帰去来兮
―――陶淵明
彼は自分の名前どころか、自分の身体がどのようなものであったのかをもう覚えていなかった。
今でも思い出せる幼少期の記憶は、故郷のあのぎらついた太陽の温かさと目に刺さるような陽光、そして自分と区画を丸ごと潰そうとする装甲ブルドーザーのドーザーブレードの縁が銀色に光っていたこと。
その後のことは思い出したくなかった。どうせ、すべて頭の中にまだ残っている。生々し過ぎて苦しすぎて、今では夢だったのではないかと思えてしまうほどの出来事が、延々と続くだけの記憶だ。今でも時折、段ボールに押し込められた人間が夢に出てくる。もはや手足と呼べるものは動かず、頭と胴体と
その他もろもろがかろうじて段ボールに収まっている。死ぬはずだが、段ボールへ延びるさまざまなケーブルとそれに繋がれた機材が彼を生かしている。なんて醜いんだろうかと、彼はいつも思う。 老酒が飲みたいと思いながら、彼は段ボールをゆっくりと開けて、中身を見た。目が、ぎょろりとこちらを見ていた。死の恐怖に怯え、微かに震えることしかできない肉塊の目が、こちらを見ていた。そこで、彼は気づく。それが自分であったということに。
「………んが、うぇ?」
パチパチと眼球でなにか爆ぜたような感覚を覚えながら、白毛(パイマオ)の義体は始動する。起き上がると名前の通りの白髪がさらりと視界に入り込み、少女のように白い肌が目につく。
はて、ここはどこだろうかと寝起きの目をぐしぐしと擦り、ぼりぼりと尻を掻きながら彼は慎重に立ち上がる。左右の足に均等なバランスをしっかりと取れたことを確認してから、すっと立ち上がり、周囲を見回す。
分からん、と白毛は眼を細くした。部屋の雰囲気がかなり高級そうな朱色と漆黒の品のいい雰囲気なのに少しばかり焦りを覚えながら、彼は自分が外行用の唐装を着たままなのに気づき、さらに首を捻った。まったく分からん、記憶がない。
とりあえず、机の上にどんとおいてあった良い銘柄の老酒があったので、彼は椅子にどっしりと座ってとくとくとグラスに注いで、ぐいっと飲んだ。まろやかな香りと舌の上で転がる甘さに年月の染みた味わいがある。
「ふへぇ」
と嘆息していると、ノックもなくドアが開いた。
白毛がそちらを振り返ると、明らかに堅気ではなさそうな白黒スーツのガタイのいい男が三人、そしてその真ん中で鼈甲の眼鏡をかけた初老の狡猾な狸のような男が杖をついていた。
知らずのうちにそっちの方の店に入ったことがある白毛的にはそれは別に良かったのだが、問題は四人が全員朝っぱらから満面の笑みを浮かべてこちらを見ていることだった。そして、まず先頭の狡猾な狸が背筋を伸ばして野太い声で言った。
「白老板(パイラオダン)! おはようございます!」
「あぁ……おはよう? すまんね、儂ぁこれでも老い耄れなもんで……ちといろいろと覚えておらんのじゃが……」
「大丈夫でございます、白老板。あなたが忘れても私共は忘れません」
「いやそういうことじゃのうてだね、ここがどこであんさんが誰だか儂ボケてもうたから教えてほしいんじゃが……」
「そういうことであれば何度でも自己紹介を致しましょう、白老板」
とくとくと二杯目の老酒を注いだ白毛の前で、狸―――小太りの男は両膝をついて首を垂れた。
「私共はあなたに救われたのです。あなたの仕事で、命を救われた者たちです」
二杯目の老酒をくいっと飲んで、ふぅと小さく息をついた白毛は、三杯目をとくとくと注ぎながら特に感慨もなく言った。
「まあ、仕事じゃからね」
その後、白毛は昔話をたっぷりとされた。彼はなにも覚えていなかった。第七世代型相当の調整を受け、今の身体に乗り換える際、操縦技量とそれらの記憶を後遺症として失っていたからだ。
老酒は美味かった。料理は素朴で高級とは言えなかったが、ルビコン3で食べられる料理の中ではかなり良いものだった。彼はほとんど忘れてしまった自分の故郷のことを少しばかり思い出したが、浮かぶのはドーザーブレードについた汚泥の色と血と銀色、忌々しくギラギラと輝く太陽のことだけだった。
小太りの男は大豊核心工業集団が宣伝を兼ねて売っている白毛の機体、正黄旗GIIの画像データも見せてくれた。彼らの住んでいる工業団地を守っている正黄旗GIIの画像もあった。どれも、白毛の記憶にはなかった。すべて忘れてしまっていた。老いとは、忘れることなのだろう。けれども、忘れたことを楽しそうに生き生きと語る男たちを見るのは、悪い気はしなかった。
その日は夕方まで彼らの歓待を受けた。なぜここに来たのかは簡単な話で、歓楽街で飲み屋を梯子してべろんべろんになっていた白毛を彼らが招待したのだそうだった。とても心地が良い宴席だった。
夜に白毛は大豊核心工業集団の警備員に発見され、そのまま宿舎に連行されていった。
画像記録:黄龍
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画像記録:黄龍
ルビコン3に渡ってきた大豊経済圏の黒社会組織「連合会」の持っていた画像データ
大豊核心工業集団の販売した正黄旗GIIの画像ではなく、構成員の出身地で撮影されたもの
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白老板に救われた人は多い。
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画像記録:大豊核心工業集団 戦闘画像パックNo.6
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画像記録:大豊核心工業集団 戦闘画像パックNo.6
ルビコン3に渡ってきた大豊経済圏の黒社会組織「連合会」の持っていた画像データ
大豊核心工業集団の販売した正黄旗GIIの画像集の一つ
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本社の天槍フレームは白大人の駆る正黄旗GIIも使用しております!
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関連項目
最終更新:2023年11月26日 22:43