マルセイユ「早すぎる。まだ固まってないぞ?」
俺「やあお嬢さん、まるで絹のような肌だ。この手は俺の物かい?」
すいと俺が膝を折り、マルセイユの手に口づける。
マルセイユ「はいはい、もう少し遅めに来いと言っただろ」
俺「呼ばれた様な気がしたのさ」
膝をついたまま俺はぐるぐる笑う。被毛の範囲が広くなる所を見るに相当機嫌がいいのだろう。
虎耳を引っ張って一先ず虎毛をしまわせ、マルセイユが俺を覗く。もふもふしたままで外に出ると色々とうるさいのだ。
マルセイユ「…分かったからやめろ。固まって無くてもいいんだな?」
俺「もちろん。ああ、その前にこれだ」
思い出したように俺が背の後ろ、マントの中から花束を出す。
薄明るい外とランプの光に、真紅の花弁に流れる水滴がちらちらと光る。
任務明けに買って来ると言って飛んで行った事を思い出し、マルセイユはくすりと笑った。
俺「ボアンザン・ヴァレンティーノ、ハンナ」
マルセイユ「ん…ありがとう。しかしまたこんなに……」
淡く頬を染めながら、抱える程のバラ達にマルセイユは目を細めた。
他の女の子には一輪とリボン、マルセイユには大きな花束。
どうして私だけに花束を?と聞けば、お決まりのように俺はこの一言を返すのだ。
俺「ハンナは水を変えてくれるだろう?」
マルセイユ「当然」
俺「…ハンナ」
マルセイユ「うん?」
こてりと首を傾け、バラから俺へと目を移す。
途端、おでこを合わせて来る。ゴーグルがかちりとぶつかる音が小さく響いた。
そんな鼻の頭がくっつきそうな距離で俺が小さくささやく。
俺「分かるだろう?」
マルセイユ「言ってくれればな」
いたずらっぽい瞳で、俺の頭をくしゃりと撫でる。焦らすようなそぶりに俺はくっと笑みを深め、再び喉を鳴らす。
俺は彼女の小さな肩を抱き、くるくると楽しそうにささやいた。
俺「チョコレートが食べたいんだ。それも、とびきり上等な奴が」
兵士a「大尉の天幕異常なーし」
兵士b「大尉の天幕異常なー…あり!」
パットン「なんだと!?」バッ
天幕群より約2km、背後には月を。
夜に染まる高台より各将軍、そして各班の精鋭達と多くの兵士達が大量の兵器とチョコレートに囲まれて双眼鏡を覗く。
兵士b「慌てないでください将軍。おそらくチョコレートを取りに行くものと思われます」
パットン「そう言う事は早く言え。まったく、肝を冷やしたではないか」フー
モンティ「…お嬢ちゃんが心配なのは分かるが、これはどうかと思うぞ?パットン、ロンメル」
ロンメル「ほう、では心配ではないと」
モンティ「心配だが…」
口の周りにチョコレートを付けた奴に真剣に言われても困る。取り合えずロンメルにナフキンを放りながら双眼鏡を覗く。
何をしているのか。と聞かれれば返答に時間はかからない。彼等は胸を張って言うだろう。
『何かあってからでは遅いから』と。
何かとは何か、そしてこれはある種の犯罪ではないか。しかし、そんなものは将軍の力を使えば造作もない事だった。
稲垣「ホットチョコレートお持ちしましたよ」
パットン「稲垣曹長!いやあ、助かった!」
ロンメル「何故貴様が先に取るのだ。吾輩が先だ」ゲシゲシ
モンティ「全員分作って来てくれたのか……ありがとう曹長」ナデナデ
にぱりと笑う稲垣の頭に自然と手が伸びる。若干寒さの混じって来たこの空気にホットチョコレートは最高だった。
兵士達にも配り、ちんまりと木箱に腰かけて、稲垣は周りの兵士達に状況を聞いていた。
稲垣「今取りに行ったんですか?……ぎりぎり、かな?」
兵士d「ウィスキーボンボンですか。おいしいですよね」
兵士s「普通のでもすごくおいしかったです―――ッ虎です!閣下、手信号で何か!」
双眼鏡を覗きながら会話に興じていた兵士が立ち上がり、事態を知らせる。
将軍各位も双眼鏡を取り、のこのこ出てきた虎を注視する。
モンティ「ちぃ、ニヤニヤしやがって……何と?」
兵士s「はっ……えーと、伝えた方がよろしいですか?」
パットン「早くせんか!」
腕組みをして笑う俺を視界に収めながらパットンが叫ぶ。
しばらく唸った後、どうにでもなれという風に兵士は口を開いた。
兵士s「…『見せつけてやろうか?』……だそうです」
ぴしっと空気が固まる。その顔に浮かぶは怒りか憎しみか。
呪詛の様な言葉がふつふつ沸き立つ中、ロンメルは壊れたように高笑った。
ロンメル「……はっ、ははははは!!言ってくれたな野良猫が!信号灯!」
兵士g「了解ィ!!なんと!?」
俺「…アハトアハトで吹き飛ばしてくれる……ハッハッハ!随分物騒じゃねえか?」
次々と送られる罵倒に腹を抱えて笑う。その姿に光が増して行くが構いもしない。
ふいにとんとん砂を蹴る音を耳が拾う。時々音が飛ぶ。ああ、彼女が来た。
さっと片手を上げる。たったそれだけで、うるさい程の光は収まった。
マルセイユ「中にいろと言ったじゃないか」
俺「水汲みついでさ。どうだった?」
マルセイユ「少し固まってないけど、まあ、平気だろ」
小さな銀色の器を俺の目の前に出し、器を持つ手を変える。
指についた少しのチョコレートをそうっと口に運ぶ。
俺「…待った」
マルセイユ「何が?」
――愉悦に歪むその口元、マルセイユが手を引くが遅い。
マルセイユ「――――ッ!?」
ぐいと手を引かれ、ざらざらの平たい舌が指についたチョコを拭う。
猫を触った事はあるし舐められた事もある。しかし目の前の男は虎だ。
丁寧に、ゆっくりと俺が僅かなチョコを舐め取る。
むずかゆいような、よく分からないものがのぼる感覚にマルセイユは思わず目を瞑る。
素直に言えば彼女は、マルセイユはこういう事に慣れていなかった。
俺「んー……うまい」
べろりと舌なめずりをして言う。
マルセイユ「うまい、じゃなくて!何するんだいきなり!」
マルセイユは頬を赤く熟れさせ、虎から逃れようとわたわた身をよじるが、うまく力が入らない。そして俺も離さない。
俺「チョコレートがうまいのは知ってる。だがな、お前の方がうまそうだった」ニシシ
マルセイユ「だからって舐めるな!」
ロンメル「…やりやがった…よくもあんの馬鹿虎がぁあああ!!!!」メキィ
双眼鏡が歪み、嫌な音を立てて軋む。
パットン「ええい構うな!アハトアハトォーーッ!!」カモォン!
兵士a「弾種徹甲ッ!!目標大尉の天……ふわあああ!!?ダメダメダメ!!」
パットン「何を躊躇う!?一思いに吹き飛ばせぇ!!」
兵士n「やめてください将軍!兄貴もろとも大尉まで吹っ飛びますよ!?」
モンティ「やめろ、止まれパットン!お願いやめて!!」
荒ぶるパットンをモントゴメリーが羽交い締めにして押さえつける。
兵士b「ロンメル閣下?それはマッシュポテト……違う!ポテトマッシャーですよ!?」
ロンメル「知れた事、今捕えずして何時捕えるのだ!吾輩は行くぞ!!」
パットン「畜生!儂だってエンジェルちゃん達にチョコレートをあんな風に貰いたい!」
兵士f「何子どもみたいな事言ってるんですか!自分だって貰いたいですよ!」
兵士j「おのれ……おのれ虎!!」
ぎゃんぎゃんと騒々しい男達を目の端に残したまま、稲垣は双眼鏡を取る。
実に楽しそうに俺がマルセイユの手を引いて天幕へと消える。二人分の影が消えた後、稲垣はふうと溜息をついた。
稲垣「マティルダさん、いいんですか?」
マティルダ「問題無い…もし、何かあればすぐにでも」スッ
稲垣「……そ、そうですね」アハハ…
るんたったと緩やかなステップを踏み踏み、ソファまで俺がマルセイユを緩く引いて行く。
ソファに座れば、楽しそうに卓を引き寄せ、銀色の器をそっと置く。
マルセイユ「ほら、ウィスキーボンボンだ。マミに頼んだから味は平気だろ」
俺「中身は?」
マルセイユ「もちろんスコッチ」
俺「さすがハンナだ!」
隣に座っていた俺にがばりと抱き付かれる。
真っ白な胸の毛に顔が埋まって苦しい。どうやらまたもふもふし始めたようだった。
マルセイユ「は、離せ!苦しいから!」
俺「ハッハッハ!ああ、今なら空でも飛べそうだ!」
マルセイユ「空はいつでも飛んでるじゃないか!」
ばしばし背中を叩いてもびくともしない。この猫はでか過ぎる。
くるくると甘えるように喉を鳴らし、マルセイユの耳辺りに俺が虎耳を擦り寄せ、ぐりぐり頬ずりをする。
マルセイユ「こら、くすぐったい……大の男がこんな事したって可愛くないからな?」
俺「俺がやりたいんだ。ハンナがきれいなのが悪いのさ」
マルセイユ「はいはい、チョコが溶けるぞ?早く―――」
俺「プレゼントなんだろ?食べさせてくれよ」
んがっと口を開いて銀色の器を指差す。
マルセイユがいやだと虎耳を握る。あまりにも素早く返された俺は、少しむうと唸ってから抱きしめていたマルセイユを少し離す。
俺「ほら、バラをあげただろ?」
指した先には花瓶に入ったバラ。丁寧に活けられたそれは、絵本の情景のようだった。
マルセイユ「…なるほど。お返しか」
俺「さあ!」
マルセイユ「本当にそれでいいのか?他に欲しい物とか」
俺「今はチョコレートが食べたいんだよ。ハンナがあーんしてくれたチョコが食べたい」
早く早くと再び口を開く。
仕方ない。マルセイユは諦めたように銀色の器を取り、固まりかけのウィスキーボンボンを指に掴む。
中身のスコッチを包んだ砂糖菓子を壊さぬようにゆっくりと俺の口へと持っていく。
薄らと見える綺麗に並んだ歯牙、寒気を覚えていた頃が懐かしい。咬合までもが逆になっている事に気付いたのは最近だ。
マルセイユ「はい、あーん」
俺「んが」
ぽいと口に放り込む。俺がもくもく咀嚼するのを瞳に捕えたまま、指についたチョコレートを舐め取る。
甘い。かといって甘すぎず、涼しいような甘さが心地よい。
俺が甘い香りをそのままに抱きついて来る。逞しい腕が背中に回り、ぐっと抱き寄せられた。
俺「…溶けてしまいそうだ」
マルセイユ「バターにでもなるのか?」
俺「そうだな。…明日はパンケーキにしよう」
マルセイユの頭を撫で、真っ直ぐなやわらかい髪をほぐすように梳いていく。
しばらくじっとした後、マルセイユはゆるゆると俺の背中に腕を回す。広い背中には手が回り切らなかった。
俺「バターは……ああ、農場からミルクを貰ってこよう。俺が朝一で作ってやる」
マルセイユ「ふふん、楽しみだな」
俺「昼もパンケーキだな。一緒に作ろう」
ごろごろと、気持ち良さそうに喉を鳴らして、俺がマルセイユの首元をちろりと舐める。
背中に回していた手を俺の首に回し、ゆっくりと顔を離す。
金色に変わりかけている緑の瞳が目の前にある。
いつも海の様だと言う自分の瞳をじいっと、優しい色を広げて見つめる。
マルセイユ「明日は何も無いはずだから…うん、ゆっくり食べよう?俺」
俺「もちろん。今日はチョコを食べて、明日はパンケーキ。久しぶりにゆっくりできるな」
二人してふわりと笑う。
マルセイユが俺の虎耳の後ろをかりかりと撫でる。気持ち良さそうに、またごろごろと喉を鳴らす。
額をこちりと合わせれば自然と笑みが零れる。
俺「一緒にいよう。明日も、その次の日も」
マルセイユ「そうだな…一緒に、一緒にいよう」
明日も君の笑顔を見られるように。そのまた向こうも二人で、みんなで笑えるように。
くっつけた額から伝わるものは分からないけれど、きっとこの気持ちは同じだから。
――― 毎日、君に恋しているのだから。
最終更新:2013年02月02日 13:07