捕手(キャッチャー)

登録日:2024/08/11 Sun 00:00:00
更新日:2025/04/04 Fri 09:08:40
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捕手(キャッチャー)とは、野球もしくはソフトボールのポジションの一つである。



【概要】


野球やソフトボールにおいて、投手の投球を捕球する役割を担うポジションである。
守備位置番号は「2」番。英語表記は「Catcher」で略称は「C」。
イギリスやインドで盛んなクリケットでは「ウィケットキーパー」と呼ばれる。


【主な役割】


その名の通り、投手からの投球を捕球し試合を組み立てることを主な役割とする。

ポジションとして求められる能力は、まずパスボール(捕逸)を阻止する捕球技術が何より重要。
捕逸するたびにランナーの進塁を許すため、捕球が覚束ない捕手ではとてもじゃないが野球は成り立たない。
近年はトラックマン等の弾道測定機器により実際の投球の細かいコースが測定できるようになり、捕球時の細かな技術も重要になってきている。
フレーミングと呼ばれるストライクゾーン際の球が球審から見てストライク判定されやすいキャッチング技術なども注目されている。

その次に肩の強さも重要な要素となる。
相手ランナーが盗塁を試みた際の成否は捕手の肩の強弱が大きく影響する*1ので、強肩と送球精度も可能な限り求められる。

また3塁から相手ランナーが帰ってくるクロスプレーの際、点を守る最後の砦とも言える役割を担う。
そのため突っ込んでくる相手ランナーにも負けない強靭な肉体も必要不可欠。捕手にがっちりした体型の持ち主が多いのはこのため。
ただ近年ではコリジョンルールの導入から「タッチが確実なら本塁突入をブロックする能力は最低限でもいいのでは?」という方針も認められつつある。
ドカベン山田やパクえもんレベルの巨漢である必要はないとする意見も定着しつつある。
さすがにあまりにも小柄な場合はキャッチングの都合もあってまだまだ「ハンディキャップになっちゃうよね……」だけど*2

日本の野球では捕手が投手に対して投げる球種やコースといった指示を出すことが多く、この一連の作業を「リード」と呼ぶ。
当然相手に打たせないことが求められるので、自チーム投手の情報、相手打者の得意不得意な球種・コースなど把握しておくべき情報が多い。
そのため記憶力や野球IQも他のポジションより要求される。

他にも相手打者の考えを読む観察眼や試合中の冷静な状況判断力、投手とのコミュニケーション能力など求められる事は多岐にわたる。
バスケのポイントガード、アメフトのクォーターバックと同じく「司令塔・第二の監督」とも呼ばれる重要なポジションでもある。
『実況パワフルプロ野球シリーズ』や『プロ野球スピリッツ』で査定されている「キャッチャー能力」はこれを表現しており、
投手のスタミナ消費を下げるなど強力な効果・仕様に関わる事が多く、非常に重要な能力として扱われている。
ちなみに優勝したチームのメイン捕手はキャッチャー能力が高く査定されるのがお約束。

一方でMLBでは配球などはベンチの監督・コーチが決めたり「投手が投げたい球を投げる」が主なスタンスなので、基本的にリードを必要としない
このため、捕手の評価基準自体が大きく異なっている。
それらの事とコミュニケーションの都合上、NPBに捕手の助っ人外国人が来ることはほぼ無い。来てもネタキャラ化しがち


【ポジションとしての特徴】


  • 捕手は投手に次いで専門職と言えるポジションであるため、プロ野球の捕手はアマチュア時代に経験済で入団してくる選手がほとんど。
    プロ入り後に他のポジションから捕手にコンバートするケースは非常に稀である。
    • 一方で捕手から他のポジションへコンバートするケースは多々ある。
      捕手としての守備力は評価されなかったが、打力、走力には非凡な物があったことで一塁手や外野手に転向して大活躍したケースは多い。

  • 守備面で重労働である捕手は、打力も同時に秀でた選手は内野手や外野手と比べると少なめ。
    NPBでの2000安打達成者は項目作成時点で55人いるが、捕手としても活躍した選手は野村克也、古田敦也、谷繁元信、阿部慎之助の僅か4人である。
    • 捕手としての技術が優れていれば、打撃成績が低くても目を瞑って正捕手として起用されることは少なくない。
      逆に言えば、打撃に秀でた捕手はどこのプロチームも欲しており需要が非常に高い。

  • 「捕手=鈍足」のイメージがある通り、捕手で「盗塁王」を獲得した選手はNPBでは未だに一人も存在しない。
    年間二桁盗塁すれば捕手としては俊足と一目置かれるレベルである。
…というか捕手は重い装備を装着しつつ試合の大半をしゃがんでプレイし、さらに返球などのために立ち座りを繰り返す必要がある。
そうなると当然膝や腰、さらに背中の筋肉にも常に負担がかかることになり、そこに疲労が加わると疲労骨折などの可能性も高くなりがち*3
これらの理由から走塁に関してはそこまで能力を期待されないことも多い。

  • 捕手として特に盗塁が多かったのは伊東勤・野村克也・和田博実の3人。1位の伊東は通算134盗塁でシーズン20盗塁も記録しており、初期のファミスタでも捕手にしては走力が高かったことでも知られる。2位の野村は通算117盗塁でシーズン2桁盗塁を30代で3度記録しており、ホームスチールも7度成功している*4。3位の和田は西鉄で活躍した捕手で通算121個を記録。NPBでキャリア通算100盗塁以上を記録した捕手はこの3人だけである。

  • 前述の通り外国人捕手は不都合が多いため基本的にいない。
    NPBにおける数少ない例外は日ハムで活躍中のアリエル・マルティネスか、2000年に中日に1年だけ在籍したデーブ・ニルソン*5(ちなみにアリエル・マルティネスもNPBキャリアは中日からスタートしていたりする)、ロッテオリオンズ末期に活躍したマイク・ディアズ*6ぐらいである。
    • 日本人選手のMLB挑戦でも同じような懸念点は指摘されている。というか実際に海外挑戦を選んだ選手自体が城島健司くらいしかいない。(谷繁元信もMLB移籍を模索し、手を挙げる球団もあらわれたものの条件面で折り合いがつかず日本にとどまることを選択した)
    • 過去にNPBの日本人選抜と外国人選抜による親善試合を開催した際、外国人捕手がいないという事情から1995年は大久保博元・定詰雅彦が、2005年は中嶋聡・里崎智也が外国人チームの捕手として出場している。

  • 前述の通り「第二の監督」とも呼ばれることから、プロで一定以上の成績を残した選手は引退後監督やコーチに就任することが多い。
    • 現役時代に一流捕手と呼べる成績を残した人物で監督・コーチ未経験者は城島健司と里崎智也ぐらいで意外と少ないが、2名とも広い意味でのフロント入りはしているほか、城島は毎年期間限定という形式でホークスの指導に入っていたが、2025年からは通年でホークスのフロント入りするとのこと。

  • 競技レベルが上がるに連れて左投の捕手はほぼ見なくなり、プロレベルだと「捕手=右投」は常識と言っていい。
    • 理由はいくつかあるのだが簡単に説明すると「左投は捕手にとって不利な要素が多い」ため*7
      また「左投用の野球道具は特注しなければ手に入らない程入手困難」という事情もある。
    • 実際に「ROOKIES」という高校野球を舞台にした漫画においても、負傷した正捕手の若菜智哉の代わりに捕手を務めた左利きの赤星奨志が「左用のミットなんか無いから、これ(グローブ)でいいっしょ?」と審判に確認するシーンがある。
    • ソフトボールでは左投の捕手も少数ながら野球よりかは存在している。
      ここから「実際には言うほど不利ではないんじゃないか」「右捕手が多いゆえの『慣れ』が主因では」とする意見も時折ではあるが見られる。しかしあちらは投球前に走者がリードを取る事は禁止とするルール = 盗塁をそこまで意識しない事や、野球に比べてバントが多用される傾向 = 体を反転させずに一塁に投げる事ができる左利き捕手が活躍できるシーンが比較的多いなど、競技特性の差によるところも大きい。

  • 専門職かつ1球団内に数人しかいないポジションであるため、他のポジションと比べて戦力外になりにくい傾向がある。
    • ある程度プロで年齢を重ねていて一軍で実績を残せていなくても居続ける現象は俗に「二軍の妖精」と呼ばれる。
      当wikiで項目まで立っている例としては元広島の鈴衛佑規がいる。
    • 逆に一流選手であっても代わりがいない為になかなか引退できない事もあり、ベテラン化しやすい傾向にある。

  • 上記の通り替えのきかないポジションであるため、試合でも常に控え捕手を残しておくことが定石とされているが、稀に怪我や代打によって出場できる捕手がいなくなってしまうことがある。そうなると当然捕手以外の選手ががマスクを被ることになり、「急造捕手」として話題となることが多い。
    • こういった事情から日本プロ野球においては捕手登録の選手を2人か3人を一軍登録するのが基本となっている。(前述の事情で代打や代走が出されやすいポジションであることから捕手3人体制を敷くチームが主流)
    • 急造とはいっても過去に捕手経験のある選手を起用する場合が大半で、正真正銘の未経験者を起用することは非常に稀。
    • 最も有名なのは、2009年9月4日の巨人対ヤクルト戦で、巨人の控え捕手がいなくなった事で二塁を守っていた木村拓也が12回表に捕手を守っているが、ブルペンで練習するなど捕手としての準備もしていた事もあって問題なくこなし、ヤクルトの攻撃を0点に抑えている*8
    • 上記の急造捕手とは異なるが、怪我人が続出したことで2軍の選手が足りなくなり、引退した選手を現役復帰させてマスクを被らせた例も存在する。

  • 投手との相性や信頼関係も重要な要素として挙げられる。分かりやすい所では独自の変化球やクセ球を持つ投手は慣れた捕手でないと捕逸のリスクが高まるため、無意識のブレーキがかかって全力で投じづらくなってしまう。
    • その為チームの組み立てによっては、同じ先発投手が投げる試合は先発マスクも必ず同じ捕手であったり、投手交代に合わせて捕手も交代すると言った運用もしばしばみられる。こうした特定の投手とのセット起用をされる捕手のことは「パーソナル・キャッチャー」と呼ばれる。
      • ナックルボーラーが定着するケースが多いMLBだと実際に「ナックルを投げられても捕球できる」捕手が…往々にして正捕手とは別に…ベンチに入ったりスタメン入りしたりするケースが存在するようだ。NPBでも投手との相性から有田修三・梨田昌孝のふたりがともに正捕手だった近鉄バファローズのケースが存在する*9

  • 捕手としてプロ入団後、他のポジションに転向し大成した選手は多く、捕手として一軍に試合出場経験のある名球会入り選手では、衣笠祥雄、小笠原道大、和田一浩、それ以外にも山崎武司、江藤智、飯田哲也、現役では近藤健介など、錚々たる面々がいる。
    • 逆に他のポジションから捕手に転向というパターンは少なく、木村拓也みたいな緊急時の急造捕手を除いて、コンバートの上に捕手登録された選手としては、楠安夫*10、根来広光*11などが成績的には目立つ程度である。

【主な実在選手】

(五十音順で表記)

《現役選手》


  • 會澤翼
現在まで広島東洋カープ一筋の選手。
1988年世代の一人で現在選手会会長を務める。
強打の捕手として3連覇に貢献した。ただプロ15年目ということもあり、現在は打撃指標に関しては…

  • 梅野隆太郎
阪神タイガース所属。
数年前までは阪神不動の正捕手として活躍していたが、近年は坂本誠志郎と併用される事が多い。

  • 大城卓三
読売ジャイアンツ所属。
高い打力が評価されており、一塁手として出場することも。ファンの子供にネタにされるレベルの驚異の鈍足でも有名。
打力に乏しい小林誠司に代わり正捕手の座を掴んだが、最近は岸田行倫の台頭や甲斐拓也の加入で再び激しいポジション争いに巻き込まれている。

  • 甲斐拓也
読売ジャイアンツ所属。
現役捕手の中でも1、2位を争う強肩の持ち主で「甲斐キャノン」が有名。
相棒の千賀滉大ともども育成選手から這い上がった叩き上げの経歴の持ち主から「育成の星(コンビ)」とも。
2024年オフにFA権を行使し、巨人へと移籍した。

  • 小林誠司
読売ジャイアンツの元正捕手。2020年辺りからはほぼ菅野専門。
上にも書かれている「捕手としては超優秀、打者としては打率2割5分を超えたのがシーズン初年度の2014年(.255)のみ、2024年末時点での通算打率が.204という高校生にも劣る」タイプ。
ただし盗塁阻止率に関しては2017年に.380をマーク。だがそれ以上に驚異だったのは137試合に出場し、相手が盗塁しようとしたのがわずか50回という数値(なお137試合出場もリーグトップ)。
走者は盗塁を試みても刺されてしまうのでそもそも走ろうとしない......という、「出るだけで相手への抑止力になる」レベルの超守備型キャッチャー。
防具にこだわりを持ち、メーカーと相談してクッション性の強いレガースやボコボコしていない平面型のプロテクターを使用。メーカーは「小林モデル」として販売している。
なおオールスターやWBCで謎のホームランを打った経験から「巨人以外だったらバッターとしても一流半までは成長したのでは」という意見もあったり。
また、WBCでやたら打ちまくった一方、シーズンではその反動か低迷したことから「世界でしか通用しない男」などと呼ばれたことも。
イケメンであり、やたら女性人気が高い。そのためオールスターのファン投票では毎回一大勢力を築いている。

  • 坂倉将吾
広島東洋カープ所属。
高い打撃センスの持ち主で、三塁手・一塁手としての出場も多い。外野手としての出場も少数ある。
首位打者にわずか2厘差の高打率をマークしたことも。

  • 佐藤都志也
千葉ロッテマリーンズ所属。
野球漫画MAJORに登場する佐藤寿也と同名異字
その経緯もあって「名前が名前なのでキャッチャーだけはやりたくなかった」と語ってた。
一塁手としても起用されるほどの打撃が売りで2024年オールスターゲームのMVPに輝いた。

  • 田村龍弘
千葉ロッテマリーンズ所属。
数年前まではロッテ不動の正捕手として、国際大会にも招集されるなど活躍していたが、近年は前述の佐藤都志也や松川虎生と併用される事が多い。
田村ゆりの名前の元ネタの人。

  • 戸柱恭孝
横浜DeNAベイスターズ所属。
高いフレーミング技術と意外性のある打撃が持ち味。
社会人から入団後、ラミレス監督の目に止まり瞬く間にDeNAの正捕手の座を掴む。その後は自身の打撃不振や他の捕手の台頭などもあり長く二番手捕手としての立場からチームを支えている。
戦力面・技術面併せて地味ながら貢献度は高く、彼の入団はそれまで捕手に苦しみ続けたチーム事情を変えた文字通りのターニングポイントだったと言える。
一方、かなりの老け顔・昭和顔であるため入団直後から大洋戦士*12等とよくネタにされる。

  • 中村悠平
東京ヤクルトスワローズ所属。
2022年からはヤクルトの正捕手の象徴・背番号27を古田以来15年ぶりに背負う。
2023年のWBC世界一時の捕手でもあり、カラムーチョをよく食べていることから「ムーチョ」のあだ名がある。

  • 伏見寅威(ふしみとらい)
北海道日本ハムファイターズ所属。
オリックス時代は一年後輩の若月健矢とともにバッテリーコーチの鈴木郁洋(すずきふみひろ)から捕手としての技術や心得を叩き込まれる。
伏見、若月共に壁性能が高く、2016年には捕逸ゼロだった。
この年は、一軍、二軍、交流戦、オープン戦と全て最下位の完全最下位を達成するなど、勝ち星を逸らしていたが…
緩急の使い方が上手く、技巧派投手が登板すると主にマスクを被っていた。
2022年オフに北海道日本ハムファイターズにFA移籍。

  • アリエル・マルティネス
北海道日本ハムファイターズ所属。
キューバ出身のNPB唯一の外国人捕手。その打撃力を買われて捕手以外のポジションで出場する事も多く、日ハム投手陣・玉井大翔によれば「マルティネスは捕手なのにサインが覚えられないようだ」、宮西尚生に至っては「マルティネスから知らん変化球のサインをもらって首を振ったことがある(注:他の投手と混同した?)」と後述の里崎が「本塁クロスプレイでのタッチが上手だよね」とブロック面を評価したのと同じ捕手とは思えんほどボコボコに言われてしまっており、NPBに慣れてきてそうな現在でも比較的捕手扱いはされていない*13…割に活躍はしている奇妙な選手。

  • 森友哉
オリックス・バファローズ所属。
甲子園出場時はもちろん*14、プロ入り後も高卒ルーキーイヤーから一軍で本塁打を放つなど早くから打棒が高く評価されており、首位打者獲得経験もある。
一方で捕手としての守備力に課題があったため、当初は右翼手・指名打者での出場が中心だったが、キャリアを重ねていくにつれて捕手としても評価されるようになった。
捕手としては伏見の後釜として技巧派投手の面倒を見る事が多い。

  • 山本祐大
横浜DeNAベイスターズ所属。
独立リーグ出身で、ドラフト9位(支配下全体最終指名)から強肩を武器に第三捕手の座を掴むと、そこからベテランの伊藤光や戸柱との争いを制し、2023年には東克樹とともに最優秀バッテリー賞を獲得。若き正捕手として活躍中。

  • 若月健矢
オリックス・バファローズ所属。
打力は森に劣るが、守備力の評価が高く、2023年にゴールデングラブ賞を受賞した。
嫁は「ヤバイわよ!」の人。ガチオリックスファンの彼女と結婚してから課題だった打撃が多少は改善された。
打撃好調時は嫁の出演作にあやかって「プリンセスフォーム若月」とファンから呼ばれ、パ・リーグTVや球団公式にまでネタが認知されている。
こちらは森とは対照的に速球派投手の扱いに定評があり、佐々木朗希のフォークを難なく捕球する映像を見たロッテファンが若月欲しいとボヤいたとか。

《OB選手(NPB経験者)》


  • 相川亮二(あいかわりょうじ)
横浜ヤクルト巨人3球団で活躍した捕手。
東京学館高校時代は一学年下の石井弘寿とバッテリーを組み、「1番•捕手」として活躍、夏の選手権大会•千葉県大会ベスト8。
1994年度ドラフトで横浜から5位指名を受け入団。しばらくは故障もあり一軍に定着できなかったが、2003年の後半戦から覚醒、2004年以降は正捕手の座を掴む。
FA権を行使し2009年シーズンからヤクルトへ移籍すると、こちらでも古田敦也引退後の正捕手としてチームを引っ張る。
その後は中村悠平の台頭などもあり再度FA権を獲得した2014年オフに巨人へ移籍、2017年に引退。
アテネ五輪や第1回・第3回WBCといった国際大会への参加も多かった。
捕手としては、壁性能が高く球を後ろに逸らさない守備や、肩の強さより捕球から送球までの速さ・正確さが秀でたスローイングが特徴。
打撃はセンター返しを意識した基本に忠実なもので、捕手らしく配球を読んだ狙い打ちが得意。

  • 阿部慎之助
守のみならず攻撃でも主力として00年代~10年代の巨人を支えた巨人史上最高の捕手。
現在は巨人一軍監督を務めており、初年度成績も序盤戦こそ「経験不足からミスする」は見られたが最終的には十分なものか。
バッティングにおいて、捕手は自身のリードなどから相手投手の配球を読んで打撃に活かす選手が多い中、阿部は自らの天性で「来た球に反応する」タイプだった。
顔立ちのせいで巨人ファンからも終身名誉ウナギイヌ扱いされてしまっている
またヘルメットとマスクが一体化しているホッケータイプの特注ヘルメットを使用していたことでも知られている。

  • 石原慶幸
広島カープの正捕手して活躍した選手。
そのリードとキャッチング、そして人柄はクリス・ジョンソン投手に「メジャー級」「アメリカにつれて帰りたい」と言われるほど。
だがスクイズを読まれてウエストボールを投げられた際にバットに当てようとして「飛ぶキャッチャー」と化したり(しかも2回も。2回とも失敗しているが)、ボールを見失い足元の砂を掴んで牽制のフリをした「一握の砂事件」など変な事も多かった。達川の後継者
また引退の翌年に同じ苗字の捕手石原貴規選手が入団し、転生したと言われたりした。
総じて記録より記憶に残る選手であった。

  • 伊東勤
熊本工業(定時制)時代、外野手だったがライバル校九州学院にいた藤村寿成(藤村大介の父)の盗塁を阻止するためだけに捕手にコンバートされた。その後、西武の球団職員*15を経て西武に入団。
80年代~90年代前半の西武黄金期の名捕手。
引退後は西武とロッテで監督を務めた。
基本に忠実な両サイドを使う手堅いリードが代名詞。また捕手にしては俊足で1000試合以上出場した捕手としては最多となる通算134盗塁を記録している。

  • 大久保博元
1985年、西武に1位指名されたが、伊東勤という高い壁に阻まれて打力を磨いて代打を中心に出場したのち1992年に巨人に移籍。
移籍して早々、正捕手起用されて2ケ月で12本塁打を打つなど無双、「大久保が打てば負けない」とまで言われた。
しかし、打力ばかり磨いていたせいか徐々にリード面で綻びが出始めて、シーズン後半は正捕手の座を失った。
ただ、闘志を前面にむき出すスタイルは長嶋茂雄からは重用された。
1994年のNPB球団の所属選手からなる外国人選抜チームと日本人選抜チームが対戦した「阪神大震災復興支援チャリティードリームゲーム」では、外国人側に捕手がいなかったため、あだ名が外国人的であることから、「デーブ」の登録名で外国人チームとして参加したこともある。
引退後は、「デーブ大久保」の名前でタレント活動をした後、西武・巨人のコーチや楽天の監督などを歴任。焼き肉屋をプロデュースしたりと多方面で活動している。

  • 小田幸平
1998年に巨人に入団。当初からキャッチング能力、ブロック能力に長け、ルーキーイヤーから出番が多かったが、打力は甚だ残念でレギュラーは程遠かった。
2005年にFA人的保証で中日に移籍後は山本昌先発時にスタメン起用されることが多くなり開花。
シーズンを通してレギュラーになることはなかったが、それでも現役生活17年の多くを1軍で過ごした。
現役生活後半のヒーローインタビューなどで度々披露した「やりましたー!!」がトレードマーク。
「細かすぎて伝わらないモノマネ」に本人役で出演した唯一の人物。

東京ヤクルトスワローズに所属。
1996年に入団後、希代の名捕手古田敦也という厚すぎる壁に阻まれながらも、それに次ぐ「二番手捕手」という難しいポジションで信頼を築き上げ12年間のキャリアを全うした。
詳細は当該項目を参照。

  • 木戸克彦(きどかつひこ)
1985年阪神が日本一になった時の正捕手。
入団3年目の木戸はPL学園高校と法政大学でキャプテンをしていたことから、当時の吉田義男監督は木戸にチームをまとめる能力があると判断したのが抜擢の理由であった。
3年目とは思えない理詰めのリードと冴えた勝負勘、二塁への安定感あるスローイングなどのサポートぶりで、ベテランから若手まで投手陣から信頼を集めた。
全盛期には木戸をメインに1年目の嶋田宗彦(しまだむねひこ)、7年目の山川猛(やまかわたけし)の二人が交代で出場する形をとり、木戸は103試合出場、嶋田が30試合出場、山川が48試合出場と一人に負担が掛からないようにするローテーションだった。
木戸本人は1988年に規定打席に到達したが、後の年は怪我や故障に苦しむ年が大半だった。
現役引退後はバッテリーコーチ、二軍監督を務め、一旦解説者へ。
2008年に一軍作戦兼バッテリーコーチとして阪神に復帰。
ヘッドコーチも務めた後2012年からは球団フロントに入閣し、女子日本代表ヘッドコーチに就任。

  • 木俣達彦
中日で活躍した小柄ながら強打がウリの捕手。
2年連続30本塁打を記録するなど、野村、田淵に次ぐ第3の「昭和の打てる捕手」といったところか。
一度不振に陥り成績が下降すると、一本足打法でグリップを極端に下げてからトップの位置に持っていく「マサカリ打法」を編み出し、上からボールをぶつけることで安打を量産した。
通算1876安打は捕手の中で史上5位。

  • 里崎智也
06年第1回WBC優勝時の正捕手で、現役時代は千葉ロッテ一筋で攻守に歌に活躍。
いかんせん近い世代に守備のみならず打撃にも秀でる歴史的名捕手が多すぎたり、他捕手との併用も多かったことから実績と知名度の割にやや地味な評価に落ち着いているが、1018試合の守備出場で日本プロ野球最少となる通算捕逸19個の記録を残すなど、その能力は一流。
引退後は持ち前のトーク力を活かしテレビ番組で活躍し、YouTubeチャンネルも大ヒット。
今ではすっかり少なくなった全国放送の地上波に顔を出す野球解説者。

  • 嶋基宏
楽天が2013年日本一になった時の正捕手。
入団当時の監督だった野村克也から正捕手に抜擢され、時に直立不動で説教を受ける姿が中継で映されるなど野村イズムを叩き込まれた。「野村克也最後の弟子」と評されることも。
野村監督によれば、正捕手に抜擢された理由は頭の回転の良さとコミュ力の高さだった、とのこと。
素早く正確なスローイングに定評があり、バント処理時には動きの良いところを見せている。
バント等の小技が上手く、一塁到達4.22秒と捕手としては足も遅くなく、2010年には12球団の捕手で最多タイとなる9盗塁を記録している。
2010年オフに球団の選手会長に就任したが、程なくして東日本大震災が発生。その後行われたチャリティー試合の際に「見せましょう、野球の底力を」とスピーチしたことが話題となった。
2012年からはプロ野球選手会会長も務めた。
2019年に球団から指導者を打診されたが、現役続行の意向からこれを断り、自由契約を申し入れ認められる。
その後ヤクルトに移籍し2022年に引退。2024年現在はヤクルトでヘッドコーチ兼バッテリーコーチ。

  • 城島健司
ダイエー(ソフトバンク)→シアトルマリナーズ→阪神と3球団で活躍した、
90年代後半~00年代前半の球界を代表する「打てる捕手」の筆頭株であり、座って盗塁を刺せるほどの驚異的な強肩も武器だった。
経歴の通り日本人捕手としては唯一MLBでもジョージ・マッケンジーとして活躍した。しかし日米の捕手の役割の違いから苦労もしたという。
2025年より釣りタレントを休止してホークスの通年指導者に入るとのこと。
ブルガリア!ブルガリア!

  • 鈴木郁洋(すずきふみひろ)
選手として中日近鉄オリックスに所属。
シドニー五輪で野球日本代表のマスクを被り、あだ名が「シドニー」と付けられた。
金銭で近鉄に移籍、再分配*16でオリックスに入った。
現役時代、規定打席の到達は無かったが、俊足の2番手捕手としてチームに欠かせない存在だった。
オリックスではバッテリーコーチとして若手捕手に捕手としての技術、心得を叩き込み、門下生として伏見寅威、若月健矢がいる。
二人とは今でも時間を合わせて三人で食事をする仲である。
しかし、チームが暗黒時代オリックスだった事から、2020年オフに結果が出ないと見做され退団。
その年に韓国球界KTウィズとコーチ契約。
韓国で伏見、若月クラスの捕手を育ててみせると、二人に話していた、と若月が取材で答えていた。
現在は韓国球界SSGランダースのコーチに就任。

80年代の広島の正捕手。『グラウンドの詐欺師』。
試合中にコンタクトレンズ紛失や数々のトリックプレー、「本人は被死球を主張」など話題に事欠かない。
引退後は監督も務めた。
詳細は当該項目を参照。

  • 谷繁元信
98年の横浜優勝と00年代の中日黄金期を支えた名捕手。通算試合出場3021はNPB記録であり野村克也をも凌ぐ。
高校時代は打撃力の高さで注目されており、プロ入り後しばらくの間も打撃と肩力は秀でているもののリードや守備力はイマイチという評価が一般的だった。
しかし、バッテリーコーチ→監督を務めた大矢明彦の指導もあり成長を遂げチームを日本一に導く扇の要となる。
森祇晶監督との対立もあり中日にFA移籍した後は完全にチームの中心選手となる。途中から打撃については2年連続で打率がリーグ最下位になるなど確実性に欠く面がみられたが、守備においては日本を代表する捕手の一人として数えられるようになった。
晩年は古田敦也と同じく選手兼任監督も経験、その後選手として引退し専任監督に転向した。
キャリア初期こそ物覚えの悪さで苦戦するなどしたが、成長後は監督や同僚の選手たちなどからその能力を高く評価される名捕手に。
山本昌や岩瀬仁紀など世代を問わず投手から配球面を称えられることも多く、また独特の捕球技術は古田や里崎智也といった一流の同業者だけでなく審判員*17からも絶賛されている。

  • 田淵幸一
阪神→西武で活躍した70年代の球界を代表する選手だが、意外にも捕手として活動したのは阪神時代のみ。
ホームランの放物線の美しさから「ホームラン・アーチスト」とも呼ばれる。
ただ怪我や病気も多く、1970年には左こめかみに死球を受け、4日間も意識不明で一時危篤状態に。これを機に全打者に「耳あて付ヘルメット」が義務化となった*18
いしいひさいちの漫画『がんばれ!!タブチくん!!』のモデルであり、主に故障を重ねる中で太っていった体型や守備の粗さ、ランニングホームランに縁が無い程の脚の遅さ等、ネタキャラとして一躍知名度を上げた。
そのため阪神末期~西武時代はポンコツのイメージがあるかもしれないが、実際は西武移籍後打者としてシーズン43本塁打や83年日本シリーズ優秀選手獲得を記録し、その後10年以上続く黄金時代の形成の立役者となった。
なお福岡移転から間もないダイエーにて監督経験もあるが、采配のみならず他球団のトレード要員情報を漏らすなどの行動もあり黒歴史となっている。

  • 田村藤夫(たむらふじお)
西武黄金期の正捕手•伊東勤氏が現役時代
「もっと評価されるべきキャッチャー」
として見ていた日ハムの正捕手*19
伊東は「もっと評価してもらってよかったキャッチャー。一緒にやったらよさが分かる。勝負強かった」と振り返った。
田村の現役時代は西武の黄金期と被り、田村は日ハムが2位に躍進した1993年にベストナイン、ゴールデン賞を1度ずつ受賞。
日ハム時代に同僚であった大島康徳は田村を「キャッチャーとしての技術は超一流でした」と評価。
田村は伊東に「お前のとこ(西武)ばかり優勝しているから。ウチ(日本ハム)が優勝してたら俺も賞(もう)一つ二つ獲れたと思うよ」と言われるという。
ベストナイン10度、ゴールデングラブ11度受賞の伊東は「その通りです」と認めた。
ロッテを経てダイエーの一軍バッテリーコーチであった若菜嘉晴の懇願で移籍。
「城島健司に手本を見せてやってくれ」
と頼まれ、城島健司も「田村さんからは実戦で学ぶことが多かった」と述べている。

  • 中尾孝義
捕手にしては珍しい「走れる捕手」。1981年中日に入団すると、木俣達彦から正捕手の座を奪い、ルーキーイヤーから躍動。
翌年にはリーグ優勝に貢献してセ・リーグ捕手初のMVPを獲得。
その後、コーチ陣とひと悶着あって外野にコンバートされるが、捕手にこだわり巨人に移籍。
すると、当時くすぶっていた斎藤雅樹の覚醒に一役買って平成の大エースに進化するきっかけを作る。
晩年は西武に在籍して1993年に引退。
ツバのない丸型の捕手専用ヘルメットをプロ野球で初めて導入した選手でもある。

  • 中沢伸二
現役は阪急一筋20年、第2期黄金期の捕手。1978年には今井雄太郎の完全試合をアシストする。
打力の評価は決して高くないが、頭脳的なリードは野村克也も高い評価をしている。
弱肩で盗塁阻止率が低いことが欠点とされていたが、MLBから来た臨時コーチの指導により動作各所のタイミングを改善して克服する。

  • 中嶋聡
80年代後半~90年代前半の阪急・オリックスで活躍した捕手。
その後も様々なチームを渡り歩き、最後に所属した日本ハムではバッテリーコーチも兼任した。
日本ハムではほぼ2軍だったが、1軍と2軍の本拠地が遠いというチーム事情から緊急時に直ちに昇格可能な捕手としてなかなか引退できず、現役生活29年はNPB最長記録である。
2021年から2024年までオリックスの監督を務め、在任中はパリーグ3連覇と日本一を達成。
強肩であり、星野伸之の超スローカーブを素手でキャッチして星野より速い直球で返球した話はあまりにも有名。

  • 中村武志
80年代後半~90年代の中日を支えた捕手で現役晩年は横浜、楽天で活躍した。
主に古田敦也の壁に阻まれベストナインやゴールデングラブといったタイトルは獲得できなかったが、90年代のセリーグを代表する捕手。
星野仙一の鉄拳制裁をもっとも食らった選手として有名。
楽天ではその豊富な経験で創設期のチームを支え、2005年7月31日の試合では有銘兼久と組み球団初の完封勝利(有銘自身もプロ初勝利)を達成し球団史に名を残している。

  • 梨田昌孝
80年代の近鉄で正捕手を務めた。甘いマスクと強肩、独特の「コンニャク打法」で有名。
一時はこちらもスタメンクラスの強打の捕手・有田修三とポジションを分け合っており、この強力な二頭体制は「ありなしコンビ」として恐れられていた。
引退後は近鉄をリーグ優勝へと導いた後最期の監督としてチームの終わりを見届け、後に日ハム、楽天の監督も経験した。

  • 西山秀二
90年代〜00年代前半の広島で支えた捕手。
中学時代は桑田真澄とバッテリーと組んでいた。
実はプロ入りした時の最初の球団は南海で、2年目のシーズン途中にトレードで広島に移籍した。
当時のセ・リーグは古田敦也という球界屈指の捕手がいた中、捕手としてゴールデングラブ賞を2回受賞している。
現役最終年は巨人に移籍した。
引退後は巨人や中日でバッテリーコーチを務めた。

  • 野口寿浩
ヤクルト~日本ハム~阪神~横浜と渡り歩いた「最強の二番手捕手」。
1989年にドラフト外でヤクルトに入団、奇しくも同期には古田がいる。1994年に古田が故障による欠場時に一軍定着。野村克也からの指導を受けて、強肩と捕球技術は球界トップクラスにまで成長した。
1998年日本ハムに移籍すると正捕手の座を獲得。このトレードは当時日本ハムに在籍していた落合博満が野村監督に野口のトレードを直訴したことにより実現。2002年のシーズンオフまで在籍した。
阪神に移籍後は矢野の控え捕手として矢野離脱時に活躍。その後横浜に移籍したのちに引退。

  • 野村克則
下の伝説的捕手「野村克也」の息子。現役時代は「カツノリ」という登録名であった。
しかし現役時代はヤクルト→阪神→巨人→楽天と渡り歩いたものの、残念ながら父親ほどの活躍はできなかった…どころか弱肩も相まって選手としてはイマイチであった。克也からも「野球のセンスはない」とバッサリだったとか。
だが幼少期から父親に野球の事を叩き込まれていたこともあり、引退後コーチとなってからは指導者としての才覚を発揮。
2022年からは阪神タイガースの二軍→一軍コーチを務める等、プロに入って30年近くに渡ってユニフォームを着続けている。

  • 野村克也
現役時代は南海→ロッテ→西武と一貫してパ・リーグで活躍し、選手と監督の両方で3000試合出場を達成した唯一の人物。
打撃でも三冠王など絶大な成績を残したが当時のパ・リーグの扱いからさほど注目されず、同時期に活躍した王や長嶋を「向日葵」、自らを「月見草」とたとえたことでも知られる。
引退後はヤクルトや阪神・楽天・シダックス(社会人野球)で監督を務め、球界に多大な功績を残した。
成績として振るわなかった阪神監督時代でも後に繋がる名選手を育てたり*20新庄と漫才したり貢献したと言えるだろう。
クイックの本格導入や対戦選手のデータ分析、くすぶっていた選手の活用(野村再生工場)が有名で、野球技術の発展に多大な貢献を果たした。
南海では選手兼任監督としても活動したが、諸事情で半ば黒歴史化していたのは有名な話。
「ノムさん」という呼ばれ方が有名だが、外国人からは「ムース」(ヘラジカ)と呼ばれていた。
現役時代からメディア露出が大好きで、独特の渋いボヤキ節は松村邦洋や林家たい平のモノマネで聞いたことある人もいるだろう。
また読書が趣味であり現役時代もわからない事があればすぐに本を読み調べたとか。
出版もまた多いが書いている時期によって意見が180度違ったりする。ある意味では柔軟な思考の持ち主という証拠だろうか。
2020年他界。

  • 袴田英利
法政大学時代は江川卓の剛速球を、ロッテに入団してからは村田兆治のものすごい落差のフォークをノーサインで捕球して名捕手と呼ばれた*21
プロ生活は13年と少々短い気もするが、これは、某外国人選手の体当たりスライディングをまともに食らって負傷した時の怪我が原因という説がある。
引退は村田兆治と一緒のタイミングだが、これは村田から「俺のキャッチャーはお前以外にいないんだ。だから俺と共に去るんだ」「お前とじゃなきゃ終われないんだよ」と言われたため。
2025年に脳出血のため死去。

90年代最強捕手である「ミスター・スワローズ*22」。
2004年の球界再編問題では選手会長として奮闘。後に選手兼任監督も務め、「代打オレ」のフレーズは有名。
彼とノムさんのお陰でスワローズ=捕手というイメージが付き、パワプロのオープニングでも実在球団紹介パートでは(実在選手登場以前より)ヤクルトは大体キャッチャーであった。
詳細は項目参照。

  • 細川亨
現役時代は主に西武・ソフトバンクで活躍し捕手としての実力はあの野村克也も『パリーグで一番捕手らしい捕手』と高く評価する程。
打撃面では打率は低いがパンチ力のあるバッティングと非常に上手いバントも持ち味。

  • 村田真一
90年代の巨人を支えた捕手。愛称は「カルビ」。
同じ苗字で捕手の村田善則が入団してからは「村田真」という表記になった。
捕手としては致命的な弱肩であり通算盗塁阻止率は2割半ばであったが、リードは当時の強力投手陣からも評価されており、打たれたら投手を慮り「自分の責任です」と発言するなど捕手として責任感も持ち合わせていた。
また打撃では低打率ながらも思わぬところで一発が飛び出す、後述の山倉にも通ずる「意外性の男」であった。
同期入団の槙原寛己が1994年に達成した平成唯一の完全試合を達成した時の捕手でもあった。
尚、打撃コーチ時代は黒歴史。

  • 森昌彦(もりまさひこ)森祇晶(もりまさあき)
「地味」とか現役時代の引退会見が長嶋茂雄と被ったせいで「影が薄い」など散々言われ続けた、巨人黄金期たるV9を支えた正捕手。
川上哲治監督や牧野茂ヘッドコーチとメジャーのキャンプでドジャース戦法*23を学び、「V9の頭脳」と呼ばれた。
『球界のスター』長嶋茂雄は派手な引退セレモニーだったが、「V9の頭脳」と呼ばれた森には一切そうした催しは用意されず、普通に球団事務所での引退会見だった。
現役引退後は広岡達朗監督の下でヤクルト西武でヘッドコーチを務め、1986年から広岡の後を引き継ぎ西武の監督に就任し、同時に登録名も改称。
9年間でリーグ優勝8回、日本一を6度も達成するなど名将ぶりを魅せた。
横浜でも監督に就任したことがあるが、選手とのコミュニケーションに失敗し結果を残せず2年で退任している。

  • 八重樫幸雄
古田の前のヤクルト正捕手。
乱視のために眼鏡をかけるようになると、背中側から落ちてくるカーブが見えづらくなり、試行錯誤の末グリップを下げて投手と完全に正対するほど極端なオープンスタンスの構えを会得した。
この独特の打撃フォームは「八重樫打法」と呼ばれてカルト的な人気を博した。
プロ21年目で通算100本塁打を達成したが、これは通算100本塁打達成に最も年数がかかった記録(所要在籍年数で1位タイ)となった。
待つ方も長く長く待たされた結果、前年夏から用意されていた花束は生花から造花に変わっていたという切ないエピソードがある。詳細は項目参照。

  • 矢野輝弘(やのあきひろ)(矢野燿大)
元々は中日で外野手との兼任でプレーしていたのだが、中村武志の台頭もあって出場機会に恵まれていなかった。
だがトレードで阪神に移籍してからは一転して90年代後半~00年代の阪神の大黒柱となり、後に阪神の監督も務めた。
実績から阪神の生え抜き捕手だと勘違いする人も多い。
2010年より登録名を本名の「矢野輝弘」から「矢野燿大」に変更(読みは同じ)。
この人も諸事情から監督時代は黒歴史。成績自体は言うほど悲惨ではなかったが…言動が当時のご時世的にね……

  • 山倉和博
高校時代、南海監督の野村克也から自分の後継者にとドラフト2位指名されたが、大学進学を理由に拒否。
その後早稲田大学に進んでから巨人に入団した。ちなみに卒論は「野球における捕手の一考察。」という題材だったそうだ。
入団早々、当時の監督長嶋茂雄からは好評価をもらい、1年目で開幕スタメンを勝ち取った。
打撃成績はそれほど良くなく、1982年には規定打席に到達しながら打率.196といういまだに破られていない打率ワースト記録を残してしまっている*24。ただ、調子がいいときは1試合に3本ホームランを打つ*25など「意外性の男」と呼ばれた。
1987年にはキャリアハイの打率.273・22本塁打の打撃成績に加え、捕手としても桑田・江川・槙原・水野という4人の2桁勝利投手輩出と、抑え投手の鹿取義隆の活躍に貢献するなど高い評価を受け、MVPを獲得。
リードは自分で組み立てることはほとんどせず、投手の主体性に任せるタイプ。

  • 吉永幸一郎
1987年度南海最後のドラフトで5位指名されて入団。
「メガネ捕手」であり、「打てる捕手」である。城島健司が台頭するまでダイエーのスタメン捕手を務め、1994年はドラフト同期の吉田豊彦と最優秀バッテリー賞も受賞している。
2001年に巨人に移籍、阿部慎之助の控え捕手・左の代打の切り札を務め、2003年に引退。
松井秀喜は「インコースのバッティングは真似したくてもできない」と評し、柴原洋は、「とにかくバットコントロールのすごさに驚かされた。イチローさんに引けを取らないくらい上手かった。」と打撃に関する評価が軒並み高い。
また元日ハムのエース岩本勉は「出塁率で言ったら8割以上は許している。顔も見たくないくらい嫌なバッター」と語っている。


【主な架空の選手】

投手が主人公=女房役たる捕手も第二の主人公・準主役というケースは多い。
主役やメイン級以外の場合、とりあえずチーム内でも特に体格の大きなキャラになりがち。
古田敦也が活躍した1990年代以降は、眼鏡をかけた頭脳派の捕手という例も多く見られるようになった。
野球ものではない作品で野球をやる場合も、やはりこうしたイメージに合うキャラが当てはめられる事が多い。
打者としては「打率は安定しないが、当たれば長打力はある」といった所に収まりがち。

漫画


  • 秋葉駿
『ワイルドリーガー』に登場する東京武鉄レッドソックスの俊足巧打のオールラウンドプレーヤー。
23歳、通称「BB(ベースボール)キッド」。昨シーズンにトリプルスリーを達成している。
投じられたボールのスピンを正確に判別するほどの驚異的な動体視力の持ち主で、低迷を続けるレッドソックスで唯一のスター選手であった。打者としての評価が高いが、本人は捕手としても評価されることを望んでいる。

  • 浅井和史(あさいかずし)
漫画『クロカン』に登場する捕手。
鷲ノ森高校(わしのもりこうこう)編から登場する。
チームの主将で右投げ右打ちの強肩の三塁手だったが、高校2年の秋から捕手に転向。
エース•坂本拓也(さかもとたくや)の投げては150km/hを超える速球と鋭いカーブが捕球出来ない弱点を牛の糞を詰めたボールを投げ付け完全捕球しなければ糞まみれになる「恐怖の特訓」を乗り越えることで克服した。
更に坂本の投球を生かす為、捕球寸前まで内角又は外角に構えながら実際は内角又は外角に直球やカーブを投げ込み捕球する、プロ級のスライド捕球を身に付けて、他校の強打者達を翻弄した。
高校3年の夏の選手権大会•群馬県代表として甲子園に出場、坂本とのバッテリーでベスト4入り。
捕手に転向して日が浅いにも関わらず、スライド捕球技術の高さなどを含めた将来性を見込まれて千葉ロッテマリーンズにドラフト5位で指名され入団した。

漫画『おおきく振りかぶって』の主要人物。
埼玉県立西浦高等学校野球部に所属する、右投右打の選手。
詳細は該当項目にて。

  • 一文字輝(いちもんじてる) 
漫画『バツ&テリー』の主人公の一人。
通称は「テリー」。
茶髪のアフロヘアーに伊達メガネ、左投げ左打ちで一本足打法のスラッガーという捕手。
「バツ」こと抜刀軍(ばっとうぐん)とのジャンケンで負けたので捕手をしている。
チームでは4番を任されている。
捕手としては頭の回転が速く、洞察力に優れた強肩捕手。
フィジカルも巨漢選手とぶつかっても当たり負けしない頑強さ、それどころか逆に当たりに来た巨漢選手をパイルドライバーで返り討ちにする器用さ、フルマラソンを完走した*26後に試合をする持久力を持つなど怪物級。
アニメ映画化された事があり、その時のCVは塩沢兼人

  • 一文字竜(いちもんじりゅう) 
漫画『あばれ!隼』の主要人物。
見た目は『ドカベン』の岩鬼に似ている。
主人公・隼次郎(はやぶさじろう)の説得により、野球部に入部、捕手になる。
普通にバットを振ると極端なアッパースイングとなり、速球がほとんど打てず、対戦相手から
「ドコデモ チカラマカセニフル アホ」
と見られていたが、片手で持ったバットをもう片手の拳骨で殴って押し出す「ゲンコツ打法」という独特の打法を使って、これを克服した。
本人曰く「毎日ケンカケンカで明け暮れ、登校するのは年十日」
自称「ケンカ十段空手五段」
と留年を繰り返していたと思われるが、最終的に主人公より1学年上の扱いになっていた。

  • 出口智志(いでぐちさとし)
漫画『ONE OUTS』の主要人物。
埼京彩珠リカオンズの正捕手だが、3年連続最下位という超弱小チームせいか過小評価されている。
リーグを代表する天才打者・高見から「あの出口でも捕れる…」と言われるように、作中世界では「大したことのない捕手」のイメージが定着している。
現実には渡久地の手元で変化する各種ストレートや倉井のノーサインで投げ込む165km/hを捕球するなど、キャッチングの技術はある。
頭の回転が早く、渡久地の問いかけにもいち早く気付く場面が多い。
打者の観察や推測を行うようになった結果、相手の嫌がる事を自然と行えるレベルに達し、打撃もよくチャンスで打つ選手に覚醒した。
アニメ版のCVは山口勝平

  • 海堂(かいどう)タケシ
漫画『名門!第三野球部』の主要人物。
登場時は3年生で三軍の幽霊部員。右投げ右打ち。
2年生の夏の選手権大会では正捕手で四番打者、強肩で捕球技術が上手く、「桜高の落合」と異名を持つ強打者だった。
準決勝まで勝ち上がるも、同級生でエースの工藤が連投で肩を壊し、監督に降板を訴えるも、無視され、チームは敗退。
工藤は退学し、理事長から監督へ準決勝進出の報奨金が手渡される場面を目撃してブチ切れて、監督を殴ってしまい、三軍に降格。
主人公•(ひのき)あすなろから部の存続を賭けて一軍と試合する事を告げられ、懇願され、三軍を率いて戦う事になる。
最終的に一軍と二度戦い、桜高一軍の地位を掴み、監督との確執も解消し*27夏の選手権大会•千葉県大会を優勝して代表に。
夏の選手権大会を準優勝、U-18野球日本代表に選出、U-18野球アメリカ代表と戦う。
卒業後は東京六大学の早稲田大学へ進学、プロ野球•千葉マリンズに指名されて入団、本塁打王になっている。
アニメ版のCVは玄田哲章

  • 要圭(かなめけい)
漫画『忘却バッテリー』の主要人物。
都立小手指高校一年。
野球の腕は素人同然。
さらに人格も素直で緩い性格に変わり、時折変なギャグを発するようになってしまった。
アニメ版のCVは宮野真守

  • 加納健太郎(かのうけんたろう)
漫画『やったろうじゃん!!』の主要人物。
最初は3年生でエースで野球部のキャプテンだったが、全国クラスの強豪と練習試合をして大敗。
新入部員の江崎直人の球を見て勝つ為に江崎にエースの座を譲り、捕手に転向する。
江崎を除けばチームトップクラスの打力、走塁、守備力を持つ。捕手としてのキャリアは浅いが、キャプテンシーも十分。
話の序盤、監督の喜多条に反発していた部員達を説得してまとめ上げ、チームを甲子園出場に導く活躍をみせる。

  • 倉橋豊(くらはしゆたか)
漫画『プレイボール』の主要人物。
谷口タカオと同学年。
実は先に野球部に入部していたが、野球部のやる気の無さに3日で退部、その後、草野球チームを転々としていた。
谷口から誘いを受けて、再入部した。
中学時代は隅田中でキャプテンも務め、当時は地区随一の名捕手と噂されていたほどの実力者。
谷口の球を変化球もノーサインで捕球できるほど技術が高い。
キャプテンで言うとこのイガラシポジだが、イガラシみたく休憩を無視してまでオーバーワークさせる程のムチャはしない、しかし、サボらせない様に目を光らせるお目付け役。
他チームからも「一発がある打者」として警戒される描写がいくつかあるが、物語中では本塁打を放ったシーンはない。
アニメでのCVは日野聡

  • 佐世保仁(させぼひとし)
漫画『ストッパー毒島』の登場人物。
中盤に三木監督の就任によって二軍から昇格する形で登場し、以後正捕手として定着。
眼鏡がトレードマークの冷静な頭脳派で、投手陣からの信頼も厚い。一方でチャンスに強い強打者でもあり、打線の中軸を務める。
終盤にホームランを放ちバットを放り投げる見開きは野球漫画屈指の名シーンとして名高い。

  • 佐藤寿也 
MAJOR』シリーズの主要人物。
主人公・茂野吾郎の親友にして終生のライバル。あとホモ疑惑あり。
幼少期は母親の影響で勉強ばかりだったが吾郎を通して野球に出会い、強肩強打の一流選手に育った。
捕手としても小学生で既にささやき戦術で翻弄したり、型にとらわれないリードを駆使したりと一流。
ただ煽り過ぎると相手(特に吾郎)の力を引き出してしまったり、ミスをすると引きずってしまう癖もある。
上述のように捕手の海外での活躍は難しいとされる中、最低8年MLBに所属し、あまつさえ本塁打王を取っているレジェンド中のレジェンド。
アニメでのCVは大浦冬華(小学生まで)、森田成一(中学生以後)。

  • 蔵座直哉(ぞうさなおや)
漫画『GRAND SLAM(グランドスラム)』に登場する主要人物。
神奈川県の中学硬式野球で屈指の名捕手と謳われたが、試合中の骨折がキッカケで強豪私学校への入学話が流れ、弱小チームの神奈川県立美咲高等学校に進学。
そこで主人公で同学年の世界一心(せかいしっしん)とバッテリーを組み、三年夏の選手権大会に神奈川県代表として出場。
プレースタイルは打者の立ち位置、構えを見て、打者の苦手な処に苦手な球を投げさせ、シフトを布いて更にアウトにする確率を高くするなど、リスクを徹底的に回避するスタイル。
場合によってはリスクより攻めを取る事もあるが、滅多にない。
チームプレーに強いこだわりを持つが口下手で、途中入部して我の強い蓮池南(はすいけみなみ)と衝突していた。
身長174cm、体重66kg、右投げ右打ちで眼鏡を掛けている。

  • 土山伸郎(つちやまのぶろう)
漫画『ショー☆バン』に登場する主要人物。
東京都涼山中学校野球部に所属する「ショー・バン」こと主人公•小沢番太郎(おざわばんたろう)の親友兼相棒。
あだ名はノブチン。
野球部では最終学年で4番•キャッチャー。
副キャプテンとして、真面目な性格でショー・バンを公私ともにサポートする。
長身で恵まれた体格と長打力が持ち味で三年夏の全国大会決勝で日本一を決める逆転サヨナラ満塁ホームランを放った。

  • 永淵強(ながぶちつよし)
漫画『なんと孫六』の高校編で登場。
右投げ右打ちの小柄で眼鏡を掛けた捕手という、当時*28としては珍しいキャラ。
色んな偶然が重なり、野球部に入部、主人公•甲斐孫六(かいまごろく)の繰り出す孫六ボール(投げた直後から揺れ動きながらミットへ納まる強烈過ぎるムービングファストボール)を捕球出来るのが永淵だけだったため正捕手に収まる*29
甲斐がマウンドで真っ向勝負を好み、ど真ん中*30に投げ込むことを信条とし、「投手本能で投げてる」「とことん強気」なスタイルなので、永淵は壁役である。
配球重視の捕手が多い野球漫画では珍しいタイプ。
打順は2番でつなぎ役に徹する。『なんと孫六』は孫六ボールが捕手泣かせで、プロ野球編、メジャー編でも永淵ポジの選手が登場、その人しか取れない仕様になっている。永淵は国際大会編で再登場する。

  • 袴田浩(はかまだひろし)
漫画『BUNGO -ブンゴ-』の主要人物。
主人公・石浜文吾(いしはまぶんご)とバッテリーを組む。
静央シニア入団時は右投げ左打ちの遊撃手だったが、中学1年の秋から捕手に転向する。
秀才肌の努力家で、ぶっきらぼうで口も悪いが石浜の速球と同一フォームで繰り出すカーブの練習にも付き合うなど面倒見のよい性格。
中学3年の夏の大会では静央の正捕手となり、チームをまとめている。
特にフレーミング*31の技術は世代屈指の上手さと言われるほど。
140km/h越えの速球を投げ込む石浜と多才な変化球を投げ込む鮎川というタイプの違う投手の持ち味を引き出すのが上手い。
チームでの打順は1番、俊足の捕手という珍しいキャラ。
進路も横浜第一高校への進学が濃厚と言われているが……

  • 伴宙太 
巨人の星』の主要人物。
元々は柔道部主将で主人公・星飛雄馬をイビる嫌な先輩であったが、その野球魂に感化され飛雄馬の剛速球を唯一受けられたことが認められて入部。
甲子園で左門に並ぶ豪打者として名をあげ、巨人入団後も飛雄馬とのコンビで様々な難関を乗り越える。
飛雄馬の父・一徹が中日に招聘後はトレードを受け、飛雄馬の最後のライバルとしてボックスに立つ。

  • ボブ牧田(まきた)
漫画『4P田中くん』に途中から転入してくる選手。
左利きの日系アメリカ人で190cmの長身。
アメリカのハイスクールで本格派の投手兼スラッガーとして活躍したが、ある事故がキッカケで野球を辞めていた際に日本に呼ばれた。
主人公と投手のポジション争いで一旦は圧勝するが、その後の再戦で逆に圧倒されキャッチャーに転向する。
天才肌の選手で洞察力に優れるが、最初の頃は強者の論理で出来ない選手には才能が無いと冷たかった。
秋の東京大会決勝で先発登板経験がある。

  • 松方雅治(まつかたまさはる)
漫画『最強!都立あおい坂高校野球部』の主要人物。
右投げ右打ちの捕手。
チームで一番野球を良く知り、強気の配球を得意とするが、勝負処の配球は考え過ぎて結果、単調になってしまう。
打力が有り、本塁打も打てるが、頑張りが必ずしも結果に絡まない事が多い。
チームでは5番を打つ。


  • 三野文太(みのもんた)
漫画『実録!関東昭和軍』の主要人物。
登場時は関東昭和高校=通称・関昭の2年生で4番。捕手でありキャプテンでもある。
他作品で言えばあの学校と同類で、野球部員も根性に全振りしている様な感じ。
ガラの悪さや柳の下に埋められるという噂から「柳の下の三野」と呼ばれ恐れられているが、野球に対しての情熱は本物で後輩の面倒見もいい。
偏差値は低いが頭の回転は良い為、一葉(いちよう)山棟蛇(やまかがし)鶴嘴(つるはし)など癖のある投手陣を気迫と機転で巧みに操縦するなど切れ者の一面を見せる。
卒業後は野球推薦で東海道大学への進学が決まった。

  • 御幸一也(みゆきかずや)
ダイヤのA』の主要人物。
主人公の沢村栄純が青道高校に入学するきっかけを作った天才捕手。
打力にも優れる飄々としたイケメンメガネで、古田の活躍で創作物でも増えてきた「メガネかつ身体能力抜群の捕手」のはしりとも。
先代の主将結城哲也引退後は主将も務める。
アニメでのCVは櫻井孝宏


  • 八潮創太(やしおそうた)
漫画『ラストイニング―私立彩珠学院高校野球部の逆襲』に登場する捕手。右投げ右打ち。
身長173cm、体重65kg。
凝り性で洞察力に優れ、努力を惜しまない性格。
小技も利く非常に器用な打者で本来は2番打者が適任なのだが、チーム事情で3番や9番に回る事が多い。
日高等の代が卒業後は主将に就任。
同作者の別の野球漫画「WILD PITCH!!!」では本編の15年後に彩珠学院の野球部監督になっている。


  • 山田太郎 
有名野球漫画『ドカベン』の主人公。おそらく架空の捕手としては日本で一番知名度が高い選手。
大柄・四角体型で超鈍足のスラッガーという昭和の捕手のド王道。
見た目の印象そのままに温厚篤実な人柄だが、勝負事にはシビアで容赦がない一面を持ち、特にリードによく現れる。
打ち損じでも必死に走る等真摯な性格でもあり、そのせいかプロ初安打は俊足の代名詞である内野安打だったりする。
実在選手の香川伸行が彼になぞらえて「ドカベン」「リアルドカベン」と呼ばれたほどの知名度を誇る*32
アニメ版のCVは田中秀幸

ゲーム

実況パワフルプロ野球』シリーズの主要人物。
ライバルキャラの猪狩守の実弟で、近年の作品でもまあまあ畜生だったり奇行子だったりすることの珍しくない兄とは違い温厚で常識人。
だが作品によってはサイボーグに改造されたりするなどとんでもない目にあう事もある。
実在球団が絡んだシナリオの時は基本的にオリックス所属。
優秀なキャッチャー能力を持つが打撃はどちらかというと俊足巧打のアベレージヒッターで、パワーヒッターも兼ねている兄とは真逆。
詳細は項目参照。

パワプロクンポケット13』で登場した開拓高校の野球部の一人。
主人公が投手の場合、3年生のときに抜けた雨崎に代わり捕手としてコンバートする。
部室レベルを最大まで上げれば超強くなる。
加藤?知らんな……

進と同じく『パワプロシリーズ』の主要人物の一人で、早川あおいアンヌ*33橘みずきに次ぐ4人目のシリーズ女性選手*34
選手としては鈍足だが抜群の守備力の持ち主で打力もそこそこある。
上述の実在球団のシナリオの時は横浜所属。ただし打撃フォームは明らかに城島健司のもの*35
基本的に大和撫子を体現したような大人しい性格であるが、その性格に似合わない特殊能力「ささやき戦法」はネタにされている。変なこと言いがちなのは間違いないとか言わない。*36
詳細は項目参照。

ドラマ

  • 井坂耕作(いさかこうさく)
池井戸潤の小説でドラマ化された『ルーズヴェルト・ゲーム』作中の社会人野球チーム・青島製作所野球部の捕手。
演じているのは須田邦裕。
ドラマでは主将だがベテランの為フルイニング出場は厳しく、打力を活かして指名打者に入るという設定になる。
試合時には古城修一という別の捕手がマスクを被る。

小説

  • フォートレス
ニンジャスレイヤー』に登場する、アマクダリ・セクト所属のニンジャ。名鑑によれば元はアメフト選手だったようだが、作中では野球の捕手を務めている。
原作者の出生地アメリカではプロスポーツ選手が競技の掛け持ちをする事は珍しい話ではないので、フォートレス=サンもそのクチであろう。
原作屈指の狂気回として有名なエピソード「ノーホーマー・ノーサヴァイヴ」*37において、相棒にして投手のサブスティテュート=サンと共謀し、
我らが主人公ニンジャスレイヤー=サンを罠にハメて卑劣な暗殺野球試合に引きずり込む。
先攻するニンジャスレイヤー=サン側は一人だけで出場、スリーアウトでも出塁でも強制的に試合終了という、アマクダリ側に圧倒的有利なルール*38だったが、ニンジャスレイヤー=サン側には合法的に試合に勝利する秘策があり…


追記・修正は捕手に詳しい人に補足して貰えると助かります。

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最終更新:2025年04月04日 09:08

*1 同時に投手の投球速度(クイック)も大きく影響する。盗塁阻止は正確には投手と捕手の共同作業というのが正しい。

*2 一例として『実況パワフルプロ野球』の六道聖やピグタが「不利ポイント」としてこのへんに言及される。六道は最新作だと元々いい捕手が多いDeNA所属という事情もあるが。

*3 このためキャリアの長い捕手は職業病として腰痛持ちなどが少なくないんだとか。

*4 ただし14度失敗もしており、これはワースト記録

*5 日本での登録名はディンゴ。登録上は捕手だが主にレフトで出場していた。

*6 2年連続30本塁打を記録、捕手としては21試合出場

*7 特に「三塁への盗塁時への送球は右で投げた方が早い」「クロスプレー時にタッチがしづらくなる」などはよく挙げられる。

*8 なお、木村拓也はプロ入り時は捕手で入団しており、日本ハム時代に外野にコンバートし、広島時代から内野も守るようになったが、1999年に捕手としても4試合に出場し、捕手として10年ぶりの出場となった。また、2004年に開催されたアテネオリンピックの野球日本代表では外野手登録でありながらブルペン捕手としての役割も果たしている。

*9 有田は良くないと判断したら投手に真っ向から物申すタイプ、梨田はまず投手のメンツを立てるタイプだったから…という証言が多い。

*10 戦前から戦後にかけて、巨人などで活躍。投手で通算7勝、398安打

*11 1950年代の国鉄スワローズの正捕手、投手で3試合に登板、通算0勝、捕手に転向し575安打

*12 改名や統廃合以前から所属していた選手を「◯◯戦士」と呼ぶ。つまり「横浜大洋ホエールズ時代からの大ベテラン」の意。なお戸柱は1990年生まれでベイスになったのが93年なので、一応生まれた時には大洋は残っていた。ちなみにDeNA化が2012年で戸柱の入団は2016年なので入団当初からDeNA所属である。なお本当の意味で最後の大洋戦士は2025年現在DeNA監督のばんてふこと三浦大輔。

*13 事実、2024年シーズンはオープン戦とオールスターを除きキャッチャーに就くことはなかった。

*14 ちなみにこの時期にバッテリーを組んでいたのが剛速球の権化・藤浪晋太郎

*15 伊東を他球団に取られないために所沢の定時制高校に転校させ、球団職員としてドラフトにかからないように囲い込んだとも言われる(当時はこういったブラックな方法での重複指名阻止はありふれていたことには留意)。実際指名順位は1位だった

*16 2004年の球団再編

*17 元審判員の佐々木昌信氏がテレビ番組にて「世界一の捕手と呼んでいた」「当時のプロ野球の審判員は多分ほぼ全員一致(でNo.1だと認めていた)じゃないか」と語っている

*18 ただし、プロで一定年数を経過した選手の一部は申告の上免除された。

*19 後半は千葉ロッテ、福岡ダイエーホークスに在籍して引退している

*20 例えば赤星憲広のドラフト指名強行は当時監督だった氏が「これだけ俊足ならなんか使い道はあるだろうよ」として下位指名であれば…と強く推薦したのが決め手だったと伝えられる。結果はご存じの通り、塁に出て走ることにかけては天才と言える逸材だった

*21 村田は視力が弱く、サインを出しても間違えることが多かったという

*22 一応公式には「背番号1をつけた人」を指すことになっているが、事実上は古田(と宮本慎也)を含めて7人の名選手たちの称号と扱われている

*23 俗に言うスモールベースボール

*24 規定打席に到達して打率が2割を切った選手はNPBの歴史上この時の山倉が唯一。

*25 2度経験している

*26 しかも革靴で!

*27 娘の病気の治療費を稼ぐために鬼監督を演じていた

*28 連載開始は1981年

*29 もちろん何人かは試みたが捕れず。孫六を信じてミットを一点に構え続けられる事が捕れる条件だ、と孫六が語るシーンがある

*30 もしくは打者にとって最も打ちやすいコース

*31 簡単に言えばストライクゾーンきわどいところに来た球の処理。ストライクっぽく捕ることができると上手いとされる。実在選手だと相棒の川上憲伸に「あいつが良い感じに捕ってるから(自分のカットボールは)ギリギリに入ったストライクになってるだけですよ。あんなの、本当はボール球です。」とまで言わせた谷繁元信などが著名。(本人は即座に「いや、フレーミングではなく本当に入っています」と返したが。)

*32 ちなみに捕手ではないが、山田哲人(ヤ)のことを「や~まだ」と書くことがあるのも『ドカベン』が元ネタ。

*33 ただしこちらは『パワポケシリーズ』出身。

*34 通例通り、ジャベリン五十嵐を設定が明確にされた『アプリ』初出のキャラとしてカウントしている。彼女を『99』冥球島編初出と扱った場合は六道は5人目。

*35 実際に城島の固有フォームを流用している。六道に限らず、特定の元ネタ選手がいなくても実在選手のフォームを流用しているサクセスオリジナルキャラクターは多い。

*36 比較的新しい作品だと「特技」として明示されることも多い。打席に立った矢部くんや主人公に(ごく軽いものとはいえ)畜生発言するイベントが存在するなど。

*37 BLコミカライズ作品「グラマラス・キラーズ」の最終話がよりにもよってこのエピソードだった。原作の狂気にグラキラの狂気が合わさって最早カオス

*38 なんならニンジャスレイヤー=サンが先攻を取れなかったらその時点で敗北決定だった。ここはナンシー=サンの介入のお陰でどうにか先攻をもぎ取れた形