屍者の帝国

登録日:2015/11/10 (火) 10:55:30
更新日:2024/09/15 Sun 15:57:10
所要時間:約 37 分で読めます






まず、わたしの仕事から説明せねばなるまい。
必要なのは、何をおいてもまず、屍体だ。

人間は死亡すると、生前に比べて体重が21グラムほど減少することが確認されている
それが霊素の重さ、いわゆる”魂の重さ”だ。

我々は魂の抜けた肉体に、擬似霊素をインストールすることによって、屍者を蘇らせる
だが、それはにせものの魂だ。


ヴィクター・フランケンシュタイン博士が蘇らせた、最初の屍者「ザ・ワン」
彼は言葉を話し、愛を求め、殺意すら持ち得たという。
そして絶望の果てに、自らを生み出した技術「ヴィクターの手記」とともに、姿を消した。

我々に残されたのは、ザ・ワンを真似た、魂も言葉も持たない、木偶の坊だけだ


ザ・ワンに魂があったのなら
空っぽの肉体に、再び21グラムの魂を戻せるのなら

喪われた人も再び 帰ってくるのだろうか?




求めたのは、21グラムの魂と君の言葉





屍 者 の 帝 国

THE EMPIRE OF CORPSES


屍者の帝国(ししゃのていこく)」は、河出書房新社から発刊されたSF・スチームパンク小説。
作者は故・伊藤計劃と円城塔。伊藤計劃が遺した冒頭の草稿30枚とプロットをベースに盟友・円城塔が完成させた、いわば「伊藤計劃と円城塔の共作」と言える作品であり、
書籍にも二人分の作者名がクレジットされている。

第33回日本SF大賞・特別賞、第44回星雲賞日本長編部門受賞作品。

死者を蘇生し、使役する「屍者技術」が開発され、発展した架空の19世紀の世界で、「屍者技術のオリジン」である『ヴィクターの手記』を巡って繰り広げられるSF・冒険エンターテイメント。
同時に、「人間の意識とは、魂とは何か?」というテーマを根底に持つ、重厚なハードSFでもある。

2015年10月2日、ノイタミナの劇場アニメ「ノイタミナムービー」の1つとして、伊藤計劃の遺した3つの作品を映像化する「Project-Itoh」の一番手として映像化した。
映画版については後述。


ストーリー



すべての言葉と行動を書き記せ。
…それが君の魂となることを願う。



死亡した人間を蘇生し、操ることを可能とする「屍者技術」が発展した十九世紀末。
地上には労働力として、兵士として、様々な用途に最適化された屍者が溢れかえっていた。

1878年、ロンドン大学医学部生のジョン・ワトソンはその優秀な成績を見込まれ、
医学部の教授であるセワードとその師・ヘルシング教授を介して、英国政府の諜報機関「ウォルシンガム機関」に紹介される。
ワトソンはウォルシンガムの長である「M」と面会。Mたちは、ウォルシンガムがワトソンを招いた目的を語る。

Mはワトソンをウォルシンガムに勧誘し、第二次アフガン戦争のさなかにある戦地アフガニスタンでの諜報活動を依頼した。
「ロシア軍から屍兵を率いて脱走した後、アフガン北方に「屍者の王国」を作り上げた謎の男、アレクセイ・カラマーゾフの動向を調査せよ」
ワトソンはこの命令を承諾し、記録係の屍者・フライデーを連れ、インドを経由してアフガンへと向かう。

インドで同行者であるフレデリック・バーナビー、及びロシア側の協力者であるニコライ・クラソートキンと合流したワトソンは、
一路カラマーゾフの作り上げた「屍者の王国」を目指す。
その最中、彼らは戦場で「従来の屍者技術では考えられない、俊敏さを持った屍者」と対面し、カラマーゾフが「新型の屍者を作ったのではないか」と推測する。

辿り着いた屍者の王国で、ワトソン一行はカラマーゾフと対面する。
カラマーゾフは新型屍者の存在を認め、新型屍者が生まれた背景には、
屍者技術のオリジナルである、ヴィクター・フランケンシュタイン博士の知識が記された「ヴィクターの手記」が存在することを語った。
同時にカラマーゾフは、ワトソン一行に「ヴィクターの手記、そしてそれを現在持っているはずの『最初の屍者』ザ・ワンを追うこと」を依頼する。

ワトソン一行は「ヴィクターの手記」、そして「ザ・ワン」を求めて世界中を駆け巡ることになる。
ヴィクターの手記とは一体何なのか。ザ・ワンの目的とは。
屍者技術とは一体何なのか。そして、屍者と生者を隔てる「魂」とは一体何か?

概要・作風など

先述したように、伊藤計劃が書き残した冒頭の草稿30枚とプロットをベースに円城塔が書き上げた「共作」と言える作品であり、
その内容は伊藤計劃と円城塔の作風が絡みあった複雑なものになっている。

今まで「虐殺器官」「メタルギアソリッド4」「ハーモニー」と近未来を舞台にしたSFを描いてきた伊藤計劃。
本作は伊藤計劃初の(そして最後の)19世紀という過去の時代を舞台にした作品であり、
魂を失った死者に「にせものの魂」である擬似霊素をインストールすることで自在に使役する技術が発達した架空の19世紀末を描いている。
本作のテーマは(明言こそされていないが)「魂とは、意識とは何か?」であり、同じく「人間の意識」が物語の根幹にあった伊藤計劃の遺作「ハーモニー」に類似する点も多い。

伊藤計劃の作風を意識したのか、難解さを含みつつも前半~中盤は「手記」をめぐる冒険や戦闘シーンなどエンターテイメント的な内容が多く含まれており、
円城塔らしからぬ「普通の、小説らしい文章」を見ることができる。
ていうか先生、やろうと思えばこんな普通の文章が書けたんですね
要所に仕組まれたパロディや、映画ファンの伊藤計劃らしい「007シリーズ」などの映画へのオマージュも組み込まれていて、随所に「伊藤計劃『らしさ』」を見ることができるし、
それほど頭を使わなくてもエンタメ小説として楽しめる部分も多い。
しかし、円城塔の持つ「難解さ」も多様に含んだ内容になっており、一見して意味不明で「理解させる気がないのではないか」とさえ思わせる過去作に比べれば、
ある程度「普通の文章」になっていることもあって理解はしやすいものの、あくまで「過去の円城塔作品と比べれば」であり、
特に後半~終盤はかなり難解で、説明的な文章や哲学的な内容がページ数を占めるようになる。
ここを理解できるか、或いは噛み砕いて自分なりに解釈できるかで本作への評価が変わってくるだろう。

また、主人公であるジョン・ワトソンを筆頭に登場人物が「実在の人物」及び「過去の名作文学の登場人物」で占められているのも特徴で、
登場人物にとどまらず過去の名作小説から引用されたネタも多い。大雑把に言うと名作文学の一大クロスオーバー状態になっていて、文学に精通するヘヴィな読書家ならにやりとできる部分も多い。
伝奇小説好きに言えば文庫版あとがきで言及された「ドラキュラ紀元」や「リーグ・オブ・エクストラ・オーディショナリー・ジェントルメン」。アニヲタ的に言えば「スーパー文学大戦」
或いは「19世紀オールスター!大乱闘文学ブラザーズ」
他にも本編内や巻末の参考文献にあるように、導入では19世紀の中央アジアを巡る列強の諜報戦線・通称「グレートゲーム」が題材となっている。

しかし、これらの要素が複雑に積み重なったことで「衒学的」な小説になっている感も否めず、物語の全容を理解するには一度読んだだけでは到底足りない。
特にラストの展開は読者の間でも今なお様々な解釈がされており、議論は絶えない。
「後述の映画版と合わせて、初めて物語を理解できた」というファンも多く、普通のSFエンターテイメント的な面白さには遠く、普段本を読まない層にはかなりつらい内容である。

だが、その高いハードルを乗り越えることができれば、伊藤計劃と円城塔が描いた「屍者の物語」があなたを待っている。
現在は原作に比べて情報力の少ない映画版・コミカライズ版もあるため、読書が苦手な方はそれらと合わせて読むといいだろう。


登場人物

主要人物

ロンドン大学医学部生。優秀な成績の優等生で、指導教授のセワードからも一目置かれている。
その成績を見込まれ、セワードとヘルシング教授を通じてウォルシンガムにスカウトされ、戦乱の地アフガニスタンにあるという「屍者の王国」の動向調査という任務をこなすことになる。
性格は優等生的で、破天荒なバーナビーとは反りが合わない。困難な状況で動じることがあっても、あくまで冷静に、持ち前の推理能力で事態に当たる。
しかしもとは軍人でもなんでもない一般人であるためメンタルには弱い部分もあり、新型屍者解剖の一件やカラマーゾフをめぐる一連の出来事など、理解を超えた事態には激しく動揺してしまうことも多い。

戦闘能力は皆無で道中での戦いはバーナビーや山澤に任せきりだが、ウォルシンガムの任務に就く前に習得したのか、銃だけはある程度扱える。

映画版では「亡くなった盟友フライデーを蘇生し、フライデーの遺した仮説を証明するためにヴィクターの手記を求める」というより明確な目的があるためか、
原作に比べてフライデーと手記に執着し、感情的な面が目立つキャラクターになっている。
コミック版ではさらにその一面が強調されており、1巻では「フライデーを盗もうとしたチンピラに容赦なく拳銃を向ける」「フライデーを身を挺して攻撃からかばう」など、
より明確にフライデーに対する強い感情が描かれている。

原典は世界的に有名な推理小説シリーズ「シャーロック・ホームズシリーズ」の登場人物にして、探偵の助手役のはしりとなったジョン・H・ワトソン。
この物語は、「ビフォア・シャーロック・ホームズ」の物語でもある。


「ウォルシンガム機関」が所有する青年型の屍者。登録名称「Noble_Savage_007」
運動制御用の汎用ケンブリッジ・エンジンと拡張エディンバラ言語エンジンを書き込まれた、最新鋭の「二重機関(ツイン・エンジン)」の実験体。
ワトソンの任務にあたりウォルシンガムから提供された屍者で、ワトソン一行の旅の記録係を務める。
また脳内にはワトソンが大英博物館の図書閲覧室に通って集めた情報が片っ端からインプットされており、そのため翻訳等「歩く辞書」としての機能も付与されている。
プラグインを簡易霊素書込機で書き込むことで機能の追加も可能で、映画版では日本の大里化学にてワトソンに暗号解析用のプラグインをインストールされ、扉の解錠を行っている。

屍者であるためいっさいの感情を表すことはなく、命令にも終始無言で行動実施でのみ示すが、ワトソンが彼に旅の記録をさせ、かつ「ヴィクターの手記」も脳にインストールさせたことが終盤、そして結末において大きな意味を持つことになる。

映画版において、一番設定が変わったキャラクター。
生前はワトソンと志を同じくする学友であったが、何らかの病により若くしてこの世を去る。しかし生前にワトソンと交わした約束により、二重機関をインストールされ屍者として復活する。
だが、フライデーの屍者化は「個人が屍者技術を活用してはならない」という法に違反しており、これがきっかけでMがワトソンの元を訪れることになる。
その後はウォルシンガムに所属が移り、原作同様ワトソンと行動をともにする。
原作と違い、序盤でワトソンから銃の扱い方をインストールされ、以降は拳銃で戦闘に参加する。

生前「魂とは言葉である」という自説を掲げており、ワトソンにその証明を託した。この点では、原作におけるヘルシング教授の役割を一部引き継いだと言える。
回想シーンを除いて「吐息」と「唸り声」のみでキャラクター性を表現する村瀬歩の圧巻の演技は必聴。

コミック版での設定は概ね映画版と同じだが、ニコライによって生前の彼のプロファイルが語られている。
ロンドン大の毎週のカリキュラムを木曜日までに全て消化し、金曜日を大英図書館で過ごすことから"金曜日"(フライデー)と校内であだ名されるほどの天才であった、という設定。

明確な原典はないが、「フライデー」という名称はダニエル・デフォーの手がけた「漂流モノ小説」の代表作といえる作品「ロビンソン・クルーソー」に登場する、
主人公ロビンソンの従者フライデーが元ネタと言われている。
また映画版で描かれた「ワトソンの親友である天才肌の男」という姿のモデルについては……言うまでもあるまい。
登録名称「Noble_Savage_007」は、古典的「ストックキャラクター」(キャラテンプレート)の一つ「高貴な野蛮人(Noble_Savage)」と、言わずもがな「007シリーズ」へのオマージュだろう。

余談だが、伊藤計劃は007を題材とした短編作品を2本製作している。
そちらでは「生者に上書きされて蘇った死者」007の『意識』を巡る物語が描かれている。
二人の死者、二人の007……彼らの旅の果て、そこに魂はあったのだろうか。


  • フレデリック・ギュスターヴ・バーナビー(CV:楠大典)
イギリス陸軍大尉。「ウォルシンガム機関」の一員。
単独ではるばる危険なロシア・アフガニスタンまで一人旅した経験からワトソンの旅に同行する協力者となり、ワトソンの監視役でもある。
どちらかと言うと神経質なワトソンとは対照的に豪快で、ともすれば「馬鹿」にも見える人物。しかし、時折インテリな一面を覗かせることもあり、単なるアホではない。
だが屍者技術など専門的な部分には疎く、劇中では読者にわかりやすい説明をするための質問を繰り返すこともしばしば。

体格もワトソンとは対照的で、大柄でタフ。戦いのセンスも抜群で、グラントを狙ったテロリストと爆弾屍者や、大里化学のサムライ屍兵など、数々の敵に対してパワーと技量で互角に渡り合う。
また、何故か日本では某パンツじゃないから恥ずかしくないアニメのパロディネタを披露した。

映画版では義理人情に厚い面がクローズアップされ、フライデー蘇生という目的に大局を見失いがちなワトソンとは対立することも。
映画版でもバトル担当なのは相変わらず。
コミック版では原作・映画版のインテリな側面がまるごとスポイルされ、原作・映画の見る影もないハイテンション脳筋バカとして描かれるという大胆な改変がなされた。
「ま!すぐに八つ裂きにしてやるがな!!」「ときめいちまったじゃねぇか…」
「この鉄の味ッ 傭兵時代を思い出すぜェェーッ!!」
などのハイテンションな台詞を繰り出すさまは、原作とは(良くも悪くも)別人である。

原典は実在の人物、フレデリック・ギュスターヴ・バーナビー。
旺盛な冒険心の持ち主で、本作でも記されたように旅行記である「ヒヴァ騎行」などを記したとされる。


  • ニコライ・クラソートキン(CV:山下大輝)
皇帝官房第三部の諜報員。ロシア側からのワトソンへの協力者。
アレクセイ・カラマーゾフ追跡の任務を受けており、ワトソン一行を「屍者の王国」へと導く案内役。
インテリで皮肉屋な面が強くバーナビーとはそりが合わなかったが、映画版では一行との旅はそれなりに楽しんでいた模様。

映画版で大きく役割が変わった人。
原作では友人としてカラマーゾフの行動を見届け、ロシア方面の後始末のために一行と別れたが、
映画版ではニコライ・カラマーゾフの二人が主人公コンビの対として描かれ、共にいくことを選んだ二人がワトソンの行く末に重大な影響を与えることになる。
また、ライフルを駆使した戦闘も行っている。

原典はドストエフスキーの代表作、長編小説「カラマーゾフの兄弟」に登場する同名の登場人物。


トーマス・エジソンが造り出した人造人間。貴婦人のような純白のドレスを纏った美女。
民間軍事会社(PMC)「ピンカートン」に所属し、ピンカートンの命でワトソン一行とは別に「ザ・ワン」を追っている。
ミステリアスで、従来の「人造人間」像とはかけ離れた人間性の持ち主。旅先で出会ったワトソンに意味深な言葉を投げかけ、時に議論を交わす。
だが人間性が欠落した部分もあり、人間から見れば「機械的」な行動原理で行動することも。
+ その背景
…実は、その真の所属は「ピンカートン」やアメリカ政府に影で協力するユダヤ教系秘密結社「アララト」(異名は「ニュー・イスラエル」)。
ラビ達によるカパラ思想を中核とした学問と研究の力のみを使う事で表向きは趣味人の団体扱いされる事で他国の諜報の目から逃れ、いつかユダヤ人による「イスラエル」を築き、同時に屍者の存在をも否定しようとする「アララト」傘下でハダリーとバトラーは行動していた。
(ちなみに文庫版あとがきによると、伊藤計劃は生前、本作に史実のこの時代ではまだ夢想の段階だった「イスラエル」を何らかの形で登場させようとしていたそうで、「アララト」はその名残とも言える。)



解析機関並みの計算能力を持ち、それを利用して屍者のネクロウェアの脆弱性を突き、自在に使役する「音」を操る。
それを除いても戦場で火炎放射器を使い屍者を一網打尽にするなど、高い戦闘能力を持つ。

映画版ではバトラーの存在がリストラされたため、より「魂を求める」という行動原理が強調されたキャラクターになっている。
またザ・ワンがハダリーを呼ぶときに使っていた「リリス」という名前が統合され、「ハダリー・リリス」というフルネームに。
あと、予告編からロケットおっぱいを見せつけて観客の度肝を抜いた。
コミック版でも設定は同様で、最終巻では彼女が魂を求める理由に深く踏み込んでいる。

原典はヴィリエ・ド・リラダンのSF小説「未来のイヴ」に登場する人造人間「ハダリー」。
原典でもエジソンをモチーフにした「エディソン博士」に開発された、という共通点がある。
アニヲタ的には押井守の「イノセンス」ALI PROJECTの楽曲でおなじみか。
また、終盤である理由から名乗った「アイリーン・アドラー」の偽名は「シャーロック・ホームズシリーズ」の同名の登場人物から拝借したもの。
原典ではホームズを翻弄した数少ない登場人物のひとりとして有名である。


  • ザ・ワン(CV:菅生隆之)
100年前にヴィクター・フランケンシュタインが造り出した最初の屍者。別名「第二のアダム」。
老人のような外見を持ち、「思考する」「言語を話す」など、現在世に出回る屍者とは段違いのスペックを持つ。
20年前、トランシルヴァニアに「屍者の帝国」を築き上げたがヘルシング教授にそれを壊滅させられ、以降は姿を消し社会の裏で暗躍する。
「ヴィクターの手記」を持つため世界中の組織から追われている。
その目的は不明だが、原典における彼の設定を考えれば、彼の持つ「願い」は…。
+ 実は…
ちなみに後半では、かつて一時期「ある一族の一人」という仮の名義で活動していた過去を持つと判明。
ゆえに現在の老人姿も「その名の史実における肖像」を模したものとなっており、「ザ・ワンの過去の名」が史実で築いた功績は、本作では史実における共同研究者が主導して発見されたものとなっている。





ハダリー同様屍者を使役する「音」を発する能力を持つ。

映画版・コミック版では登場時期が早まっており、日本編で早くもワトソンの前に姿を現す。

原典はイギリスの小説家メアリー・シェリーが執筆した「フランケンシュタイン」に登場する(名無しの)「怪物」。
屍者の帝国ではヴィクター・フランケンシュタイン博士は実在した扱いになっており、前述のように彼が作り上げた「怪物」は「世界最初の屍者」として扱われている。
同時にメアリーも実在する設定で、メアリーの「フランケンシュタイン」は、ヴィクター・フランケンシュタインにまつわる事件を脚色したフィクション、という扱いになっている。


ロンドン

「ウォルシンガム機関」の指揮官。
ワトソンをセワードとヘルシングを通じてウォルシンガムに勧誘、カラマーゾフ及び「屍者の王国」の動向調査を依頼する。
ロシアと英国の中央アジアをめぐる戦い「グレート・ゲーム」を制するべく、ワトソンを動かす傍ら独自の動きを見せる。
市井で気ままな探偵家業をする弟がいるらしい。

映画版ではオミットされたセワード・ヘルシングの役回りが統合され、さらに原作における終盤のある重要な設定を取り込んだことで、原作より重要度の高い人物になっている。
ウォルシンガムの情報網を使ってワトソンが「フライデーを法に背いて屍者化した上、違法改造ネクロウェアをインストールしたこと」を調査し、半ばワトソンを脅迫する形でウォルシンガムに勧誘。
独自にネクロウェアを改造したワトソンの屍者技術に目をつけ、「フライデーの完全な蘇生」という目的を利用し、ウォルシンガムの一員として取り込み手記の捜索を命じる。
他、映画版ではハダリー、ザ・ワン同様の「屍者を操る音」を一度だけ扱っている。

原典はワトソンと同じく「シャーロック・ホームズシリーズ」。シャーロックの兄、マイクロフト・ホームズが元ネタ。「政府の中でも重要なポストについている」という点でも共通している。
また本名を略した『M』というのは、「007シリーズ」に登場する、ジェームズ・ボンドの上司であるMI6の局長「M」へのオマージュだろう。
余談だが、ワトソンにフライデーを貸与した「Q部門」というのも、007の、MI6の装備開発・管理を担当する登場人物「Q」へのオマージュだと思われる*1
なお、リットン曰く「(本人の身に)何かあっても次のMが任命される」くらいの立ち位置らしい。
加えて余談ながら「大塚明夫氏が声を当てている凄腕工作員」としては、伊藤計劃がこよなく愛し、ノベライズも手掛けた「メタルギアシリーズ」の主人公ソリッド・スネークが挙げられる。


  • エイブラハム・ヴァン・ヘルシング
「ウォルシンガム機関」の一員。
表の顔は著名な精神科医だが、有名なのは主に副業の東欧の民俗学のため。
ドラキュラ伯爵の研究がとくに有名で俗に「吸血鬼ハンター」として知られる。
裏の顔は大英帝国とロシア帝国のグレート・ゲームの最前線で活躍するスパイ民俗学の研究はその副産物。

20年前、ザ・ワンが一度作り上げた「屍者の帝国」をセワードとともに滅ぼして以降、ザ・ワンを追っている。
屍者の帝国壊滅の話はある程度市井にも伝わっているらしく、世間では「スゴイ人」として扱われているらしい。
ワトソンの才能を見抜き、「M」にワトソンを紹介する。それ以降は一旦物語からフェードアウトするが、終盤にて宿敵ザ・ワンと今一度対峙することになる。

映画版では、伊藤計劃の「プロローグを描いた30枚の草稿」がカットされたため彼も未登場。ただしその役回りの一部は「M」に受け継がれている。
コミック版では1巻にてMと共にワトソンの前に登場するが、ワトソンに拳銃を突きつけただけで最終巻のラストまで出番なし。

原典は言わずもがな、ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』の登場人物にして世界一有名な吸血鬼ハンター、エイブラハム・ヴァン・ヘルシング。
本作以外ではアクション洋画「ヴァン・ヘルシング」や、平野耕太「HELLSING」が有名か。
モノクロ映画時代からスタイリッシュで吸血鬼打倒に燃える人物として扱われることが多いが、
大元の小説では本作と同じ東欧の民俗学に詳しい精神科医の老紳士である。


  • ジャック・セワード
「ウォルシンガム機関」の一員。ワトソンの指導教官。
20年前、ザ・ワンが一度作り上げた「屍者の帝国」をヘルシングとともに滅ぼしている。
ワトソンの才能に一目置いており、ヘルシングと共に「M」へワトソンを紹介する。

映画版では、伊藤計劃の「プロローグを描いた30枚の草稿」がカットされたためヘルシングと同じく未登場。その役回りの一部は「M」に受け継がれている。

原典はヘルシングと同じく、小説『ドラキュラ』の登場人物。精神病院の院長。


  • ロバート・ブルワー=リットン
ワトソンがアフガニスタン行きの前に最初に赴任したボンベイ城で、彼と対面したインド副王。
ウォルシンガム機関とは互いに不信感を抱きあっており、ワトソンへ一方的に様々な「情報」と「機密事項の断片」を提示すると共に、彼に「本当の敵を自分で見定める」という命題を提示した。

実在人物で、太平洋戦争前に「リットン調査団」を率いて日本を訪れた「ヴィクター・ブルワー=リットン」は息子にあたる。だが史実では飢饉対策に大失敗し、本作の時期の後アフガニスタン対策の失敗の責任で更迭・異動処分を受けた。それでも帰国後伯爵位を与えられたが。
また彼の父は作家でもあり、エピローグでワトソンと再会した際、その著書の一つ『来るべき種族』(実在本)を彼に紹介していた。



映画版オリジナルキャラクター。「M」の秘書。
目立った活躍はなく登場シーンもごく僅かだが、その可愛さから印象に残る。
コミック版にもわずかながら登場。

原典は「007シリーズ」における「M」の秘書、ミス・マニーペニー(マネーペニー)。そのまんまじゃねーか!


ロシア・「屍者の王国」

  • アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフ(CV:三木眞一郎)
従軍司祭にして、屍者技術者。アフガン北に新たに作られた「屍者の王国」の主。親称は「アリョーシャ」。
軍事顧問団の一員としてアフガニスタンに派遣されるが、そこで新型屍者たちを率い脱走。「屍者の王国」を作り上げる。
彼の存在はロシア・イギリス双方から「グレート・ゲームの新たな火種になり得る存在」として警戒されることとなり、ロシアはニコライを、イギリスはワトソンらを派遣することになった。
そういう意味では、「屍者の帝国」の物語が始まるきっかけになった人物と言える。

「手記」を元に新型屍者を作り出したが、ロシアがこれ以上非人道的な新型屍者を作り出すことを恐れ、裏から手を引いて各地の新型屍者の製造を遅らせていた。
しかしこれ以上の遅延工作は不可能と悟り、新型屍者を率いて脱走。事の顛末を伝えるためにワトソンらを「屍者の王国」で待っていた。
そして彼はその身をもって、ワトソン一行に「手記」の存在を証明する…。

なお、かつてクラソートキンと共に「ニコライ・フョードロフ*2なる神秘主義者の知識人司書に師事しており、実は「屍者の王国」を築いた場所も、元々はフョードロフの思想に基づき「ある事」を調査していた縁から居着いていた。
そしてフョードロフが掲げるとされる「精神圏(ヌースフィア)構想」*3なる神秘学説は、クライマックスにて思わぬ形で掘り下げられてしまう事に…。

映画版でも登場するが、その末路は原作とは多少異なったものとなっている。
また、ワトソン一行に「手記の破棄」を約束させている。

原典はドストエフスキーの代表作、長編小説「カラマーゾフの兄弟」に登場する同名の登場人物。
ニコライと友人関係なのも原典と同一である。


日本

  • 山澤静吾(やまざわ せいご) (CV:斉藤次郎)
大日本帝国陸軍の将校。手記を追って来日したワトソン一行をサポートする。
「手記」を保有しているとみられる日本企業・大里化学*4への潜入に際し、同行する。

典型的な「サムライ」といった感じの、武人らしい真っ直ぐな性格。
薬丸自顕流の使い手で、劇中でもサムライ屍兵の動きを見て「無想剣の類」とひと目で流派を推察し、
扉の鍵をノブ部分のみをくり抜く事で破壊し、相手の一撃を喰らってからのカウンターの形とはいえ、戦闘に特化したサムライ屍兵を斬り捨てた作中屈指の実力者。

映画版でも登場。
わかりやすい活躍がないせいか、彼以外の日本に関わる登場人物はカットされている。
一般の太眉キャラもびっくりの極太眉毛が印象に残る。
コミック版でも役柄は同じだが、日本政府から「西欧列強との技術力の格差を埋めるため、ヴィクターの手記を確保せよ」という命令を内密に受けており、
ウォルシンガムをサポートする一方で、手記を確保するチャンスをうかがう。

原典は実在の人物、山澤静吾。
露土戦争の観戦武官として派遣されるが、トルコのピンチを目の当たりにして思わず参戦してしまったという逸話を持つ。


  • 大村益次郎(おおむら ますじろう)
元兵部卿。
10年前の屍爆弾によるテロで表向きは死んだことになっていたが、当時日本に滞在していたザ・ワンにより「半屍者化」の措置を施され生きながらえる。
ワトソン一行にザ・ワンの行方とヒントを教えた。

原典は実在の人物、大村益次郎。


アメリカ

  • ユリシーズ・シンプソン・グラント(CV:石井康嗣)
前アメリカ大統領。現在は民間軍事会社「ピンカートン」の代表を務めている。
全国に自身が北軍将軍として活躍した南北戦争で得た屍者技術を売り込んで回る傍ら、ザ・ワンと、ザ・ワンが背後にあると推測される、屍者を暴走させるテロ組織「スペクター」を追う。
ハダリーとバトラーの上司に当たる人物。

単細胞で力任せの、絵に描いたようなアメリカンな思考の持ち主。
「自分自身を囮にしてスペクターを誘い出し、捕まえる」という名目で「ピンカートンの代表でアメリカ前大統領」という立場にもかかわらず、公衆の面前によく姿を現してはテロに遭遇し、
そしてその度に生還する強運の持ち主。
しかし、肝心のスペクターの尻尾を掴むには至っておらず、挙げ句の果てには作中で
「『明治天皇と自分の会談』を囮にしてスペクターを誘い出して大量の屍兵で包囲する、屍者はピンカートン所属のものから日本の保有するものまで全部使う!
スペクターは『目標が屍者に包囲されているオイシイ状況』だから絶対動く!だからそこを押さえてやる!(意訳)」
というおバカ極まりない作戦を立案し、しかも実行してしまう。
これにはワトソンも「こんな人物を国賓として招き入れた日本政府に強い同情の念を禁じ得ない」と、グラントの無能・無謀さに呆れるととともに日本政府に同情の念を示していた。

映画版でも登場。「ザ・ワン」を追っていたが、原作では単にワトソン達とハダリー達が「目的地」を見出したので別れたのに対し、最後はハダリーに見捨てられてしまう。
コミック版でも大筋は同様だが、不意をついたバーナビーの攻撃で昏倒させられる、という展開になっている。

原典は実在の人物、ユリシーズ・シンプソン・グラント。
アメリカでは軍人としての活躍と、それと反比例するような政治家時代の汚職事件やスキャンダルの頻発から「最悪の大統領」と言われることもある程の有名人。現在では50ドル紙幣にその顔が使われている。
史実でも世界旅行や明治天皇との会見を行っており、日光東照宮を訪問した際、天皇しか渡ることを許されなかった橋を特別に渡ることを許されたものの、これを『恐れ多い』と固辞した、というエピソードがある。


  • レット・バトラー
「ピンカートン」の一員である元南部軍人の男性。かつてひょんなことからエジソンにハダリーを紹介され、財産半分を対価に彼女とともに行動するようになった。
後半では日本での再会とその時の事件を機に、ワトソンたちとも共同戦線を組んでいる。

映画版ではそのバックボーンが複雑なせいか、リストラ。

原典はマーガレット・ミッチェルの長編小説「風と共に去りぬ」の登場人物、レット・バトラー。


  • ウィリアム・シュワード・バロウズ
アメリカの都市「マウンテンビュー」で自らの会社ミリリオン社による解析機関「ポール・バニヤン」付属の通信施設・記録施設を管理している若き社長。作中では情報収集に来た主役陣と対面している。

史実では計算機発明から、後に製品が各種ドラマで使われることになるコンピューター企業「バロース」の創設者となり、孫のウィリアム・シュワード・バロウズ二世は小説家として世に知られている自作小説の名前のみを別小説家作品の実写化映画の題に流用されたりもしたが


用語

  • 屍者・屍者技術
約100年前、ヴィクター・フランケンシュタイン博士が確立したとされる技術。及びそれによって「蘇った」人間のこと。
21グラムの魂を失った死者に擬似霊素をインストールすることで、文字通り死人を「蘇らせる」技術。
確立当初は多くの人々がこの「死者の蘇生」を恐れ、否定し、忌み嫌い、屍者技術が認められることはなかったが、
息子や夫を戦争で亡くす恐怖に怯えていた女性たちが「屍者は兵士に転用できる」という事に気づいたことで状況は一変。
軍事方面を中心に「屍者技術の可能性」に気づいた世界は、掌を返すように屍者技術の開発に取り組んだ。
これに伴い屍者もまた世間に急速に浸透し、多くの役割を持った屍者が、瞬く間に地上に溢れかえった。
物語が始まる19世紀末においては、既に屍者技術は「無くてはならない存在」になっている。その需要の高さは、屍者欲しさに「死体泥棒」なる事件まで起こるほど。

屍者は死体に擬似霊素と、用途に応じたプラグイン(後述)をパンチカードと擬似霊素書込機を使って書き込むことで蘇生する。
しかし蘇った屍者は人間と同じような行動ができるわけではなく、
  • 自意識を持たない。あくまで書き込まれた擬似霊素と命令に従って行動する
  • 言葉を持たない。ただ吐息やうめき声を上げるのみ
  • 動作は緩慢で大雑把。バランス感覚に異常があるのか、常に体は前後左右に揺れている
  • 生前の人間の意識は持たない
など、まるでゾンビ映画に登場するゾンビのような振る舞いをする。
耐用年数はワトソン曰く「約20年」。
屍者技術は100年前のヴィクターの技術がベースになっているが、ヴィクターの手記はザ・ワンに持ちだされて多くの知識が失われてしまったため、
記事冒頭でワトソンが述べたように、現在の屍者はザ・ワンの性能に遥か及ばない。ザ・ワンと比較され「木偶の坊」と形容されるレベル。
また技術普及初期、統計学者でもあったフローレンス・ナイチンゲールによって「フランケンシュタイン三原則」なる禁則事項が制定。
1.「生者と区別のつかない屍者の製造はこれを禁ずる」
2.「生者の能力を超えた屍者の製造はこれを禁ずる」
3.「生者への霊素の書き込みはこれを禁ずる」
と、主に製造側における制限が課されており、他にも「女性の屍者化禁止」という禁則も存在する。
(なおワトソンは、独白にて現実で言う「ロボット三原則」的な屍者自体に対する禁則の方が良かったのではとも思考していた)
とはいえこれらはあくまで倫理的なタブーなので、色々な理由で破る者も後を絶たず…。

作中では運搬、雑用、解析機関の運用、そして女性たちが支持した軍事方面などに屍者技術が活用されており、兵士としての機能を持った屍者は「屍兵」と呼ばれ区別される。
屍兵は痛覚もなく、身体が大きく欠損しない限りは擬似霊素に従い進軍と攻撃を続けるため、「点」の攻撃である銃撃は効果薄とされ、
逆に至近距離での剣や槍、爪、そして肉体を使った格闘戦の方が効果は大きい。
このためか、今作の戦場では「屍者同士が白兵戦用の武器を持ってネクロウェアに従って技巧もクソもない動作で武器を振り回し、武器や手足をなくしても互いに動ける限り攻撃し続ける」という、
19世紀末の戦場とは思えない野蛮そのものな光景が繰り広げられている。


  • ネクロウェア
死体にインストールされる「擬似霊素」の内訳。
切開した延髄にルクランシェ電池を電源にした霊素書込機を刺し込み、パンチカードリーダーを使って書き込まれる。
内容は「肉体を制御する制御機関」「用途に応じたプラグイン」の2つで、例を挙げればフライデーは運動制御用の汎用ケンブリッジ・エンジンと、
受け取った言語を記録し、メモ帳に書き出すための拡張エディンバラ言語エンジンを書き込まれている。
また簡易霊素書込機を使えばある程度簡易な機能なら追加インストール可能なようで、ワトソンは映画版で大里化学侵入時フライデーに暗号解析用のプラグインを追加することで扉を解錠した余談だか、そんな大層なセキュリティも何もなかった原作では大澤の刀で何とかした
要約すれば、屍者のためのOS。


  • 新型屍者(グローバル・エントレインメント)
近年戦場で確認されている新型の屍者。新型の屍者は人間に近い素早い動作を行い、相手の動作を「先読み」するほどの反射神経と思考速度を持っている。
主に屍兵に用いられ、従来の屍者を圧倒する戦力として活躍した。
イギリスとロシアがカラマーゾフの存在を警戒したのも、この新型屍者の存在あっての事だった。
屍者の王国に辿り着くまでは「新型のネクロウェア」程度の認識であったが…?

+ ネタバレ注意
その正体は「ネクロウェアを意識に上書きされ、強制的に屍者化された生者」。つまり、新型屍者は厳密には生きている。
生者にアヘンと特定の音楽を使い、意識を「変性意識状態」と呼ばれる多幸感や全知全能感に満ち溢れている状態に誘導し、曖昧になった意識に擬似霊素を上書きすることで製造される。
また日本の大里化学ではアヘンと音楽の代わりに病原体を使い、意識が朦朧とした状態を利用して同様の手順を行っていた。

「手記」を元に作られた三原則に違反する存在であり、作中ではカラマーゾフがその身をもってワトソン達に「手記」の存在を示した。
また、この事実を知ったワトソンは「カイバル峠で鹵獲し、自分が解剖・実験した新型屍者もまた『生きていた』」ことに突き当たり、強いショックを受けている。
映画版では、ニコライもカラマーゾフの後を追うように自死・屍者化し、より衝撃的なシーンとなっている。


  • ヴィクターの手記
ザ・ワンが保有すると伝えられる、ヴィクター・フランケンシュタイン博士が記した「屍者技術のオリジナル」
作中では多くの人の手と国をわたっており、ワトソン一行は手記をめぐりロンドンから出発しアフガンへ、アフガンから日本、アメリカ、そして最後にロンドンへと帰国することになる。
大里化学にあった手記のコピーはパンチカードの形状をしていたが、実際の手記もパンチカード状であったのかは不明。
作中では試しにフライデーにインストールされたが、その解読内容は使用文字すらコロコロとすぐ変わり、同じパンチカードから違う意味の文章断片が2つも読み取れる程混沌としていた(ハダリー曰く、それでもそのレベルで文章を導きだしたフライデーの計算力はずば抜けているらしい)。

映画版では大里化学にあったパンチカードの手記がオリジナルという設定で、ザ・ワンが手記奪還のために現れている。


  • ウォルシンガム機関
イギリス政府の諜報活動を一手に担う秘密部署。表向きは「ユニバーサル貿易」なる名前を名乗っている*5
作中では「M」を指揮官に、ワトソン、バーナビー、ヘルシング、セワード、マニーペニー(映画版)が所属していた。
また、開発部門として「Q機関」なる下位部署も存在する。

元ネタは実在の人物で、イギリスの政治家フランシス・ウォルシンガム。
秘密警察長官・スパイマスター的な立場の人物で、作中でも有名な存在らしく、ウォルシンガムという名前が出た時にはワトソンも反応している。


  • ピンカートン
実在するアメリカの探偵社・警備会社。私立探偵アラン・ピンカートンによって設立され、一時は軍事組織に比肩するほどの戦力を保有していたという。
本作では屍者技術を導入することでPMC(民間軍事会社)の扱いになっており、グラントが世界旅行の道中でその戦力を各国に売り込んでいる。


  • スペクター
1.劇中で「霊素」という単語に時折振られるルビ。
2.世界中で屍者を暴走させ、事件を起こしているとされるテロ組織。ザ・ワンが背後にいるとされ、グラントはこれを追っているが、一向に成果は出ていない。
3.ハダリーがワトソンに語った「ネクロウェアの欠陥」のこと。
いわく「一定以上の複雑さを持った構造に必ず現れるセキュリティホール」らしく、屍者だけでなく、人間、社会構造など、複雑な構造を持ったものには必ず「スペクター」が出現するという。
ハダリーやザ・ワンはこのスペクターを利用して、屍者に「音」を伝え、使役することができる。

スペクター自体は「幽霊」「亡霊」といった意味合いの言葉であるが、組織名としてのモデルは007の宿敵的たる秘密結社「スペクター」であろう。
007シリーズが現実的になるにつれて登場しなくなったが、奇しくも映画版『屍者の帝国』と時を同じくして、『スペクター』もまた復活を遂げた。



  • 解析機関
列強が有する、超大型の演算装置。いわばパソコンのご先祖様。歯車式計算機と言えばイメージしやすいか。
ネクロウェアのアップデートをはじめとする計算を一手に担っており、全機体が海底ケーブルを介してのオペレーターによるモールス信号を通じてネットワークを構成している。
ロンドンの「チャールズ・バベッジ」を筆頭に、ロシアの「イヴァン」、アメリカの「ポール・バニヤン」などが存在。

本作に登場するような高性能なものではないが解析機関自体は現実世界にも存在し、蒸気機関で稼働する原始的なコンピュータのようなものだったらしい。
数学者のチャールズ・バベッジが実現しようとしたものの、様々な問題に突き当たり、失敗している。
具体的には歯車に依存する為、発展させようとすると大型化が不可避なこと(ロンドン塔そのものが解析機関化しているのは極めて『現実的』描写である)、
歯車の動きを狂わせる異物に極端に弱いこと、精密な工作技術が不可欠で当時の技術では量産困難なこと、など。
しかしバベッジの没後、バベッジの遺した解析機関の設計図を使いそのいくつかは復元されている。




私は魂がほしい――
涙を流すための、悲しみや苦しみを感じるための魂がほしい。


「屍者の帝国」の劇中において度々語られる重要なファクター。人造人間のハダリーにはその実感がなく、アニメ版ではこの「魂」を追い求めている。


+ 物語の結末に関するネタバレ注意
ザ・ワンいわく、人間にはキノコの仲間に近い極小の「菌株」が寄生しており、人間と共生しているという。
この菌株の働きが、人間の言う「意識」を作り出しているだけに過ぎず、魂など幻想にすぎないとのこと。
つまり、ザ・ワンの言葉が正しければ人間の意識は菌株の活動の副産物にすぎないということになる。
屍者のメカニズムも菌株を刺激することで再び肉体を稼働させている、というもの。
ハダリーやザ・ワンが屍者を操れるのは、彼らが発する音が「屍者の『言葉』」であり、屍者の肉体で活性化している菌株に直接訴えかけているため。
ザ・ワンはこれを暫定的に「X」と呼称していた。これは「Xには『意識』でも『魂』でも、個人が一番落ち着く好きな言葉を代入すればいい」という意味。
そしてザ・ワンはこれを証明するように、自身の「目的」を叶えるために使う『「X」の非晶質体』なる青い結晶をクライマックスで提示したが、それはなぜか本編でカラマーゾフが身につけ、最後に真っ二つに割られた状態でワトソンが入手した「青い十字架」と類似しており…。

しかしワトソンから菌株説を聞いたヘルシングはこれを否定しており、よりシンプルな「X」の代入として「わたしなら単純にこう呼ぶ、『言葉』と」と反論している。
作中においてはこのどちらが正しいのかは、明らかにされていない。

映画版においては流石にこの要素は複雑すぎるためにオミットされているが、
「魂とは『言葉』」という主張は生前のフライデーやハダリーの思想に一部受け継がれている。
またザ・ワンが「妻」の魂を生み出そうとした際、胞子状の光が放たれ、また人体から結晶が発生するなど、原作と共通する描写がされていた。


映画版

冒頭に述べたように、ノイタミナの劇場アニメ「ノイタミナムービー」の1つとして、
伊藤計劃の遺した3つの作品を映像化する「Project-Itoh」の一番手に抜擢され、映像化されている。
制作は「進撃の巨人」「鬼灯の冷徹」を手がけたWIT STUDIO、監督は劇場アニメ「ハル」で初めて監督を手がけた新鋭・牧原亮太郎。
キャラクター原案は「ギルティクラウン」のredjuice、音楽は池頼広。

主題歌はEGOISTの「Door」。本作に限らず、Project-Itohの主題歌は全てEGOISTが担当している。
どこか歴代007の主題歌を思わせる部分もある切なげな曲調の一曲になっている。

2時間という大ボリュームだがそれでも原作の難解な内容は収まりきらなかったのか、多くの要素をカット・再構成し、大胆に設定変更がなされた部分も多い。
例を挙げれば
  • 冒頭の「伊藤計劃の草稿」とされるプロローグシーンをカット
  • ワトソンとフライデーのキャラクター設定及び関係性の変更
  • 物語の本筋に深く関与しないキャラクターのオミット
  • ロシア組の最期のシーンが変更
  • 終盤に語られる『X』関連のやりとりはほぼカット
  • 終盤~クライマックスの展開の改変
など、話を単純化・エンタメ成分を強化する方向で概ねカット・再構成されている。

もともとが情報量の多すぎる作品であるせいか、
カットと再構成に関しては「すっきりしてわかりやすくなった」「これはこれで、もうひとつの『屍者の帝国』としてアリ」という肯定的な意見が多い。
ただし終盤の唐突な「M」の行動や、『X』の設定をカットしたせいで意味不明な演出になった感があるラストのチャールズ・バベッジにおけるやりとりなど、
改変に伴う問題点もあり「原作の深遠さが失われた」「一概に改変がいい方向に働いたとは言えない」という原作派のファンも。

コミカライズ

映画版の公開と同時期に、『月刊ドラゴンエイジ』にてコミカライズも連載された。
全3巻にて完結済み。

原作というよりは映画版が下敷きとなっており、映画版をベースにさらに情報量を減らして再構成・アレンジされている。
ただし、この漫画化に際してのアレンジは賛否両論
  • 全体的にバトル漫画風に台詞・描写がアレンジ、強調されている
  • よりフライデー復活への想いが強調され、ホモくさい感情的な面が目立つようになったワトソン
  • 原作の豪快で破天荒な部分ばかりがクローズアップされ、ハイテンション脳筋キャラと化したバーナビー
  • (これ以降ネタバレ回避)ワトソン一行を裏切り手記のためにワトソンを殺そうとするが、そこに現れたザ・ワンの噛ませ犬にされてしまう山澤
  • ワトソンがフライデーへの執着を吹っ切り、「M」とザ・ワンを打倒して世界を救うという「勧善懲悪」的なストーリー
  • ワトソンは「屍者の言葉」を自身にインストールせず、フライデーに意思が宿ったかどうかも明確にされないラスト
など、原作・映画とは良くも悪くも別物に仕上がっている。

また、アレンジに関連しない問題点としては、全体的にアクションシーンの動きが固く描かれているために躍動感に欠けるという点がよく批判点として挙げられる。

オブラートに包まず言えば原作・映画ファン両方から不評を買うことの多い作品ではあるが、
ハダリーのの内面をクローズアップし「魂を何故欲するのか」という行動原理に踏み込むなどコミカライズ独自の見どころもある。
原作・映画とはまるきり別物のラストも「若干チープ感はあるが、これはこれで」「映画版より好き」というファンも少数ながら存在し、一概に「駄作」と切り捨てられるほどの酷さではない。


余談

「民間軍事会社化したピンカートン」という設定が『虐殺器官』を思わせることから、
「『屍者の帝国』は、『虐殺器官』の世界と地続きの物語である」「伊藤計劃作品は『屍者の帝国』→『虐殺器官』→『ハーモニー』という順番でつながっている一つのシリーズ作品」
という一部のファンによる考察がある。
ただし、あくまで一部ファンの推測の域を出ない説である。

先述の通り映画版では「伊藤計劃の草稿」にあたるプロローグシーンがカットされているのだが、これに関しては監督・牧原亮太郎はパンフレットにて
「最初の3ヶ月間で、原作をそのまま脚本化した。しかし、どう考えてもこのままでは内容が3~4時間に及んでしまう」
として様々なシーンをカットしたことを明かし、特に冒頭の「ロンドン大学での講義~ユニバーサル貿易に向かうくだりをカットするのには勇気が要った」と告白している。
…要素のカットには賛否両論あるが、よくもあの濃密な物語を約2時間に、きちんとした物語の形で収めたものである。

また、映画版ではより「ビフォア・シャーロック・ホームズ」としての要素が強くなっており、スタッフロールの後には当然「あの男」も登場する。
が、スタッフロールのキャストでネタバレされてしまうので若干台無し感がある
ワトソン博士とフライデーの冒険が、後にワトソンの記すホームズの冒険に新たな意味を持たせることになるのなら……。

きっとそこに、魂はあるのだろう。





「フライデー!追記・修正しろ!」
「そのパソコンとキーボードとマウスで、この記事を追記・修正するんだ!!」



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最終更新:2024年09月15日 15:57

*1 さらに遡れば、007シリーズのQも英国陸軍の兵站部門のひとつである「Quatermaster」から取ったネーミングである。

*2 実在の人物で、本人自体は具体的な著書を残さなかったものの、史実では「ロシア宇宙主義」なる思想潮流の始まり、引いては「トランスヒューマニズム」概念に繋がる思想家として知られている。

*3 史実ではこの単語自体の発明はフョードロフの死後の20世紀に行われたとされており、「ノウアスフィア」とも呼ばれている。

*4 この大里化学も「007シリーズ」からの引用。日本を舞台にした『007は二度死ぬ』に登場した敵組織に協力する企業の名前。映画版で相撲の観客席で山澤とワトソンが落ち合うのも『007は二度死ぬ』のパロディ。

*5 「007シリーズ」へのオマージュ。ユニバーサル貿易は、MI6が活動する際に表向きの名前として使われる。