1944年。エジプト、カイロ――北緯30度03分22秒 東経31度14分22秒
アフリカ最大の人口を誇る都市であり、現在、人類連合軍アフリカ軍団の本営が置かれている。
スフィンクス作戦悲願の成就が射程に収まりつつあるそこには、少なくない数の現地民が帰り、元の賑やかであった頃を思い出しつつあった。
春を迎える風が強く街並みを駆けていく。
深まりつつある夜の中で、本営にほど近い病院の待機所では夜勤の看護師たちが眠気覚ましのコーヒーを啜っていた。
壁掛けの時計がかちりとなって、深夜を告げる音がぼぉんと響いた。
看護師「ありゃ、見回りの時間になっちまった」
看護婦「あらやだ、楽しい楽しい夜の始まりよ?」
看護師「君は平気だから…俺、そういうの苦手なのに……」
懐中電灯を手にとって、看護師は手元の書類を乱雑に片付けた。
――深夜0時、3号棟の大窓前に亡霊虎が現れる
よくある病院の怖い話…と思いたい所だがこの話はマジ物だった。
何かを探すようにのしのしと3号棟を歩き回り、最後には必ず東の大窓から外を望む。
看護師も医師も患者さえも、誰もが一度は見ているのだ。
暗がりの筈の広間をほの明るく照らす虎。実体はいつも不安定、そして不気味の一言。一度目が合えば膝が折れる程の威圧感。
看護師2「噂ではほら、アレクサンドリアから移送された軍人さんが原因って話」
看護師「俺大尉のことですか?…噂にしたい気持ちも分かるけど……」
看護婦「でも怪しいでしょうに。ただの怪我じゃない…言っちゃ悪いけど現役復帰も見込めない重傷患者を部隊と一緒に移動させてるんだから」
まるで目覚めることを待つように。
スーパーエースと呼んでも過言でない程の実績と何度も朝刊の一面を飾ったスター性。
希望を持つのは分かる。しかしこの病院に運ばれて来た時の担当者だったから分かる。
怪我は全て完治し、自発呼吸もできるのだが、なんの気配も感じさせない。
看護婦2「加えてここに入院したことはほとんど門外不出。怪しい匂い満点ってわけよ」
看護婦「あの馬鹿でっかい虎は俺大尉の使い魔って話……もしかしたら、大尉の亡霊かも?」
先程までの苦々しい表情をいっぺん、にんまりと楽しげに笑う看護婦二人に詰め寄られた。
看護師「…縁起でもない事言わないでくださいよ」
静かな夜勤中にはとっておきの話題だったのだろう。
看護師は懐中電灯を握りなおしてから真っ暗な深夜へと紛れていった。
その日も、幽霊虎は現れた。
次の日の待機所では、ほんのりと光るその虎が2、4号棟にも現れたとの噂で持ちきりとなるのだった。
『星の彼方へ』
―A part―
今日の襲撃は少数で助かった。病院に行くのに砂まみれはなんとなく気が引ける。
アフリカ、とりわけカイロまで来ても扶桑の軍服は目立った。
街中の鮮やかな色の中でも一際目立つ紅白を着た茶髪の女性はかつかつと三号棟を歩いていた。
目的の扉の前で一息ついてから何の気なしに開ける。
簡素な病室に一歩踏み入れると、視界に飛び込んで来るロマーニャの高官軍服。
加東「…少将閣下?」
少将「君は確か…加東圭子君、であっているかな?」
加東「は、はい。恐縮です」
思わず姿勢を正してしまう。
ロマーニャ公国空軍少将。通称『ロマーニャ公の懐刀』
巧妙な策略であらゆる戦いをそつなくこなし、人類連合地中海方面統合司令部参謀長をも務め上げる知将である。
そして、アフリカに俺を送り込んだ張本人でもあった。
加東「閣下、差し支えが無ければ質問したいのですが…」
少将「なんだね?言いたまえ」
加東「…病室を間違えてはいませんか?」
なぜ加東がこんな事を聞いたかと言うと、現在ロンメルも持病の治療の為に入院しているからだ。
ロマーニャ軍の視察や将軍達との次の作戦についての話し合いに来たのだろう。
ならば行く先は一兵士である俺ではなく、ロンメルの所だ。
少将ははて、と首を傾げた後、豪快に笑った。
少将「っふく、はっはっはっ!私があのキツネ野郎を?うむ、ありえん!」
さりげなくロンメルを馬鹿にしながら尚も笑い続ける。
その笑い方に、加東はなんとなく俺を思い出した。
加東「閣下は俺と似ていますね」
少将「これでも親子だからなぁ。仕方なかろうて」
加東「……はい?」
ロマーニャ人はみんなこうなのかなーと、安直に投げたらまさかの逆転サヨナラホームランである。
え?え?うそうそご冗談。少将閣下もお人が悪い。
だって俺と閣下似てないもん。まず閣下はラテン系じゃないし、目の色だって違うし…
でもどうしよう本当だったら……私普通にロマーニャ空軍少将の御子息ぶったたいてた!
加東(どうしよう土下座か…嘘まさか左遷だったら私マルセイユに殺されちゃう!)
少将「分からないのも無理はない。コイツは私の義理の息子ですから」
加東「…義理の?」
なんだか寒いところで必死に働いている姿が頭によぎった所で少将に思考を止められた。
危なかった…あのままだったら凍死するところだった……
少将「お恥ずかしながら私は子供ができない体質でしてね……俺は拾い子なのです」
先程から疑問符だらけの加東に少将は淡々と紡いだ。
少将「町の問題児だった俺に名を与え、家を与えた―――いいえ、私の息子だ」
帽子を被りなおした少将が唐突に立ち上がる。
脇に置いてあったブリーフケースを抱え、眠り続ける俺に目を落とした。
少将「…私は決してお前の道に踏み入らないと言ったな。お前の道は、お前の物だ」
まるで自分に言い聞かせるように少将は言った。
少将には美しい妻がいるのは知っていたが、子息の話は長い記者生活でも聞いたことが無かったが、そういうことだったのか。
少将「俺よ、早く目を覚まさんとかわい子ちゃんみんな貰っていってしまうぞ」
そう、ロマーニャ人らしい捨て台詞を吐いて少将は時間だからと病室を出た。
病室には馬鹿みたいに静かな俺と加東が二人。
加東「…またフラれたわよ、色男」
加東は備え付けの机の上、花瓶の傍の銀色の指輪を見て溜息をついた。
この指輪を置きざりにして、それから唯の一度もマルセイユは俺の病室を訪れていなかった。
◇ ◇◇
アフリカ軍団カイロ基地では整備班の組み立て部門がナイル川沿いの大規模な倉庫群に配置されていた。
そこは部隊の規模拡大による配備数の増加、修理車両の増大への対応も可能。そして補給物資の配分をも兼ね備える巨大な格納庫となっていた。
倉庫を利用した格納庫はカイロの前線基地にも数多く、設営班の負担軽減に一役買っている。
6番格納庫は、他の格納庫群と変わらない喧騒とこもった熱に満ちていた。
そんな格納庫の一角では現在予備ストライカーの総点検が行われている。
飛行時間からの交換部品の割り出しやら、オーバーホールでの再調整。ストライカーのエンジン音に、それに劣らず通る怒鳴り声。
音の氾濫はなはだしいそこには、独特の殺気のようなものが漂っていた。
第一線を行く超がつく一流
整備士たちの仕事場は、各地から新たに配備された整備士たちにとっては唸り声の連続であった。
一見なんの問題も見受けられない魔導基盤を見るか見ないかで二番の配線を交換。などと言うものだから、畏怖を通り越して心配になる。
どれだけの激務を背負ってここまで来たのか。それをまざまざと見せつけられるからである。
整備班長「G-0型のチェックは常に徹底するのを忘れない事……まあ、お前さんに言っても無駄ってもんだな」
各ストライカーのチェック。及び注意点を上げていた整備班長がボードから目の前の整備士へと目を移す。
整備班6はいえ、と一言断ってから口を開いた。
整備班6「自分の戒めでもありますからいいのです。忘れませんよ…マルセイユ大尉の機体ですからね」
そう笑う彼には日に焼けた健康的な肌と、目の下に浮かぶ真っ黒な隈。アフリカ軍団整備班貫徹名物がしっかり残っていた。
そしてそれを整備班長の後ろで補助役としてチェック項目を埋めていた新人整備士は、自分もこうなるんだなぁとうっすら感じていた。
親しげに言葉を交わす整備班長と整備班6をちらりと見ながら次の項目へと紙を捲る。
そこには『Hyperion』と手書きで書かれた用紙が一枚。
飛行基地に配備される航空ストライカーはマルセイユ大尉の物で終わりのはずだ。
それに新型機にこんな名前のストライカーは無かった。新人ながらも自分はしっかり勉強してきたつもりだった。
新人整備士「あの、班長よろしいでしょうか」
整備班長「あ?見落としでもあったか?」
新人整備士「あ、違うんです。ハイペリオン…なんてストライカーありましたっけ?」
新人整備士の言葉に整備班長の表情が固まり、整備班6があちゃーと顔を手で覆った。
整備班6「…あー、忘れ形見ってやつかなぁ……いや、オモチャ?」
整備班1「やっぱりバレちまうんだよ班長。二股もできないのに無理するから…」
整備班長「なぁッ…何をいうか!あれは偶然見られただけであって―――って違う!
…そいつはBf 109の改造機だ。俺達がそう呼んでるだけであって、もちろん正式採用機ではない
まあ忘れろ。ただの追加装甲と戦闘装備の搭載実験の試作機―――」
新人整備士「…もしかして、俺大尉が関係してたりするんですか!?」
若干興奮気味にまくしたてた新人に、整備班長の顔からさっと血が引いた。
いやあ、Bf 109と言えば戦闘機!そしたら俺大尉しかいませんよね!
やだこの鋭いメカオタ。誰かスエズに捨ててきて。
アフリカは俺の事故原因を隠していた。
単独任務中の事故。意識不明の重症だが本国には帰さず所属は変わらず第31飛行隊、つまりアフリカが預かると新聞各紙に発表。
あまりに突然なエースの離脱に国内はともかく、各地に緊張が走った。
その後のアフリカはほとんど俺の事をメディアに晒さず、アフリカの戦果の脇にちょこんと、俺大尉は今だ意識回復せず。とだけ。
重要任務成功の為に大尉に昇進と書かれてはいたが、その隠蔽の綿密さに一部ではすでに殉死したのではないかとまで噂されていた。
そんな事実があったから、意外なところで糸を掴んだ新人整備士は整備班長に詰め寄ったのだった。
新人整備士「補給所に行っても誰も知らないって…生きているんですか、あの人は」
整備班長「生きてるか死んでるかって…そりゃあ生きて―――あああああ俺の馬鹿あああ!!」
もんどりうって頭を抱える整備班長。あまりの動きに新人は若干引いた。
整備班1「あんたって人はぁああ!その口縫いつけてやろうか!?スエズに捨てられんのはあんたの方だよおおお!!」
整備班2「うるさいと思ったら何してんのお前ら!?だめ、班長徹夜明けだから!」
整備班5「やめたげてよぉ!ほんとに死んじゃうよぉ!!」
整備班長「んほぉ!?らめえ、後ろはらめええええ!!!」
整備班6「……新人君、見ちゃダメ」
整備班6はおええと口元を押さえながら新人の目を覆った。
◇ ◇◇
6番格納庫。
そこには戦場の花形であるストライカーユニットの整備部門が置かれている。
脇の方、ちょうど資材やらガラクタやらが雑多に置かれている区画にそれは静かにたたずんでいた。
一般の航空ストライカーユニットよりも二回りほどある厳ついユニット。
追加装甲と戦闘装備の実験機と説明されたとおり、機体を大きくしている原因は分厚い多重装甲にあった。
カラーリングは艶のない黒一色に染め上げられ、多重装甲の隙間からは内部の銀色が垣間見える。
色以外にもこの機体が他と異なることが一目で分かる部位――胴の部分取りつけられた、例えるならば換気扇のような排熱口。
『高い天を行くもの』と名付けられているくせに、威圧されるような重量感。
まったく反対の印象を受けるストライカーに、整備班長と整備班6に連れてこられた新人は圧倒されていた。
原型があるとすれば、かろうじて分かる形と安定性が高そうな見た目だけ。
速さを求めたでなく、軽快さを求めたでもなく、安全を求めたでもない。
無骨で荒々しく獰猛で、まさしく『虎』を模したようなストライカー。
整備班6「Bf 109F…マルセイユ大尉が一年半ほど前に俺に寄こしたんだ」
整備班長「しかしあいつは魔法力を回すのがヘタクソでなぁ…結局コイツで飛ぶことは無かったよ」
そういって2人は懐かしむように原形を留めていないハイペリオンを見る。
整備班6「あの後大尉はG型に機体を変更。一応の予備としてF型はみんなオーバーホール……そうなるはずだった」
俺がいた痕跡を消すという作業はさほど難しいものではなかった。
個人での所有物は少なく、天幕も分解すれば、残ったのはマルセイユからもらったストライカーだけ。
彼女も必要ないと言うからせめて部品だけでもという話になったが、整備班長はそれを許さなかった。
『今整備班で試したい事があるもんでね……そのストライカー貰っても?』
そう言うと、マルセイユは何も言わずに譲ってくれた。
そしてその日から、新装備試作機の名を冠する俺専用ストライカーの製造が始まった。
新人整備士「…こんなもの、履けるんですか……」
整備士としての血が騒ぐ。
こんな滅茶苦茶な機械を前にして、落ち着けという方が無理なのだ。
整備班長「可能だ。何せ俺達があの馬鹿虎の為に作ったんだからな」
確証を秘めた笑みで班長は答えた。規格外を地で行くあの男には、こちらも規格外で構えていなくてはならなかったのだ。
戦闘機でも充分だった。しかし、班長はストライカーに特別仕様を施した。
何故か。その理由は単純明快、彼が無類のストライカー好きだからである。
新人整備士「…どうして俺大尉の事を隠しているんですか?みんな、こんなにも待っているじゃありませんか」
整備班6「……亡霊が出るんだ」
新人整備士「え、…?」
隣から聞こえたあまりに細い声に、思わず新人は聞き返した。
整備班6の眉間には皺が寄り、整備班長は何とも言えない表情でハイペリオンを見つめていた。
ディオウェフト作戦終了から年が明けた位。
偵察班があの時の戦闘空域の瘴気濃度を測っていた折りに、不審なネウロイを発見。
戦いの度にふらりと現れる不審な姿は地上からも見受けられ、いつしか『死神』と呼ばれていた。
そして5月。偶然にも加東圭子少佐が会敵。死神の撮影に成功する。
現像された写真に、その場にいた誰もが言葉を失った。
煤けた黄色は黒に呑まれ、所々に真紅を奔らせる俺の愛機、Bf 109戦闘機型『タイガーバウム』
戦闘には参加せず、高高度から戦場を見降ろし、いつの間にか消える。追い掛けても逃げられる。
俺は、生きているのではないか。虎はネウロイに寝返ったのではないか。そして―――
整備班長「己を見捨てた俺達に、復讐しようとしているのではないか……考えたら止まらねえさ」
これは人類連合軍全体の指揮に関わる。
エースパイロットの戦闘機が、例え見た目だけでもネウロイとして存在している。
『虎の亡霊』をどう処理すべきか。
底冷えするような怖気の中、一人の魔女はつまらなそうに溜息をはいた。
そして「くだらない」と一蹴すると、写真を指して言った。
――「お前達にはこれが俺に見えるのか」と
整備班6「…当たり前だったんですがね。我々はマルセイユ――大尉に言われるまで見失っていたのです」
新人整備士「アフリカの星が……」
あれはマルセイユの言葉だから通じたのだ。
あれは俺の背中をずっと追い求めた少女だから言えた事なのだ。
託された思いを背負った者だから信じられたのだ。
しかしそれでも、運命はどこまでも残酷だった。
整備班長「高い天を行く虎に、輝く星は届かない―――皮肉な話さ」
最終更新:2013年02月02日 13:05