小早川秀秋

登録日:2009/12/01(火) 18:51:28
更新日:2021/02/20 Sat 03:54:08
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小早川秀秋とは、日本の戦国武将の1人。
関ヶ原の戦い』の勝敗を決定づけたと言われることから、徳川家康関係の作品を始め多くの創作にも登場する。

●目次


【史実】

◆概要

1582-1602

豊臣秀吉の義理の甥(秀吉の正室おねの兄・木下家定の五男)。近江国の長浜にて生を受ける。
関ヶ原の戦いにおいて傍観する西軍の将の中で最初に裏切り、その後の裏切りの連鎖を引き起こした。

名前の推移:木下辰之助→木下秀俊→羽柴秀俊→小早川秀俊→小早川秀秋→小早川秀詮
※最終的な名乗りは「小早川秀詮」であるが、改名したのが関ヶ原の後で、名乗った期間がかなり短いため、一般的には「秀秋」の表記が使われる。

◆人物

学問を学ぶ姿勢はあまりなく優柔不断で悪政をしいたとも幼少期は利口であったとも言われる。短気であったことはほぼ確定らしい。
ちなみに小早川家には優秀な家臣がいたため藩主として目立った悪政をしいたという事はないとか、そもそも秀秋年齢自体、かなり若かったので良くも悪くも目立ってなかった模様。
後世のイメージ操作はよくあることだから仕方ないね。

◆来歴

実子のいなかった豊臣秀吉の養子となり(この時の名前は「羽柴秀俊」)、急に裕福になるが、
秀頼が生まれたことで跡継ぎとしての立場が無くなり冷遇を受けていたところで黒田如水の助力を貰い小早川家の小早川隆景の養子となる。
歪んだ性格は幼少期に散々持ち上げられたり突き落とされたりしたためとも言われる。

この後、いわゆる豊臣秀次事件に連座して領地を没収されるが、養父の隆景が隠居したためその跡を継いでいる。

朝鮮出兵(15才)の際には敵兵に囲まれた加藤軍に救援に行き活躍するも、その戦果を報告された秀吉によって「守備任せたのになに突撃してんの馬鹿なの?死ぬの?」と説教を食らった挙句大幅減封及び転封。
ちなみに転封前の領地は石田三成に奪われている。→三成はこれを辞退したが、秀秋旧領は豊臣家直轄地となり、その代官に任命されている。
加藤軍を救援した際の秀秋はリアル無双したそうな。

秀吉の死後に徳川家康の根回しで減封は取り消されいい具合に家康に釣られる。ただし多くの家臣が以前の減封により秀秋の元を離れた。

伏見城の戦いにおいては東軍鳥居元忠に援軍を申し入れるも、
「援軍とか聞いてない。どうせそう見せかけて裏切るんでしょ?よくあるんだよねそういうの」
と拒否され、西軍に付かざるを得なくなり(これは島津義弘も同様)不本意にも武功を上げてしまう。
秀秋がこの際の行動を悔いてノイローゼになり各地をうろうろしているうちに関ヶ原の戦いが起こる。


関ヶ原の戦い

そもそも成り行きで西軍になったため割とすんなり東軍の内通に応じるが、
『あいつ絶対裏切るだろ…』と思っていた三成と大谷吉継から「勝ったら関白にしてやる」などと釘を刺される。
そのためかそうでないのかは分からないが1万5000もの兵(西軍で2番目の兵数)を率いる秀秋は西軍有利にも関わらず傍観。
家康がキレたところでようやく寝返り大谷隊に攻めかかるが事態を予測していた大谷隊から予備の600人の部隊が出てくるとびっくりして押し返される。
しかし、連鎖的に寝返った脇坂隊、赤座隊らの助力もありこれを撃破、これを期に3万を率いる家康本隊も加勢し東軍の勝利となった。

余談だが、敗戦後落ち延びていたものの捕縛され、重罪人として晒されていた石田三成に何を思ったのか会いに行っている。
言うまでもないが三成がそんな目に遭っている最大の要因とも言っても過言ではない秀秋がそんなことをすればトラブルになることは火を見るより明らかであり、
同行していた細川忠興に止められたが三成の視界に入ってしまう。
三成は秀秋を見るなり彼を罵倒し、
「お前が裏切るつもりだったことを見抜けなかったのは自分の落ち度だが、約束を破って人を裏切るなど武士の風上にも置けない。
この世の末までお前のやったことを語り継ぎ、笑ってやろう」とさえ言われるも、秀秋は何も言い返せなかったという。


関ヶ原の戦い後

戦後は岡山55万石に加増され内政に力を注ぐが家臣の出奔や不審死が相次ぎ、そして自らも21才の若さで急死している。
死因に関しては複数の説があり、病死の他に、無礼を働いた小姓を斬ろうとして返り討ちに遭った、村の視察中に怒った農民に股間を潰されて死んだ
果ては大谷吉継の祟りで狂い死んだなどの説があるが、病死以外はなんとも情けない死因ばかりであり、
これらに関しては『因果応報』的な意味合いの強い俗説とも言われている。

ちなみに、秀秋は晩年家老を手討ちにするなどの奇行が目立っていたが、
三成に言われたことを気にして精神的に参り、三成や吉継などの幻影を見るほど精神薄弱状態だったらしい。

秀秋の急死の後、小早川家は跡継ぎがいなくなったため無嗣断絶として取り潰された。
秀秋や小早川家のこの末路に関しては、石田三成や大谷吉継の怨霊の仕業とまことしやかに囁かれたとかなんとか。

ただ、秀秋が若くして亡くなったことに関しては秀秋が重度のアル中だったことに端を発するというのが現在の説である。
詳しくは余談にて。

そして毛利家の一門であるはずの小早川家だが、秀吉一門に再乗っ取りされたことなどもあってかすぐ再興されることはなかった。そしてそのまま廃藩置県を迎えた。
関ヶ原後は毛利本家も大減封でそれどころではなかったとはいえ、いくらなんでも放置されすぎでは…

なお秀秋の人間関係は叔父(秀吉)には「秀頼!秀頼!秀頼!」と要らない子扱いされ、養父(隆景)には「あいつが毛利家を継いだら毛利は滅びるぞ!」と懸念されたことで養子となり、
小早川家家臣は「あの当主にはお仕えできません」と出奔し、西軍の同僚からは「あいつは東軍だから注意しろよ」と最初から敵扱いされ、
ある程度は自分のアル中ぶりが原因としても相当ハードだったらしい。


◆余談

  • アル中
秀吉の後継者と目されていた秀秋は12歳にして連日酒宴漬けの生活になり、梯子を外され小早川家の養子となってからも変えられなかった。
このため親である高台院などからも大量の借金を抱えるようになった上、関ヶ原前後の18、9歳の頃には肝硬変と見られる症状が出て黄疸も出ていた。
肝硬変は一度起こってしまえば治らない不治の病で、透析や肝移植などもできないこの時代で発症すれば長生きなどできない。
ましてや秀秋は生活を改善することもなかったらしく、当然病状は加速度的に悪化していき、残りの余命もガシガシ削れていったことだろう。
とどのつまり体の状態と生活習慣からして関ヶ原後まもなく死ぬのも当たり前、そんなになってまで酒浸りの人間が正気を保てているわけもない。
三成や大谷の一件が精神に影響があったのかは秀秋当人にしか分からないが、少なくとも早世に関しては祟り云々ではなく秀秋の生活習慣が原因であり、
当主が若くして心身ともにこんな状態になり、後継ぎもいないという状況では小早川家も最早家運尽きたと言わざるを得ず、
このように酒にやられていては先代からの優秀な家臣たちが小早川家から離れていくのも当然の道理と言えよう*1

  • 近年の新説
と、上記のような色々とあれな評価を受けていたが昨今では関ヶ原でどっちつかずの態度などは取っておらず、最初から東軍だったとか開戦時に一気に大谷軍に突っ込んでいったという説がある。
どの説でも秀秋の活躍によって西軍を総崩れにしており、今までとは違った秀秋の姿が見え始めているのかもしれない。

  • 養父との関係
義父となった小早川隆景との関係などについては隆景は秀秋が名島に来る時には
かなり気を使った手紙を書いており(あんまりにも気を使いまくっていたので秀吉に注意されたとのこと)、
秀秋が養子となった時に開かれた宴はそれはもう壮大な宴だったらしい。
その様に自分を歓迎してくれた隆景を秀秋は大層、慕った様で堅田元慶が隆景の馬印をもっていたので譲ってもらったり、
等身大隆景の木像を作ってもらったり、隆景が死ぬとその死を悼む和歌を詠んだという話があり、親子仲は大変、よかった様だ。

上記の「あいつが毛利家を継いだら毛利は滅びるぞ!」というのも本当は隆景が秀秋を自分の子供にしたかったからそう言った可能性も……さすがにないか?

能で演じたのが女役ばかりだったらしい。

  • 陣羽織
彼の物とされる陣羽織が残っているが、そのデザインはド派手な色した羽織りの背中に命を刈り取る形をした鎌×2が描かれているというもの。
戦国の世のオシャレ度合いを物語る名品として名高い。

【創作】

単純な気弱な人物から、あえて苦悩する優秀な人物など様々。

  • 合戦アドベンチャー「采配のゆくえ」
長い間裏切り者として散々な評価を受けまくっている彼だが合戦アドベンチャー「采配のゆくえ」ではなぜか萌えキャラと化した。あと顔芸。
新たな小早川秀秋像も形成されつつある…のかもしれない。

  • 横山光輝作の漫画「徳川家康」
歴史小説徳川家康(山岡荘八)を原作とした横山光輝作の漫画「徳川家康」では関ケ原で東軍、西軍両方からの誘いを受け、両者のやり方に呆れながら酒を飲んでいた。
また、家康から大砲を撃たれるものの、他の作品のように慌てたりする様子もなく冷静に裏切りを決めている。
酒を飲んでいる時、体調不良の様子も見られる。秀秋の死因ではないかと考えられている若い頃からの酒飲みによる肝疾患による体調不良のような描写も描かれている。

戦国はっちゃけアクションゲームの「戦国BASARA3」では、小太りで美食家で鍋とおたまで戦うウザキャラという、
これまた(いろんな意味で)従来のキャラ性をぶち壊したキャラとして登場。
伏見城には超巨大な鍋が設置してあり、合戦中でも作戦は兵士と天海まかせで自分は鍋を食う。何しに来たんだお前

キャラとルートによっては裏切らせず最後まで西軍に残らせられるが、メリットが無いから結局プレイヤーから裏切らせる悲しい扱いをされる。

戦国乙女「小早川ヒデアキ」名義で登場。石田三成、真田幸村、黒田官兵衛そのほかメジャー武将を差し置いての参戦に多くのファンが驚いた。
毛利モトナリの部下であり、彼女から拝領した妖刀「隆景」を鎌に差し替えて使用している。
泣き虫でヘタレで臆病者であるが、運ばかりはずば抜けて高い。
Legend Battleでは意図的に最弱性能にされているが、隆景を解放することで他の乙女並みの強さを得る。

極めて優柔不断で忘れっぽく、関ヶ原でどちらに加勢するかを花占いで決めようとしたほどのボンクラ。
あまりの無能ぶりに、作中No.1の我慢強さを誇る家康が「これ以上待たされたら鉄砲を打ちかけてやる」と爆弾発言するほど憤慨していた。

登場人物のほとんどが猫であるので当然、秀秋も猫(たまに犬やら猿もいるが)。
関ケ原の戦いでは高いという理由で松尾山に動いて(猫だから)、家康から江戸名物にゃんぎょうやきをもらって全部食べたが忘れたのか日向ぼっこし続け、
曇ってきたので日向があたっている光成のところに突撃(という名の日向への移動)し、光成を蹴散らし、日向ぼっこした。
と関ケ原の戦いとかどうでもよくただ日向ぼっこしていただけで両軍を翻弄しナレーターから「小早川の勝ち」という他作品では見られないであろう、
ある意味、小早川秀秋大勝利という珍しい展開を迎えている。

普段は数奇のセンスにうるさい気だるげな若殿、しかしキレたらヤバいヤンキーじみた特攻隊長として描かれる。
直接のシーンこそないが朝鮮の役で大暴れした逸話にも言及されるなど、作中でもそのキレっぷりは知れ渡っているようだ。
関ヶ原では「家老二人が言うことを聞かぬのよ」などと白々しく言ってのけつつ、家ぐるみで堂々と日和見を決め込む。
しかし織部の身体を張った説得で趨勢を悟ってからの決断は早く、一瞬のうちに臨戦態勢に入って家臣たちを恐れさせた。

2014年の「軍師官兵衛」、2016年の「真田丸」にて、どちらも浅利陽介氏が演じて話題となった。
演技力もさることながら、氏の顔が肖像画とソックリ*2ということで今後も秀秋が出るなら氏が演じるのでは?と言われているとかいないとか。




追記と修正は優柔不断で信用の無い人以外お願いします。

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最終更新:2021年02月20日 03:54