目の前の扉を叩くと乾いた音だけが廊下に響いた。
寝ているのかと思い、もう一度扉をノックするがやはり返事はない。
思い切ってドアノブに手をかけて回してみるとロックはかかっておらず簡単にドアが開いた。息を呑みこんで照明が落とされ、暗闇が広がる領域へと足を踏み入れる。
ラル「俺……?」
徐々に眼が暗闇に慣れ、目を凝らしてみるも俺の姿は見当たらなかった。
魔力減衰を迎えた俺を今後の作戦でどう組み込むかについて話し合うために、足を運んだのだが肝心の俺が不在ではどうしようもない。
とっくに消灯時刻は過ぎているというのに、一体どこをほっつき歩いているのだろうか。
照明を点け、テーブルの傍に置かれた椅子を引っ張り出して腰掛ける。
このまま部屋に引き返してもよかったのだが、こういった話は早い内に済ませたほうが都合が良かった。
ラル「それにしても……何もないな」
石造りの部屋の大きさは他の隊員たちと何一つ変わっていないというのに、ラルの瞳には俺の部屋がやけに広く映っていた。
本来なら部屋を埋めるはずの私物が無く、家具もベッド、テーブル、クローゼットといった備え付けのもの家具だけが置かれている所為だろう。
基地から基地へと転々とする彼にとって手荷物一つあれば事足りるからなのだとラルは推測し、脚を組む。
ふと、視線を落とすとテーブルの上に置かれた数枚の薄いアルバムが眼に入った。
所々に小さな傷が走り、色あせる表紙からどれだけ長い年月の間使われてきたかが伺える。
この数枚のアルバムに自分が知らない俺が収められているのか。
そう思った途端にラルは自分でも気が付かないうちに手を伸ばしていた。
ラル「いや、待て」
我に返り、引っ込める。いくら本人がいないからといって他人のアルバムを勝手に見て良いはずが無い。
おそらくはこのアルバムが数少ない俺の私物なのだ。
だとすれば、なお更に見るわけにはいかなかった。
が。
ラル「す、少しだけなら……」
人としての常識は好奇心に打ち勝つことが出来なかった。
最初のページを捲ると扶桑皇国陸軍の軍服を身に纏った若い俺と数人の少女たちの写真が飛び込んできた。
ラル「横にいるのは……加東圭子か?」
その中には彼女にとって見覚えのある顔も入っていた。
かつてカールスラント撤退戦の際にネウロイの破片で視界が塞がれたことによって被弾し入院生活を強いられたことがある。
そのとき自分を取材に来た女性こそ、この写真に写る加東圭子その人だった。
他にも“魔のクロエ”こと黒江綾香や“扶桑海の三羽烏”の一角を担う巴御前の呼び名で知られる穴拭智子の姿も見られる。
ラル「そういえば同じ部隊だったな」
ページを捲っていく。ウィッチたちや整備員の男たちと並んで写る写真もあれば、街の酒場で他の客たちと晩酌を楽しんでいるものも見られる。
軍人だけでなく民間人との写真もあり、軍人・非軍人関係なくアルバムに納められた写真の者たちはどれも同じように楽しげな笑みを浮かべていた。
ラル「……?」
俺と握手を交わす中年男性を見つけラルは眉根を寄せた。
実直という言葉をそっくりそのまま人間の形にしたような人物。
スーツの似合うこの男をラルはどこかで見た記憶があった。直接出会ったわけではなく、もっと別の形で。
しかし、思い出そうにも中々出てこない。
とりあえず記憶の片隅に留めて置き、最後のページを開く。
ラル「これは……」
最後のページ。
そこには、ブリタニアを拠点とする第501統合戦闘航空団の面々と写る写真が彼女の目を引いた。
俺を真ん中に501のウィッチたちが並ぶなか、一人の幼い少女が背後から彼に飛びつき、こちらに向かって弾けんばかりの無邪気な笑顔を晒している。
髪の色が同じなだけに仲の良い兄弟に見えなくも無い。
天真爛漫な笑みから少女と俺の仲がいかに良好だったかをラルは一枚の写真から垣間見た。
それにしてもたった一週間という短い期間でこれほどまでに親睦を深めていたとは。
俺が他の隊員たちと良好な交友関係に発展するまで、そう大した時間を要さなかったことを考えると彼自身の人付き合いの良さが成せる業といっていいのだろう。
ラル「……」
俺に頬を摺り寄せる黒髪の少女を見ているうちにラルは自身の胸中に得体の知れぬ黒い感情が渦巻いていることに気がついた。
何故だろう。この写真を見ているだけで苛立ちが込み上げてくる。
嫉妬?自分は嫉妬しているのか? それも子供相手に?
どうして?
次から次へと浮かびあがってくる疑問。そのどれ一つに対しても的確な答えは出せなかった。
ラル「俺……」
そもそも自分にとって彼はどういう存在なのだろうか。嫉妬するほどの感情でも持ち合わせているとでもいうのか。
そんなことを考えていると、ふとある夜の情景が脳裏に浮かび上がる。
俺がブリタニアに発つ前日の夜。経緯はどうあれ俺に自身の胸を触れさせたことを思い出し頬に熱が灯っていく。
なぜあのような行為に及んだのか自分でも知りたいくらいだ。
だが、嫌悪感はなく、むしろあいつにならといった感情すら持っていた。
それでもラルは分からずにいた。その訳の分からない感覚の正体も。それを裏付ける確証も。
俺「よぉ。何か用かい?」
ラル「俺!?」
一息吐いて背もたれに身を預けた瞬間にドアが開き、俺が陽気な笑顔を伴って現れた。
あまりに唐突な出現に弾かれたように立ち上がり、アルバムをテーブルの上に戻す。
俺「人の部屋で何をしてるんだ?」
歯をむき出しにして笑う俺がアルバムに目線を移す。
ラル「あっ! いや、これは……」
俺「……見たのか?」
ラル「すまない……」
俺「別に怒っているわけじゃないさ。置きっぱなしにしていたのは俺だからな……それに見られてマズイものでもないしな」
肩に掛けていたバッグをベッドの上に放り、羽織っていたジャケットも脱ぎ捨て、テーブルを挟んでラルの正面に座り込む。
頬杖を突き、真っ直ぐ自分を見つめる黒い瞳を前にラルは自分でも説明できない熱が頬にこみ上げて来るのを感じた。
俺「それで。見てどう思った?」
ラル「……色んな奴と仲が良いんだな」
一瞬、言葉に迷ったものの正直な感想を洩らす。
俺「知らない奴と仲良くなるのは楽しいもんさ。別れてそれっきりの奴もいれば、ちょくちょく連絡を取り合う奴もいる。
思わない所でまた会う奴もいる。広いようで狭いんだな、世の中ってのは」
ラル「だろうな。このアルバムの中にも私の知っているウィッチが一人いた」
俺「へぇ? 誰だ?」
アルバムを手に取り、最初のページの写真に写る圭子を指差してみせた。
俺「圭子に会ったことあるのか!?」
ラル「あっ……あぁ。入院していたときにな」
俺「にゅう……いん?」
途端に俺の顔色が驚愕に塗りつぶされる。俺に自分の過去は話していなかったことに気が付き、口を開く。
ラル「カールスラント撤退戦のときにネウロイの破片で視界が塞がれて……私は被弾した」
俺「……」
ラル「脊髄を骨折。そのあとは治療とリハビリを
繰り返した。加東圭子と出会ったのもその頃になるな。結局前線に復帰できたのは……九ヶ月も後の話だ」
自嘲とも取れる薄笑いで口元を歪ませるラルの言葉を俺は黙って聴く以外の術を持たなかった。
空を飛ぶ翼を穿たれ、想像を絶する苦痛と屈辱を克服するため九ヶ月にも及んだリハビリ生活を彼女はどんな想いで乗り越えてきたのだろう。
ラル「そんなに黙り込むな。今はこうして空を飛ぶことが出来ている」
俺「……」
俺の沈痛な面持ちに気付いたのか、ラルは普段と変わらぬ笑みを見せた。
常に部隊をまとめ、隊員たちを安心させる微笑。そんな彼女の笑顔を前に胸が一層痛む。
ラル「それで。本題だが」
俺「……」
ラル「俺? 聞いているのか?」
俺「あ、あぁ。悪い」
ラルから聞かされたのは魔力減衰を迎えた自分を今後の作戦でどう組み込んでいくかのことについてだった。
俺自身も何の対策も立てずに他の隊員たちの足を引き摺るよりは、今のうちに魔力減衰後の自身の状態を詳しく報告する必要がある。
ラル「実際のところだが。お前はどこまで戦える? 特にシールドだ」
元来攻撃用の衝撃波を強引に防御へと転用しただけあってか擬似シールドの燃費は通常の衝撃波よりも悪い。
下手に魔力を消費すれば、攻撃に回すどころか飛ぶことすら危うくなってしまう。
ラル「つまり可能な限り回避する必要があるのか?」
俺「そうなるな」
受けたとしても、そう長くは凌げないだろう。
故に受けた場合はそのまま移動して受け流さなければならない。
ラル「攻撃面ではどうだ?」
俺「威力が若干だけ下がったな……それと」
ラル「それと?」
俺「いや……なんでもない」
ラル「嘘だ」
一瞬だけ俺が右腕に視線を落としたのをラルは見逃さなかった。
何か右腕に障害でもあるのだろうか。それとも与り知らぬところで腕に傷を負ったのか。
部隊を預かる者としての責任感からラルは自分でも驚くほどの速さで彼の右腕を掴み、袖を捲り上げていた。
ラル「な……なんだ。これは!?」
素肌を晒した右腕にはいつぞやサウナで見たときとは比べ物にならないほど深い傷が刻み込まれていた。
形状と治療の痕から見て、どうやら鋭利な刃物で斬りつけられたようだ。
航空型ネウロイ相手では絶対に刻まれようが無い傷。すなわち、人間によって切りつけられたものだ。
ラル「痛むか?」
俺「衝撃波を撃つときにな……」
衝撃波を撃つ際にある種の砲身代わりとなっている俺の腕。
連続で弾丸を発射すれば銃身が熱を帯びるように肉体の許容量を超える負荷――何度も魔法力の供給を行うということは、それだけ彼の腕に負担をかけることになる。
ラル「……こうまで酷いとはな」
攻防両面においても深刻なまでのハンディキャップを背負わされている俺の現状。
俺「外されるのか……? 俺」
ラル「そういう手も……あるかもしれない」
俺「ちょっ! ちょっと待ってくれよ!」
ラル「あくまで仮定の話だ。だがな……私もお前も撃墜された経験があるからこそ。慎重に事を運ばないといけないんだ」
身を乗り出す俺を手で制止する。
俺「それは……分かってる」
ラル「悪いようにはしないさ。それにお前に抜けられると困るからな」
世辞ではなく事実だった。強大な固有魔法を持つ俺ではあるが、もっぱら他の部隊員たちのサポートに使用している。
それは主に敵陣へ突撃するクルピンスキーや管野の背後を狙う敵を落とすほかに、大型に強烈な一撃を浴びせて弱体化させるといった用途だ。
そして、彼の補佐により各員及び部隊全員での撃墜数は着々と伸び、取り戻した制空圏の数も徐々に増えていた。
だからこそ、簡単に俺を外すことは出来なかった。
既に俺のサポートが隊員たちの間で定着している手前、迂闊に俺を外せばそれまで良好だった作戦行動に支障をきたす恐れがあるからだ。
ラル「この件については今後も話し合うとしよう。今日はもう休め」
俺「部屋まで送る」
ラル「私は子供じゃないんだぞ?」
俺「夜道は危険っていうだろう?」
ラル「止めたって無駄なんだろうな」
諦観混じりの一言。
俺「お節介焼きなのは性分なんでね。諦めてくれ」
ラル「分かったよ。あ……」
部屋を出て自室に向かう最中、足を止める。
俺「どうした?」
ラル「執務室に目を通しておきたい資料があるんだ」
俺「こんな夜中にか? 寝る時間あるのか?」
ラル「枚数は少ないんだ」
俺「なら……行くか?」
ラル「良いのか?」
俺「送ると言った以上は最後までエスコートしますよ。お嬢さん」
ラル「本当にお節介なやつだな」
俺「嫌いか?」
ラル「いや、お前なら良いさ。私は嫌いじゃないよ……お前のそういうところ」
踵を返し執務室へと向かう。最低限の照明しか灯されておらず、暗がりが広がる廊下は薄気味悪かった。特に階段の辺りは本当に“何か”が出そうな気がしてならない。
だというのに恐怖といった類のものは全く感じ無かった。
多分、となりに居る男の存在のせいだなとラルは胸中で一人ごちる。
俺「俺がどこへ行っていたのか……聞かないんだな」
ラル「もう。分かっているからな」
俺「……そっか」
それ以上俺が何かをいうことは無かった。
俺「あったか?」
ラル「あぁ」
手にしていた一枚の紙切れに目がいく。
なるほど。確かにそれなら寝る前にでも読み返せそうだ。
俺「それじゃあ行きますかな」
ラルが執務室に鍵をかけるのを確認し再び、ウィッチ個室用のフロアへと向かう。
階段へと差し掛かったところで、事件は起きた。
ラル「きゃっ!?」
途中の踊り場を超え、あと一段というときにラルが段差を踏み外したのだ。大きく後ろへ傾くラルの身体。石造りの要塞だけあり、打ち所が悪ければ命を落とすかもしれない。
俺「ラルっ!!!」
培ってきた瞬発力をフルに活用し、俺は素早く彼女の背に回り受け止めようと試みるも足場が悪いせいか上手くふんばりが聞かず、そのままラルを守るクッションとなった状態で踊り場へと落ちていってしまう。
ラル「んっ!」
伝わってくるであろう衝撃がいつまでたっても来ない。頬に当たる堅く温かな感触に気が付き、身を起こす。
ラル「お……おれ?」
自分と踊り場の床との間に挟まった彼の姿を見て、ラルの目が見開かれた。そこには白目を剥いた状態の俺が横たわっていた。
体勢を崩したときに彼の叫びが聞こえた気がしたが、身を呈して自分のことを守ってくれたのだ。
ラル「俺! しっかりしろ! 俺!!」
身体を揺らすが返事は無い。打ち所が悪かったのか口からは泡のようなものまで出てきた。
ラル「俺! 俺ぇ!!」
俺「んぅ。ここは……ってラル!?」
目を覚ますとラルの端正な顔立ちが真っ先に視界に入ってきた。自分を見下ろす、澄んだ青い瞳の輝きに心臓の釣鐘が激しく打ち鳴らされる。
ふと、後頭部を包み込む冷えた物体の感触と首筋に当たる温もりに満ちた柔らかい感触に気が付く。
ラル「はぁ……やっと目が覚めたのか。お前をここまで運ぶのは少し骨が折れたぞ」
見下ろす視線と柔らかな温かい物体から自分が今彼女の膝を枕にして寝そべっていることに気が付き、慌てて上体を起こす。
その際に濡れたタオルが外れて、鈍い痛みが後頭部に走り顔をしかめてしまった。
ラル「じっとしていろ」
肩に腕を伸ばされ、再び膝枕の体勢へと戻されてしまう。ラルは気付いていないのだろうか。
自身の太ももの柔らかさや女体が放つ甘い香りが男の煩悩をオーバーキル並みの勢いで攻め立てていることを。
俺「あぁ……」
ラル「覚えてないのか?」
俺「えぇ……あぁぁぁぁ」
足を滑らせたラルを守るために下敷きになったことを思い出す。たしか、そのときに頭を踊り場の床に強く打ち付けて、意識を失ったのだ。
さきほどのラルの言葉から察するに、どうやらここは彼女の自室らしい。
俺「悪いな。迷惑かけて」
ラル「別に構わないさ。それに……無事でよかった……」
俺「……あっ! あぁ……ありがとうな」
ラル「……」
俺「……」
そこで会話が途切れ、沈黙が続く。
どこか気まずい空気が漂い始め互いに視線を逸らしては、相手の顔を伺いまた視線を逸らす。
俺「……なぁ?」
ラル「なんだ?」
俺「もう帰っても良いか?」
ラル「だ、駄目だ」
ばっさりと切り捨てられてしまった。夜も更け、互いに寝なければいけないというのに、いつまでも膝枕を楽しむわけにはいかない。
俺「ど、どうしてだよ?」
ラル「そ、それはだな……」
互いに歯切れの悪い言葉しか出てこない。そもそも自分はこの男をどうしたいのだろうか。
俺のためにもここは一刻も早く部屋に返したほうがいいのではないか。
いや、自分の不注意が招いて彼に怪我を負わせてしまったのだ。責任を持って最後まで面倒を見るしかない。別にこの男の傍にいたいというわけではない……多分。
ラル「とにかくだ! 痛みが引くまで、ここにいろ」
俺「……」
ラル「わ……わかったな!?」
有無を言わさぬ迫力に黙って首を縦に振ることしか出来なかった俺が解放されたのは明け方近くに差し掛かった頃であった。
6e
最終更新:2013年02月04日 14:32