ニンテンドーDS とは、任天堂のゲーム機。
ニンテンドーDS |
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他言語 |
Nintendo DS (英語) | |
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ふりがな |
にんてんどーでぃーえす | |
発売元 |
任天堂 | |
メディア |
ニンテンドーDSカード ゲームボーイアドバンス用ロムカセット |
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CPU |
ARM946E-S 67MHz/ARM7TDMI 33MHz | |
モニター |
半透過反射型TFTカラー液晶(26万色表示可能)/3.0インチ(2画面) | |
解像度 |
256×192(2画面) | |
通信機能 |
IEEE 802.11、独自プロトコル | |
電源 |
内蔵リチウムイオン充電池 | |
持続時間 |
6~10時間 | |
充電時間 |
約4時間 | |
発売日 |
2004/12/02 (日本) | |
値段 |
14,286円(税別) | |
同梱物 |
ニンテンドーDS専用ACアダプタ ニンテンドーDS専用タッチペン(2本) ニンテンドーDS専用タッチストラップ 取扱説明書 |
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本体カラー |
プラチナシルバー/グラファイトブラック ピュアホワイト/ターコイズブルー キャンディピンク/レッド |
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日本販売数 |
ニンテンドーDSのみ:654万台 ニンテンドーDSシリーズ:3,299万台 |
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世界販売数 |
ニンテンドーDSのみ:1,879万台 ニンテンドーDSシリーズ:1億5,402万台 |
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任天堂が発売した携帯ゲーム機の一種。略称は「DS」。
【ゲームボーイアドバンス】と【ニンテンドー ゲームキューブ】とは異なる、「据え置きでも携帯機でもない第3の柱」をコンセプトに作られた。(ただしGBAの後方互換はある)
今までのハードの常識からはかけ離れた設計が特徴的で、【ゲーム&ウオッチ】のマルチスクリーンを思わせるような2画面と折りたたみ式の本体、下画面には感圧式のタッチパネルを採用し、タッチペンによるタッチ入力が可能に。更にマイクによる音声認識機能、IEEE 802.11による無線LAN通信といった機能も搭載している。
これらの機能は「ゲームが好きな人はどんどん新しいゲームを求めているが、ゲームをしない人がすごく増えてきた。ゲームをする人、しない人がはっきりわかれてきていることを心配している」と危惧したうえで、「昔ならマリオがジャンプするぐらいでみんながめずらしがって喜んでいた。NDSはゲームをしない人が初めて触って直感的に面白さを体感できるものを作りたかった。そこでタッチパネルにかなり注目しました」との事で、新規ユーザーにも親しんでもらう為に付けた機能である事が語られている。(参照)
次第に本ハードがスタンダードの市場になるにつれ、【ニンテンドーDS Lite】、【ニンテンドーDSi】、【ニンテンドーDSi LL】といった姉妹ハードが発売される。これらを含めて「ニンテンドーDSシリーズ」と呼称されている。
2011/02/26には後継機の【ニンテンドー3DS】が発売された。
発売当初は奇抜なハードとして見られており、ゲームも「タッチペンと2画面を使っただけ」のデモンストレーションを兼ねたかのような一発ネタのような作品がファースト・サード問わず多数見られていた。(【ポケモンダッシュ】はその極端な一例と言える)
そんな中、2005年前半に発売された【nintendogs】?と【東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング】が今までゲームに触れた事の無いユーザー達へと刺さり、社会現象を引き起こす。
更に2005年後半には、女性のライトプレイヤーや低年齢層を【おいでよ どうぶつの森】が掴み、従来のゲーマーはオンライン対戦を一般化させた【マリオカートDS】で一気に確保する。
そして2006年には【New スーパーマリオブラザーズ】、【ポケットモンスター ダイヤモンド・パール】といった、「2画面とタッチパネルを補助要素として活用する従来型のゲーム」が発売。
こうした流れで今までゲームに無縁だったユーザー達や低年齢層、避けていたゲーマー達がこぞってDSを購入するに至り、爆発的ヒットを見せ、「奇抜なハード」から「一般的なハード」へと変化を遂げる。
この成功はゲームボーイアドバンスのソフトの供給をほぼ全てDSにスライドさせ、「第3の柱」から「携帯ゲーム機のスタンダード」へと変わっていった。
これに伴い、ニンテンドーDSシリーズの派生ハード開発も進み、ニンテンドーDS Lite等が作られていく。
DSブームが加熱するにつれ、GBAでは弱めだったサードパーティも次々と参入しており、『ドラゴンクエストシリーズ』が久々に任天堂ハードを中心に展開して行く。中でもシリーズ本編の最新作『ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人』はシリーズの売上記録を更新し、任天堂でもなかなか出来なかった「すれちがい通信」を一般に浸透させる程の影響力を見せた。
それ以外にも『レイトン教授シリーズ』や『イナズマイレブンシリーズ』を打ち立てたレベルファイブや、日本国外で500万本以上も販売した『クッキングママ』など、GBA時代の「ポケモンだけのゲーム機」とは言わせない程の多様性を見せている。
その後も絶えずに販売数を伸ばし続け、2010年には【ゲームボーイ】系列の世界販売数を越え、歴代売上最大のゲーム機となる。
2011年以降は3DSの開発が中心となった事でゲームソフトの供給が減り、2016年には修理受付が終了。3DSへのバトンを繋ぎ、静かに眠っていった。
発売当初は「奇を衒ったハード」でしかなかったものが、完全に一般に定着し、マルチスクリーン以外は後のゲーム機のスタンダード機能として定着させると言った具合に、ゲーム史そのものを揺るがすとんでもないハードとなった。
本ハードのヒットが2000年代後半~2010年代前半の日本のゲーム業界を携帯機中心へと変化させて行き、日本における据え置きと携帯機の力関係を逆転させている所も興味深い点である。