ある晴れた日のことである。
久しぶりの休暇を手にした俺は味噌汁を啜りながら、今日一日与えられた自由をいかに過ごすか考えていた。
朝食を食べ終えたら夕方まで二度寝をするのもいい。
近くの街まで繰り出してリベリオンから輸入された“アイアンウィッチ”の単行本を捜し歩くのもいい。
そんな風にあれやこれやと考えて、口元を綻ばせていた時だ。
敏子「あんた。ちょっと講道館いってきなさい」
俺「……は?」
自身が所属する飛行隊の隊長である敏子の唐突な一言に俺は口元に運んでいた出汁巻き卵を落としてしまった。
講道館?
もしや、“HAHAHAHA!“とか笑いながら刀を振り回す軍神の牙城であるあの講道館のことを言っているのだろうか。
俺「あっはっは。嫌だなぁ敏ねぇ。冗談が過ぎるぞ」
敏子「あたしのこの目が冗談を言っているように見えるかしら?」
茶碗を持ちながら笑う俺の頭を片手で掴む敏子が顔を近づけた。
見目麗しい外見とは裏腹に彼女の握力は想像を絶するほどの力を秘めており、頭を掴まれた俺はミシミシという音を耳にした。
凄絶な光を弾く彼女の黒い瞳を前に俺の全身に寒気が走る。
俺「言ってない……です。はい」
敏子「だったら話は早いわね。ご飯食べたらすぐに行って来なさい」
俺「ってどうしてだよ!?」
その言葉を吐き捨てた瞬間、場の空気が急激に凍りついた。
周囲で食卓を囲む智子、武子、黒江、圭子もとばっちりを避けるために自分の分のトレーを手にして二席分距離を空ける。
――助けてあげられなくて、ごめんね――
澄んだ彼女らの瞳がそう言っているような気がした。
敏子「どうして? どうして、ですって? あんた、これを見て御覧なさい!」
俺「うげっ!」
バンと音を立ててテーブルに叩きつけられた一枚の紙切れを目にした俺が潰れた蛙のような声をあげた。
それは部隊内での
模擬戦の成績表であった。それも刀剣を使用した近接戦闘のである。
敏子「これを見て何も思わないの!?」
俺「思い……ます」
記された自分の成績を見て、声を絞り出す。
そこに記されていたのは見事なまでのオールブラック。
つまるところ全ての模擬戦において黒星を飾っていたのである。
敏子「いくらあんたの固有魔法が強大なもので、射撃技術も優秀とはいえ。せめて一勝できる力を身に着けなさい」
俺「だけどっ!」
敏子「文句ある?」
俺「まったくございません」
眼光だけで人を殺せるんじゃないかと思えてしまうほどに鋭い眼差しを浴び、言い逃れることが不可能だと悟った俺は力無くうな垂れた。
敏子「よろしいっ。向こうにはもう連絡してあるから、食べ終わったら荷物まとめていってきなさい」
俺「はい……」
圭子「俺。本当に大丈夫なの?」
食堂から敏子の姿が消えたあとトレーを持って、すぐ隣に座った圭子が心配そうな眼差しで見つめてきた。
俺「面倒だけど、敏姉をごまかすことなんか出来るわけない。大人しく講道館にいくよ」
智子「刀の振り方だったら私が教えてあげるわよ?」
武子「あなたが教えたら突撃ばかりするようになるでしょ?」
ふふんと胸を張る智子に武子が釘を刺す。
たしかに智子のように突撃ばかりしていては、被弾率は上昇するだろう。
それに、自分はどちらかといえば前衛よりも後衛の方が向いている気がするのだ。
もっとも、近い将来に欧州戦線へと送られる身としては苦手分野を克服しなければならない。
黒江「大丈夫か? この世の終わりのような顔をしているぞ?」
俺「だいじょうぶ……だと思う」
背中をさすってくる黒江に力なく返す。
好物であるはずの出汁巻き卵がやけに苦く感じた。
俺「えっと……ここか」
手にした地図と目の前の建物を交互に見比べる。
門の横に備え付けられた古びた板には丁寧な字で講道館道場と銘打たれているところを見ると、ここで合っているのだろう。
想像していたよりも遥かに立派な造りの道場に俺の緊張が高まっていく。
北郷「おや?」
俺「うぉ!?」
唾を飲み込み、声を出そうとした瞬間、背後から言葉をかけられ自分でも情けないと思ってしまう声を出してしまった。
北郷「ごめんね。驚かせちゃった?」
俺「い……いえ……あ……」
振り向き、声を洩らす。
風に弄ばれる優雅な黒髪は後頭部で一つに結い上げる女性の端正な容貌に思わず見惚れてしまった。
そんな、息を飲み込んでしまうほどの美人の前で情けない声を上げしまったことに遅れて気が付き、俺は自分の頬が熱くなっていくのを感じた。
北郷「どうしたの?」
俺「ぃぃっ!?」
女性が顔を覗き込んできた。
黒真珠を思わせる双眸に宿る柔らかな笑顔を直視できず、視線を逸らす。
すると、すぐ目の前にボディスーツに包まれた彼女のたわわに実る果実が視界に飛び込み反射的に後ろへと飛び退いた。
俺「(なんて格好してるんだよこの人!)」
海軍所属のウィッチとは何度か顔を合わせたことはあったが、彼女のように軍服の前を開けている者を俺は
初めて見た。
紺色のボディスーツがぴったりと身体に張り付いている所為か、肉付きの良い彼女のボディラインが嫌でも目に入ってくるのだ。
意識するなといわれても意識してしまうのは思春期である少年なら誰もが持つ悲しい習性であった。
そういえば、黒江のあの戦闘服も布地の面積が少なく脇乳のことを指摘したら顔を真っ赤にして殴りかかってきたなと思い出す。
北郷「どうかした?」
いかん。
自分の視線が自然と彼女の悩ましい肢体に釘付けになっていることに気が付き、慌てて取り繕う。
俺「あぁっ! いえっ! すごく綺麗な人だなと思って!!」
北郷「えっ?」
女性の目が丸くなった。
俺「いえっ! 今のは冗談というか! あぁでも! 綺麗なのは本当でしてって。あぁもう! なに言ってるんだ俺は!」
北郷「はははっ。落ち着いて。大丈夫?」
俺「はい……なんというか。すみませんでした……」
自身の狼狽ぶりがツボにでも入ったのか。
女性は柔らかな笑みを濃くし、頭に手を乗せてきた。
そのまま撫でられ羞恥心と安堵感を同時に味わう俺はこんな綺麗な人の前で何を焦っているんだと自身を叱咤する。
北郷「君のことは江藤から聞いているよ。俺君だよね?」
俺「はっ! 陸軍飛行第一戦隊所属の俺大尉であります!!」
北郷「私は北郷章香。ここ講道館の師範代を務めている。今日一日よろしく頼むよ」
俺「はい!!」
背筋をピンと伸ばし、敬礼する俺の姿を見て北郷は思った。
可愛いな、と。
道場の更衣室へと案内され、持参してきた道着に着替えた俺は稽古場へと入り息を呑み込んだ。
目の前には北郷しかいないというのに、俺は心臓を掴まれたような圧迫感を感じた。
北郷「どうかな? 我が講道館道場は」
手入れが施された板張りの床を踏み鳴らしながら、歩いていると北郷が口を開く。
俺「はい……俺はあまり、こういうのは詳しくないんですけど。何というか……すごいなと」
月並みな台詞だが今の自分の心境を正直に言葉にしたつもりだった。
北郷「まずは君がどれほどの腕なのか確かめる必要があるから、好きなところに打っておいで」
二本の木刀を構える北郷が笑みを浮かべた。
道場に所属する少女たちと違い少年ウィッチに稽古をつけること自体が初めてであるため、自然と心が弾んでいくのを自分でも自覚していた。
俺「はいっ! よろしくお願いしますっ!!」
北郷「元気があっていいね。それじゃ、かかっておいで!」
俺「……往きます!!」
木刀を左腰に当てた俺が地を蹴り、北郷へと肉薄した。
強靭な脚力が生み出す俊敏さを前に北郷は右の一刀を上段に振り上げ、降ろす。
二本の木刀が宙で絡み合い、両者の腕に衝撃が伝わった。
俺「っぐ!」
北郷「ッ!?」
俺は北郷が放つ一撃の強さに顔を歪め。
北郷は自身の一撃を受け止めた俺の頑強さに驚愕を露にした。
友人からはまともに刀を振ることも出来ないと聞いていたが、まったく話が違う。
予想を遥かに上回る脚力も、斬撃を受け止める胆力も桁外れといってもいい。
右の木刀で押し込む北郷が左の木刀を横殴りに振った。
すぐさま俺が右の一刀を弾き上げ、迫る左の一刀の進路を塞ぐ。
北郷「(話が違うよ。江藤ッ!)」
脚力や胆力どころではない。
見切るどころか事前に調べる機会すらなかったというのに、目の前の少年は軍神と称された自身の二刀流を初見で見事捌いてみせたのだ。
両者が大きく後方へと跳びさがり、間合いを空ける。
北郷「上手く扱えないって聞いたよ?」
俺「そう思われている……みたいですね」
木刀を右肩に担いだ俺が呼吸を整えながら、答えた。
北郷「つまり、今までの訓練では手を抜いたのか?」
江藤から前もって渡された模擬戦の成績表には接近戦における彼の成績表は殆どが黒星とある。
その代わりに射撃技術だけが部隊の中でも一、二を争う好成績を収めており、北郷も初めの内は彼のことを単純に近接戦闘が苦手な航空魔女だと認識していた。
ところが、こうして向かい合ってみれば友人からの情報がただの紙切れとなっているのだ。
疑うな、というほうこそ無理がある。
俺「手を抜いてきた覚えはないんですけどねッ!!」
北郷「だったら……無理やりにでも引き出させてもらうッ!!!」
再び双方が道場の床を蹴り、眼前の相手へと駆ける。
静まり返った道場の中で三本の木刀がぶつかり合う音が響き渡った。
怒涛の勢いで左右から迫る高速の連撃。
長い木刀を手足の延長のように軽々と扱う北郷の猛攻を潜り抜け、俺が渾身の一振りを放つ。
北郷「(これは、手を抜くわけにはいかないか……!!!)」
鍔迫り合いに持ち込んだ北郷が胸裏で零す。
江藤からは存分に鍛えてやってくれと頼まれているが、眼前の少年は友人の言葉を打ち消すほどの実力を秘めている。
決して勝てない相手ではない。
だが手を抜いた瞬間に場の流れを一気に掻っ攫う油断出来ない相手でもあった。
北郷「(ならば!!)」
教えを授ける相手ではなく一人の剣士として認めた上で相手をするまで。
後頭部でくくった優美な黒髪を揺らし、俺を弾き飛ばした北郷の口元が不意に綻んだ。
久しく忘れていた高揚感。沸き起こる歓喜に全身を駆け巡る血潮が震えていく。
楽しい。
そう、楽しいのだ。
自身の二刀を初見で見抜いた少年との打ち合いを心の奥底から楽しんでいることに気が付いた北郷の口端が吊り上った。
北郷「……っ!!」
無尽蔵に溢れ出る喜悦を刀身に注ぎ込んだ北郷が先ほどのとは比にならない勢いで斬撃を叩き込む。
俺「チッ!」
激化した攻撃を前に、舌打ちをする。
このまま主導権を握られていては王手を打たれるのも時間の問題だ。
俺が左右からの挟撃に対して後方へと跳んで躱し、いったん彼女の間合から逃れるも逃がしはしないとばかりに北郷も距離を詰めて追撃を仕掛けた。
大上段から振り下ろされる二刀同時の攻撃を一刀で受け止めたかと思えば腰を捻り、ステップを踏んで圧し掛かる力を受け流す。
上下左右から繰り出される変幻自在の猛攻を凌ぎ続ける俺の額に浮かんだ生暖かい雫が頬へと伝った。
技量を含めた全ての要素において北郷が上回っているのは明らかだ。
尚且つこちらが彼女のように手数で攻めることが不可能な以上、目指すは一撃必殺。
隙を突き、一太刀に全魄力を傾注する。
そのためには、たった一瞬のみ現れるであろう機を逃すわけにはいかない。
二刀の連携攻撃を紙一重の領域でいなす俺が意を決し、柄を握る力を強めた。
俺「破ッ!」
俺の右肩から強烈な一撃が振り下ろされる。
縦一閃の軌跡をバックステップで回避してみせた北郷の目が次の刹那、大きく見開かれた。
まだ下方に向かう途中の木刀を無理やり引き戻し、踏み込みとともに俺が突きを放ったのだ。
北郷「ちぃっ!!」
己の不利を悟り、一撃必殺の攻撃を叩き込む算段なのだろう。
尋常ならざる剣速を前に北郷は剣尖を打ち払うべく右腕に力を込め、迎撃の態勢を取った。
北郷「なっ!?」
次の刹那。
捉えるはずの木刀の姿が消えた。
形の良い唇から掠れた言葉が迸る。
俺「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
裂帛の気合とともに、手首を捻り刃の部分を上に向けた俺が、無防備となっている北郷の左の一刀に木刀を逆袈裟の容量で振り上げた。
突きはあくまでフェイントにすぎない。
力も速さも劣っている俺が取れる唯一の道は一刀に力を集中させ、無防備となったもう一刀を叩くことで彼女の磐石たる包囲網を崩すことにあった。
乾いた音を立てて、北郷の手から離れた木刀が宙を舞う。
俺「もらったぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
手首を返し、袈裟懸けの一撃を振り下ろした俺の顔が苦痛に歪んだ。
両手で握り締める一刀に強烈な衝撃が叩き込まれ、少年の身体が大きく吹き飛ばされ壁へと叩きつけられる。
俺「かはっ!」
床の上へと前のめりに倒れるのを、木刀の切っ先を床に突き立てて耐えた俺が顔を上げる。
揺らぐ視界の遥か前方で大きく肩を上下させる北郷がこちらに視線を注いでいた。
北郷「はぁ……はぁ……」
端正な顔立ちに大粒の汗を浮かべた彼女の頭からは使い魔の耳が発現していた。
つまり、先ほどの一撃には魔法力が込められていたということになる。
だとすれば、あの急激な巻き返しにも納得がいく。
北郷「まさか……魔法力を使うことに、なるなんてね……」
俺「あってててて……」
背中に生じる痛みに堪える俺が構える前に既に北郷が一刀流の構えを取っていた。
北郷「私はまだいけるけど。君はここらで限界みたいだ……悪いけど一気に往かせてもらうよ?」
俺「……わかりました」
未だ北郷が使い間の耳と尻尾を発現させているところを見ると、どうやら魔法力込みの全力で自分を叩き伏せるつもりらしい。
ならば、こちらも全魔法力を以って迎え撃つまでである。
使い魔である鷹の翼を頭部に発現させた俺が木刀を右肩に担いだ。
北郷「いざ」
北郷が左足を引く。
一太刀で勝敗を決するために刀身には全魔法力を込めた。
俺「尋常に」
俺が両の踵を浮かせ、木刀ではなくそこに魔法力を集中させる。
一か八かの賭けであるが、勝機を掴むためにはこの手段しかない。
北郷&俺「勝負ッッ!!!」
双者が同時に動いた。
北郷「なっ!?」
にも関わらず、北郷は目を見開いた。
道場の壁付近に立ち、構えを取っていた俺が何故既に自分の間合いに入っているのか?
北郷「(まさか……縮地かっ!?)」
疾走による接近ではない。
明らかに何かに引っ張られるようにして肉薄してきた俺の驚異的な速度を前に北郷は、ほんの一瞬だけ刀身への魔力供給を怠ってしまった。
俺「破ッ!!」
気合が俺の喉を割る。
右に薙いだ木刀が彼女の一刀とかち合った。予想通り彼女の力は、やや緩んでいた。
軍神の二刀を初見で捌き切ったとはいえ、所詮俺は青二才である。
ましてや縮地といった芸当など使えるわけがない。
では何故、彼は一気に間合いを詰めてきたのか?
北郷「っぐ!!」
再び鍔迫り合いに持ち込まれた際、北郷は彼の背後へと目をやり、納得した。
彼が通ったであろう床に刻まれた焦げのような黒い二つの線。
北郷「固有魔法の衝撃波を……足の裏から出したのか。考えたね!!」
腕を前に押し出しながら素直に賞賛した。
俺が行ったのは衝撃波を両足の裏から放出することで可能となる滑走のようなものであり、縮地ではない。
彼の固有魔法を知らぬ者から見れば縮地であると誤認してもおかしくはない。
しかし、例え本物の縮地を会得していたとしても相手が軍神こと北郷章香である以上俺が彼女に勝てる確率は限りなくゼロに近かった。
魔法力の量では上がりに近づく北郷と比べればこちらのほうが多いものの、戦闘における力量や経験といった差では圧倒的に彼女の方が上なのだ。
俺「もうバレましたか……流石は軍神!!」
あくまで衝撃波による急な間合い詰めは猫だましのようなものである。
僅かに怯んだ隙に勝負を決しようと考えていただけに、今彼女がこうして自らを押し出しているところを見ると目論見は水泡に帰したようだ。
俺「(だとしてもッ!!)」
どうせ勝敗が決しているのならば、最後の瞬間まで全力を出し切るまで。
全魔法力を注ぎ込み、俺が腕を振り上げると木刀が大きく弾き飛ばされた。
勝った! 勝ったのだ!!
胸中でほくそ笑んでいると、手の中にあるはずの木刀の感触が消えていることに気が付いた。
北郷「えっと……その」
気まずそうに笑う北郷の表情。彼女の手には未だに木刀が握られている。
弾き飛んだのは北郷の木刀ではなく自分の木刀だったのだ。
では、どこへ行ったのかと思い辺りを見回す。
右、無し。
左、無し。
まさかと思って上を見る。
俺「……ッ!!」
いた。
それまで握り締めていたはずの木刀が何故か回転し、こちらに落ちてきているではないか。
何故だ。途中までは完璧だったはず。
逆転劇なんてものは最初から期待してはいないが、力が続く限り攻める予定だったのだ。
いや、そんなことよりも避けなければ額に直撃するのではないだろうか。
だというのに身体は金縛りにあったかのように動かない。
昂ぶっていた熱が嘘のように冷めていく。
自分の立てた策がよりにもよって、こんな無様な形で崩れるとは。
回転しながら徐々に視界を覆う物体の動きがやけにスローに見える。
そして、
俺「ごぷっ!?」
落ちてくる木刀を呆然と見守っていると額に切っ先が直撃し、視界が暗転した。
北郷「汗で滑っちゃったんだろうね」
意識を失う直前、そんな言葉を聞いた気がした。
俺「んっ……ここ、は?」
瞼を開ける。
やけに身体が重い。まるで水を吸い込んだ服でも着込んでいるかのようだ。
それと額が冷たかった。
北郷「目が覚めた?」
徐々に視界がクリアになっていくに連れて、自分の顔を上から覗き込む北郷の端正な容貌を前に心臓が跳ね上がる。
俺「き!」
北郷「き?」
俺「北郷少佐!?」
北郷「そうだけど?」
俺「すみませんっ! 俺っ!」
北郷「こらこら、動かないの。頭を強く打ったんだ。安静にしていないと」
慌てて起き上がろうとするも、額の上に乗せられた濡れタオルごと押さえつけられ彼女の太ももに頭を乗せる体勢を強いられてしまう。
俺「すみません……」
北郷「いいよ。ところで、一つ聞いてもいいかな? 君はどうして戦闘で刀を使わないんだ?」
俺「それは……」
北郷「君ほどの腕なら正当な流派を学べば、それなりに自慢できるものになれると思うんだけど」
俺「俺は刀をネウロイに振るつもりはありません」
北郷「……どうして?」
俺「刀なんて人を斬るための道具じゃないですか。それにネウロイに近づけば近づくほど被弾率も上がります」
俺にとっての刀とは人を切り伏せるための武器であり、ネウロイ相手に振るうものではない。
なおかつ、接近すればするだけ被弾率も上がるため俺は刀を運用する気にはどうしてもなれなかった。
自分の固有魔法である衝撃波と火器を併用した攻撃さえ極めれば、充分に苦手分野を補えるはずだ。
北郷「たしかに、君の言うことも一理あるね。そう思っているからなのかな……君の太刀筋は他の子たちと違っていた。はっきり言おう。君のそれは……人殺しの腕だ」
フェイントであるにも関わらず彼が放った突きは間違いなく自分の鳩尾に狙いを定めていた。
もし得物が真剣であり、万が一突き刺さっていたら致命傷になっていただろう。
それだけではない。
全体的に荒い太刀筋からは相手を打ち負かす感情も読み取れた。
俺「……」
北郷「話題を変えよう。君はあんな実力を持っているのに模擬戦では黒星なのかな?」
これは純粋な疑問だった。
自分の二刀を初見で裁き、あまつさえ一刀を弾き飛ばしたほどの実力者がなぜ部隊内での模擬戦で連敗しているのだろうか。
俺「地面に足をつけた戦いなら何とかなるんですが……ストライカーを装着した巴戦になると、どうも……」
北郷「あぁ……」
照れたような俺の言葉に得心がいった。
地に足をつけた剣術とストライカーを身に着けた巴戦では刀の運用法も大きく変わってくる。
前者が二次元であるのに対し後者は上下左右といった三次元戦闘である。
北郷自身も今まで見てきたウィッチの中で彼のように巴戦での近接戦闘を苦手とする者を何人か知っているため別段驚くことでもなかった。
北郷「だったら、また暇なときにでもおいでよ。今度は巴戦を教えてあげるから」
俺「……ありがとうございます。えっと、俺もう帰ります。タオル……ありがとうございました」
北郷「もう良いの? 何だったらゆっくりしていってもいいんだよ?」
俺「いえっ! もう大丈夫ですからっ!!」
これ以上膝枕をされ続けると自分でもどうにかなってしまいそうだ。
俺「えっ……?」
北郷「危ないっ!」
慌てて立ち上がった瞬間、俺は膝から力が抜けてくるのを感じた。
視界が大きく揺らぐ。
そのまま板張りの床に崩れ落ちる寸前、自分の顔を温かく柔らかいものが包み込んだ。
北郷「大丈夫? 無理はいけないよ」
頭上から北郷の声が聞こえてくる。
恐る恐る顔を上げてみると、視線の先には安心したような笑みを浮かべた北郷の顔があった。
そのことから俺は今自分が彼女に抱きとめられていることに。
そして、自分がいま彼女の豊かな双丘に顔を埋めていることに気が付いた。
俺「ひっ!?」
北郷「あぁもう! 駄目だって!」
喉を鳴らし慌てて離れようとするも、そんな俺をまた倒れては大変と言わんばかりに北郷が強く抱きしめた。
当然、胸も押し付けられるわけで。
俺「(ぅわ! ぅわわわわわ!?)」
俺の理性は既に限界突破の一歩手前にあった。
だが、次第に動揺は安らぎへと変わっていった。母性とでも言うべきなのか。
彼女の抱擁に心が安らいでいる自分に気が付き、俺は身体を強張らせる力を抜きつつあった。
北郷「……落ち着いた?」
俺「はい……本当に、すみませんでした」
北郷「いいよ。私のほうこそ、ちゃんとした稽古をしてあげられなくて、ごめんね?」
そっと彼女から離れる。
既に体力は回復しており足腰には力が入るようになっていた。
嫁入り前の女の胸に顔を埋めてしまい、怒っているのではないかと思い彼女の顔を伺うとやはりそこには優しげな笑みがあった。
俺「いいえ。俺の方こそ……自分がどれだけ未熟なのか。よく分かりましたから」
北郷「そうやって自分の力量を知ることは大切なことだよ。これからも頑張ろうね」
俺「はい……ありがとうございました」
敏子「どうだった? うちの子は」
軍服に着替え道場から去っていく俺の後姿を見送っていると、すぐ真横から聞き覚えのある声が飛んできた。
振り向けば悪戯めいた笑みを作る旧友の姿があった。
北郷「あんな隠し玉を隠しているなんて。酷いじゃないか」
敏子「そう言われても巴戦が苦手なら公表もできないじゃない」
北郷「気付いていたのか?」
敏子「弟分よ? あいつが持ってるエロ本の隠し場所とかも全部把握しているわよ」
彼女の口ぶりから俺本人はバレていないと思っているようだ。
旧友の過保護っぷりに苦笑いを浮かべる。
北郷「俺君も可愛そうに……ねぇ江藤」
敏子「なによ?」
北郷「あの子。私にくれないか?」
敏子「なぁに言ってるのよ。あいつはわたしの弟よ? 勝手に取らないで」
案の定敏子が鋭い目つきを返してきた。
北郷「駄目?」
敏子「駄ぁ目」
北郷「それは残念。可愛いかったのに」
敏子「あんたねぇ……」
北郷「江藤。あの子のこと……ちゃんと見てあげないと駄目だよ」
敏子「言われるまでもないわよ」
北郷「あの子の腕は本物だ。ちゃんとした師がいれば……いや、師がいなくても化けるよ」
勢いはあったものの、滅茶苦茶な太刀筋や型といった型がないところを見ると彼の剣術は十中八九我流だろう。
そんな我流で自分をあそこまで追い詰めたのだ。あのまま修練を重ねていけば、いずれは大成するに違いない。
敏子「剣豪かなにかにでも?」
北郷「剣豪? いいや違う……そんな高尚なものじゃない……あれは」
一旦言葉を区切り、口を開いた。
北郷「剣鬼だ」
終
最終更新:2013年02月04日 14:42