三塁手(サード)

登録日:2024/08/22 Thu 00:00:00
更新日:2025/03/29 Sat 10:59:23
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三塁手(サード)とは、野球もしくはソフトボールのポジションの一つである。

【概要】

野球やソフトボールにおいて、三塁を守るポジションである。
守備位置番号は「5」番。英語表記は「Third-baseman」で略称は「3B」。
強烈な打球を処理することが多いため、現在では死語と化しているがかつては「ホットコーナー」と呼ばれることも多かった。

【主な役割】

その名の通り三塁付近を守るポジションで、右打者が引っ張った際の強烈な打球の処理や相手打者が三塁線へバントを試みた際の打球を処理するのが主な仕事である。

三塁手は真正面以外に関しては守備の精鋭である遊撃手に捕球を任せるという選択肢をとりやすいため、自分だけで守らなければならない範囲は広くない。そのため二遊間ほど守備範囲の広さは求められず、その分打撃に秀でた選手を配置することが多い。

一方、遊撃手と同じく一塁ベースから遠い位置を守るポジションであり、相手打者がゴロを打った際に処理する時間に比較的余裕がある二塁手とは違い時間的余裕がない為、強肩かつ一塁手が確実に捕球できる送球精度が求められる。そのため、一塁手と比べれば守備面の能力も評価されやすい。

【ポジションとしての特徴】

  • 内野手の中では守備時に一番ボールに触れることが少なく、攻守交替の際に守備位置につくまでの距離が外野手と比べても少なくベンチにすぐ戻ることが可能である為、守備面では体力的負担が一塁手と比べても少ないポジションである。

  • その為、このポジションで重視されるのは一塁手と同じく打力で、プロでは守備範囲に多少難はあるが肩はまずまず強いスラッガータイプの長距離砲が座ることが多い。また二遊間と比べても連携プレーが求められることが少ないので、一塁手と同じく言葉が不自由な強打の助っ人外国人がつくことも多い。

  • かつては長嶋茂雄の影響で内野の花形ポジションと見られることも多かったが、客観的に見れば内野の花形ポジションは遊撃手であるため最近はそのように見られることは少ない。

  • 若い頃は二遊間を守っていた選手がベテランになると肉体的負担を軽減するために三塁手にコンバートされるケースは多い。実際、元日ハム・ヤクルトで活躍した今浪隆博氏曰く『遊撃手と三塁手では肉体的負担は雲泥の差』とのこと。劣化がネックになりやすい守備範囲の問題をケアしつつ、培われた守備技術は腐らせずに活かすことが期待できる。

【主な実在選手】

(五十音順で表記)

《現役選手》

  • 岡本和真
読売ジャイアンツ所属。
巨人久々の高卒生え抜き四番打者で、本職は三塁手だが一塁や左翼も守れるユーティリティーさもウリ。
最近ではベテランの坂本勇人が三塁手を守る関係上一塁を守ることが多く、このページができるまでは一塁手のほうのページに「本職は三塁手だが、実際の出場では一塁手扱いのため紹介する」と注を入れたうえで紹介されていた。
一方野球を離れると「奈良は四国ですよね?」と本気で発言したことがある(高校時代の話。なお岡本の出身地および出身高校所在地はその奈良県)など糸井や柳田に次ぐ悪い意味での逸材説アホの子疑惑も持たれている。

  • 川端慎吾
東京ヤクルトスワローズ所属。
長らくヤクルトで活躍しているフランチャイズプレイヤーで、2015年は三塁のレギュラーとして同年の首位打者を獲得しリーグ優勝に貢献。
2018年以降は代打にまわり、21年には真中満に次ぐ代打でシーズン30安打を放つなど代打の切り札として日本一に貢献した。実妹の友紀も元女子プロ野球選手である。

  • 清宮幸太郎
北海道日本ハムファイターズ所属。
2017年オフのドラフト会議に7球団競合の末、日ハムにドラフト1位で入団した早稲田実業高等学校出身のスラッガー。
村上宗隆、安田尚憲、中村奨成、平良海馬らと同世代である。
元々の期待値が高かったのと、故障に泣かされる体質もあり中々結果を残す事が出来なかったが、2020年オフに監督に就任したBIGBOSSこと新庄剛志の指導の下、2021年には規定打席に到達。
2022年までは一塁を守ることが多かったが、2023年からは新庄監督の提案で三塁を守ることに。

  • 栗原陵矢
福岡ソフトバンクホークス所属。
元々は捕手だったが打力を生かすため外野手に転向し、2020年には日本シリーズMVPを受賞するなど主力選手へと成長していく。
2022年の開幕直後に負った大怪我左膝前十字靭帯断裂を乗り越えた不撓不屈の精神力の持ち主。現在は三塁手のレギュラーとして活躍中。

  • 佐藤輝明
阪神タイガース所属。
2020年オフのドラフト会議に4球団競合の末、阪神にドラフト1位で入団した近大出身のスラッガー。
新人年から24本塁打を放ち新人王こそ獲得できなかったが即戦力の名に恥じない結果を残した。
本職は三塁手だが右翼も守ることができる器用な面とゴツイ体に似合わず俊足も併せ持つ。愛称はその名の通り『サトテル』。

  • 高橋周平
中日ドラゴンズ所属。
2011年オフのドラフト会議で3球団競合の末中日に入団し、当初の前評判は高校通算71本塁打を放った超高校級スラッガーであったが、本拠地が広いナゴヤ(バンテリン)ドームであることもあり、プロ入り後は堅守の三塁手だが打者としては鈍足の中距離打者というプレイスタイルに落ち着いていった。
この事に入団当初の期待からすると物足りなさを感じている中日ファン&中日OBも少なくない。

埼玉西武ライオンズ所属。
ご存じ『おかわり君』、稀に『西武の満塁男』などとも。
現役選手最多本塁打記録を保持している大ベテランスラッガー。
西武の主力選手は不便な立地・欠陥球場と言われても仕方ないホームグラウンドもありFA権を行使して他球団に移籍することが非常に多いが、彼と栗山巧だけはフランチャイズプレイヤーとして長年西武を支え続けてきた。
またその大柄さの割にそれなりに走れるという意外性でも知られる。
詳細は項目参照。

  • 宮崎敏郎
横浜DeNAベイスターズ所属。
1988年世代の一人で、若手の頃は特に守備面でのボーンヘッドが目立ったが経験を積むにつれて改善、ゴールデングラブ賞を2度受賞する程の名手へと成長。
2017年以降はレギュラーに完全定着し、独特の打撃フォームから繰り出される巧みなバットコントロールを武器に2度の首位打者を獲得するなど現在は頼れるベテラン野手として活躍中。
愛称は『ハマのプーさん』。

  • 宗佑磨
オリックス・バファローズ所属。
ギニア人の父を持つハーフで非常に高い身体能力を持ち、MLBの内野手に見られるようなダイナミックな守備が持ち味。
遊撃手として入団後、一度は外野手としてデビューしたが後にコンバートされ、球界を代表する三塁手として台頭。球団の2021年からのリーグ3連覇に貢献した。

  • 村上宗隆
東京ヤクルトスワローズ所属。
高校時代は一塁手、後に捕手だったが、プロ入り後、三塁手に転向した。
高卒2年目の2019年にいきなり36本塁打を放ち、同年の新人王争いのライバルであった阪神の外野手近本光司を接戦の末退け新人王を受賞し一気にブレーク。
2022年には王貞治も越えられなかったシーズン56本の壁を日本人として初めてブチ破り同年三冠王も獲得。以後も球界を代表するスラッガーとして活躍している。なお守備
一方、2022年の新語・流行語大賞に選ばれた『村神様』については野球ファン以外にまで浸透しているとは言い難く、選考委員の某漫画家の職権乱用を指摘する受賞を疑問視する声が野球ファンからも多く聞かれた*1

  • 安田尚憲
千葉ロッテマリーンズ所属。
プロ3年目の2020年にレアードの不調から入れ替わりに三塁手に。
この年は規定打席に到達するも、後の2年間は伸び悩む感じがあり、規定打席にも微妙に届かない感じがもどかしかった。
2023年は規定打席に到達、守備も向上しNHKの番組『球辞苑』に出演した際はその三塁守備技術についてインタビューされている。

《OB選手(NPB経験者)》

  • 有藤通世
70年代~80年代前半にロッテ一筋で活躍した『初代ミスターロッテ』。
選手としては三塁手としてベストナイン10回を受賞しトリプルスリーを達成してもおかしくない程の走攻守三拍子揃った名三塁手と活躍し、引退後は監督も務めたが監督時代は3年の任期で5位1回、2年連続最下位で終わってしまった。
現在はかの「パ・リーグで一番長い日」におけるロッテ側の監督として、悪名とともに語られてしまう事が多い。

  • 石毛宏典
広岡監督時代の西武で遊撃手、森監督時代の西武黄金期で三塁を守っていた選手。
1986年に、打率.329(リーグ5位)、27本塁打、89打点で優勝に貢献し、二年連続三冠王の落合や新人王の清原を制してMVPを受賞。
その後ダイエーにFA移籍して引退。
ベストナイン8回、GG賞10回獲得しているが、双方三塁手、遊撃手で4回ずつ、5回ずつ受賞している。
引退後はダイエーの球団職員の肩書でドジャースにコーチ留学したのち、ダイエーの2軍監督、さらにはオリックスの監督に就任。
オリックス監督時代は成績不振からシーズン途中解任となってしまった。
その後は、独立リーグ創設に奔走、四国アイランドリーグを設立した。

  • 今江敏晃
2005年のロッテ日本一に貢献し、同年の日本シリーズでも8打席連続安打を記録するなど『33-4』の立役者の一人となった。
後にWBC日本代表にも選ばれ第1回WBC制覇にも貢献。2015年まではロッテの主力選手として活躍していたが、2016年に楽天にFA移籍。
2017年から登録名を「今江年晶」に変更し、一部では「クリスタルゴリラ」と呼ばれたりもした。
2019年限りで現役を引退し楽天のコーチに就任。2024年現在は一軍監督を務めている。

  • 岩村明憲
ミスター・スワローズの背番号「1」を付けた名選手の一人。
走攻守三拍子揃った内野手として2001年のヤクルト日本一に貢献し、2006年オフにMLBのタンパベイ・レイズに移籍。
そこでもチーム史上初のリーグ優勝に貢献する*2などレギュラーとして活躍していたが、2009年5月24日の試合中で負った左膝前十字靭帯断裂の大怪我が結果的に選手として致命傷になってしまう。NPB復帰後は楽天とヤクルトに所属するが全盛期の輝きを取り戻すことは出来なかった。
現在は独立リーグの一つであるBCリーグのチームの一つ福島レッドホープスの監督兼オーナー。

  • 江藤智
高校時代には『東の江藤、西の谷繁』と称される程強打の捕手で、高卒後は広島東洋カープに入団し90年代のセ・リーグを代表する打者として活躍し、99年オフにはFAで巨人に移籍し00年と02年の2度の日本一に貢献した。
04年以降は小久保裕紀の加入と自身の成績低迷もあり出場機会が大幅に減少し、05年オフに豊田清の人的補償として西武に移籍して09年限りで引退。
FA移籍と人的補償選手としての移籍を両方経験している数少ない選手の一人。

  • 岡崎郁
1980年代後半から90年代にかけて巨人で活躍した選手。
柔らかいバット捌きとミートのうまさで「篠塚2世」とも呼ばれ勝負強さが武器であった。
高校の後輩に源田壮亮がおり、彼の嫁は岡崎の親戚にあたる。が、結婚式の招待状は来なかった。


  • 掛布雅之
四代目ミスタータイガース*3』。
70年代後半~80年代中盤まで阪神の主軸として活躍し1985年の日本一にも貢献した。しかし翌年の1986年以降は死球による怪我の影響もあり徐々に精彩を欠いていき1988年限りで引退。
彼とランディ・バースの退団は阪神にとって大きな転換点となりその後の長い暗黒時代へと繋がっていく。
一時期は二軍監督を務めるなど、岡田監督ほどではないが現在の阪神に関わることも多い。
現役時代には顔がそっくりな「カケフくん」なる子役の小学生が大人気になった他、松村邦洋のモノマネネタでもおなじみ。

  • 片岡篤史
日ハム・阪神で活躍した三塁手で打撃タイトルは獲得できなかったが、抜群の選球眼が武器の90年代後半のパリーグを代表する選手だった。
後に阪神にFA移籍して2003年の18年ぶりのセ・リーグ優勝にも貢献。2024年現在は中日ドラゴンズ一軍ヘッドコーチ。
阪神時代の応援歌が『実家は檜風呂~♪』と特徴的だった事で有名な選手。ただ実際は実家の風呂はホーロー製だったらしい

  • 金村義明
主に近鉄時代の活躍で知られる現在はしゃべりのうまいおっさん。
だがしかし、高校時代は史上唯一の夏大会で「県予選から甲子園優勝まで全試合完投勝利、打っては4番で八面六臂の活躍をした」すごい人。
プロ入りと同時に内野手へ。6年目あたりから三塁のレギュラーに定着。
「いてまえ打線」と呼ばれた打線の中軸として活躍するとともに、その豪快なイメージから「いてまえ大将」と称された。
後輩の中村紀洋が台頭すると、徐々にレギュラーから外れることが多くなり、FAで中日に移籍。その後西武に移籍して現役生活を終えた。

  • 衣笠祥雄
鉄人』。
広島東洋カープ一筋で活躍し、1987年に2215試合連続出場という当時の世界記録を達成。
そのため、王貞治に次ぐプロ野球選手二人目の国民栄誉賞を受賞した。
選手としては盗塁王獲得経験もあるなど、全盛期は足も速く走攻守三拍子揃った三塁手として活躍。
彼の背番号『3』はカープの永久欠番の一つ。
引退後は亡くなるまでTBSの解説者として活動。
様々な事情があったようだがこれだけの実績を持つ打者としては珍しく、生涯一度も正規の指導者経験がなかった。
2018年死去。

  • 小久保裕紀
主に90年代~00年代前半のホークスの主力打者として長らくチームを支えていたが、2003年のオープン戦での大怪我をきっかけに翌年巨人へ無償トレードされた際には当時大騒ぎになった。
このトレードの原因として当時の球団オーナー代行の高塚氏との確執があり、半ば追放という形でこの移籍が決定したとの説もまことしやかに囁かれた。
移籍先の巨人でも主将を務めるなど結果を残し、2006年オフにFAでホークスに復帰し現役を全うした。
若手の頃は二塁手で、その後三塁手にコンバートされ、ソフトバンク時代後年は一塁手にコンバートされた。
侍ジャパンの監督を経て、2024年現在は福岡ソフトバンクホークス一軍監督。

  • レオ・ゴメス
90年代後半~00年代前半の中日ドラゴンズで活躍したプエルトリコ出身のスラッガー。
現役時代は巨人戦に滅法強く、その存在感は後に中日に入団するタイロン・ウッズにも引けを取らない程だった。女優の武井咲は彼の大ファン。

  • 小谷野栄一
パニック障害を克服し、00年代後半~10年代前半で日ハムのレギュラー三塁手を務めた。
三塁手の他にも様々なポジションを守れるユーティリティープレイヤーかつ犠打も得意で打点王獲得経験もある等、器用さと勝負強さを兼ね備えた選手だった。
現役晩年はFA権を行使しオリックスへ移籍し、現在はオリックスで打撃コーチを務める。

  • 進藤達哉
総合的な打力は他のOB三塁手に劣るが、堅守を武器に1998年横浜日本一に大きく貢献したプレイヤー。
一塁手駒田徳広、二塁手ロバート・ローズ、三塁手進藤、遊撃手石井琢朗は当時鉄壁の守備と呼ばれ、日本一に輝いた際はゴールデングラブ賞の内野手部門を横浜で独占した。
実は元々の本職は遊撃手であり、石井が逆に三塁手であった。二塁へのコンバートに一度失敗し、三塁手に移ったことが結果として上述のフォーメーションに繋がった。この為オリックス時代には二塁・遊撃での出場も多かった。
引退後はベイスターズに戻り、現在はフロント入りしている。

  • 田代富雄
70年代後半~80年代前半の大洋で主軸として活躍した打者だが、同時期に活躍した選手が強力だったためタイトルは獲得できなかった所謂無冠の帝王の一人。
豪快なホームランが魅力で、現役最終打席でもグランドスラムを放っている。アーチを一発打つごとにヘルメットに貼られる星のシールもトレードマークの一つ。
引退後は一時野球から離れラーメン屋を経営していたが、球界に戻ってからは内川聖一、村田修一、多村仁志筒香嘉智などを数多くの球界を代表する打者を育て上げた名打撃コーチに。
愛称は『オバQ』。

  • 長嶋茂雄
ご存じ『ミスタージャイアンツ』『ミスタープロ野球』で、プロ野球史に残るスーパースター。
現役時代はまさしく国民的ヒーローと言ってもいいほどの人気と知名度を誇り、当時草野球をやる少年たちはみな長嶋に憧れて三塁を守りたがったほど。
チームメイトである王貞治とのコンビはON砲と呼ばれ、数々のアベックホームランを放っている。
引退試合における『我が巨人軍は永久に不滅です』というスピーチは年輩のファンにはあまりに有名。
強烈なキャラクターが先行するため実績について語られることは少ないが、通算守備率.965は歴代2位、シーズン214守備機会連続無失策というプロ野球記録を持っている。
ルーキーイヤーからいきなり打率.305(リーグ2位)、29本塁打(本塁打王)、92打点(打点王)、37盗塁(リーグ2位)といきなりトリプルスリー級の華々しいデビューを飾っている。ベースの踏み忘れで取り消された1本があればトリプルスリー達成してたのに
勘ピューターとも呼ばれる全く動きの読めない打撃スタイルも特徴で、その打棒は数多くの対戦相手を苦しめたことでも知られる。
引退後は1975年~1980年、1993年~2001年の2期にわたって巨人監督も務めた。
息子である一茂を球場に連れてきたことを忘れてロッカーに置き去りにした事件や「ヘイカール!」*4等天然キャラの好々爺なイメージが強いが、キャンプでは非常に手厳しく鬼の形相でノックを行う姿も見られた。
松井秀喜に対しては入団直後から『4番1000日計画』と称し長いスパンで付きっきりで指導を行い*5、計画通り一流の4番打者に育て上げた。
その反面、松井に限らず擬音が多すぎて長嶋自身の経験や理論がうまく伝わらなかった面も指摘されている。…松井含めた当時の巨人ナインから。
それでもスター選手揃いの巨人をまとめる圧倒的なカリスマ性か、監督通算15年間で5度のリーグ優勝、2度の日本一に導いたのだから、やはり指導者としても傑出した人物というべきでもあるのだが。

フィクションへの影響も絶大で、『巨人の星*6や『侍ジャイアンツ』など当時の野球漫画へは現役選手として、『ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん』などの時期の作品には巨人の監督として数多くメディアに登場している。
「う~んどうでしょう」「いわゆるひとつの…」「失敗は成功のマザー!」等独特の喋り方は2000年代までモノマネの定番だった。
2004年に脳梗塞で倒れて以降は公の場にあまり姿を見せなくなったが、現在は巨人の終身名誉監督に選ばれたほか、2021年に野球選手初の文化勲章を授与されている。

  • 長嶋一茂
ご存じ、上記ミスタープロ野球・茂雄の長男。
父と同じ立教大学に進学後、六大学では4番を任され大学日本代表にも選ばれた。
1988年にヤクルトに入団し背番号「3」を付けて鳴り物入りでデビューしたが、ありとあらゆる評論家からアドバイスを貰い過ぎて打撃フォームを崩しノイローゼに陥ってしまう。
1992年には野球留学で、MLBドジャースの1Aチームに参戦したことがある。
1993年に巨人にトレードで移籍。巨人では主に外野手や代打を務めたが父より直接構想外である旨を伝えられ、1996年に引退。

引退後はタレント・俳優に転向。
2002年には映画「ミスター・ルーキー」で、サラリーマンの兼業で阪神タイガースの覆面投手として活躍する主人公を演じて話題となった。
近年ではそのふてぶてしいながらもどこか憎めないキャラクターが大いに受け、バラエティ番組やCMへの出演が急増するなどブレイクを果たしており、
単純な知名度では父親を優に超え、本項に出てくる選手の中では一番高いと言ってもいいだろう。
CMでは広瀬すずから「一茂さんって野球選手だったんですか!」と軽く馬鹿にされていたが。
なお2024年現在父親とは実質絶縁状態にあり、「父とは(2021年時点で)もう13年間会っていない」「生きているうちに父と会うことは、もう二度とないだろう」と週刊誌の取材に応えている。ここではこれ以上触れない。

  • 中西太
怪童』『何苦楚』。
西鉄時代は走れるスラッガーとして活躍し、1953年には史上最年少のトリプルスリー(3割30本30盗塁)を達成するなど西鉄黄金期を支えた名打者。
引退後は7球団でコーチを務め、若松勉、掛布雅之、岡田彰布など後の球界を代表する打者を数多く育て挙げるなど指導力も一流だった。
2023年他界。

  • 中村紀洋
愛称は『ノリ』。
1991年に近鉄に入団し、90年代後半~00年代前半の球界を代表するスラッガーであった。
球団合併を機にMLBに移籍するもMLBの水が合わず一年限りでNPBに復帰し、その後はジャーニーマンとして数々の球団を渡り歩いた。
豪快な打撃のイメージに反して守備にも優れ、三塁手として歴代2位の通算7度にわたるゴールデングラブ賞の受賞歴がある。
また一塁手だけでなく遊撃手や二塁手としての起用も。
近年は指導者として選手や現役コーチからも高く評価されているほか、選手時代の畜生キャラについても「実際にはノリさんにも一理あったんじゃないか?*7」と再検証が進んでおり、当時ほど素行のアレな人と見なさないファンも増えている。
実際には近鉄時代にゴールデンスピリット賞に選ばれた経験がある。
高校時代には自ら4番を打ち三塁手だけでなく投手も務め、公立校である府立渋谷高校を甲子園出場に導いた*8という逸話も。

2代目ミスター・ロッテ』『幕張のファンタジスタ』。
ロッテ一筋で活躍した眼鏡をかけたスラッガー。
守備力は残念だったが、打撃では打点王を獲得するなど主軸として活躍し90年代のロッテを支えた。
詳細は項目参照。

  • スティーブ・ハモンド
1987年の1シーズンのみ南海でプレーしたある意味伝説の選手。
性格はまじめで南海入団が決まるとすぐ日本語学校に通った。
しかし、守備の基本である「打球の正面に体を移動」をすることなく手だけで処理をしようとして15失策。
チャンスにもめっぽう弱く「攻守ともに見るべきものがない」と判断されてリリースされた。
シーズン前半のうちに、本来の応援歌とは別に「働け、働け、ハモンド」という歌詞の裏応援歌が作られた。

  • 原辰徳
ご存じ『永遠の若大将』。80年代の巨人を代表するスター選手。
巨人の4番として十分すぎる成績を残したものの、4番サードの前任者が比較対象としてあまりにも偉大過ぎるためメディアに叩かれることも多かったある意味不遇の選手。
引退後は2002年~2004年、2006年~2015年、2019年~2023年の3期にわたって巨人一軍監督を務め3度の日本一、9回のリーグ優勝という実績と数々の顔芸を残した。
巨人以外では2009年の第2回WBCで侍ジャパン監督として世界一の実績を残している。
長嶋茂雄ほどではないがこちらも独特の喋り方が特徴で、その数々の発言は『HARA語』としてネタにされた。

  • ラリー・パリッシュ
エクスポズ、レンジャーズ、レッドソックスとMLB3球団を渡り歩いたのち1989年にヤクルトに入団。
好物はワニの肉だったことから「ワニ男」の愛称でも親しまれた。
いきなり42HRで本塁打王に輝いたが、103三振で、池山隆寛、広澤克己と共に「100三振トリオ」を結成。
このシーズンオフに野村克也が監督に就任すると、「いらない」と言われて自由契約になった。
結果的に阪神へ移籍し、やっぱりホームランを打ちまくっていたが、8月に古傷の膝が悪化して突然引退。
斎藤雅樹を大の苦手としており、「顔も見たくない」と言っている*9

  • ホセ・フェルナンデス
2003年のロッテ入団以降様々なパ・リーグのチームを渡り歩いたドミニカ共和国出身のスラッガー。
守備力はからっきしであったが、打力は一流で外国人選手としては数少ないFA権を取得するなど長らくパリーグの球団で結果を残し続けた。

  • 藤原満
南海で活躍した三塁手。ミートに長け、三振が極端に少ない打者として1番打者として起用される。1975年ごろから重量があってグリップの太い「つちのこバット」を勧められて使用。このバットはのちに福本豊、若松勉も使うようになり、彼らがヒットを量産したことで、松本匡史、高橋慶彦、大石大二郎といった俊足の選手に重宝されるようになった。
藤原が成功したことで気をよくした当時の南海監督の野村克也は、以後指揮したチームで、飯田哲也、赤星憲広、田中秀太、鉄平といった俊足打者に自ら指令して使用させた。
なお、『あぶさん』では主人公景浦安武の親友として描かれ、コーチ就任時に背番号90を希望するも、「あぶさんの番号だからダメ」と断られたという逸話がある。

  • 藤村富美男
泣く子も黙る『初代ミスタータイガース』。
1936年、設立したばかりの大阪タイガースは当代甲子園最大のスター選手であった藤村を熱心に勧誘し、投手として入団。
最初の公式戦である名古屋金鯱軍(後の中日)戦に開幕投手として登板し、完封勝利。その後、チーム事情で内野手と投手を兼任しながらチームの中心選手となる。
しかし、1939年に陸軍第5師団歩兵第11連隊に徴兵され、兵役に出る。
マレーシア、シンガポール、インドネシアなどに赴いたのち、帰還。
その後、国内で軍用犬の教育をしたのちに進駐軍の雑役に駆り出され、人間魚雷「回天」の解体などに携わった。
プロ野球に戻ったのは30歳を過ぎてからで、プロ選手として一番脂の乗るはずだった期間は戦争に奪われてしまった。
しかし眠っていた才能が開花し、1947年には阪神不動の4番打者として『ダイナマイト打線』を象徴するようになる。
通常より8㎝長い『物干し竿』の異名を持つバットでプロ野球史上初のサイクル安打、年間100打点など数々の記録を残した。
また、先述の通り人員不足のため公式戦では投手としても出場経験があり、通算で34勝を挙げている等今で言うところの二刀流の走りでもあったりする。
野球選手としての器用さも兼ね備えており、捕手以外全てのポジションでスタメン出場を経験するという珍記録も持っているほど。
非常にショーマンシップに溢れた性格で、球場へ来てくれた観客を楽しませようと試合中わざとオーバーなリアクションを取ったりするなどして娯楽に飢えていた戦後の観衆を熱狂させた。
引退後は時代劇「必殺仕置人」の元締め・虎役で出演し、現役時代よろしくバットで粛清するシーンも見られた。
長嶋茂雄も藤村を大変尊敬しており、藤村は『初代ミスタープロ野球』といっても過言ではなかろうか。

  • ケーシー・マギー
バリバリの大リーガーであったアンドリュー・ジョーンズと共に2013年の楽天イーグルス初の日本一に貢献した元メジャーリーガー。
楽天でのプレーは一年のみであったが日本一の立役者の一人であることから楽天ファンからの評価は高い。
後の巨人在籍時にはセリーグシーズン最多二塁打48を放つなど主軸として活躍するなど、2010年代を代表する優良助っ人の一人。

  • 松田宣浩
熱男』。
主にソフトバンクで活躍した走攻守三拍子揃った三塁手。
三塁でのゴールデングラブ8回受賞は歴代最多と三塁守備は歴代トップクラス。
なぜか元西武で先発投手として主に活躍した十亀剣には異常に強く当時話題を呼んだ。現役最終年の2023年は巨人に在籍したが衰えは隠せず一年限りで退団しこの年限りで引退した。
ホームランパフォーマンスはパワプロでの再現のみならずOB企画でもお約束。

  • 松永浩美
阪急・オリックスで活躍した『史上最高のスイッチヒッター』で走攻守三拍子揃った選手だった。
衣笠祥雄と同じく盗塁王獲得経験がある数少ない三塁手の一人。現役晩年は阪神、ダイエーにも所属。

  • ヘンスリー・ミューレン
1990年代にロッテ、ヤクルトで活躍した三塁手。
ヤンキースから1994年、千葉ロッテに入団。
成績は規定打席に到達し、打率.248、69打点、23本塁打、出塁率.288、OPS.745だったが一年で退団。
退団理由は、ヤンキース出身で元メジャーリーガーの同僚メル・ホールがパシリ扱いする・ロッカーを壊すなどの嫌がらせを行い、うつ病になるなど執拗なイジメに耐えられなくなったから。
1995年にヤクルトに移籍。
ここでもホールがミューレンに襲いかかるなどしたが、同僚のトーマス・オマリーが盾になりホールを追い払ったりした為*10、ミューレンはプレーに集中出来た。
ヤクルトでの2年間はいずれも規定打席に到達。
下位に置いて自由に打たせた結果、打率は低いものの長打力を発揮し「恐怖の8番打者」として、1995年のリーグ優勝・日本一に貢献した。
高津臣吾や野村克也も称賛するほどの好人物で、現役引退後は指導者に転向。
代表チームの監督を務めるなどの貢献でオランダ野球を強豪にまで成長させたとして、女王から「ナイト」の称号を与えられた。

  • 村田修一
横浜・巨人で活躍し本塁打王を2回獲得したスラッガーにして引退試合クラッシャー
若い頃はチーム事情により本職でない二塁を守っていたため二塁守備はからっきしであったが、後に転向した三塁手ではゴールデングラブ賞を3回受賞するなど三塁守備は一流だった。
2024年現在は千葉ロッテマリーンズ一軍打撃コーチ。

  • 元木大介
クセ者元木〇ね
高校時代は甲子園歴代2位タイの6本塁打を放つスラッガーであったが、巨人入団後は勝負強い打撃と内野全般と左翼ならどこでも守れるユーティリティープレイヤーとして90年代~00年代中盤まで巨人を支えた。
引退後は『ヘキサゴン』のおバカ枠などタレント活動がメインだったが、2019年から第3期原監督傘下で巨人ヘッドコーチに就任し、2023年まで同職で活動した。
詳細は項目を参照。

  • 森野将彦
台頭に時間はかかったが2006年に立浪和義からレギュラーを奪い、以後中日の主力選手としてチームを支え中日一筋で現役を全うした。
クリーンアップを打てる打力と複数ポジション守れる器用さを兼ね備えたプレイヤー。
2024年現在は中日二軍打撃コーチ。

  • ブランドン・レアード
2015年に日ハムに入団したアメリカ人内野手。
入団当初は振るわなかったが当時監督であった栗山英樹が辛抱強く起用した事で徐々にNPBに適応していき、一年目の15年は打率は高くないが最終的に34本を放つなど栗山の期待に応え結果を残す。
翌年は39本塁打で本塁打王を獲得、以降日ハムの主軸として人柄も含め人気を集める。
2019年以降はロッテに移籍、怪我による離脱もあったが2022年まで在籍し一定の成績を残した。
寿司ポーズ』の人。

  • レオン・リー
打撃センスのある捕手としてMLBのカージナルスと契約し、メジャー昇格を目標としていたが、足が絶望的に遅くなかなか昇格できずにいた。
そんな折、ロッテに所属していた兄レロン・リーに誘われロッテに入団。
主に一塁、三塁を守り兄と甲乙つけがたい打撃力でともに中軸を担う。
その後、大洋、ヤクルトと渡り計10年NPBでプレー。
安定した成績を残したがタイトルは獲得できなかった。
通算打率.308は首位打者を獲得していない選手で1位(4000打数以上)。
また、所属した3球団すべてで30本塁打とシーズン最多併殺打を記録している。
なお、カージナルス傘下時代、プロレスラーの”マッチョマン”ランディ・サベージとチームメイトだったことがある。

  • ウェイド・ロードン
1989年に広島に入団した細身の長身三塁手。
眼鏡をかけていて、まじめに練習に取り組むところから「銀行員」「クラーク・ケント」などと呼ばれた。
打撃フォームは右足のつま先を捕手に、左足つま先を投手に向ける言わば種田仁の「ガニ股打法」のプロトタイプで、走り打ちに近いダウンスイングスタイルだった。
来日初年度は3割、22本塁打で主軸打者としての及第点を獲得、守備ではGG賞を獲得した。
翌年は新外国人選手に枠を取られる形で出番が減ってしまい、退団した。

【主な架空の選手】


漫画・ゲーム


  • アクメド
パワポケシリーズに登場する選手。初登場の「1」では外野手だったが、「3」以降は三塁手に転向した。
いわゆるモブ選手で、キャラクターとして登場することはない。したがって外国人のような名前と容姿だが、日系人なのか留学生なのかすらよく分からない。
しかし「1」、「3」、「6」の三作品で強豪チームの中軸として登場し、圧倒的なパワーと強肩で主人公たちを苦しめるので、並みのサクセス選手以上に印象に残る選手である。
本編に登場しなくなった後もデビルスターズの正三塁手として活躍を続けた。

  • 五十嵐権三
ゲーム『実況パワフルプロ野球』シリーズの登場人物。初登場作品は『パワプロ9』で名門校・あかつき大学付属高校における不動のレギュラー、数字先輩軍団あかつき十傑において三塁手を務める逸材。
性格もやや主人公たち下級生に干渉しすぎるきらいはあるものの真っ当な熱血球児で、「ケガをしないことも選手として重要」という理念を持ち*11・しっかり実行しているなど人格的にも優れる描写も多い。あと実は学年トップ当たり前の四条先輩と張り合えるほどの秀才。
メイド喫茶やることになった際にそのメイド役に立候補したことはあった。*12

…だが実態は長打力と人格だけで十傑入りしてるとしか思えないいろんな意味でコメントに困る能力持ちで、「きわめてエラー率が高い」「ミートが低く三振持ちと打率的にはむしろ低いと思われる」など選手としてはかなり欠点の多い人物。消去法とはいえ十傑の恥呼ばわりするプレイヤーも普通にいるレベル。彼との友情タッグ練習は基礎練習で筋力ポイントを大幅に稼ぐことが可能であるが、同期に三本松一と七井アレフトの筋力練習もある為イマイチ印象が薄め。
現在のところ一ノ瀬・二宮(プロ入り。後輩だが猪狩兄弟もこちら)、四条(プロ入りしないことを前提に獣医学部進学)と異なり進路が描写されたことはあまりなく、結局どうしているのかは不明。高卒or大卒1年目なら守備もこんなもんじゃないかという気はするのだが。パワプロ10超決定版のサクセスオールスターズでは6000万と中堅クラスで雇用可能。まずまずのパワーと及第点の三塁守備力を持つため、強振打ちに自信があるのならからっきしなミートに目を瞑って雇用するのも悪い選択肢ではない。

  • 社長
ゲーム『実況パワフルプロ野球』シリーズの登場人物。初登場作品は『パワプロ6』でラスボスとしてアマチュア野球日本一決定戦にて登場。社会人野球で最高峰にあたる『黒獅子重工株式会社』の社長兼実業団チームのキャプテン。
ミートは毎回小さいがパワーAに加えチャンス5やパワーヒッターを持ち、更に守備能力も高い。ミート以外弱点がない、走攻守全てを兼ねた強選手。(一時的は三振男もあったがいつの間にか無くなった)
性格はワンマンかつ勝利第一主義という堅物。反面自分を打ち負かした相手には年齢問わず敬意を表したり、そもそも黒獅子重工を社会人野球最強にしたのも、戦後の焼け野原を戦友と共に見て「日本の野球を担う人材を多く発見・育成・輩出する」と誓いを立てた為……という義理堅い性格の持ち主。そのインパクトから 社会人野球が舞台のサクセスではほぼ毎回登場 し、いずれも強敵として待ち構える。仲間になるのは冥球島・10超決のサクセスオールスターズ・パワフェス全般くらい。……三塁手はラスボス級が多く、激戦区になりがちな理由になったお方の一人。

  • 岩鬼正美
有名野球漫画『ドカベン』の主要人物。おそらく架空の三塁手としては日本で一番知名度が高い選手。
主要キャラの中でも頭一つ抜きん出た長身巨躯で、常に被っている学生帽と口に加えた葉っぱがトレードマーク。初期のころはよく山田の妹、サチコに「ハッパ」と呼ばれていた。
なおこのハッパは岩鬼の感情次第で咲いたり萎んだりする。で性格は典型的な王様気質のプレイヤーだが、実は超裕福な家の生まれ*13→大没落という経緯から他人のことを慮る描写も多く、実際には他の明訓メンバーにも劣らない聖人。
短気で喧嘩っ早い一方で、意外とメンタルは強く試合中に弱音を吐いたり動揺したりすることがほとんどない。これは里中と比較すると特にわかりやすいだろう。
打者としては作中高校球界でも群を抜くパワーヒッターで、飛距離に関しては主人公・山田太郎を凌ぐ程だが、ド真ん中のストレートが大の苦手で、偶然や小細工*14抜きでは打てないという、打者としては致命的な弱点があり、反面ワンバウンドや頭部付近への抜け球といった普通の打者ならまず手を出さないような悪球打ちを得意とする。作者と編集の予定ではファールフライの予定だったが、作者が是非ともホームランにしたい渾身の一枚を描き上げてしまった際は「葉っぱが目に重なって悪球に見えた」という偶然が起きている。編集さんお疲れ様です
「グワァラゴワガキィーン!」という打球音が特徴。
プロ野球編で二軍に落ちた時は二軍陣のコントロールの甘さが幸いして活躍しまくり、すぐに一軍に戻ることが出来た。
またバッターボックスに立つ際必ずヘルメットをかぶらないのも特徴。中学時代それで痛い思いをしたはずなのだが
肩も強く、投手をやらせればものすごい剛速球を投げる・・・が、どうしようもないノーコンで、捕手を務めた山田もよく悩んでいた。
三塁手としては、持ち前の強肩と高い身体能力や悪球への強さを活かし、三塁線への痛烈なライナーへのダイビングキャッチやや味方の悪送球の好捕といったダイナミックなファインプレーを連発する・・・・・・のだが、正面の普通のゴロをトンネルする*15等しょうもないミスも多く、まさに「打っても投げても守っても岩鬼は岩鬼」といったところ。
また、何度か捕手を務めたことも。というか、そもそも明訓高校が元々は弱小の公立高校であったため、岩鬼も空いたポジションを埋めるために二塁手・左翼手と他ポジションは色々と経験はしている。
その際の守備力?お察しください
ドラフト指名時には岩鬼の希望かなって?*16ONコンビの競合のすえ、ダイエーに入団。後にFAで東京スーパースターズへと移籍した。
アニメ版のCVは玄田哲章

漫画『ドラベース』の主人公。当初は弱小草野球チーム『江戸川ドラーズ』の主将と素人集団を引っ張っていたが、ストーリーが進むに連れて修行や強敵との対戦によりドラーズのレベルも上がっていったことでクロえもんも着実に力をつけていき、最終的に史上初の草野球チームからドラフト指名を受けるまでに至る。詳細は項目参照。

  • 佐竹進一(さたけしんいち)
漫画『4P田中くん』に登場する三塁手。
主人公・田中球児(たなかきゅうじ)が在籍する栄興学園で同級生、寮では同部屋。
当初はエース候補として期待されて入部、実際に公式戦でも好投するが、マイナス思考な為か、一度打たれると自身で立ち直れない。
球児と出会い、マイナス思考を克服したが、エースナンバーは球児が獲得したので、佐竹は1年夏の甲子園が右翼手、秋の新チームから三塁手の守備に付く。
好守備、強肩の三塁手で、新チームでは1番を打ち、打つ方も内角を捌くのが上手いと他チームから警戒されている。

漫画『Mr.FULLSWING』の主人公。
当初は恋した女子をスポーツ少年に全部取られたことからスポーツ全般が嫌いで野球も大嫌いであったが、女子マネージャーに一目惚れしたことで野球ド素人ながら野球部に入部することになる。
良くも悪くもパワーだけが取り柄であり、当初はファーストだったのだが、レギュラー入りにあたってサードへとコンバートされている。

  • 橘英雄
漫画『H2』に登場する、主人公国見比呂の親友であり最大のライバル。ヒロイン雨宮ひかりと交際中。
強豪明和一高で1年から4番に座り、スラッガーとしての才能はもちろん、140キロは優に超えると言われる強肩を持ち守っても怪物級と称されるほど走攻守全てで高いレベルを兼ね備えた選手である。
実家は酒屋だが酒に弱く、匂いだけでも酔っ払ってしまうほど。

  • 谷口(たにぐち)タカオ
漫画『キャプテン』『プレイボール』『プレイボール2』『キャプテン2』に登場する主人公。
三塁手兼任で投手も。
キャプテン』で登場し、元々、野球の名門・青葉学院の二軍の補欠から墨谷二中に転校。
気弱な性格ゆえ打ち明けられないでいたが、大工を営む父の叱咤で密かに特訓することを決意。
その姿勢を先代キャプテンに買われ、次期キャプテンに任命された。
背中を見せてチームを引っ張る姿は丸井を信者にし、理屈っぽいイガラシを黙らせるモノだった。
『プレイボール』では主人公、『プレイボール2』『キャプテン2』では重要人物。
試合中の怪我から野球を諦めてサッカーに転向したが、野球を諦めて切れなくて、野球部に入部。
野球を諦めた原因である怪我を持ちながらもプレイをこなし続けていたが、フォークの連投で肩を壊した際に医者から治療が可能と聞かされ、ケガを完治させた。
負けグセの付いた負け犬の集団に喝をいれ、やる気を引き出した、モチベーターでもある。
1年生秋の新チームからキャプテンに就任、2年の新学期には新入部員も入り、後輩の松川と三塁手兼任で投手を務め、夏の選手権大会・東東京大会ベスト8、秋の東京都大会ベスト8と『プレイボール』はここまで、『プレイボール2』『キャプテン2』では三年夏の選手権大会・東東京大会ベスト4と成績を残し卒業。
三塁手としては球際と肩が強く、投手としてはボール半分のストライクの出し入れが出来る制球力とカーブ、シュート、フォークの変化球を操る投手。
本人は大工志望だったが、学校側の思惑で予備校に通いながら、監督に就任、チームを夏の選手権大会・東東京代表に導いた。
アニメ版『キャプテン』のCVは和栗正明、『プレイボール』のCVは前田賢一朗、実写映画版は布施紀行が演じている。

  • 東篠小次郎
五十嵐先輩同様、ゲーム『実況パワフルプロ野球』シリーズの登場人物。初登場は『パワプロ13』で眼鏡をかけている時は礼儀正しく大人しいが、眼鏡を外したら例え先輩でも遠慮なく発言しキツイ性格に変貌するなど、どこぞの幼稚園の先生のような二重人格の性格の持ち主。選手としては特殊能力にパワーヒッターと広角打法を保持しているスラッガーで三塁守備も一流。実はTOJOインターナショナルという大企業の御曹司。
サクセスでは友沢に次ぐ貴重な高レベルでバランスがいいキャラなので味方だと非常に頼りになるが、パワフェスだとサクセスで言うラスボスクラスも多い激戦区の三塁手のため最終メンバーに残りづらい。
ちなみにフォームは一貫して小笠原道大のもの。彼同様に左打であるため、サクセスキャラとしては清本和重と並び珍しくホームラン確定演出時に特殊モーション(バットを置いて小ジャンプ*17)となる。
近年のサクセス登場チームはサードの固有選手がいない・ショートに固有選手がいるケース*18も散見され、ある意味では「内野の花形ポジションはどこ?」の移り変わりを象徴する設定ともいえる。

  • 轟雷市
漫画『ダイヤのA』の主要人物の一人で、主人公沢村栄純が所属する青道野球部のライバル校の一つ、薬師高校の中心打者で作中最強クラスのスラッガー。
貧乏故にイメトレと基礎鍛錬しかできないという環境で超高校級の打力を身につけた野生児であり、比較的リアル志向が強いこの作品において良くも悪くも異色のキャラ。
福岡ソフトバンクホークスで活躍するスラッガー柳田悠岐にも大きな影響を与え、雷市のフルスイングに憧れたことから柳田も豪快なフルスイングをするようになった。
足も早いため守備範囲が広いが質は良くない、と微妙に三塁手向きではない。また、選手層が非常に薄いのもあって投手も兼任する。
アニメ版のCVは小野賢章

  • 弐織敏(にしきさとし)
漫画『錻力(ぶりき)のアーチスト』の主要人物の一人で、主人公•清作雄(きよさくゆう)が所属する神奈川県立桐湘高校野球部員。
一学年上の2年生で右投げ右打ちの四番•三塁。
一学年上の兄•弐織義壱(にしきぎいち)が全国区の強豪校•神奈川県私立港南学院高校の四番打者で強烈にライバル視し、超えるべき壁と捉えてもいる。
自分には兄ほどの野球の才能は無いが、
「兄貴と同じ練習をしても負けるだけ」
と唯一兄より優れていた「身体」を鍛え抜き、ミート時あまりの轟音で三半規管が衝撃を受けてマトモに立てなくなるほどの凄まじい打球を放つパワーヒッターとして覚醒、高校入学と同時に入部直後に行われた1年対2・3年の紅白戦で3本のホームランを打ち4番入りした。
彼が打つ・打たないでチームのムードが一気に変わる程の、打の中心選手。
見た目は脳筋キャラだが、野球に関しては冷静な判断力を持つ。

  • 新田明男
漫画『タッチ』に登場する三塁手。
主人公である上杉兄弟のライバル
須見工業高校の4番打者である。
会社経営者の長男であり、容姿端麗、冷静で温和な性格を持ち、学業の成績も優秀である。
当時、野球部に請われて助っ人の1番打者として弟の和也と対戦するも3打席3三振で、4打席目はまわってこない完全試合を喫する。彼にとっての初めての挫折であり、和也との再対決を目標に本格的に野球へ力を入れることになる。
原作だと1年夏の東東京大会決勝戦に名前が無く、名前が出てくるのは2年になってから。
和也と対戦出来ないモヤモヤを兄の達也にぶつける。
2年夏の選手権大会、3年春のセンバツと出場し、超高校級の評価を受ける。
3年夏の選手権大会•東東京大会決勝で本格的に達也と対戦。
試合には敗れたが、満足感を得たのか、プロの道に進まず、親の経営する会社へ進もうとしていることが原作版最終回に描かれている。
アニメ版のCVは井上和彦

  • ジョー・ギブソンJr
漫画『MAJOR』に登場するアメリカ出身の三塁手。
名前が示す通り主人公茂野吾郎の父茂治の死因を作ったアメリカ人投手ジョー・ギブソンの息子で、アメリカ編以降吾郎のライバルとなる。
茂治の事故がきっかけで家庭が崩壊したことから父親および本田親子を恨んでいたが、試合を通じてツンがデレて和解。
吾郎の親友の佐藤寿也と互角かそれ以上の長打力で彼らを度々苦しめ、吾郎も彼との勝負には特にこだわる程の実力の持ち主。
また、元々は左打ちだったが左腕投手の変化球に対応するために両打ちになった過去があるのだが、ストレートには本来の左打ちの方がベストパフォーマンスを出せることから速球が売りの吾郎に対してはあえて左打席で望む局面もみられた。
もっとも、この点をアドバイスしてくれた父親にはそれを逆手にとられたことや吾郎が途中で習得したフォークボールをものにしてからはこの対策も通じなくなったため、終盤では素直に右打席で応じている。
アニメ版の声優は浪川大輔

  • 星一徹
野球漫画『巨人の星』の主人公、星飛雄馬の父親。
かつて巨人軍でチームメイトだった川上哲治から「巨人軍の未来を担うはずだった」「長嶋茂雄をも超えていたはずの幻の史上最大の名三塁手」と太鼓判を押されたほどの実力者だったが、一度も公式戦に出場する事なく出征。
その後は生きて帰国し、チームに復帰したものの戦地で肩を壊して以前のような守備ができなくなっていた。
それを補うために一塁へ向かう走者を掠めるような軌道を描いて一塁手のミットへ収まる秘技『魔送球』を編み出す。
しかし、川上からその反則スレスレの技法を邪道だと指摘された事で引退を決意。
それからは息子の飛雄馬に巨人軍という星座の中のでっかい明星「巨人の星」となる夢を託し、大リーグボール養成ギプスの装着を始めとする虐待紛いの過酷なスパルタ特訓を科していく事となる。
まさしく日本の野球漫画における鬼コーチの象徴とも言える頑固親父。もしくはちゃぶ台返しをするオッサン

漫画『おおきく振りかぶって』に登場する三塁手。
西浦高校野球部員。
チーム事情で四番打者だが、本来は一番打者が適任。
器用な選手で三塁手の他に捕手や一塁手も出来る。
ボーイズリーグ出身で、強豪校を始め5校から誘いがあったが、家の事情で地元の公立校に入学する。
詳細は項目参照。

  • ぱつく
ファミスタシリーズ、ナムコスターズ不動の4番打者。
文字制限が取れてくると、「ぱっく」、「ぱっくまん」、「パックマン」、「PAC」ともだんだん表記が変更されていった。
全シリーズを通して安定的に打率3割、20~28本塁打でチーム1の長打力を誇る。

小説

  • 坂東真一
奥田英朗の小説、精神科医・伊良部シリーズのひとつ『ホットコーナー』に登場するプロ野球選手。
東京カーディガンズ所属、プロ10年目のレギュラー三塁手。愛称は「バンちゃん」。
ゴールデングラブ賞も3度受賞している名手だが、ある時期から一塁への送球がまともにできなくなる深刻なイップスに陥ってしまう。
マスコミやチームメイトに知られたくない思いから表向きには右肩痛と申告しつつ、治療のため密かに伊良部の元を訪れるが…。
アニメ版では架空の球団ではなく、東京ヤクルトスワローズ所属という設定。CVは浪川大輔



追記・修正は三塁手に詳しい人に補足して貰えると助かります。


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最終更新:2025年03月29日 10:59

*1 発表時はカタールワールドカップ開催時で、日本代表の快進撃から長友佑都選手が放った「ブラボー」が事実上の大賞と見る向きも多かったことも理由のひとつ。

*2 この時は主に二塁を守った。後年その功績を称え、本拠地球場に彼が優勝決定のアウトを取った瞬間をモチーフにした銅像が建てられている。

*3 初代は藤村富美男、二代目は村山実、三代目は田淵幸一。

*4 NHKのキャスター時代、当時世界陸上に出場していたカール・ルイスをこう呼びつけて無理矢理ツーショットを撮らせてもらった。

*5 松井によると遠征先も含めほぼ毎試合前に素振りを長嶋の前で行い、そのスイングを観察・指導されたという。

*6 アニメ版『巨人の星』では現役だが『新・巨人の星』からは監督として登場

*7 当時の近鉄は明らかに悪い意味でケチだったほか、DeNA時代に盗塁について采配批判→他選手への説明が不足していた可能性があるなど。

*8 中学時代の中村が周囲のリトルシニアの野球仲間に「大阪の私立校は強すぎる。みんなで公立から甲子園目指せへんか」と声をかけ連れ立って同校に入学したという経緯がある。

*9 通算対戦成績は32打数3安打19三振 打率.094。

*10 オマリーはこの時点ですでに日本にいる期間が長い為、外人選手の面倒を観ていた。ホールはイジメが酷すぎて、大半のメジャー球団から契約を断られているのを、日本にいる外人選手達も知っていた

*11 初めての練習試合の前日にケガをして試合に出場出来なかった経験から、と語られる

*12 しかも展開によっては本当に五十嵐が女装して接客する事態に発展する。当然プレイヤーからはグロ画像扱い

*13 ただし、家庭内では父親とお手伝いさん以外には冷遇されていた辛い少年時代を送っている

*14 投げミスの少ないコントロールの良い投手と対峙する際、岩鬼が「ど真ん中を悪球に錯覚する工夫」を色々と試行錯誤するのも「ドカベン」の名物となっている

*15 有名な「ドカベン」OPでもまさにそのやらかしを描写されている

*16 インタビューの際、さっきまでのはしゃぎようがウソのように「王さんの元で野球ができるのは嬉しい。でも(外してしまった)長嶋さんへも配慮したいから、喜びは心の中だけに留めさせてほしい」と発言したほど

*17 ちなみに清本は上述の中村紀洋のフォームのため「バットを放り投げてバンザーイ」

*18 例えば『2024』パワフルフューチャーズ編など。『アプリ』のように三塁だけ・遊撃だけ・三塁遊撃どっちもいるが登場時期関係なしに混在しているケースも存在するが