木漏れ日が差し込む山道に二つの人影があった。大きさから見てまだ子供と言える二人は無邪気な声を上げて走り回る。
長い黒髪が風に遊ばれるのを気にもせず目の前の少女が元気良く声を張り上げた。
艶やかに光る長髪とは裏腹に肌は白く品の良い扶桑人形のような印象を見る者に与える彼女は満面の笑みを浮かべて、手を振ってくる。
おれ『危ないぞぉ! 戻って来い! ここには人を襲う鷹がいるみたいだし』
???『たかさん? って俺ぇ!! うしろうしろ!!!!』
おれ『……うしろ?』
鷹『少年! その尻ぃ! もらったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!』
ドシュッ!!
おれ『あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
断末魔にも似た絶叫を上げ白目を剥いて少年は倒れた。
糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた幼馴染に少女が血相変えて駆け寄った時には既に彼は不気味なまでに痙攣を
繰り返していた。
犬のように舌を出し涎と泡を口膣から垂れ流す姿は見る者に恐怖すら与える惨たらしい姿を見せ付けられ、幼くも聡明であった彼女は幼馴染がいかに危険な状況に陥ったのか理解してしまった。
???『俺……? うそだよね……? やだよぉ……こんなのやだよぅ! 俺ぇぇぇぇぇ!!!』
一際激しく震えると少年はぴくりとも動かなくなり、少女の哀しみに満ちた叫び声が虚しく山中で木霊した。
俺「うぉぉぉぉ!?」
ベッドから上半身を跳ね起こすと全身にびっしりと浮かんだ汗が、開放されたままの窓から吹き込んでくる風に冷やされ不気味な寒気を生んだ。
あの日の出来事は忘れもしない。
幼馴染と一緒に山で遊んでいる最中に突然尻に鋭く、重い何かが凄まじい勢いで突き刺さったのだ。
その時に漏らさなかった当時の自分を褒めてやりたいと時折思う。
結局まだ幼かった当時の自分はその強烈な痛みに耐え切れず泡を吹いて失神してしまい、次に目を覚ました時には病院のベッドに横たわっていた。
あの一件が使い魔とのファーストコンタクトでありワーストコンタクトであったことを幼少時の自分が知るのはだいぶ先の話になる。
主治医『おはよう俺君! 切れ痔で済んでよかったね!!!』
そして、これが
初めて顔を会わせる年老いた主治医からの第一声である。
泡を吹いて失神までしたというのに本当に切れ痔で済んだのかと幼いながらも食って掛かったのは今でも覚えている。
急降下してきた鷹の嘴が突き刺さったのだ。
切れ痔で済んだと言われて、はいそうですか、と納得できるわけがなかった。
俺「思い出しただけで痛くなってきた。おい! 起きてるだろう!」
鷹『何だ一体。せっかく初めて出会った時のことを夢に見ていたと言うのに起こすとは随分と無粋な』
俺「お前も同じ夢を見ているとは……忌々しい」
鷹『初めての出会いに何てことを! そうか……いや失敬。もう少し優しくすればよかったか。思えば君はまだ幼かった。この鋭い嘴を君の青い蕾に突き立てるには些か力が強すぎたな』
俺「強すぎたじゃないだろう! あれはもう刺殺の勢いだ!!! というかだな! 使い魔の契約はタッチだろう!? なんで突き刺した!?」
鷹『すまないと思っている。初めてにしては乱暴にし過ぎた。衝動を抑えることの出来なかった私を許してくれ』
俺「反省する感情がまるで込められていない謝罪を受けたのは初めてだよ」 ビキビキ
鷹『安心したまえ。女性で言う処女膜の部分には到達していないんだ』
俺「何が言いたい」
鷹『あの時偶然にも使い魔の契約が発動してしまった所為で嘴の根元までいけてないんだ。だから君の純潔はまだ保たれている』
俺「知るか! 大体尻の穴の純潔ってなんだよ!? それにもうあんな痛い思いはごめんだからな!!」
鷹『その痛みすら快楽に変わることが何故分からん!!!』
俺「鷹が言うな!!!」
堪忍袋の尾が切れる寸前ネウロイの出現を知らせる警報が基地内に響き渡り、弾かれたように起きた俺が着替えを済ませると部屋を飛び出してブリーフィングルームへと走っていった。
―――
整備兵A「今日は随分と早いご帰還じゃねぇか」
戦闘空域からの帰還を果たした俺を出迎えたのは、この基地へ配属された時からの付き合いの整備兵Aだった。
油が染み付いた作業服を身に纏い、鼻頭と頬が所々煤けた笑顔を浮かべ、同じように油で汚れた手袋を外した掌を掲げてみせる。
俺「よっ」
ストライカーを脱いだ俺が彼の掌に自分のを打ち付けながら破顔した。
子供がみたら笑い出す無邪気な笑顔は自然と人を惹きつける不思議な魅力を漂わせている。
事実、彼は配属されてから今日に至るまで様々な人間と知り合い交友関係を広げ、深めていった。
ある時は門を見張る衛兵にこっそりと定子が作った肉じゃがを差し入れに持っていったり、時には整備兵や清掃員の人間を集めて密かに酒盛りをしたりなどなど。
今では基地に所属する殆どの人間が彼と良き関係を築いていた。
俺「優秀な戦闘指揮をしてくれる人がいるからな。下っ端の俺は動きやすくてたまらんよ」
茶目っ気たっぷりに言い放ち、少し離れたところで同じようにストライカーを脱いでいるポクルイーシキンに向かってウインクしてみせる。
それに気付いた彼女は照れたように、はにかみ軽い会釈で返すとクルピンスキー、ニパ、管野と共に格納庫を後にした。彼女の額に青筋が浮かんでいたように見えた。
俺「またストライカー壊れたのか?」
整備兵「俺らとしては大歓迎さ。仕事が増えれば給料も増える」
俺「そういうものなのか?」
整備兵「俺たちにとっちゃ壊れたものを直すのは仕事なんだ。ストライカーの破損を気にして思う存分戦えないなんて洒落にならないだろう?
壊れたんなら俺たちで直すから遠慮なく戦って欲しいね」
その言葉は彼だけのものではない。ここペテルブルク基地に所属する全ての整備兵の言葉であった。
集められたのは全員自らの腕に自信と誇りを持つ者達ばかりであり、彼らから言わせればストライカーくらいすぐ直してみせるとのことだ。
俺「伝えておくよ」
整備兵A「それにしてもウィッチと一緒に空へ上がれるなんて幸せ者だねぇ」
俺「羨ましいか?」
整備兵A「いんや。俺ぁお前らの土台で充分だ。臆病者の俺には鉄火場に出る勇気なんてないさ」
整備兵Aは再び手袋を嵌め、
整備兵A「俺たちには空を飛ぶ力はねぇ。でも空を飛ぶお前たちを支えてやることは出来る。出来ないことを嘆く暇があるなら出来ることを精一杯やるさ」
これが自分の仕事なのだ、といった口調で呟き袖を捲くし上げる。
俺「俺たちもお前らがいてくれるから安心して戦えるんだよ。これからも期待してるぜ?」
整備兵A「任されよ」
整備班長「おいA! いつまで駄弁ってやがる! 新婚だからって浮かれてるんじゃねぇぞ!!!」
そんなやり取りをしていると整備班長が声を荒げて怒鳴った。
格納庫の一番隅で車両の整備を担当しているというのに入り口近くで談笑している自分たちの耳にもはっきり届く大音響。
巨漢の傍で仕事をしていた整備兵たちは突然の爆音に驚き、余りにも大きい怒号に反射的に耳を塞ぎ、怒号の原因となるこちらへ恨めしい目線を向けてくる。
それでも手は休めないのだから流石はプロといったところだろうか。
整備兵A「分かってますよ!!!」
俺「新婚か・・・・・・子供はいつ生まれるんだっけか?」
整備兵A「今月中には、な」
基地から少し離れた街でパン屋を営む彼の妻は実に気立てが良かった。
会ったばかりの自分に対して差し入れにと焼きたてのパンを振舞ってくれるなど良く出来た女性だと思う。
新たな生命を宿す膨らんだ腹部を愛おしそうに撫でる姿は聖母といっても何ら過言ではなく彼自身、自分にはもったいないと頻繁に口にするほどである。
俺「ならしっかり稼いで女房と子供養わないとな。頑張れよぉ、お父さん」
整備兵A「うるへー。言われるまでもねー。お前もさっさと仕事いけよー」
俺「へいへい。じゃあな」
整備兵たちの視線がいよいよもって鋭くなってきた。そろそろ頃合だろうと思い、ゆっくりとその場を去ろうとすると、
整備兵A「俺!!」
俺「おっとぉ!!」
投げて渡された紙包みを受け止める。
整備兵A「やるよ! 俺の愛する女房が焼いた世界で一番美味いパンだ! 味わって食わないと許さねぇからな!!!」
俺「サンキュ!!!」
彼なりの友情を胸元にしまいこみ今度こそ格納庫を後にした。
機械の駆動音や巨漢の指示が飛び交う喧騒を耳で楽しみながら。
―――
戦闘が終了して基地へと帰還、そしてこの談話室に連行され、有無を言わさぬ圧力を前に成す術も無く正座をさせられてから一体どれだけの時間が経ったのだろうか。
時計に目線を移してみれば、まだ三十分も経っていない事実に溜息を吐いた。
ポクルイーシキン「クルピンスキー中尉?」
クルピンスキー「あぁ、聞いてるよ。サーシャ」
実際は殆ど聞き流しているのだが、それを馬鹿正直に告げれば正座の時間が倍増するのは目に見えているので、生返事を返す。
そろそろ足が痺れてきた。
クルピンスキー「(これは・・・・・・そろそろ限界、かな?)」
ニパ「そんなこと言ったって壊れちゃうものは壊れちゃうんだし」
管野「そうだそうだー」
両隣で自分と同じように正座をするカタヤイネンと管野が表情を曇らせて不満を口にしており、このままだと空気が険悪な方向へと流れていってしまう。
ここ最近、ストライカー破損について彼女は敏感になり過ぎている傾向があるのは気のせいだろうか。
俺「ここ掃除したいんだけど……まだお説教続いてる?」
よれよれの清掃服に身を包み、箒と塵取りを持った救世主が現れた。それまでお説教ムード一色であった空気が彼の登場によって幾らか薄まったのをクルピンスキーは見逃さなかった。
素早く立ち上がると、カタヤイネンと管野を引っ張り出口へと向かって走り出し、二人もまた彼女の意図を察したのか足を動かす。
クルピンスキー「ごめん俺! この埋め合わせは必ずするから!」
脇を猛スピードで通り抜けて廊下へと飛び出し、一目散に駆け去っていく三人に目を丸くする俺と、
ポクルイーシキン「こら! 待ちなさぁい!!」
可愛らしく頬を膨らませるポクルイーシキンだけが談話室に残されることとなった。
長時間の正座を強いられていたのが嘘のような快走に流石は現役軍人だな、と胸中で感嘆の吐息を吐き、矛先を失った怒りを持て余すポクルイーシキンへと視線を向ける。
ポクルイーシキン「変なところを見せてしまって、すみません」
気恥ずかしさを顔に出したポクルイーシキンが若干頬を染めて視線を泳がせた。
俺「気にしないけど。あんまカリカリしてたってしょうがないと思うけどね」
ポクルイーシキン「はい・・・・・・」
俺「考えを改めろなんて言わないさ。それでも一度溜まった息は抜いちゃっても良いんじゃないか? じゃないとサーシャが倒れちゃうよ」
ポクルイーシキン「そんなに思い詰めた表情をしていましたか?」
新参者の目から見ても分かる程度に、と続けて笑いかける。いつもと変わらない人懐っこい笑顔を見せられポクルイーシキンの頬が自然と緩んでいった。それから整備兵Aから言付かった伝言を彼女に告げる。
ストライカーの整備や修理なら自分たちが受け持つから、空を飛び、陸を駆るウィッチは迷うことなく自分の戦いに専念して欲しい、と。
俺「サーシャがどれだけ苦労してきたのか知っている身としては、やっぱり肩の荷は降ろして欲しいかな」
満足に装備が揃わぬ中での撤退戦。
いかに当時が困難な状況であったかは想像に容易い。
ポクルイーシキン「少し……考えさせてください」
談話室を後にする彼女のいつもよりも小さく見える背中を見送りながら俺の黒瞳はどこか不安の色を湛えていた。
―――
俺「おー! 絶景! 絶景!」
あれから仕事を終え、仲の良い衛兵Aと勝負を繰り返し懐が温まった――それでも大人気無かったので五割は返してやった―――俺は瞳を輝かせて夜空の星々を仰ぎ見ていた。吐き出す呼気が白く、頬が痛いくらいに冷える中、ペテルブルクの厳しい寒さなど物ともせずに浮かんだ薄い笑みは暗闇に満ちた夜天に魅入っていた。
ポクルイーシキン「こんばんは。俺さん」
足音と共に聞き覚えのある声が背後から飛んで来たので、振り向いて見るといつも身に付けている軍服の上から防寒用のジャケットを羽織り、両手にマグカップを持ったポクルイーシキンが柔らかい笑顔を浮かべて、こちらへと歩み寄ってきた。
相手を隈なく包み込む優しい微笑みに俺もまた釣られるように頬を綻ばせる。
俺「どうしたんだ?」
ポクルイーシキン「そういう俺さんは?」
俺「寝付けないから星でも見に」
ポクルイーシキン「なら、私もです」
ならって何さ、と口元に相変わらずの薄い笑みを滲ませながら差し出されたマグカップを受け取って口元へと運ぶ。
白い湯気を放つ熱いココアを胃に流し込んだ俺の顔が満足げな表情を形作った。
ポクルイーシキン「口元が汚れちゃってますよ?」
隣に座りこみ、ポケットから取り出したハンカチで俺の口元に出来た焦げ茶の髭を拭っていく彼女の笑顔は楽しそうに見える。
まるで手が焼ける弟の面倒を見る姉のような笑顔に内心気落ちしそうになった。
自分の方が年上だというのに、この基地は年不相応なまでに大人びた少女が多すぎると感じるのは自分だけだろうか。これでは自分の立つ瀬が無いではないかと苦笑いを漏らす。
俺「空気が澄んでるから星もよく見えるなぁ」
マグカップを脇に置き、そのまま寝転がる俺の眼差しの向こう。黒の天蓋にばらまかれた無量の星彩を眺めながらポクルイーシキンが口を開いた。
ポクルイーシキン「私・・・・・・もう少し心のゆとりをもってみようと思います」
一言ずつ紡ぎだすポクルイーシキンの言葉に耳を傾け、頷く。
俺「・・・・・・・分かった」
返したのはたった一言だったが、背中を後押しするようなニュアンスが含まれていた。
ポクルイーシキン「でも! だからってストライカーを粗末に扱っては駄目ですよ?」
俺「分かってるよ」
冗談めいた笑みを口元に浮かべマグカップを差し出す。月の光に照らされるポクルイーシキンの白い頬に薄紅が灯った。
ポクルイーシキン「俺さん。今日はありがとうございました」
カツン!
小気味良い音が小さく月明かりの下に響いた。
サーシャ回終了。
サーシャ回なのにサーシャが全然出てこない気がする。
最終更新:2013年02月04日 14:24