太陽が空高く昇り、誰もが各々の仕事に従事する、その日。
グンドュラ・ラルは自室のベッドの上で横になっていた。
額に濡らしたタオルを載せる彼女の唇からは時たま熱の篭った吐息が吐き出され、青い瞳の焦点もどこか定まっていない。

ラル「……ぅ」

悪寒が肌を撫でつけ弱々しい声が洩れる。
起床時間に目を覚ました彼女は全身を包み込む倦怠感に耐えられず医務室へと向かった。
医師から告げられた診断結果は風邪というごくありきたりなもの。

原因には心当たりがあった。
おそらく先日、階段で足を滑らせた自分を庇って頭を床にぶつけた俺を日が昇るまで膝の上で寝かせて面倒を見ていたせいだろう。
そういえば明け方やけに冷え込んでいたなと思い出しながら鼻をかむ。

ラル「馬鹿だな……私は」

統合戦闘航空団を預かる司令でありながら、己の健康管理すらまともに行えないとは。
悔しさと不甲斐なさに歯噛みし、枕に顔を埋める。

寝付くことが出来ずにいる最中、俺の身体に倒れ込んだあの夜の出来事が突如として脳裏に浮かんだ。
その際に彼の胸板の逞しさに温もりやらといった生々しい感触まで蘇ってしまい、風邪による発熱とはまた異なった熱がラルの頬を覆っていく。

ラル「って私は何を想像しているんだ!? ごほっ……けほっ」

羞恥心が頂点に達して思わず声を荒げた途端に喉が痛み、激しく咳き込んでしまう。
悪化する寒気から少しでも身を守ろうとシーツの中で身体を丸める。
こういうときにペテルブルクの寒さが身に染みた。

ラル「……見舞いに来てくれたっていいだろ」

階段から足を踏み外したのも俺を看病すると言って明け方近くまで離さなかったのも確かに自分なのだが、一度くらい顔を見せに来てくれても良いではないか。

―――いや、そもそもどうして俺に見舞いに来て欲しいんだ?

自身の胸中に渦巻く不可解な感情の正体が何なのか分からないばかりか、上手く説明することすらもできない。ただ最近やたらと俺のことを考えている時間が増えている気がする。

ラル「まさか、な……」

ロスマン「ロスマンです。隊長……大丈夫ですか?」

寝返りを繰り返しているとドアをノックする音が耳に届き、続いてロスマンの澄んだ声が聞こえてくる。
今日は休むと伝えたはずなのだが、何か問題でも起きたのか。
それとも見舞いにでも来てくれたのか。

ラル「あぁ……大丈夫だ。起きている」

ロスマン「では。失礼します」

ラル「お、俺!?」

ドアが音を立てて開き、ロスマンの小柄な体躯と彼女の後ろに続く俺の姿を捉えた瞬間ラルの心臓が大きく跳ね上がり、彼女の裏返った悲鳴が室内に木霊する。

俺「おいおい。顔が赤いぞ? 寝て無くていいのか?」

ラル「だ、誰のせいだと思っている!」

布団で身を隠し僅かに顔だけ出し、思わず睨みつけてしまう。

俺「えっ……いや、そりゃあ俺のせいで風邪引いたようなものだけど……」

ラル「そうじゃない! あぁ……もう! それでロスマン曹長。どうして俺がここにいるのか説明してもらおうか?」

荒い呼吸を整えながらロスマンへと視線を移すと、彼女は口元に手を当てこほんと咳をしたあと、とんでもないことを口走った。

ロスマン「はい。今日一日俺さんには隊長の看病をしてもらいます」

ラル「……は?」

まるで、そのことがさも当然であるかのようなロスマンの言葉にラルは開いた口が塞がらなかった。
待て。今なんて言った?
看病する?
私を?
俺が?

ラル「すまない、曹長。もう一度頼む」

ロスマン「ですから。俺さんに隊長の看病をお任せしたんです」

きっと幻聴に違いない、これも風邪のせいだろう。
しかし、そんなラルの考えも空しく打ち砕かれてしまった。

ラル「……はぁぁぁ!?」

部屋に入ってきた俺を見つけたときとは比にならないほどの大音響が再び室内に響き渡る。
ロスマン曰く最初はクルピンスキーが看病をすると言い出したのだが、彼女に任せてはラルの貞操が危ういと感じて俺に頼んだらしい。

風邪で弱っているのをいいことに妖艶な微笑を湛えてベッドに上がり込み、十指を不気味に蠢かせるクルピンスキーの姿を想像し、ラルは慌ててかぶりを振った。
たしかにクルピンスキーに任せると何をされるか分かったものじゃない。

ラル「いや、だからといって! どうして俺なんだ!?」

俺「サーシャは戦闘隊長だから、風邪が移ったら大変だろう。その点俺は身体が頑丈だから移される心配もない」

ラル「っく……曹長! 本気か!?」

ロスマン「俺さんが弱みに付け込んで手を出す卑劣漢でないことは隊長もご存知のはずですが?」

いつぞやストライカーのエンジントラブルによって墜落したニパと俺は数日の間行動を共にしていたが、手を出したという話は聞いていない。
現に彼女がストライカーを身に着けて空を飛んでいるのが何よりの証拠だ。

ラル「それは! 分かっている……だが!」

自分だって女なのだ。
風邪を引いたみっともない格好を、それも近ごろ気になっている男に晒すことなど出来るわけがない。寝巻き姿で髪だって整えていないというのに!

ロスマン「隊長?」

ラル「ッ!?」

有無を言わさぬロスマンの異様な迫力に思わず身を強張らせた。一瞬だけロスマンの背後で背が伸び、胸も成長した彼女の姿が浮かび上がったように見えたが、気のせいだろう。
無論自分の身を案じてのことなのだろうが、やはり簡単に割切れることではない。
抵抗する彼女を押さえつけたのは数々のエースを育て上げてきた者が見せる威厳だった。

ラル「ぅ……わかった。好きにしろ……」

しかし、ここで駄々を捏ねて風邪を悪化させるわけにもいかず、渋々ロスマンの条件を呑み込むことにした。
自分は第502統合戦闘航空団の司令であり、この身体も自分だけのものではない。

いつネウロイが攻めてくるかも分からない戦況故に自分を含めたウィッチは常時出撃できる態勢を整えなければならないのだ。
そう言い聞かせることで己を律するラルであったが時折、俺の視線とぶつかる度に頬の熱が上がっていくのを感じ、何とも居た堪れない気分に陥った。

ロスマン「俺さん。よろしくお願いしますね」

俺「おう。任せてくれ」

快く返事をする俺。
果たしてこの男が複雑怪奇な乙女の心を理解する日は来るのだろうか。

ロスマン「それでは隊長。お大事に」

そんなにクルピンスキーに任せるのが嫌だったのかと思えてしまうほどに満足げな笑みを落として去っていくロスマンの背を見送っていると、俺が口を開いた。

俺「あー……お節介だったか?」

些かトーンが下がった口調から俺自身も今回の件を気にしていたらしい。

ラル「あのな。私だって……女なんだぞ? こんな格好……男に見せられるわけがないだろ」

お前は私のことを女と思っていないのか?――と胸中で付け足してやると俺は以外にも表情に影を落として視線を逸らした。
その急変ぶりについ拍子抜けしてしまう。

俺「悪い……思えば軽率な行動だったな……」

俺なりに自分の容体を気にかけての行動だったのだろうが、やはり気恥ずかしい。
それでも悪意あっての行動でないことは分かっているため、無碍にすることも咎めることも出来なかった。

ラル「……もういい。お前だって悪気があったわけじゃないん――」

―――くぅぅぅ

そう言いかけたラルの言葉を遮るように可愛らしい鳴き声がどこからともなく聞こえてきた。
すぐ傍でそれを耳にした俺は室内に何か動物でもいるかのと考えたが、顔を真紅に染め上げながら腹部を両手で抑えるラルの姿を見て、今の鳴き声が彼女の腹の虫の音だと悟った。

ラル「は……ぅ」

か細い声を上げてきゅっと唇をかみ締めるラルの青い瞳には羞恥心から生まれた透明な雫がうっすらと浮かんでいた。
その潤んだ輝きを放つ青い視線が俺のそれとぶつかった瞬間、ラルは俯いて俺の眼差しから逃れた。
一方でそんなラルの姿に俺は感慨深いものを感じた。日ごろの彼女とは異なる年相応の少女らしい様を眺める俺が壁に立てかける時計に視線を移すと既に時刻は正午を過ぎていた。

俺「昼食はまだなのか?」

ラル「あ、あぁ」

そんなに腹の虫を俺に聞かれてしまったことが堪えたのか、俯いたまま堪えるラル。

俺「……よし、待ってろ。何か作ってくる」

立ち上がるや否や俺はラルが制止の声を上げるよりも早く部屋を飛び出して行った。
一人残された彼女は小さな吐息を吐いた。
俺がこの部屋に入ってきてからというもの、調子を狂わされてばかりだ。彼が部屋を出て行った今も頬には熱が残り、冷める気配が見えない。

ラル「何をやっているんだ……私は」

彼にじっと見つめられると心臓の鼓動は速まり、彼の笑顔を見る度に体温が芯から上昇してしまう。
この気持ちは一体何なのだろう。
どうして俺の姿を見ているだけで胸が締め付けられる感覚を味わうのだろう。

俺「おまたせ。これぐらいしか作れなかったけど、勘弁してくれ」

顔を上げれば俺が茶碗を載せたトレーを持って部屋のドアを閉めている最中だった。
部屋を飛び出してから二十分も経っておらず随分と早い帰りに首を傾げる。

ラル「それは……スープか?」

ベッド近くのテーブルに置かれたトレー。
そこに載せられている茶碗には煮込まれた白米が白い湯気を立ち昇らせていた。よく見れば白米には溶き卵が混ざっており、それが一層ラルの食欲を刺激した。

俺「お粥だよ。扶桑の人間が風邪を引くと決まって食べるものだ。そういやカールスラントじゃお粥のこと穀物のスープって言うんだっけか?」

茶碗から漂う香りを取り込んだ直後にラルの腹部から再び“くぅぅ”という可愛らしい音が鳴った。
慌てて腹部を押さえるも自分を見つめる微笑ましい笑顔に頬を帯びる熱が更に上昇していく。
もはや、ベッドの上で横になっているのは統合戦闘航空団を束ねる女傑ではなく腹の虫の泣き声を聞かれて赤面する一人の少女だった。

俺「起きられるか?」

ラル「馬鹿にするな。これくらい……一人で」

これ以上みっともない姿を晒すわけにはいかない。
そう意気込んで鉛のように重い身体を無理やり引き摺り上げようと試みるが、自分が思っていたよりも疲労が蓄積されており、身体を起こすこともままならず諦観が混じった溜息を吐いた。

ラル「……すまない。頼む」

俺「了解。起こすぞ?」

ラル「あぁ……んぁっ!」

背中に手を回され、妙なくすぐったさにどこか甘みが含まれた声を洩らしてしまう。
温かい俺の手の平が背中に添えられ、ラルは心臓が激しく揺れるのを感じた。
同時に悪寒がいつの間にか消え去り、柔らかな温もりが全身を満たしていることに気が付く。

俺「痛むか?」

問いかけに黙ってかぶりを振ることしかできない。
声を出そうにも喉下で留まり、中々出てきてくれなかった。

俺「持てるか?」

ラル「心配性だな、俺は。これくらい、どうってこと……!?」

スプーンを掴むのと同時にラルの目が見開かれる。手にいくら力を込めても、それはまるで穴の空いた容器に水を注いでるかのようにすぐに抜けていってしまうのだ。
自分が思っていたよりも深刻な現状に項垂れる。

ラル「そんな……どうして……」

俺「相当疲れが溜まってるんだろうな。どれ、貸してみろ」

ラル「……何をする気だ?」

俺が受け取ったスプーンを手に取り茶碗からお粥を掬う。
何故だか妙な胸騒ぎがしてならない。

俺「決まってるだろう……はい。あーん」

ラル「なっ!?」

スプーンの先を口元に差し出され、裏返った声を上げてしまった。

俺「あぁ、悪い。ちゃんと冷まさないとな。ふぅ……ふぅ……よし、これで良いか?」

素っ頓狂なラルの声に俺は彼女の口元に差し出したスプーンを自分の口元まで運び、息を吹きかけて冷ます。
ラルが火傷をしないよう配慮しての行動であったが、冷ましていないお粥を差し出されたことと彼女の動揺は何の関係もない。
この男。案外どこかズレているのかもしれない。

ラル「そうじゃない!!」

俺「……そんなこと言われても。持てないんだろ?」

ラル「っぐ! それはそうだが!!」

俺「だったら四の五の言わずに食え。病人は食べるもの食べて、水分取って、寝ろ」

ラル「っくぅぅぅ」

俺「ほら、大人しく口を開けなさい。あーん」

ラル「ぁ……あぁ……ん」

おずおずと口を開き、そっと口内に入れられたスプーンを咥え卵粥を咀嚼する。
とろとろに煮込まれた白米と程よい味付けがされた卵が口の中で絡み合い、栄養が全身に行き渡るのを感じつつ飲みこむ。悔しいが味は本物だった。

俺「美味いか?」

ラル「……」

無言で頷く。
傍から見れば恋人と思われてもおかしくないシチュエーションにラルは自分が火そのものになったかのような錯覚に陥った。

俺「そりゃよかった。はい、あーん」

ラル「ぅぅ……まだ、やるのか?」

俺「自分で食べられるんだったら良いぞ?」

意地悪な男だ。
スプーンを目の前で左右に揺らす俺に恨めしい視線を送るラルは胸中でそう思うのだった。





ラル「ごちそうさま」

俺「おそまつさまでした」

湯を張った別の桶に真新しいタオルを入れて濡らす俺の後姿を見つめながらラルは口元を歪めた。
散々辱められて、このまま終わるほどグンドュラ・ラルは甘い人間ではない。
せめて一矢報いなければ気が済まないと考えた彼女は俺の背に向かって声を飛ばす。

ラル「俺」

俺「ん?」

ラル「そのだな……お粥を食べたら急に身体が火照ってきてな」

俺「ほうほう。それで?」

ラル「悪いが……背中を拭いてくれないか?」

その言葉を耳にした瞬間、俺の思考が停止した。
背中を拭いてくれ。あぁ何て甘美な響きが込められた言葉だろう。
年齢=彼女いない暦=童貞の俺にとって彼女が放った言葉は天使の歌声にも悪魔のささやきにも似たものを秘めていた。

俺「いや! でも! だけどさ!!」

ダムを決壊するが如く溢れ出てくる煩悩を持ち前の屈強な理性で押さえ込む俺であったが内心では滅多にないチャンスにどぎまぎしていた。
背中である。繰り返す、美女の背中なのである。

それも看病という大儀名目も備わっているため、誰からも文句を言われることなく彼女の肌を拝むことができるのだ。
俺の脳内で理性と煩悩がカイロネイア並みの戦いを繰り広げる。

ラル「くくくっ……それじゃあ。頼むぞ」

彼の狼狽振りを耳にしたラルはしてやったりとばかりに口元をにやつかせた。
背中を向けているせいか俺の困惑した表情を見られないのが残念だ。

それでも一泡吹かせてやることが出来ただけでも思い切った甲斐があったというものだ。
ふと、ほくそ笑みながらボタンへと伸びる彼女の手が止まった。

ラル「……ッ!」

男に素肌を晒す経験など一度も無い故にこみ上げてきた羞恥心が彼女の決心を鈍らせる。
それだけではない。背にはカールスラント撤退戦の折に刻み付けられた傷もあるのだ。

この傷を見て俺はどう思うのだろう。
普段と変わらぬ笑顔で笑い飛ばしてくれるだろうか。
それとも気味悪がるのだろうか。そんな考えが脳裏を過ぎった途端に停止していたラルの手が小刻みに震えはじめる。

ラル「(怖い……のか)」

この傷を俺に晒すことが。この傷を見た俺に気味悪がられることが。
どうしようもなく怖かった。そう思うほどに俺の存在が自身の内で大きくなっていることにも気付かず、胸元に寄せる手をきつく握り締める。

俺「ラル……?」

ラル「いや……大丈夫だ」

自身の動揺を感じ取ったのか、気遣うような俺の声音が聞こえる。
小さく息を吸い込んで吐き出したラルが意を決してボタンを外し、上着を脱ぎ捨てた。

俺「……ッ!?」

普段はコルセットで守られた部分に走る傷を目にした俺は息を呑み込んだ。
白磁を思わせる瑞々しい肌に走る痛々しい傷痕に俺の面差しが次第に沈痛なものへと変わっていく。それは年頃の少女が背負うには余りにも重過ぎるほど悲惨なものだった。

ラル「昨夜話したカールスラント撤退戦のときにつけられた傷だ。酷いだろ?」

俺「……」

ラル「撃墜数が人類第三位と言われても……この傷だけは今も負い目なんだ。笑ってくれ……」

俺「……そんなことはないさ」

ラル「……ッ!?」

返ってきた言葉に含まれていた、はっきりとした否定にラルが息を詰まらせる。

俺「ラルにとって……この傷は負い目になっているのかもしれない。でも、それは恥ずかしがることじゃないさ。身体に傷をつけられて引きずらない女の子なんかいないんじゃないか?」

タオルではなく指で彼女の傷をなぞる。
年頃の、ましてや嫁入り前の少女にとってこの傷は間違いなく忌むべきものなのだろう。

俺「それでも、この傷は誰かを守るために必死になって出来た傷なんだろ。戦えない他の人たちや仲間を守るために、戦って出来た傷なんだろ。
だったら、笑う奴なんかいないよ。もし、そんな奴がいたら……俺がぶっ飛ばしてやる」

傷を負ってなお再び空を飛ぶことを選んだラルの背中に手を当てながら俺は思う。
不安もあっただろう。恐れもあっただろう。

それら全てを乗り越えた彼女に自分は何をしてやれるのか。
同情や憐れみではなく。ただラルの力になりたいという純粋な感情が俺に芽吹いていた。

俺「それに俺は……綺麗だと思うぞ、ラルの身体。この傷もひっくるめて……何もかも……ぜんぶな」

それまで俺の言葉に黙って耳を傾けていたラルの胸の奥が不意に熱くなった。
目頭にまで込み上げてきたそれを拭いながら、今俺に背を向けていることに感謝した。
涙を流しながら笑う、こんな顔を見られずに済むのだから。

俺「おい、どうした!? どこか苦しいのか!?」

ラル「いいんだ! 俺……本当に大丈夫だから……」

嗚咽を堪え、肩を震わせていると後ろから焦燥感に駆られた俺の声が届く。
そんな心の底から自分の身を案じてくれる俺の優しさにラルは浮かべる笑みを一層濃くした。

俺「ほんとう、か……?」

ラル「あぁ。だから……頼む、俺。もう少しだけ……もう少しだけで良いんだ。傍にいてくれ」

片方の手で胸を隠すように抑え、もう片方の手を後ろにいる俺の腕に伸ばしたラルは嗚咽が治まるまで掴み続けた。





俺「ようやく眠ったか……はぁ」

布団に包まれた身体が上下するのを確認し、胸を撫で下ろす。
あれから背中を拭き終え、薬を飲んだ彼女は糸の切れた人形のようにベッドに倒れる勢いで横になった。
薬のおかげか、彼女の面差しは大分柔らかくなり、健やかな寝息を立てている。

ラル「んぅ……ぅん……」

時折、やけに艶かしさが込められた寝言が自身の理性を激しく揺さぶっていること以外は何も心配する必要はないようだ。

俺「早く……良くなってくれよ」

椅子を引っ張り出して腰掛ける。
瞼の上にかかる前髪をそっと払いのけた俺の呟きが眠る彼女の耳に届くことはなかった。

ラル「……ぅあ」

不意にラルの口から呻き声が洩れた。
端正な顔立ちは次第に苦しげなものへと歪み、呼吸も段々と荒いものへと変わっていく。
まさか薬が効いていないのではと椅子から立ち上がり、身を翻す俺の耳に彼女の悲痛な声が届いた。

ラル「やめろ……来るな……」

俺「ラル……?」

ラル「前が……見えな……あぁ……ぁぁっ」

おそらくは重症を負わされたカールスラント撤退戦のときの光景が悪夢となって蘇っているのだろう。
シーツを握り締め、夢の中で忌わしき記憶と対峙するラルの姿を捉えた俺はベッドへと近づけた椅子に座って、彼女の手をそっと両手で包みこんだ。
こんなことでラルの悪夢を打ち払えるかどうかは疑問だが、それでも何もせずに彼女が苦しむ姿を見ることだけはどうしても耐えられなかった。

俺「……大丈夫だ。だから……今は安心して眠ってくれ」

ラル「……ぁ」

手を包み込む温もりに安心感を覚えたのか。強張ったラルの表情が和らいでいく。

俺「よかった……」

人類第三位の撃墜数を誇るグレーとエースとはいえこの娘もまた他のウィッチと何ら変わらぬ少女なのだ。
日ごろは司令官として隊員たちに不安を与えぬよう常に笑顔を浮かべて周囲を安心させる器量を見せているがその実、彼女自身が一番ストレスを溜め込んでいるのではないか。

俺「……」

攻勢部隊がゆえに上層部からの命令。
先行きの見えないネウロイとの戦争。
愛する祖国を奪われたことに対する憤り。
それら全てを彼女はこの華奢な身体に背負い込んでいるのだ。

俺「ッ!」

不意に視界が揺らいだ。
思い返せばラルが病床に伏せたと聞いてから、ろくに休息もとっていなかった。
これじゃミイラ取りがミイラになるのと同じだなと苦笑いを零す俺であったが睡魔は確実に彼の全身を蝕んでいた。

俺「ははは……なぁに、やってんだかぁ……」

支えを無くした俺の身体は微塵の抵抗をすることもなく、ベッドの上で横になるラルの柔らかな肢体へと倒れ込んだ。





腹部辺りに何かが圧し掛かっている感覚に気が付き、意識を取り戻す。
瞼を開けると眠りに就く前よりも良好な視界が広がった。
全身に絡みつく倦怠感も消え去り、簡単に身体を動かすことも出来る。

ラル「俺?」

身体を起こすと目の前には、ベッド近くに置かれた椅子に座ったまま身を屈めて自分の腹部に顔を埋める俺の寝顔がカーテンの隙間から差し込む茜色の光に照らされていた。
腹部に圧し掛かる感触は俺だったようだ。

ラル「ずっと……傍にいてくれたのか……?」

テーブルの上に残る茶碗やタオルが漂っている水の入った桶に熟睡する俺の寝顔からラルは彼が、あれから片時も離れずに自分のことを介抱してくれていたことを悟った。胸の奥に生まれる熱を再び感じながら、無防備な寝顔を晒す俺の頭を撫でようと手を動かしたとき、自分の手が俺の両手に包まれていることに気が付く。

ラル「……本当にお節介焼きなやつだな、おまえは」

眠っている間、カールスラント撤退戦時の記憶が悪夢となって蘇っていた。
だが、それは突然に他の隊員たちと談笑しながら午後のティータイムを楽しむ柔らかな夢へと変わったのだ。
そのことが、俺が自分の手を握ってくれていたことと関係しているかどうかは定かでない。
だとしても、ラルには俺が忌わしい悪夢を打ち払ってくれたかのように思えてならなかった。

ラル「でも……ありがとう。俺」

間の抜けた寝顔を晒す俺の頭を撫でる彼女の笑みはどこか満ち足りたものを秘めていた。
最終更新:2013年02月04日 14:32