―第501統合戦闘航空団ブリタニア基地 食堂―
「…か、完成ですわ…!」
深夜の食堂の、その奥の厨房で細々とした明かりが揺れる。その中に、見慣れないエプロンをつけたペリーヌの姿があった。
恥を忍んで宮藤とリーネに作り方を教わり、一週間前から練習を重ねて、ようやく形になったそれを、震える指で摘んで一つずつ箱に入れていくペリーヌ。
(あとはこれを俺さんに渡すだけ…!)
ペリーヌがそれを渡す瞬間を夢見ている内に、睡魔がペリーヌに襲い掛かる。
(もう寝ませんと…あ、片付け…)
ふわ、と一つ欠伸をして、後片付けを始める。それらを終えてふらふらと食堂を後にするペリーヌ。
(今日は、このまま自分の部屋で久しぶりに寝ましょうか…)
明日が楽しみ、とペリーヌは眠気と共に期待に満ちた気持ちで自室に向かった。
―同隊同基地 俺自室―
朝。起床のラッパが鳴り響く前に、むくりと俺は上半身を起こす。普段よりやや早い起床だ。その理由は、
(ペリーヌ、昨日は部屋に来なかったな…)
隣にあるべき温もりが無かった。それが自分の生活リズムに影響しているという事実に、俺は今更ながら驚いた。
「…起きるか」
温暖なブリタニアとはいえ、この時期は冷える。一つ身震いすると、俺は馴染みの軍服を着て、コートを羽織る。
ふと、コートに愛しい人の匂いがいつの間にか移っていることに気付く。
時のたつのは早い、とやや年寄りくさい思考を浮かべて、このままペリーヌの部屋に行くか、と俺は部屋を出た。
「…そういえば、この前から宮藤達がやけに騒いでたっけか」
なんかイベントでもあったっけか? と首を捻る俺。
「…まあ。いいか」
―同隊同基地 廊下―
部屋を出た俺の姿を、ある部屋の扉から覗く目が四つ。
「リーネちゃん、今だよ!」
「う、うん!」
バン、と扉が大きく開け放たれ、宮藤とリーネが飛び出す。その音に、思わず立ち止まる俺。
「…なんだ?」
怪訝な顔をして振り返る俺の目の前に、二つの箱が差し出される。
「…二人揃って、どうした?」
目の前の事態に困惑し、眼鏡の奥の目を白黒させる俺。
「「も、貰ってください!!」」
二人同時に、さながらステレオのように言葉を発し、さらに俺に箱を押しつける宮藤とリーネ。
「は、はぁ…」
とりあえず受け取らないのも何なので、大人しく箱を受け取る俺。
「まあ…ありがとう。で、これ何だ?」
俺の言葉を聞いた二人は、え、という顔で互いに顔を見合わせた。
「今日は、」
「バレンタインデー、ですよ!」
宮藤の言葉を、リーネが継いで一つの意味を紡ぐ。その言葉に、俺は宮藤達が何を騒いでたのかを理解した。
「…ああ、なるほど。中身はチョコか」
「はい。とりあえず、日ごろの感謝を込めて皆さんに作ったんです」
俺は胸中でもう一度なるほど、と頷く。真面目な二人らしいことだ。
「そうか。じゃあ、有難く受け取らせてもらうよ」
俺がそういうと、二人は嬉しそうにはにかみ、再び部屋へ駆けて行く。手の中の箱を弄び、そういえば美雪もこんなのを渡してきたっけか、とにわかに俺の記憶が蘇る。
(まあ、あいつは料理が天才的に下手だったけどな)
必死にチョコを作っていた美雪の姿を想い出し、俺はくすりと笑みを零す。
その瞬間。俺の背筋にぞくりとした感覚が降りる。条件反射で辺りを見回す俺。
「…俺さん…」
当初の俺の目的だった部屋。そこから、ペリーヌが首だけを出して俺を睨みつけている。俺の錯覚か、ペリーヌの背後に紫色の影が見える。
「その、ペリーヌ…」
「ふんっ」
勢いよく閉められる扉。その時、俺は悟った。
(…ヤバい。今日一日、絶対ヤバい)
この後、その予想が当たらないことを切に願う俺だった。
―同隊同基地 ハンガー―
俺の予想は、エイラの未来予知以上に的中した。
先程の後、食堂で何時も通り全員で朝食をとった。その時から今まで、俺は全ての言葉をペリーヌに無視され続けている。
朝食の後に宮藤とリーネが全員分に配っていたチョコを頑として受け取らなかった辺り、その理由ははっきりしている。
が、そもそも話を聞いてもらえない為、話し合いすら出来ない始末。
(着任当初もこんな感じだったよな…)
はぁ、と溜息を吐いてその時のことを回顧する俺。あまり、いい想い出ではないな、と俺は首を横に振った。
今日は、全員に休暇が与えられていたため、出撃も訓練も無かった。
そんなわけでペリーヌと過ごすつもりだった俺は早くも行き場を無くし、ハンガーに来た訳だが。
「…あれは、ルッキーニか」
ふと上を見上げると、ハンガーの梁にルッキーニが寝ているのが見えた。落ちないのはともかく、寝心地はどうなのだろうかと真剣に首を捻る俺。
正直、今の俺はそんな些細なことにも注意して考えて、どうにか気を紛らわせたいほどの精神状態だ。
「お? 俺か。何やってんだ?」
そんな俺に、後ろから声がかかる。
「ああ、
シャーリーか。いや、あれについてちょっとな…」
首だけで振り返って声の主を確認した俺は、ルッキーニを指で指した。
「ん? ああ、ルッキーニのあれはいつものことだろ? それよりさ…」
俺が今度は体ごと振り返ってシャーリーの姿を視界に納めると、彼女は何やら袋を手に持っていた。
その中から小ぶりな袋を取り出し、俺に差し出すシャーリー。それを見て、苦笑を浮かべる俺。
「なんだ? チョコ嫌いか?」
俺の顔を、怪訝な顔で見やるシャーリー。
「いや…そうじゃないんだが…まあ、ありがとう」
今朝のこともあり、やや受け取ることに抵抗があったが、差し出されたものを無下にするのも気が咎める。仕方なく、受け取る俺。
「それは、隊の全員に配るのか?」
「いや、これは今日の私とルッキーニのおやつみたいなもんだよ。ほとんどルッキーニが食うけどな…お?」
シャーリーが俺の肩越しに、俺の背後にいる人影を見つけた。
が、俺は振り返らなくても分かった。何故なら…
「………」
…今朝と同じ気配が、俺の背中にザクザクと突き刺さっているからだ。
恐る恐る振り返る俺。ハンガーの入り口には、予想通り紫色の影を纏うペリーヌがいた。俺と目が合うと、さっと身を翻して行ってしまった。
「…苦労してんだな、俺」
「…言わないでくれ」
―同隊同基地 ペリーヌ自室―
「ほんっとに! なんなんですの!!」
その日の夜。最近、夜寝ることが少なくなった自室で、ペリーヌは大いに荒れていた。
悪態を吐きながら、今にも髪を逆立てそうな雰囲気で部屋をグルグル歩き回る。かれこれ、数時間前の夕食後からずっとそんな感じだ。
「あの人はっ…! 私というものがありながらデレデレデレデレとっ…!」
結局、朝からペリーヌはずっと俺の後ろに付いて回っていたのだ。何だかんだ言っても、ペリーヌは俺に自作のチョコを渡したかったのだ。
だがその行く先々で俺は隊員のチョコを貰っていた。その度に、ペリーヌは機会を失っていた。
ハンガーではシャーリーに、庭ではエイラとサーニャに、廊下ではミーナと坂本に、滑走路ではバルクホルンとハルトマンに。
…流石にハルトマンのチョコは丁寧に返却していたが。因みに、ハルトマンは後でミーナとバルクホルンに説教をくらったらしい。
が、そんなことはどうでもいい。どうでもいいのだ。問題は、
「ううー! 俺さんのばかー!!」
俺が、それらのチョコを『嬉しそうに』受け取っていたという事実だ。
受け取る際に多少は俺なりの葛藤があったが、その辺はペリーヌの知るところでは無かった。
(そりゃ、女の方からチョコを貰えば殿方は喜ぶものかもしれませんが…それにしても…!)
そうこうしている内に、疲れ果てたペリーヌはベッドに転がり込んだ。
「…はぁ…」
使う機会の少なくなったベッドは、酷く冷たく感じた。そのまま上半身だけを起こすと、テーブルに置いた箱が視界に入ってしまう。
が、すぐにそれが滲む。ポロポロと、ペリーヌの目から涙が零れてゆく。
「…っ…おれ、さん…っ」
嗚咽と共に、愛しい人の名前が口から零れる。
ペリーヌだって、必死に作ったチョコを渡したかった。だが、俺の前に立つ勇気がどうしても出なかった。他の女の前で、柔らかい笑顔を浮かべている俺を見るのが辛かった。
「っう…ぐすっ…」
今更、どんな顔で俺に会って渡せばいいのか。それとも、もうあんなものは処分してしまおうか。と、ペリーヌが考えたその時。
コンコン、と扉がノックされる音が、嗚咽に満ちた部屋に響いた。慌てて目をこすって涙を拭き、立ち上がるペリーヌ。
「い、今開けますわ!」
必要以上の大声で答えると、ペリーヌは素早く扉に駆け寄って開ける。
「にゃっほー、ペリーヌ」
そこには、ハルトマンが立っていた。予想外の珍客に、棒立ちになるペリーヌ。
「…俺かと思った?」
ハルトマンがそう言ってニヤリと笑うと、ペリーヌは慌てて、違いますわ! と否定する。
「それで…何の用ですの?」
用が無いならさっさと帰れ、と言外に告げるペリーヌに対し、ハルトマンはすっとペリーヌから目を逸らすと、
「俺、屋上にいるよ。一緒にいなくていいの?」
それは、ペリーヌの迷いを断ち切る言葉だった。無意識に、その一歩を踏み出すペリーヌ。
「待った」
が、ペリーヌが駆け出す直前に、ハルトマンが部屋の中を指差す。
「忘れ物だよ」
一瞬だけペリーヌは躊躇うと、すぐに部屋に取って返す。再び廊下に出たペリーヌの手には、あの箱があった。
ハルトマンに頭を下げるのもそこそこに、駆け出していくペリーヌ。
「にゃはは。世話が焼けるなぁ」
ペリーヌの背中を見送ると、ハルトマンは欠伸を一つして、自室へと足を向ける。僅かに疼く、胸の奥に走る痛みには気付かないフリをしたまま。
―同隊同基地 屋上―
夜風と月明かりに包まれ、俺は一人屋上に佇んでいた。胸中に、言葉に出来ない寂寥感を抱えながら。
(ペリーヌ…)
はぁ、と俺は溜息を吐く。全く、どうすればいいのか。
ペリーヌの機嫌を著しく損ねたということは分かっている。だからこそ、どうしようもない俺。
「…ん?」
ふと、塔を駆け上がってくる気配を感じて、振り返る俺。
同時に扉が大きく開け放たれ、屋上に青い影が飛び込んできた。息を切らしたその影は、
「…ペリーヌ?」
俺がぽかんとした顔で呟く。ペリーヌは息を整えると、顔を上げて俺の顔を見る。
「…俺、さん」
そのまま、黙りこくるペリーヌ。暫し、互いに無言で見詰め合う。その時、俺がペリーヌの目下を見て、気付いた。
「ペリーヌ…泣いてたのか?」
「っ…!」
一瞬ペリーヌの顔が歪んだと思うと、見る間にペリーヌの目に涙が溜まっていく。
「誰のせいだと…っ…思っていますの…っ」
口元を押さえて震えるペリーヌ。そんな彼女を前にして、俺はただ自分の不甲斐なさを恥じた。
(…何が、この子を護る、だ。肝心なところで、俺はペリーヌを傷つけてばかりじゃないか…)
「…ペリーヌ」
続く言葉が出なかった。だから、俺は伝えたい想いを行動で表した。震える彼女の体を、そっと抱きしめる。
「ごめん…」
その言葉を聴いたペリーヌは一度肩を震わせると、俺の背中に腕を回して、胸に額を押し付ける。
「どうして…っ…貴方が謝るんですの…」
そのまま、ペリーヌの嗚咽が止まるまで、二人はそうしていた。静かに、時間が流れていく。
「…取り乱してしまって、すみません」
やがてペリーヌが泣き止むと、二人はゆっくりと離れる。
ペリーヌは手に持っていた箱に視線を移すと、それを自身の後ろに隠そうとしてしまう。
だが、すんでの所で踏み止まる。今渡さなくて、どうするのか。ペリーヌは覚悟を決めて、それを俺にゆっくりと差し出した。
「あの、俺さん…これ…受け取ってください…」
ペリーヌの顔が真っ赤になり、ぎゅっと目を瞑ってしまう。しかし、さらにそれを俺の方に伸ばす。
「…俺に?」
俺は、あっけに取られてそれを見ていた。中身の想像はつく。だが、ペリーヌが自分にそれをくれるなど思いもしていなかった。
思いもしていなかっただけに、嬉しさが俺の胸中にこみ上げてくる。先の寂寥感など、微塵もなく吹き飛ばすほどに。
「ありがとう、ペリーヌ」
その声に、勢いよくペリーヌが顔を上げる。俺の表情は、今日一日の間ペリーヌが見てきたどの笑顔よりも輝かしい笑顔だった。
「…食べても、いいか?」
頷くペリーヌを確認してから、俺は箱を開けて一つチョコを摘み出す。
あまり出来栄えがいいとは言えないものだったが、俺はそれを見てもう一度微笑んだ後、口に入れる。
「うん。…美味い」
少し苦いチョコの味と、その一粒に込められたペリーヌの想いに俺の顔が綻んだ。
ペリーヌの顔にも思わず笑みが浮かぶ。だが、それを即座に打ち消して憮然とした表情を作ってみせる。
「ま…全く。貴方は。私がいるというのに、他の方に現を抜かすなど…」
その顔のまま、ペリーヌの口から今日一日の不満が次々と溢れ出る。それに対して俺は、苦笑しながら頭を掻く他無かった。
「悪かったよ、それは…」
「駄目です。今日という今日は、絶対許しませんわ」
ふん、とそっぽを向くペリーヌ。
「じゃあ、どうしたら許してくれるんだ?」
俺がそう聞くと、ペリーヌはそっぽを向いたまま横目で俺を見る。
「そうですわね…」
そう言うと、ペリーヌはつかつかと俺に近寄り、目を閉じて顔を上げる。
「…えっと…ペリーヌ?」
ペリーヌが目を開くと、やや困惑した様子で苦笑する俺が視界に入る。
(全く、本当に鈍いんですから…)
笑みが浮かびそうな口元を必死に抑えて、再び目を閉じるペリーヌ。
「…キス、で許してあげます」
「え、ちょ、ペリーヌ!?」
俺が動揺するのが、目を開かなくても分かる。かく言うペリーヌも、耳が熱くなっているのを自覚している。
「いいから! …早く、してください」
なかなかしてこない俺に、そろそろ目を開けてこちらから行こうか、とペリーヌが考えた瞬間、唇に優しい温もりが降りて来た。
一瞬の、触れるだけのキス。その一瞬に、ペリーヌの思考は漂白されたかのように真っ白になった。
人差し指で唇に触れ、甘い、と真っ白の思考のまま感じるペリーヌ。
「…どうかな?」
ゆっくり目を開けると、やや赤面して苦笑する俺がいた。
自分から求めておいてなんだが、やや不意打ち気味の一撃に、ペリーヌの心は熱に浮かされたようにぼうっとしていた。
「…たりませんわ」
ねだるように、再び顔を上げるペリーヌ。そんな彼女に俺は苦笑ではない笑みを浮かべると、今度は躊躇わずに唇を重ねた。
二度目のキスは、一度目よりも長く、甘かった。再び、離れる唇。
「…もういっかい」
今度は、ペリーヌから軽く背伸びをして俺に唇を寄せた。
「…ふふ」
気付けば、ペリーヌの顔から涙の後は消えていた。自然と、抱き合う二人。
「…一度しか言いませんわ。よく聞いてくださいまし」
「ん?」
互いの背中に腕を回したまま、僅かに二人は身を離す。俺の視線の先には、これ以上無いほどに赤面したペリーヌ。
「俺さん…だ…大、好き…」
言葉の途中で耐え切れなくなったのか、ふいと横を向いて、しかしありったけの想いをペリーヌは告げる。
そんなペリーヌに、俺はくすりと微笑むと、
「ああ。俺も好きだ。ペリーヌ」
今度は、自分の意思でペリーヌの唇を奪う。
「んっ…」
それを、静かに受け入れるペリーヌ。そっとそれが離れた後、俺を見上げてペリーヌが言う。
「もっと…ほしいです…」
寒空と月明かりの下、ペリーヌが満足するまで、二人の唇から互いの温もりが絶えることは無かった。
最終更新:2013年02月02日 13:41