―――この前の埋め合わせだよ―――
仕事を終え、更衣室から出てくる自分を待ち構えていたクルピンスキーに連れて来られたのは、基地から離れた街の、大通りに面した一件の酒場だった。
落ち着いた木造建築の店内の奥にはステージが設置され、ジャズバンドの演奏が空気を穏かなものへと彩っていく。
俺が今まで見てきた酒場の大半は見知らぬ客同士が意気投合して大声をあげて歌う店だったり、そのまま外に出てストリートファイトを始めるといった荒っぽい店が殆どで、ここのように落ち着いて飲める店はあまり見たことは無かった。
サックスが奏でる音色のほかにもテーブル席やカウンターに座る客たちも要因の一つだろう。
若い恋人もいれば老夫婦の姿も見られる。俺もまた二、三人ほど見知った人間を見つけたが、隣を歩くクルピンスキーに気がつき彼らは軽い会釈だけで済ませてくれた。
“悪いな”
“気にすんな”
と、アイコンタクトで短くやり取りして腰掛ける俺の隣で、年季が入ったカウンターテーブルを指でなぞるクルピンスキーが軽く息を吸った。色々な酒の香りが見事に混ざり合い独特の芳香が充満するこの店は彼女のお気に入りだった。
クルピンスキー「ここのお店は僕のお気に入りなんだ。それにこの前の借りもあるからね。今日は僕が奢るよ」
この前の借り―――というのはいつぞやの説教時に自分が掃除をしに入り込んでしまったときのことか。
仕事で入って来ただけであって礼を、ましてやこうして酒を奢られるほどのことではないのだが、
俺「お言葉に甘えてご馳走になります」
好意を無碍にするのも気が引けるので素直に受けておくことにした。
クルピンスキー「僕はスコッチが良いかな……俺は?」
俺「銘柄とかよく知らないから……同じので」
カウンターの向こうに立つ初老の男性は手早くボトルとグラスを棚から取り出し、氷を用意する。
短く刈り込んだ灰色の頭髪が特徴的なマスターは実に老練な動作でグラスに氷を入れ、ウィスキーを注ぐ。
クルピンスキー「じゃあ、乾杯だね」
俺「乾杯」
注文後すぐカウンターの上に差し出されたグラスを手に取り、互いに軽く打ちつける。
その際に中に浮かぶ氷がカランという小気味良い音を立てた。
クルピンスキー「っぷはぁ……俺が来てから……もう二ヶ月かな?」
俺「もうそんなになるのか。早いもんだな」
クルピンスキー「あれから怪我の調子は? 骨までいったって聞いたけど?」
俺「えぇっと……あー……大丈夫だ。問題ない」
妖艶な流し目に内心ドギマギしながら必死に言葉を搾り出す。
黄金色の液体が注がれたグラスを口元へと運ぶ仕草も。
火照ってきたのか第二ボタンまで外され、襟元から僅かに顔を覗かせる、むっちりとした果実が作りだす谷間も。
熱が篭った吐息も。
カウンターに片肘を突きスラリと長い脚を組む姿も。
その全てが妖艶で、それでいて美しい。まるでヴァルトルート・クルピンスキーという女性が一つの芸術品だと錯覚してしまうほどに。
クルピンスキー「えっち」
ぷにぷに
ウィスキーに濡れて湿った艶やかで形良い唇を柔らかく歪ませて、クルピンスキーがほっそりとした指で俺の頬を突っついた。
そんなに見ていたのだろうか、と思う反面、誰だって見てしまうさ、と言い訳する。
短めにカットされた癖のある蜜色の前髪から、顔を覗かせる瞳には悪戯好きな子供っぽい無邪気な光が浮かんでいた。
その澄んだ瞳が真っ直ぐに自分へと向けられているという事実が一層胸中の釣鐘を激しく打ち鳴らさせる。
クルピンスキー「最初は怖い人だなぁって思ってたけど……可愛いところもあるよね。年上の癖に」
俺「うるさいな。お前は年下の癖に大人びてるんだよ」
クルピンスキー「それって僕が老けてるってこと? 酷いなぁ」
俺「そうじゃない。大人びていて……その……綺麗だってことだよ」
クルピンスキー「男の人にそんなこと言われたの
初めてな気がするよ。ありがとう」
慌てたように付け加える俺の一言に、それまで主導権を握っていたはずのクルピンスキーの頬に淡い桜色が差し込んだ。
はにかんだような彼女の微笑みに俺は反射的に視線を逸らしてしまった。
クルピンスキー「俺ってお酒に強いんだね? 僕が飲み負かされるなんて……」
あれから様々な銘柄の酒をオーダーしては二人で飲み比べてきたせいか、愉快そうに笑う彼女の面差しは紅に染まっていた。
一方そんな彼女を見つめる俺は頬に若干の赤みが見える程度。生まれつき酒に強い体質なのだろう。
クルピンスキー「ねぇ?」
窓の外に視線を向けるクルピンスキーが徐に口を開いた。
俺「ん?」
クルピンスキー「いつぞやの共生派の死体……やったのは俺だね?」
カラン
グラスの中に広がる黄金の池に浮かんだ氷山を指で回しながら。普段と変わらぬ飄々とした声音で言い放つ。
俺「どうして、そう思う?」
クルピンスキー「僕も他の人たちと一緒に、その死体を見たからさ。殆どが動物の餌になっていたけど……一箇所だけ不思議な部分があったんだよ」
俺「それは?」
クルピンスキー「首」
空いた手を持ち上げて自分の首の前で線を引いた。
俺「首?」
クルピンスキー「首を切断されていたんだよ。動物の爪じゃなくて……鋭い刃で綺麗に。まるでギロチンにでもかけられたように、ね」
俺「……」
核心を突いて来る言葉に俺は黙って耳を傾け、ウィスキーを煽る。
クルピンスキー「俺は知らないと思うけど、彼らが手にしていた剣はあんな綺麗に切れないよ。共生派の一団が手にしていた剣……宗教上の意味があると思うけど欧州では結構古いものなんだ。扶桑の刀と欧州の剣じゃ重視しているものが違うのは知ってるよね?」
俺「欧州の剣は切れ味よりも武器としての頑丈さを……斬るというよりは叩き潰すことに重点を置いているんだっけか」
クルピンスキー「その通り。綺麗な切断面を見て使われたのは扶桑刀だって思ったんだ」
俺「それで俺だと?」
クルピンスキー「あれは完全に扶桑刀の扱いに長けた人間の仕業。少なくとも定子ちゃんじゃない。そして、僕の知っている人の中でそれが出来るのは一人だけ」
俺「伯爵。つまり……見たんだな?」
クルピンスキー「ごめん……何か暇つぶしの物とかあるかなと思って……」
確かに連中が手にしていた剣は古く切れ味も良い方ではない。
それでも人を殺める凶器としては立派に機能し、今では欧州でも扶桑刀に劣らぬ鋭利さを誇る刀剣も出回っている。
だというのに、扶桑刀という言葉が彼女の口から出た。
それはつまりクルピンスキーが自室に隠してある愛刀を発見したということに他ならない。
まだ自分が医務室にて養生している時に彼女が自分の部屋から雑誌を持ってきてくれたことがあった。
おそらく、その時に見つけてしまったのだろう。
彼女の口調からそれが偶然の出来事であったことが伺える。
俺「……バレないようにやって来たつもりだったんだが……まいったなぁ。打つ手が無い」
野晒しにして動物たちの餌としたのは証拠隠滅のため。
乱暴に喰い散らかしてもらえれば遺体の損壊が酷くなり凶器の特定も困難になると考えて踏んだのだが、恐ろしく冴えた人物が身近にいたものだ。
これでは完全にチェックメイトではないか。
初めて会った時から油断ならない女だとは思っていたが、こうも早く真相に辿り着かれるとは。
俺「気付いたウィッチは伯爵が初めてだよ」
その言葉からクルピンスキーは隣に座る男性が今までも同じような行為を
繰り返してきたのだという告白と受け取った。
クルピンスキー「実はさ。何となく分かってたんだ……俺がどういう人なのか」
隣で酒を煽る青年と初めて出会ったとき、一瞬だけではあったが、違和感を覚えたのだ。
おそらくそれは彼の何気ない動作。
足の運び方、後ろから声をかけた時にこちらへ振り向く無駄のない挙措。
その全てが何らかの武に通じているものだとクルピンスキーは知識で知っていたのだ。
初めは悟られないよう疑念と警戒を抱いていたが、時間が経つにつれて薄れていった。
他の隊員たちや基地の人間とも打ち解け、ニパを無事に連れて帰ってきた彼はどこにでもいる心優しい青年であったからだ。
だからこそ、胸が痛む。そんな彼が人知れず己の身体を血で染めていたのだから。
俺「お手上げだ。もしウィッチを引退しても探偵か警察にでもなれば、すぐに活躍できるんじゃないか?」
彼女の言葉に耳を傾けながら内心では俺自身もそんな気がしていた。
初めて出会った時に放たれた言葉。
邂逅時、既に彼女は漠然としながらも自分と云う人間の本質を薄々理解していたのだろう。
クルピンスキー「別に君を突き出すつもりはないよ」
俺「人殺しだぞ?」
クルピンスキー「俺は軽はずみで人を殺めたりしないってことは分かってるから。ただ……」
俺「ただ?」
クルピンスキー「教えてくれないかな? 俺がここへ来た理由も含めて」
俺「……知らない方が良いことだってあるよ」
気遣ってくれるのは嬉しいが、話したところで何もならないことは目に見えている。
連中がウィッチを狙い続ける限り自分は何人でも叩き斬るつもりだ。
表舞台に立てなくても、彼女たちを脅かす芽を未然に摘み取ることは出来る。
どれだけ泥を被ろうとも、それが自分の選んだ道なのだから。
それに、こんな血で汚れた裏の話をクルピンスキーに聞かせたくないのも理由の一つだ。
クルピンスキー「だって……僕たちの知らないところで……仲間が一人傷ついて戦ってるなんて……いやじゃないか……」
そこにいたのは一人の少女だった。
軍人でもウィッチでもなく、友人の身を案ずる心優しい少女であった。
目を伏せ、ぽつぽつと数珠繋ぎで搾り出すクルピンスキーに日頃の面影は見られない。
どれだけ勇猛果敢な魔女であっても少女であることには変わりないのだ。
クルピンスキー「僕たちは仲間で……かぞ…く……にゃんだから……」
俺「伯爵?」
クルピンスキー「ぅぅぅん……んぅ」
奢ると言っておきながら、自分に身体を預けてきたクルピンスキーを見て自然と頬が緩んだ。
癖のあるブロンドから漂う甘い香り。
寄りかかってくる肩から伝わる彼女の温もりと柔らかさに思わず喉を鳴らして息を呑み込んでしまった。
俺「お、おーい。奢ってくれるんじゃないのか?」
クルピンスキー「ふぅぁ……」
返って来たのは嬌声とも受け取れる寝息。
俺「困ったもんだな」
財布から取り出した二人分の勘定をカウンターに置き、自分のジャケットをかけてやったクルピンスキーの柔らかな全身を背負う。
柔らかい乳房の感触が背中に押し付けられ、一瞬だけ目の前が歪んだ。
マスター「若いの。これは年寄りジジィの独り言だと思え」
グラスを丁寧に拭きながら、それまで沈黙を守って来た男性が呟いた。
誰に向けられたのか分からないほどの声音に辺りを見回す。
薄いレンズの眼鏡越しの瞳が自分に向けられていなければ俺はこのまま店内を出るところだっただろう。
俺「……?」
マスター「逃げるなよ」
俺「逃げるって……何からだ?」
マスター「幸せ、だよ。お前は若いくせに色々と人には言えない何かをやって来た……違うか?」
これまで共生派の輩を何十人も斬り伏せてきたが後悔はしていない。
自分で覚悟を決めて斬ったのだ。後悔するぐらいなら初めから人斬りに堕ちてなどいない。
だからこそ、そんな自分が幸せを掴んでいいのだろうか。
人並みに女性を愛し、子供を授かり、家庭を築くことが許されるのだろうか。
そして、こんな自分を愛してくれる女性がいるのだろうか。
一度、人を殺した人間は一生その首枷から逃れることは出来ない。
そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
だとしたら、幸せなんぞ端から捨てて、死ぬまで外道として生きていくのが自分にお似合
いの人生かもしれない。
マスター「俺だって伊達に年を喰ってるわけじゃあない。色々な客が来るからな……人を見る目はある。難癖つけて自分に幸せなんか掴めないと思ってるなら間違いだ。良いか? 幸せを掴もうと手を伸ばし、握っても良い。むしろ業との戦いはそこからだ」
俺「……業、ね」
多分、怖いのだ。
自分が誰かを愛してしまったら、その女性にまで浴びてきた血を、業をなすりつけてしまいそうな気がしてしまって。
無関係の人間まで汚すくらいなら、背負っているものを一人で地獄に持っていったほうがいいのではないか。
そんな考えを巡らせながら、レンズ越しから注がれる全てを見透かすような眼光を受け俺は、
俺「肝に銘じておくよ」
曖昧な返事しか返すことが出来なかった。
マスター「おう。また来い。美人の客も同伴だと店にとっても嬉しいね。もちろん俺にとっても、な」
考えておくよと返し、店を出る。
夜の冷えた空気が肌に突き刺さった。
とっくに春を過ぎているというのに吐き出す息に微かな白身がかかっているのはここが北国だからなのだろうか。
クルピンスキー「ふぁぁ……あ……ゃん」
艶かしい吐息が首筋に当たり、思わず股間が膨らんでしまうのは男としての性だろう。
彼女を背負っていることを良いことに上体を少し前へと倒して人目をしのぎ、基地への帰路を辿り始める。
ぷっくりとした瑞々しい唇から洩れる悩ましげな寝息や背中に当たる柔らかな物体が引き起こす煩悩を何とか霧散させようと別のことを考えた。
どうやってエディータに言い訳しよう。
こんな夜中に帰ったらサーシャに正座させられるかもな。
そんな他愛も無いことを考えながら暗い夜道を歩いていく。
思えば夜中を普通に出歩いたことなど、仕事の時以外はしばらくなかったなと思い、ふと夜天を仰げば、天蓋の中央に黄金のベールを纏う満月が飛び込んできた。
その黄金色を視界に捉えた瞬間、今宵飲んだ美酒の味が舌の上に蘇る。
たまに飲む酒は実に美味い。隣に美女がいるなら杯を持つ手も一層弾むというものだ。
俺「(まぁ。代金は俺持ちだったけどな)」
クルピンスキー「ねぇ……俺……」
大分財布が痩せ細っちまったなぁ、と苦笑いを浮かべていると背負うクルピンスキーのいつになく弱々しい声が耳朶を掠める。
俺「起こしちまったか?」
クルピンスキー「ううん……もう少し……このままでいても……良いかな?」
首に回される手がきつくなり、背中の果実も更に強く押し付けられ、胸の動悸が早まった。
俺「酔ってるならこのままでいろ。エスコートぐらいできるさ」
クルピンスキー「ぅん……ありがとう」
よほど強い酒だったのか、再び眠りこけるクルピンスキーの寝息を首筋に浴びながら基地へと向かってひたすら歩を進めた。それにしても一体何を頼んだのだろう。
俺「よいしょっと。着いたぞ?」
クルピンスキー「ぅうん……ありがとう」
彼女の自室に足を踏み入れ、ベッドに寝かせる。
微かに開いた瞼から顔を覗かせる瞳は何かを言いたそうに、じっとこちらを見つめていた。
胸元がはだけたままベッドに横たわる彼女の扇情的な姿は魔性の美貌と称してもいい。
俺「どうした?」
クルピンスキー「今度……必ず聞かせてくれないかな?」
頬に手を伸ばすクルピンスキーの手を握り、そっと離す。
俺「あぁ、また今度な。そうだ。ジャケット返してくれよ」
クルピンスキー「やーだよっ」
俺「えぇぇぇ? 勘弁してくれよぉ。それ取られちまったら困るぜ」
貸したジャケットを胸の前で抱きしめるクルピンスキーがちろっと舌を出して、あの悪戯めいた笑顔を見せた。
クルピンスキー「これ。僕にくれない?」
俺「自分のがあるだろ? 大体そんなボロいの女の子が持つもんじゃないぜ?」
クルピンスキー「自分でボロって言うなら良いじゃないか。それに、ちょうど良い薄さだし」
俺「安物って言いたいのか?」
まぁ実際はノイエ・カールスラントの市場で買った安物なのだが。
皺くちゃな見た目とは裏腹に防塵性に優れているので割と気に入っている。
とはいえ、どう考えても女性が着るべき服でないのはデザインから見ても明らかであり、ましてやクルピンスキーのように見目麗しい女性なら尚更だ。
クルピンスキー「じゃあもう少しだけ貸してよ。それなら良いでしょ?」
俺「まぁ……それなら良いけどよ」
気に入る要素が見当たらないだけに、どうして彼女がそこまで執着するのかが分からず首を小さく傾げながら渋々返すと、
クルピンスキー「その代わり」
それまで横になっていたクルピンスキーが跳ね起きた。
ちゅっ
自分の首根っこを掴んだ彼女が鼻頭に口付けをしたという事実に気がついたのは彼女がゆっくりと再び身体を横にしている最中のことだった。
クルピンスキー「はいっ。レンタル料だよ」
普段からの余裕に満ちたものではなく、白い歯を覗かせる年相応の可憐な笑顔だった。
最終更新:2013年02月04日 14:26