。
 そのみじめな姿にパイルフィッシュは嘆息した。
 セコハンとはいえは苦節数年を経てようやく手に入れた初めてのACだった。
 これからさらに稼ごうと思った矢先のこのざまである。

 「おまえさん、こいつで炎天衆とやり合ったんやな」
 横にいたサヘーが言った。
 「その経験を買うて、こいつを直したる。それが報酬や」





 グリッド051を縦貫するセントラルエレベーターは時々刻々とフロアを通過する。
 シャフト壁面に取り付けられたフロアライトの光が、薄暗いリフト上にひしめく者共の顔を浮かび上がらせては過ぎ去っていく。

 「思ったより少ないっすね」

 暗がりの中に浮かんでは消えるサヘーの配下たちを見渡しながらパイルフィッシュは言った。
 先日の集会で行くと言って立ち上がった顔のいくたりかは見当たらない。

 「まぁこんなもんやろ」

 横にいたザルコンが達観した風に言った。
 その場の勢いで立ち上がったはいいが、後から怖気づき去る者をサヘーは引き止めたりはしない。
 戦意の無い者などアテにならないからだ。

 やがてエレベーターは停止し、シャッターが開かれる。同時にすすけた臭いが灰と共に吹き込んできた。
 そこに広がっていたのは焼け焦げた居住区の残骸であった。先日の放火テロの現場である。

 ACのモニター越しに見える世界とは違う光景にパイルフィッシュは息を飲んだ。

 路上に倒れ焼尽した人体の黒い痕。
 塗装もろともに炎上した後に急速に錆びまみれとなった軌道車両。
 いまだに残るつんとしたナパームのにおい。

 機械の目に映るものは危険であるか否かを戦術コンピューターが判断し、その脅威度を抽象化された記号に置き換えて表示する。
 そこには戦場の焼け焦げる匂いも無ければ、炸裂する爆音も、人の叫びもフィルタリングされて耳には入らない。
 パイロットの心理的負担を軽減するためにそう作られているのだ。

 見渡す限り廃墟であったが、しかしその中に人の気配があることにパイルフィッシュはふと気づいた。
 それはサヘーの配下たちだけではない。

 すると一角の残骸の上にむくりと人影が立ち上がる。そして、こちらをぐるりと見渡し声をあげた。

 「これは、これは、スカムキング直々のお出ましとは恐れ入りますな。今日は糞の回収日じゃないはずですが」

 不遜な響きを持った声に続いて、それを合図にそこかしこからわらわらと人が出てくる。
 サヘーの眉根がピクリと動く。

 「誰だ汝は⁉」

 スカムキング(糞の王)呼ばわりされたサヘーがいらただしげにそう答える。

 「おっと失礼。手前はここいらを仕切ってるバモウ・ファミリーの下でオマンマいただく、モスマンというケチな傭兵でございます」

 そう言うや影は残骸から飛び降り、慇懃に会釈をする。
 それを合図に周囲にの取り巻きがモスマンと名乗った男を中心に集まりだす。男はそれらを従えながらずかずかとサヘーのもとに近づいてきた。
 モスマンは立端はあるが猫背であり、小柄なサヘーを上からのぞき込むように見降ろす。

 「こっちはお上から預かった仕事でここにきた。しばらく場所を借りるということやが」

 サヘーは睨め上げながら言った。

 「ええ、伺っておりますとも。ですがね、そいつはお上が勝手に決めたこと。こっちの頭越しにやりとりされちゃあ、ウチとしてはメンツが立たないんですよ」
 「それで?」
 「お上とその意を受けたあなたに盾突く気は毛頭ございません。ここは一つ共同警備といたしませんか?」

 サヘーはしばし黙考する。
 サヘーがボトムの主であるように、どの階層にもそこを仕切る顔役という者がいる。
 ならず者が集まってできたグリッド051の社会はどこを切り取っても利害関係は複雑で、界隈に不案内なまま武装して踏み入ればたちまち面倒な抗争に発展しかねない。
 そうなれば警備どころの話ではない。

 しかし、他者と組む以上は何かしらの制約がついて回る。

 「…まぁこんな所ですから、お互い中々信用できないとは思いますがねぇ、うちらとしても不毛な争いは避けたいんですよ。ここは平和的に」

 不毛な殺し合いより、疑心と憎悪と打算による共存。この世界の平和はそのような妥協で成り立っている。

 相手がどんな腹積もりかは付き合って見なければ分からない。と、サヘーは思考する。
 さほど賢くもないのだから相手の懐に入って探るよりほかにない。裏切れたならその時はその時と腹をくくるだけである。
 そうやってこの男は今までこの世界を渡ってきた。

 「まぁ、ええやろ」

 サヘーは答えた。

 「いやぁよかった。これでバモウの旦那にも俺の顔が立つってもんです」

 モスマンは芝居がかった仕草で大げさに胸をなでおろした。

 「ほうかい。それで、こっちからも言っておくがセントラル・エレベータの周りはお上の預かりとなっとる」
 「ええ、そうですな」
 「おれも子分どもを食わしてかにゃならん」

 サヘーはそう言って顎をしゃくって合図を出すとエレベーターの奥から機械の作動音が響いた。

 「そこをのけぇ!」

 突然サヘーが叫ぶ。
 エレベーターの奥からドルンと起動音がして、それに続くようにしてに幾重もの機械が動き出す音が連なる。
 やがてMTが地響きをたてながらエレベーターから姿を現した。

 それに気圧され人垣が左右に分かれていく。

 MTの背には貨物コンテナが積載されており、同様の装備をした機体が大小様々に何台も続いて出てくる。

 「ここでシノギをさせてもらうでぇ」




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投稿者 8玉


最終更新:2024年12月19日 03:39