暑い。
蒸し暑い。
日が沈めば、少しは暑さも和らぐかと思ったがまったくの見当違いに終わってしまった。
全身をじわじわと蝕む暑苦しさに耐えながら鳥居に背を預ける少年は、やたらうるさく聞こえる祭囃子やら子供のはしゃぎ声に耳を傾けていた。
黒い生地の上に楓の葉が散りばめられた浴衣を着こなす俺は時折寄って来る蚊を手で払いのけては、自分のことを待たせる少女たちに対する不満を口にする。

俺「遅い」

本来ならば氷水を入れた桶に足を突っ込み、風鈴の音色を楽しみながらスイカでもほお張っていたであろうに。
どうして蒸し風呂のような場所で立ち続けなければならないのだ。

俺「腹減ったなぁ」

せめてもの慰めといえば、焼きとうもろこしの醤油の香りやたこ焼きのソースの匂いが食欲を刺激していることだろう。
それでも、肝心の彼女たちが来なければいつまでたってもお預けのままなのだ。

智子「おまたせ! 待った?」

俺「待ったぞ……って、えぇ!?」

腹の虫まで鳴り始め、我慢が限界に達したのと同時に聞き慣れた声が足音とともにやってきた。一体どれだけ時間をかければ気が済むんだ。
胸中で不平不満を零す俺が声の主に目線をむけた瞬間、数歩後ずさった。

智子「ど、どう?」

普段は腰まで伸ばした長い黒髪を後頭部の辺りで結い上げた智子は、身に着けている浴衣と同じ淡い桜色で頬を染めあげた。
意中の男に見せる浴衣姿。
彼の目に自分はどう映っているのだろうか。
羞恥に期待。白い頬に差し込む桜色にはそういった感情が詰め込まれていた。

俺「あ、あぁ。すごく……似合ってる……」

一方で袖を持ち上げて舞うように回ってみせる智子に俺は掠れた声しかだせなかった。
日ごろから異性への意識が薄い少年にも彼女の姿が綺麗だということだけははっきりと分かる。
ただいつもと装いが違うだけだというのに、俺には彼女が日ごろよりも数段ほど大人びているように映っていた。

智子「ほ、本当? 嘘じゃない……!?」

大きな黒めに若干の不安を漂わせる智子が詰め寄った。自分を見上げる彼女の整った美貌に心臓が一際大きな脈を打つ。

俺「う、嘘言ったってしょうがないだろう!? その、あれだ。よく似合ってるぞ……智子」

智子「ぁ……ありがとう!」

花が咲いたような笑顔に俺がたじろぐ。
昔はやんちゃだったのに、今はこんなにも綺麗になってしまった。

俺「(大人になればますます綺麗になるし、そうしたら嫁に行くんだよなぁ。なんだか寂しいなぁ)」

幼い頃から面倒見てきただけあってか、彼女の花嫁姿を想像しただけで熱いものが目の奥からこみ上げてくる。
だが、彼女も女性だ。
いつかは愛する男と添い遂げ自分の下から巣立っていくのだ。
そのときに果たして自分は笑って見送ってやれるだろうか。

などと父親ぶった考えに更けていると自分の身体に智子の発育途中の胸が当たっていることに気が付き、別の意味で頬が火照ってきた。
どうして、この子は時たま男のリビドーを刺激してくるのだろうか。
この前だって寝ようと思ったら既に布団の中で寝息を立てていたが、半纏の襟元から見せ付けられた鎖骨と首筋の扇情さは今でも忘れようがない。
あの夜は部屋の隅で縮こまりながら悶々とする愚息を押さえ込みながら眠りに就いたのだ。

俺「お、おう。それでな……そろそろ、離れてくれないか?」

智子「あ……ご、ごめんなさい!」

慌てて離れ、両頬に手を添える。手の平に伝わってくる頬の熱。

智子「(ちょっと大胆すぎたかしら……)」

だとしても、これぐらいやらなければ鈍感な俺は気付かないのだと言い聞かせる。
少しくらい大胆すぎるほうがこの男には効くはずだ。

智子「……」

ちらっと視線を俺にやる。
同じように眼球だけこちらへ動かしていた俺のそれと宙でかち合った。

俺「なんだよ?」

智子「べっ別に! 何でもないわよ!?」

俺「顔が赤いぞ?」

智子「そっちこそ!!」

現に俺の頬が赤くなっているのが何よりの証拠である。この日のために悩み、厳選してきた甲斐があったというものだ。

圭子「あら? 感想は智子だけ?」

淡い山吹色の浴衣を身に着けた圭子が顔を赤くする二人をからかった。
三羽烏の中では年長者なだけあってか、少女たちの間では一番大人びて見える。
楽しげに微笑む何気ない動作がやけに色っぽく見えてしまうのは夏の暑さで自分の頭がまいっているだけだと信じたい。

武子「待たせてしまって、ごめんなさい。少し着るのに戸惑ってしまって……でも、お邪魔だった?」

隣には涼しげな紺色の浴衣の武子が頬を赤らめる俺と智子の様子を見守っていた武子が口を開く。
白い容貌を紅潮させる親友の可愛らしい姿に自然と彼女の頬が緩んでいく。

黒江「まったく……穴拭とばかりベタベタと……少しは私のことも見てくれて良いじゃないか……」

圭子「あらあら」

一方で薄い緑色の浴衣を纏う黒江はというと、何だか面白くないといった表情を貼り付けていた。
どこか拗ねたように唇を尖らせている友人の姿を視界に捉え、どうしたものかと首を傾げる圭子。

俺「おぉぉ。みんな綺麗だなぁ」

圭子「お世辞を言っても何も出ないわよ?」

俺「もう貰ってる。ありがたや、ありがたや」

武子「まったく。調子が良いんだから。でも……ありがとう」

合掌し擦り合わせる俺の様子がツボに入ったのか口元に手を当てる武子とは正反対に黒江はまじまじと俺を見つめる。
少女の視線に気付き、顔を向けるとそっぽを向かれた。

圭子「(ほら。何か言ってあげなさい)」

何か気に障るようなことでも言ったのだろうか、と首を傾げていると小声とともに脇腹を小突かれた。

俺「よく似合ってるぞ。黒江」

黒江「ッ!? ふ、ふん。どうせ馬子にも衣装とでも言いたいんだろう!」

俺「おいおい。俺はお前のこと、ちゃんと女の子だって思ってるし……その浴衣姿だって。綺麗だと思ってるぞ」

黒江「本当……か? 嘘じゃ……ないよな?」

さきほどの智子のように俺へと詰め寄ってくる。
吸い込まれてしまいそうな黒い瞳を前に上手く思考が働かない。
そんな俺を正気へと引き戻したのは押し付けられる双丘の柔らかい感触であり、これこそがさきほどの智子との明らかな違いでもあった。

俺「えっ……あぁ……うん」

傍から見れば仲睦まじい男女と見えなくも無い。
故に柳眉を吊り上がらせた智子が二人の間に身体をねじ込もうとするも、

智子「もう! 黙っていれば! 俺から離れなさい!」

黒江「ふん!」

そうはさせまいと黒江に邪魔されてしまう。
一層強く押し付けられる柔球に俺の視界がスパークする。

智子「どうして更にくっつくのよ! はーなーれーてー!」

黒江「断る!」

俺「あぁもう! 落ち着け! とりあえず黒江は離れること!」

黒江「だ……だが!」

俺「公衆の面前で陸軍の恥を晒すな。智子もいちいちカリカリするな!」

智子「で……でも!」

俺「い・い・な?」

有無を言わさぬ迫力を前に黙って頷くことしか出来なかった智子と黒江の様子を見ながら、

武子「お兄さん?」

圭子「お父さんじゃない?」






祭りも中盤に差し掛かり、各自が出店で好きなものを買って咀嚼するなか、黙々とイカ焼きを頬張る俺のもとに戦利品を抱えてやってきた智子が隣を陣取る。
ふと彼の手に握られているイカ焼きを目にし、随分前の祭りのときもイカ焼きを食べていたっけと思い出す。

智子「俺はまたイカ焼き? 本当に好きなのね」

俺「おぅ。やはりイカ焼きはゲソに限るな」

智子「何だか中年臭いわよ」

俺「うぐぅ! そ、そういう智子……チョコバナナにりんご飴、それにわたあめ。そんなに食ったら腹壊すぞ?」

智子「ふふん。平気よ! この時のためにお昼は控えてきたもの!」

自慢げに胸を張る。こんなやり取りを遠い昔にやった気がする。

俺「……太るぞ」

冷めた声で呟いた途端に智子ばかりか、残りの二人までいっせいに腹部へと手を伸ばした。
そういえば敏姉が年頃の乙女に「太る」という言葉は禁止って言っていたなと思い出しながら手にしたラムネを口元に運ぶ。

武子「これくらい……いいじゃない!」

圭子「今日は無礼講なの!」

俺「……わかった。俺が悪かったから」

圭子「だったら今日は俺のおごりね?」

俺「今月は切羽詰ってるんだけどなぁ」

圭子「女の子の心を傷つけた罰よ。いいわね?」

俺「しょうがないなぁ……ってあれ? 黒江は?」

武子「本当ね。いつもなら智子と一緒にあなたを挟んでるはずなのに」

俺「ちょっと探してくる。変なのに絡まれてるかもしれないし」

智子「平気なの?」

俺「もちろん。あと、これ頼むな」

智子「えぇ!?」

食べかけのイカ焼きを手渡し俺が雑踏の中へと消えていく。そんなものを渡された智子は二人が傍にいるというのに、

智子「(こ、これ! 食べかけよね!? 一口でも食べたら……かかかかか間接キスになるんじゃ!)」

手にしたイカ焼きを凝視して一人頬を赤らめていた。




迂闊だった。
大判焼きを買った帰りにゴロツキどもに囲まれ人気の少ない場所へと連れ込まれた黒江は自身の油断に叱咤した。

黒江「離せ!」

腕を掴む油ぎった手を振り払おうとするもびくともしない。
あの男ならともかく、こんな汚らわしい奴らに触れられるなど不快以外のなにものでもない。

ゴロツキA「まぁまぁ。悪いようにはしないからさっ!?」

ゴロツキの一人が悲鳴を上げ、倒れこんだ。何事かと思い全員が倒れ伏した男を見ると彼の頭の近くに輝く球状の物体が転がっていた。

ゴロツキB「なんだこりゃ? ビー玉か?」

林道に差し込む出店の明かりを浴び煌びやかな光を放つそれはビー玉と呼ばれる玩具の一種である。
一センチほどの大きさのそれが何故こんなところに転がっているのかと思った矢先に、

ゴロツキB「ぎゃっ!」

俺「ビー玉を使う男。ビーダマン・俺と呼びたまえ」

光を背負った俺が右の手の平の中に蓄えていたそれらをゴロツキの一人に向かって親指の力のみで弾き飛ばした。
猛スピードで飛翔するガラス弾の直撃を受け、白目を剥いて倒れる仲間の姿に黒江を掴んでいた手が自然と離れる。
俗に指弾と呼ばれるそれは指の力のみで弾を飛ばし、暗器に分類される技術だ。
銃とは違い音を立てずに対象を攻撃できるが指の力に大きく左右されるため、熟練にはものにするのは至難の業といっていい。

黒江「このっ!!」

男が怯んだ隙を見逃さず、鳩尾に肘を叩き込む。
追い討ちに金的を蹴り上げようとしてやめた。いくら憎くても触りたくはない。
張り詰めていた緊張が切れ、ついその場に座り込んでしまった。

俺「黒江、怪我はないか?」

倒れ伏すゴロツキどもから目線を逸らし、座り込む黒江に手を伸ばす。

黒江「……ない」

俺「本当に大丈夫か? ラムネ飲むか?」

差し出されるラムネの瓶を掴むと冷えた感触が手の平に広がった。
喉どころか口の中まで乾き切っている黒江にとって拒む余裕は無い。少しでも気分を紛らわせるために、ビンに残ったラムネを一気に飲み干す。

ん? 残ったラムネ?

黒江「お前……これ……もももも、もしかして」

俺「ん? あぁ……悪い。それ俺の飲みかけだった。ごめんよ」

その言葉に黒江の頬が一気に朱色一色となった。
いや、手渡されたときに気が付くべきだったのだ。

黒江「(かっ! かかかか間接キスか!?)」

俺「黒江?」

黒江「……ふにゃぁ」

俺「黒江! しっかりしろ! 黒江! 黒江! クロエ!!」

可愛らしい悲鳴をあげ、後ろへと倒れこんでしまった黒江を仕方なく背負いその場をあとにした。自分が原因であることなど露とも知らずに。



黒江「……んっ! ここは?」

布団の上で寝ているような安心感に目を覚ます。歩いていないのに動く景色。

俺「おぉ。目を覚ましたか」

黒江「おおおおお、俺ぇ!?」

俺に背負われている状況に声が裏返った。
反射的に飛び降りようと身体を動かす。

俺「暴れるな! 落ちる! それとも、もう立てるのか?」

黒江「えっ……あぁ」

俺「じゃあ降りてくれ。疲れてきた」

黒江「あっ! いや! まだだめだ! まだ目の前がクラクラするんだ!」

こんな美味しい状況は滅多にない。
それこそ、もう二度と廻ってくることなどないと思ってしまうほどに。飛び降りようとする身体を強引に俺の背中へと押し付けて固定する。

俺「えぇぇぇぇぇぇ」

黒江「男だろ! 一度背負ったのなら最後まで責任を持て!」

俺「しょうがないなぁ。まったく黒江は……」

黒江「……ぶな」

消え入りそうな声でぽつりと洩らす。

俺「え?」

黒江「黒江って……呼ぶな」

俺「それはまた……どうしてだ?」

黒江「私だけ! 下の名前で呼ばれてない……私だけ、仲間はずれだ」

俺「別にそんなつもりはないぞ。智子は昔からの付き合いだし、武子と圭子は苗字の読みが同じカトウなんだから分けないとややこしくなるだろう?」

黒江「ヒガシとフジでいいじゃないか!」

俺「そんなこと言われたって本人たちが名前で呼んで良いって言ってたんだし……」

なぜ怒鳴られるのだろうか。とりあえず耳元で怒鳴るのは勘弁していただきたい。

黒江「だ、だったら!! 私のことも……あ……あや、綾香……でいいぞ」

何とか言葉を搾り出す。

俺「……いいのか?」

黒江「わ! わた、私が良いと言っているんだ!」

俺「……そういうことなら。これからもよろしく頼むよ。綾香」

黒江「~~~~~~~~ッ!!!」

ただ名前を呼ばれただけだというのに、今にも火が吹きそうな勢いで黒江の頬が赤く染まっていく。自分の顔が俺に見られないことが唯一の救いだ。
動揺を悟られないために俺の背中へと顔を埋めるも、頬から伝わってくる俺の心臓の鼓動が鼓膜まで届き、それが一層彼女の頬に差し込む赤みを濃いものへと変えていった。



俺「ただいまぁ」

智子「おかえりーって……えぇぇぇぇ!?」

俺の姿を見つけ駆け寄った智子が彼の背中にしがみついている黒江を見るや否や一目散に駆け寄った。

俺「ちゃんと説明するから待ってくれ。綾香、ついたぞ。今度こそ降りてくれ」

黒江「あぁ……助かったぞ」

智子「ちょっと! どういうこと!? どうして黒江が俺に……おんぶされてたのよ!? しかも名前で呼んでる!」

背中から黒江が降りたことを確認し大きく背を伸ばす。
コキコキとした小気味いい音が背中から鳴った。唇を尖らせる智子と口元に薄い笑みを浮かべる武子と圭子にことの成り行きを伝える。

智子「うぅぅぅぅぅ!!」

俺「そんな顔するなよ。仕方ないだろう?」

智子「うぅぅぅぅぅぅぅ!!!」

睨みつけてくる智子の瞳には自分のことも背負えと書いてあった。

俺「勘弁してくれよ。今さっき綾香のこと背負ってきたんだぞ?」

智子「ぎりぎりぎり!!」

俺「はぁ……わかったよ」

明日の朝は背中と腰が痛みそうだ。







俺「あれ? 俺のイカ焼き……なんだか小さくなってない? 気のせいか?」

智子「気のせいよ」

俺「そうかなぁ。ちょっと小さくなってる気がするんだけどなぁ……気のせいかなぁ」
最終更新:2013年02月04日 14:41