「つまり、コイツを崩せばよいと」


 卓上の地図。そしてその上に置かれた亡霊を模した駒を睨みつけながら、加東は重い溜息を吐いた。
 スエズ運河への進路確保の為、敵ネウロイの防衛戦突破、あわよくば本営を撃破。
 そしてなにより、黒鯨の亡霊撃墜作戦――作戦名≪トーチ≫開始まで、約3週間。

 指令室には各所の指令、責任者などが集められていた。
 中央に置かれた卓と黒板を使ってのブリーフィングは詰めの段階まで進んでいた。


「概算ですが、凄まじいスペックです。外見がレシプロだからって油断すると――」

「私のようにヤケドする、というワケだ」


 頭に巻かれた包帯を撫でながらマルセイユが言う。それもむっと顔をしかめて。
 整備班長は慌てることも無く肩をすくめただけだった。

 こんな顔の写真撮ったら売れそうだなぁと加東は思う。
 不貞腐れたマルセイユは地味に需要が高い。
 一部の男性ウィッチの戦意向上に一役買っているらしい。ちなみに用法は≪ピーー≫
 こんなに人口密度と温度の高い所にいたら額の傷が悪化しそうだ。


「…ま、計算通りというワケですかね」


「観測データでは司令塔級。サイズは近くとも、飛行杯などとは比べものにならん。
 ネウロイを統率しての編隊構成能力。無論、戦術をも操る。
 通信は恐らく量子通信にておこなっている。そして最大の特徴が電波ジャックだ」


 モントゴメリーは黒板に書かれた亡霊の特徴を上げていく
 先の戦闘で、亡霊はマルセイユを落とすだけでは飽き足らず、ご丁寧に通過した地域を一時停電、無線通信不能などに追いやった。
 黒鯨から受け継いだ能力をしっかり見せつけ、早くもこちらの手を削って行く。


「我々は万全の態勢を持って奴等を迎え撃ち、勝利を掴むのみ」


 一人だけ椅子に座ったままロンメルは目を配る。
 厳しい表情をしているが、若干顔色は悪い。病み上がりなら無理しなければいいのにと思うが、ロンメルは真面目な男だった。


「――異論はあるか」


 そんな事を問われても異議を申し立てる確証が無さ過ぎた。
 精神論が精一杯の強がりだった。亡霊のスペックはそれほどまでに馬鹿げている。
 単機でこの戦闘力。正直ありえない。ぶっ飛び過ぎて人類置いてけぼりだ。
 そして、こんなぶっ飛んだ亡霊よりも更にぶっ飛んでいたのが空母型ネウロイ≪黒鯨≫
 あの日、黒鯨を止められなかったら。俺を殺してしまっていたら。
 何より、あんな化物が欧州に進行していたと思うとぞっとする。


「さて、航空ウィッチの諸君」


 資料を配り終えたパットンが改めて全体に向き直り、少ない航空歩兵に近づいていく。
 今回も絶対激務だ。特に今回は狙いが空なのだ。パットンの顔がほんの少し歪んだのが分かった。


「空の君たちの役目は制空権の確保、爆撃機の援護……そしてマルセイユ大尉」

「……」


 次の言葉が分かるようで、少しだけ胸が苦しかった。

    シルエット・シュバルツェ
「君には黒鯨の亡霊の迎撃をお願いしたい」


 しん、と指令室から音が消える。
 マルセイユは何も言わない。海色の瞳は、どこを見ているか分からない。


「君にしか、できんのだ」



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――――――――――――――――





「――Tu pure, o Principessa,」


 ――姫、貴女でさえも
 ストライカーから離脱して、マルセイユは素足で砂を渡る。
 会議が終わってから、夜間飛行の名のもとに、マルセイユはひょいとナイルを越えて、
 先代の墓、ピラミッドのキャップストーンへと歩く。


「nella tua fredda stanza」


 ――冷たい寝室で
 満月だった。一輪だけ買ったバラに口づけするように、すんと匂いを嗅いだ。
 懐かしい匂いだと思う。ずっと前に俺から貰ったものと同じ匂い…そのはずなのに、
 空っぽな匂いだと思った。あの時のような柔らかな温かさも、むっとするような命のにおいもしなかった。


「che tremano d'amore e di speranza...」


 ――愛と希望に打ち震える星々を見るのだ… 
 区切りでふっと息を吐く。力が抜けると零れそうな何かがあった。でも、無視した。


「――誰も寝てはならぬ…虎への当てつけ?」


「……っ!?」


 マルセイユはびくりとしてバラを背後に隠す。
 夜間であっても加東の視力が落ちることはない。加東の場合は魔法力を発現しなくても
 色が確認できてしまうので、背後に何を隠しても意味は無いのだが、加東は何も言わなかった。


「ふふ、びっくりさせたわね。まあ座んなさいよ」


 満月に照らされて明るい砂の上をぽふりとたたく。
 おずおずしていたが、何も言わずに座る。
 こんなところは空のスーパーエースと言うよりも、妹の方が感覚としては近いかもしれない。


「で、違うの?」

「…別に、違わないさ」

「殺しに行くのかしら?」


 加東は笑いながら、流し目でマルセイユを見た。
 俯き加減で何かを考えるようだった。額に包帯が巻かれてから、隠れて沈んでいた彼女
 の心は隠しきれないまでに落ちてしまったようだった。

 痛々しかった。少しずつ笑ってはいたが、今では口元しか笑わない。
 そんなマルセイユはまたいつものように、口元に乾いた笑いを浮かべた。


「死なないんだよ」


 つくづく自分はいやらしい人間だと思う。
 また自分は残酷なことをする。
 何を言われようとも構わなかった。これで彼女の心が軽くなるならどうだっていい。


「心臓を貫いたって、アイツは死にはしない」


 思い出しているのだろうか。
 あの日真っ赤に染まった右手を月にかざして、マルセイユは遠い目をしていた。


「敵はわざわざタイガーバウムの形を取っている。何にでも姿を変えられるのにね」


 自分も大概だが、あの亡霊はもっとひどい。
 わざわざあの形をとって、散々すり減らした後にその正体を明かす。
 501統合戦闘航空団で確認されたネウロイと行動が似ているらしい。
 さすがにここまで嫌らしくは無いが、まるで人に興味があるかのように振舞うらしい。


「自分の興味を持ったものに一番近い形をとり、接近を試みるって」


 だから気をつけろと言われた。どうやら心を通わせようとするらしい。
 後輩だが、サムライとまで呼ばれる坂本でさえ分からないと言うのだ。
 どうしたら無事に済むのだろうか。目を離さず、ついて行こうか…
 そうやって考えていると、不意にぽつりと声が聞こえた。


「…傍にいたかったんだ」

「…え?」


 思いもよらない告白に、加東は世界の色の終わりを見た。


「勝負しかなかったんだ。私は、子供だったから」


 結局彼女も大きな流れに囚われたひとりに過ぎない。
 捕まえて、誰にも触れさせることも無く鍵をかけ、たったひとり逃れた男をのぞいて。


「バカだよな、今さら気付いたんだ。アイツは本気だった」


 何も言えなかった。
 ただひとつ、気付いた事があるとすれば―――


「でも、私は受け入れるのが怖かったんだ、私は弱かった、アイツの強さを知らなかった」


 彼女は秘密の名前を知った。
 延々と俺が隠し続け、逃げ続けた、たった一つの秘密。



 ――しかし私の秘密はただ胸の内にあるのみで、
 ――誰も私の名前をしらない…



 人を愛するという心。
 空を、自由を愛することへのたった一つの重り。


 そうして彼女はもう一度、愛する男を殺すのだ。






最終更新:2013年02月02日 13:06