エーリカ「にぃにぃ、来なかったね」

ウルスラ「…忘れちゃったのかな」


 すんと鼻をすする音がハルトマン家のリビングに転がった。

 ソファの上にパジャマ姿の幼女が二人、カレンダーを見つめて座っていた。
 4月19日の二人の誕生日の少し前から、俺は姿を見せていない。

 俺が部屋にこもって早2ヶ月。
 大好きな両親に聞いても笑ってごまかされるだけ。
 小さな二人の胸は、兄に見放されてしまった寂しさでいっぱいだった。

 それでも、夏になれば来てくれるかもしれないという淡い希望を胸に、
 今日までずうっと夜更かしを続けてきたが、玄関扉は鳴きもしなかった。


エーリカ「ケーキも作ってくれなかった」


 あの優しい兄が、誕生日に作ってくれなかったのは初めて


ウルスラ「虫取りもしてない」


 遊ぶことも、虫籠いっぱいの虫を図鑑と比べることすらやってない。


エーリカ「それに」


エーリカ・ウルスラ「星も見てない」


 天体観測が夏の夜の日課。星を見て、兄の説明を聞いて、
 それを子守唄に眠るのが大好きだった姉妹にとって、
 俺不在の2ヶ月はどうしようもなくつらい、空っぽなものだった。


エーリカ「にぃにぃのばかあ…」


 そう呟いて、また鼻をすすって。泣きだす寸前のエーリカと、
 じっと唇をかみ、姉の手をにぎるウルスラ。
 しばらくそうしているうちに、振り子時計のぼおんという音が部屋にひびいた。
 これ以上はさすがに母に怒られてしまう。


ウルスラ「ねえさま。もう時間」

エーリカ「うん……」

「エーリカ、ウルスラ!いるか!?」


 眠気が一気に吹き飛んだ。
 聞き覚えのある声。というより話の中心、つまり俺の声が飛びこんできた。
 バッと、二人は勢いよく後ろに振り向いた。


エーリカ「にぃにぃ……なんで」

俺「何でって、今日は君たちの誕生日じゃないか」

ウルスラ「今、7月……」

俺「………ちょっと寝坊しただけさ」


 一瞬固まり、平静を装いつつ歩いてくる。
 頬には木炭を擦り付けたような汚れ、ワイシャツはまっくろ。まるで暖炉に潜ったような汚れ方。


ウルスラ「なにを調べてたの?」

俺「ああ。この間サンタさんの話をしただろう?」


二人の手を取り、優しく微笑む。

 十二月の頃に聞いた、サンタさんにあったという兄の話。
 大きな大きな吹雪の晩に、赤く光る鼻で道を照らしたトナカイ。そして帰り際の虹色の雪。
 俺の話す珍しく堅くない話だし、なにより、二人はこの話が大のお気に入りだった。


エーリカ「トナカイさんの?」

俺「そうだよ。エーリカは偉いな」

ウルスラ「…覚えててくれたの?」

俺「もちろん。誰が忘れるものか」


 不安そうな彼女たちの金糸の髪を撫でつける。
 久しぶりの兄の手に、二人はうっとりと目を細めた。
 すると、とんとんとんと、階段を下りる音。


ハルト父「やあ俺君。ようやく終わったのかい?」

 扉が開くと、いつも誤魔化していた父が悪戯っぽく笑っていた。
 隣にいる母と共に、まるで全部知っていたような口ぶりで俺と言葉を交わす。
 すっかりのけものにされた二人は、ぷうと頬を膨らませた。


ウルスラ「とうさまも、かあさまもずるい」

エーリカ「ぶぅー、なんでだまってたのさ!」

ハルト母「ふふ。俺君の心意気を尊重して、かしら?」

ハルト父「そういう事。俺君、熱中するのもいいが、まわりも見る事だな」

俺「あはは……ご迷惑おかけしました」


 ばかー、と笑いながら、双子が腰に飛び付いてくる。
 ころころ変わる表情に笑みが零れた。
 俺も、両親も、長い付き合いで家族同然になっているのは確かだった。


俺「では、行って来ます」

エーリカ「…え?」

ウルスラ「どこに?」


 二人の手を両手でしっかりにぎる。
 ついて行けていない二人が、俺を見て、両親を見上げる。


ハルト母「早めに帰ってくださいね。エーリカ、ウルスラ、行ってらっしゃい」

ハルト父「三人とも気を付けて。しっかり祝ってもらうんだよ」


                           ◇

エーリカ「いいの?」

俺「今日はちゃんと許してもらったから大丈夫」


 真夜中の外は初めてではない。だが、これからどこかに行くなら別だった。
 そして、あれだけ聞いたのに両親が答えてくれなかった理由も気になった。


ウルスラ「にいさま、どこに行くの?」

俺「んー?あそこだよ」


 指を指した先の丘。
 含み笑いの両親と、今だ見えない俺からのプレゼント。
 二人はますます首を捻った。


                            ◇ ◇

 大人から隠れるにはもってこいの小高い丘。
 俺と幼い二人は、それこそ色んなことをした。

 ピクニックに訪れたり、花を摘んだり、虫を取ったり、こっそり夜に抜けだして季節の星を眺めたりした。
 意地の張り合いをしてけんかをした日、もう話さないと言ったのに、みんな登ってきていて笑ったこともあった。
 実験につまった俺がごろんと昼寝していることもあったし、
 遊び場を争って近所の悪ガキ共と、大立ち回りを演じたこともあった。

 この控えめな丘が、三人の思い出だった。
 青臭く、生ぬるく、それでいて温かく、柔らかい場所だった。

 カールスラントはネウロイに奪われてしまって、丘はそこにあるが、
 今行くことは叶わない。その二年後に行ったのが最後になった。

 そうやって時間は流れていく。

 そんな真夜中、登り始めると見えてくる小川を飛びこえて、
 青く濃い夏の匂いを胸一杯にすいこんで、
 俺はウルスラとエーリカの手をひいてゆっくり、けれど早足に登っていった。

 丘の上には大きな木。いつからか、10より下の子供は登ってはいけない決まりがあった。
 そんな木に、俺は二人を何も言わずに登らせた。
 初めて登る嬉しさと、木の高さとで足がすくむが、なんとか上の、頼もしい枝までたどり着いた。


エーリカ「わあ…空を飛ぶってこんな感じなのかな」


 さえぎるもののない空は光にあふれていた。

 見ればなんともない星々だった。眩しくもなければ、珍しいものでもない。
 こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブに始まる大三角。
 こぐまのポラリス、まだ知らない小さな星、さそりのアンタレス、ペガススのニエフ
 残念ながら俺が好きなオリオンはまだいない……それでも、いつもそこにある光だった。

 思わず星に手をのばすが、エーリカの手は空をつかむだけ。
 だがそれさえも、幼い彼女には嬉しくてたまらなかった。


ウルスラ「にいさま、怒られちゃう」

 ウルスラがそう言って俺の袖をひく。

俺「ウルスラは心配性だなぁ…平気さ」

ウルスラ「でも、にいさまが…」

俺「大丈夫。何が来ようとも、オレにお任せあれ。……さぁさ、お立会い」


 ウルスラの頭を一撫ですると、俺がぱんと両手をうつ。
 そして二人の手を取って、交互に顔を見て、


俺「これから起こることは奇跡でも何でもない、正真正銘の科学の魔法さ
  裾を持って、そう、落ちないようにしっかりね」


 二人がそっとワイシャツの裾をにぎった。
 横目で確認して、祈るように両手を合わせる。


エーリカ「なにするの?」

俺「見てからのお楽しみさ」


 俺が目をつむると、ざわざわと青葉がささやき、細かい風が吹いてくる。
 まるで俺を中心に、世界が浮き立ったような気がした。
 それは忙しい両親の代わりに俺がいつも隣にいて、
 すっかりお兄ちゃん子になってしまった二人の感じた幻かもしれなかった。


俺「ファーゼン、ウバガン」


 じっと青い電流がはしると、あたり一面、パッ、と昼間のような明るさに包まれた。
 その音もさることながら、衝撃波が風にのり、木やら花やらをごうごうと波打たせる。
 何を言っても聞こえなかったし、突然の光で目はちらついて、まともに立っていられなかった。


俺「二人とも、目を開けてごらん」


 裾をつかんだ手を取られる。
 見えなくても分かる大きくて硬くて、温かい手。
 あれだけの突風でどうして立っているのだろう。すぐ隣の俺に安心すると、ふっと疑問がわいてきた。
 目を開けると、ちょうど俺がシールドをしまった所。


俺「誕生日おめでとう。エーリカ、ウルスラ」


 とびきりの笑顔でふりかえる。が、返事がない。
 二人の顔を見ると、目を見開いて、口を開けてぽかんとしていた。
 まるで天の川に飛びこんだような光の洪水。
 顔はきらきらとかがやいて、小さな手が震えるのが分かった。


エーリカ「…すごい……すごいすごい!すごいよにぃにぃ!」


 少し怖かった高さも忘れ、俺に飛びつく。
 受け止め、ふらついた所で木の高さを思い出し、俺は慌てて足に力を入れた。


エーリカ「サンタさんの通ったあとみたい!」

俺「はは、エーリカは詩人だね。…この位お安いご用さ」


 そう言って胸をはった俺を見て、エーリカとウルスラはぷっと吹き出した。


ウルスラ「うそはだめ」

俺「なっ…本当だよ!」

エーリカ「うそが下手だもん。服もきたないし……二ヶ月も待ったんだよ?」

俺「う……き、きっと君たちはこういうものの方が好きだと―――」

エーリカ「にしし、うそだよ!にーいにぃ!」

俺「ああ嘘か、そっか………えっ?」

ウルスラ「にいさま、ありがとう」


 煤だらけのワイシャツに顔をうずめた。
 けむたい匂いと、色んな薬品の混ざった良く分からない匂いに、大好きな兄の木みたいな匂い。
 枝に腰をおろして、細かな粒子の風をうける。
 今だ爆発の中心からは虹色の粒子が流れ、夏の夜空に虹色の雪がふる……そんな風に見えた。


エーリカ「サンタさんのお話ってこんなふうなの?」

俺「ああ。どうしても二人に見せたくて……まあ、トナカイとサンタさんはいないけどね」


 落ちないように二人を支えて、鼻を光らせる俺が笑った。
 ―吹雪の夜にサンタさんを待っていたら、真っ赤な鼻のトナカイと、虹色の雪がふって来た―
 どうしても見せてやりたかった。
 書斎をひっくり返して、教授に教えをこうて、二ヶ月もかかったけど見せられるまで漕ぎつけた。
 範囲を図って、規模を計算して、泥のように疲れ切った体。
 しかし、そんなものは二人の笑顔を見たら吹き飛んでしまった。

 すると、ついと袖をひかれた。


ウルスラ「…にいさま、私、もっと知りたいです」


 彼女はそう言って、俺の方を見た。


ウルスラ「もっと、科学を知りたい」


 どうやったの、と聞かれるのかと思った。
 教えて、はいつものことで、そこまでで終わりだった。
 そんないつものことだと思ったが、ウルスラは落ち着いていた。
 俺は彼女との距離が無くなった気がした。
 それほど彼女はまっすぐに俺を見つめていた。


俺「ウルスラなら、出来るよ」


                            ◇ ◇◇

 そんな夢心地のプレゼントの光が止んだころ、
 手伝ってやりながら二人を木からおろすと、俺が言った。


俺「明日は川に行きます」

エーリカ「本当!?」

ウルスラ「遊んでくれる?」


 嬉しいような、迷うような目で俺を見上げる。
 俺はベルリンの大学に呼ばれているとかで、度々いなくなってしまう。
 だから今回も、もしかしたらと思っていた所はあった。


俺「今は夏休みだよ?それに、レポートも一段落したからね」

エーリカ「やったあ!にぃにぃ大好き!」

ウルスラ「…うれしい」


 ぱっと咲いた笑顔とともにエーリカが抱きつく。
 全身で喜ぶ彼女とは反対に、ウルスラは静かに口元をほころばせていた。


俺「……よし、家まで競争!!」

ウルスラ「あ、にいさま!」

俺「早くおいで!」


 手早くエーリカを下ろすと、俺は風を切ってなだらかな丘をかけて行った。
 すぐに追いかけようとしたけれど、俺には追い付けないし、何より、姉であるエーリカの方が足がはやい。
 待って、と言おうとしたけれど、のどがつまったようになって、うまく言葉が出なかった。
 ウルスラはつらくなってうつむいた。


 すると、こちらに伸ばされた手。

エーリカ「いこ、ウルスラ」

ウルスラ「…うん」


 手を取ると、嘘みたいにはやく走れた。
 いっしょに走る先で、俺がふっと笑った。


ウルスラ「ねえさま、にいさまの通った道の方が草が少ない!」

エーリカ「よしきた!まーてーにぃにぃー!!」


                               ◇ ◇ ◇◇

 半分うとうとして、夢を見ているような感じから目が覚めた。
 なんとなしに右腕を動かして、その重さに長い息を吐く。

 季節は夏だが、妙に暑い。

 頭を動かせば、右にウルスラ、左にエーリカ。
 ガッシリと両腕にしがみ付かれ、寝がえりすら打てない状況。
 明朝にウルスラが帰るからと、三人で寝ることになり、結局川の字で落ち着いたのだ。


俺「ずいぶん大きくなったんだな…」


 小さくて、後ろをついて来た二人はもういなかった。
 もう俺を頼らず、二人とも別々の道を選んでいった。
 誇らしいと思うと同時に、胸にはもやもやと、寂しさにも似た何かが浮かんでくる。


俺「離れられないのは俺じゃないか」


 俺は思わず苦笑いをして、目を瞑った。
 あの日も丁度今日だった。間に合わせようと必死になって、カレンダーを捲ることすら忘れていた。
 面と向かって祝ったのはもう何年も前になる。
 今から言っても許してくれるだろうか?…もっとも夢の中だろうが


俺「誕生日おめでとう。エーリカ、ウーシュ」






最終更新:2013年02月03日 16:36