口に含んだ団子の弾力に富んだ食感に頬を綻ばせる。
これでもかというほど上にかけられた餡は小豆が持つ本来の風味を引き出すために砂糖を殆ど使用していないというのがこの店の謳い文句らしい。
舌鼓を打った黒江が咀嚼を終えて手元に置かれていた湯のみに手を伸ばす。
程よい湯加減で淹れられた緑茶は喉を通って胃の中へ流れ込み、彼女の全身を温めていった。
まるで湯船の中に使っているような浮遊感を覚えながら最後の一つにかぶりつく。
丁寧に、それこそ形状が殆ど無くなって唾液と混ざり合うまでに咀嚼して飲みこんでにんまり。
黒江「あ……」
大皿に手を伸ばすと自分が注文した小豆餡の団子が姿を消したことに気がついた黒江が寂しげな声を洩らした。
器に置かれていた串の数から察するに今食べたものが最後の一本であったようだ。
胸の内に生じた小さな物寂しさを振り払うかのように
みたらし団子の串を握って口許に運ぶ。
砂糖醤油が醸し出す独特の甘辛い味ともっちりとした団子の歯ごたえに再び笑みが零れる。
見た目とは裏腹に味そのものは濃いほうではなく、どちらかといえばさっぱりとした味わいといえよう。
小豆餡の団子もそうだが、このみたらし団子も存外に悪くない。
俺「よく食べるな」
黒江「ん……んぐ! まぁ、誰かさんが私の団子を勝手に食べたせいなんだけどな」
串に刺さった団子を歯で挟んで引っこ抜く黒江が非難めいた眼光で俺を貫いた。
じっとりとした眼差しを浴びた少年が気まずげな表情を浮かべて、視線を宙に泳がせる。
俺「だから、こうして穴埋めのために奢ってるだろ。大体、お前の団子だったなんて知らなかったんだよ」
黒江「ふん!!」
正面に腰を降ろして小豆餡がかけられた草団子を頬張る俺の言葉に不機嫌そうに鼻を鳴らして豪快に串へと喰らいつく。
ここは基地から少し離れた場所に位置する市街地の一角に店を構える甘味処。
姦しい声で賑わう辺りを見回せば甘い和菓子の香りに引き寄せられた少女や女性たちが汁粉にぜんざいといった扶桑が誇る菓子に頬をほころばせていた。
甘い菓子というものは昔から多くの女性たちを魅了してきたという言葉を思い出す。
初めは半信半疑であった俺ではあるが店内にごった返す客層の八割が女性であることから、あながち間違ってはいないのかもしれないなと思いながら草団子にかじりつくと、
俺「……ん?」
視線を黒江に戻して眉を顰めた。
みたらし団子を貪る彼女の口周りに砂糖醤油のたれが付着しているのが目に入る。
端正な顔立ちに砂糖醤油の葛餡をくっつける姿が俺の目にはどこか子供っぽく映り、それが彼女の大人びた容貌との間にギャップを生んで苦笑を誘った。
一方で黒江はといえば大皿に並べられた団子に夢中になっているせいか自分の口許を汚す存在にも、ましてやそれが原因で苦笑いを浮かべる俺にすら気が付いていない。
このまま放置しておいても良かったのだが、それでは彼女が恥ずかしい思いをしてしまうので俺はおしぼりで自分の手をふき取ってから黒江の口許へと手を伸ばす。
俺「綾香。少し大人しくしてくれ」
黒江「むぐむぐむ……んぅぅぅ!?」
俺の呼びかけに一体何事かと思った黒江が視線を串から外して顔を持ち上げた瞬間、くぐもった悲鳴を上げた。
口周りを丁寧になぞる俺の指の感触。
温かく、男性特有の固さを持つそれが肌の上を走るたびに奇妙なくすぐったさと胸を焦がすほどの恥ずかしさを生み出し、黒江の頬を朱色に染め上げていく。
同年代の、それも少なからず意識している少年からのボディタッチに黒江は今すぐにでも声を上げてその場から走り去りたい衝動を持ち前の胆力で抑えつけて彼の作業が終わるまで身体を硬直させ続けた。
何だ!?
俺は何をしているんだ!?
頭の中で生まれる疑問符が混ざり合い、更なる混乱を生み出し続ける黒江の精神状況などお構いなしに俺がくすぐるような手つきで口周りを拭い続けた。
黒江「んっ……んんんっ!!」
こそばゆさに耐えようと瞼をきつく閉じて必死に耐える黒江であったが遂に人体が許容出来る範囲を超えたのか、俺の魔手から逃れようと身を捩り始める。
頬を赤らめ、悩ましげな嬌声を上げて身体をくねらせる姿は美しさだけでなく妖艶さをも兼ね揃えていた。
俺「よし! 綺麗になったぞ!」
黒江「ん、んぐ。いったい……なにを!?」
俺「ほら」
口周りから俺の指が離れるのと同時に口内に残る食べかけの団子を飲みこんだ黒江がかぼそい声を上げた。
心なしか吐息には熱のようなものが込められているように見え、丁寧に磨き上げられた黒真珠を思わせる双眸はどこか焦点がずれているだけでなく潤んだ光を帯びている。
そんな艶かしい姿を自分でも気付かぬ内に晒す黒江は目の前に差し出された俺の指に目を凝らす。
彼の指の腹に付着する黄金色のペースト状の物体は今自分が握っているみたらし団子のたれだった。
そのときになって黒江は
初めて俺が自分の口周りに付着していた砂糖醤油の葛餡を拭ってくれたのだと気が付く。
黒江「……」
優しげな微笑みを向ける俺から視線を逸らす。
自分を気遣ってくれての行動なのだろうがもう少し時と場所を選ぶことは出来ないのか。
これでは自分と彼が仲睦まじい恋人同士に見えてしまうのではという黒江の予想は見事に的中した。
辺りから注がれる嫉妬と羨望が入り混じった眼差し。
今のやり取りからカップルか何かと勘違いしているのだろうが決して自分と彼は彼女らが邪推するような関係ではない。
無論、黒江とてそうなりたいとは常々考えているが眼前に座る標的が難攻不落の要塞並みの鉄壁を誇っている上に、同じように塞を狙う人間が三人もいるため一向に関係は親友止まりのままだ。
黒江「もういい……って何をしてるんだ!?」
俺「なにって?」
発狂とも聞こえる不思議そうに首を傾げた俺は指に付着した砂糖醤油の葛餡を指ごと舐めしゃぶり始めた。
言うまでも無くその葛餡は黒江の口周りにへばりついていたものである。
それを俺は臆することなく舐め取ったのだ。
おそらく彼にとってはお絞りを汚すよりかは多少行儀が悪くとも自分で舐め取った方がましだと考えたのだろう。
黒江「おまえはどうして!!」
自分の口許に付着した葛餡を何の躊躇いも無く舐め始めた俺の姿を前にした黒江の身体が小刻みに震え始める。
仮にも女の口周りにくっついていたものを、どうしてそんな特に感慨も無く舐め取れるのか。
それともあれか?
お前にとって私は女として映っていないのか?
俺「な、なんだよ……」
黒江「もういい!! 帰るぞ!」
最後の一本を平らげたあと逃げるように俺を置いて店を出て行く黒江。
何をそんなにいきり立っているのだろうかと思いつつも受け取った伝票に記載された数字に俺は静かに溜息を吐いた。
当分の間、無駄使いは出来そうにない。
軽くなった財布を懐に押し込んで、俺は黒江の後を追いかけた。
冬の寒気が浜辺を撫でる。
その際に浮き上がった砂の粒子が剥き出しになる素足へと当たり、黒江は眉を顰めて身を捩った。
甘味処を後にしてから基地へ帰る途中に立ち寄った浜辺で何を喋るわけでもなく、ただ黙って砂浜に足跡を刻み続ける黒江と俺。
辺りを見回せば夏にはあれほど観光客で賑わっていたことが嘘であったかのように物寂しい光景が広がっていた。
黒江が瞼を閉じて去年の夏にこの浜辺を訪れたときの記憶を回想する。
あのときは自分に智子、武子、圭子。そして部隊長である敏子の計五人が披露する水着姿に俺が終始頬を赤く染め上げていた。
純情な思春期の少年をからかおうとシートに寝そべって背中にオイルを塗らせる敏子。
水着姿の武子と圭子に挟まれて気恥ずかしそうに写真のレクチャーを受ける俺。
割ったスイカを食べるときに俺の膝の上に座り込む智子。
自分はたしか彼と一緒に、ちょうど前方に浮かぶ孤島に向かって遠泳を楽しんだ。
黒江「懐かしいな……」
俺「本当だな。夏にここへ来たのが昨日のように思えるよ」
黒江「だけど今は寂しく見えるな」
ここには自分と隣を歩く俺以外誰もいない。
人の温もりも。
生の気配すら感じることの出来ない、どこか無機物めいた海原を、浜辺を眺め回す黒江が素直に呟いた。
あたかも世界中の人間が自分と俺を残して消えてしまったかのような錯覚に陥りそうになる。
だがそれは逆を言えば自分と横を歩く少年だけの世界が創られているとも言えるのではないか。
そのことに気が付いた途端に紅潮する黒江の頬。
思えば俺と二人きりになるなど去年の夏祭りの時以来だろうか。
そういえば柄の悪い男たちに囲まれたところを助けて貰ったなと思い出す。
その後は彼が口にしたラムネを飲んでしまって羞恥のあまり気を失い、更には彼に背負われた。
掘り起こせば顔から火が出るような思い出だが不思議と胸が温かくなるのは何故だろう。
彼の背中に身を委ねた際に覚えた安寧。
また俺の大きな背に寄り添いたいという欲求を気付かぬ内に抱いていることに気付いた黒江が慌てて頭を振った。
黒江「……おれ?」
煩悩に支配された自分に叱咤するなか不意に右手を握られる感触。
あまりに自然な手つきであったため驚きはしなかった。
俺「寒いんだ。手、貸してくれないか?」
黒江「……仕方の無いやつだな。いいぞ、私でよければ」
右手に伝わる俺の手の冷たさ。
凍てつく風と寄せては返す波の音だけが二人だけの世界に反響するなか視線を俺へと向ける。
言いながら頬を赤らめる俺に小さく頷いた黒江も彼の温もりを得ようと俺の手をたおやかな指で握り返した。
俺「温かいなぁ……綾香の手は」
今にも眠ってしまいそうなほどの安らぎに満ちた声。
黒江「そっ、そうなのか?」
特別な手入れをしているというわけではないのだが、それだけに俺から放たれた賛辞の言葉に自然と声が弾んでしまう。
俺「それに柔らかい。意外だけど」
黒江「意外とはなんだ。意外とは。失礼な奴だな」
俺「怒るなよ。だってお前や智子と武子たちはよく刀を使って巴戦仕掛けるだろ?」
黒江「ほぅ。だからごつい感触を想像していたと?」
無言で首肯する俺の姿に黒江がさっと顔色を曇らせた。
せっかくの二人きりだというのに、どうしてこの男は場の空気を読まない発現をするのだろう。
もっと雰囲気を盛り上げる言葉は口に出来ないものか。
しかも先ほどの甘味処での行動も含めて殆ど無自覚なのだから、なおさら質が悪い。
黒江「(いや、まてよ)」
ふと片手を顎に添えて考え込む。
たしかに今の言葉は癇に障ったが最終的に彼が自分の手の感触を褒めたことを思い出す。
ならば、それで許してやるとしよう。
それに、せっかくの二人きりなのだ。基地に戻ればこんな風に落ち着いた時間を過ごせる機会はなかなか訪れない。
貴重な一時をささくれ立った気分のまま無駄にしたくなかった黒江はこれ以上深く考え込むのをやめることにした。
今はただ俺と二人で過ごせるこの一瞬を楽しむことに専念する。
俺「かなり歩いたな。少し休むか」
その場に座り込んだ俺の言葉に足を止めて後ろを振り返る。
自分と俺の二人が浜辺に降りた際に使った階段が今では豆粒大の大きさとなっている。
黒江としてはそう長い時間を歩いていた感覚が無かっただけに遥か遠くに佇む存在に感慨深いものを抱かずにはいられなかった。
楽しい時間というものはあっという間に過ぎ去っていくものである。
ならば知らない内に、ここまで歩いてきた今もその“楽しい時間”なのだろう。
黒江「っあ!?」
腰を降ろすと外気に晒された砂の感触が太ももとズボンに包まれた臀部を刺激した。
急激な体温の低下に耐えられず甲高い悲鳴を上げて立ち上がる黒江の姿に俺が上着を脱いで、形の良いヒップを押さえる彼女に寄越す。
俺「ほら。下に敷いてくれ」
黒江「だけど」
俺「座ろうって言ったのは俺なんだ。これくらいのことはさせてくれよ」
黒江「……むぅ」
しばらくの間差し出された上着を見つめていた黒江であったが突如として寒風が吹き荒れたことで全身に寒気が走り、反射的に受け取ってしまう。
咄嗟の行動とはいえ自分でも驚いた黒江は掴み取った上着を見下ろした。
俺の好意はありがたいが尻に敷くのは些か気が引ける。
だからといって、このまま腰を落とせば再び寒気が襲ってくるのは間違いない。
如何にして寒さを凌ごうかと考えた黒江の頭の中に電球が光を放つイメージが浮かび上がった。
妙案を思いつき口許を吊り上げて俺へと視線を向ける。
黒江「俺。頼みがあるんだが」
俺「ん? 別に構わないけど」
了承の言葉を耳にした黒江の行動は早かった。まずは受け取った上着を羽織る。
僅かに嵩張りはするもののサイズが一回り大きいせいか、そこまで苦ではない。
むしろ今まで彼が身に着けていただけあって太陽の光を浴びた布団のような温もりを帯びている。
次に俺の前に背を向ける形で立って怪訝そうに首を傾げる彼の膝に腰を降ろした。
伝わってくる温もりと自分の今の行動に僅かな羞恥心を感じながら、そのまま背を俺の胸元に預けると後ろから飛んでくる驚愕に満ちた俺の声に頬をニヤつかせる。
俺「ちょっ! 綾香!?」
黒江「別に構わないんだろう?」
俺「そりゃ確かにそうは言ったけどさ……」
顔をしかめて頭を掻く。俺自身、嫌だというわけではない。
むしろ黒江ほどの美人が膝の上に座るのだからこの状況はむしろ健全な男子として大いに喜ぶべきことだろう。
しかし。
しかしだ。
度が過ぎれば薬が毒へと姿を変えるように黒江の柔らかなヒップは俺に至福を与えるだけでなく人としての理性すら削り始めたのだ。
どうにかして耐えようと反射的に歯を喰いしばる俺。
まさか自分が思春期真っ盛りであるのをいいことに挑発しているのではと益体のないことを色々と考えてしまう。
俺「な、なぁ……あ、綾香ぁ?」
自分ではまともな声を出したつもりなのだが、耳に入ってくるのは質の悪い流行病にでも掛かったかのように震えた言葉。
語尾も変に伸びていることから見て彼女の魔手は言語機能にまで到達したようだ。
よもや智子以外の尻でここまで混乱する日が訪れようとは。
黒江「智子にはさせて私だと駄目なのか?」
前から飛んで来る、勝ち誇った声。
どうやら黒江は自分の尻肉によって俺が心掻き乱されていることに気付いていないらしい。
俺「いや……なんでもない、です。はい」
むしろ知らずにいてもらった方が良い。
あなたのお尻の感触が柔らかすぎて理性が保ちそうにありません、などとは口が裂けても言えやしなかった。
万が一、口を滑らせた日には近ごろ彼女が開発に躍起になっている“雲耀”なる必殺技の実験台にされてしまう。
生涯の最期を案山子として迎える趣味も願望も持ち合わせていない俺は硬く口を閉ざしたまま押し付けられる柔らかな桃尻の攻撃に耐えることにした。
黒江「……一つ、聞いてもいいか?」
俺「なんだよ?」
黒江「俺はどうして軍に入ろうとしたんだ?」
長らく抱いていた疑問をぶつけてみた。
航空魔女に志願する者はどれも似たような理由を秘めている。
ある者は授かった力を使って多くの人々を守るために。
ある者は大空に魅入られ、自由に羽ばたける翼を得るために。
人によって異なっているし、その二つが全てとは言えないまでも黒江が出会ってきたウィッチたちの全員がその二つのどちらかを胸に抱いていた。
俺「また随分と突拍子だな。何かあったのか?」
黒江「別に、ただ知りたくなっただけだ。嫌なら言わなくても良いんだぞ」
だが俺からはそういった憧れや願いといったものが見出すことが出来ない。
軍人としての道を歩んだ以上何かしらの事情はあるのだろうが黒江の目には俺が、自分が見てきた魔女たちと同じような大志や望みを抱いているようには映らなかった。
そうしたものとは無縁に見えるからこそ、何が俺を軍へ走らせたのかが気になるのだ。
俺「あんまり面白くないぞ?」
黒江「面白いとかは問題じゃない。私はお前のことが知りたいんだ」
俺「…………俺と智子の家が近くて幼い頃からの付き合いだってことは前にも話したよな?」
頷く黒江に俺は遠い日の記憶を、軍への入隊を決めたあの日の思いを回想するかのように語り始める。
そもそも陸軍への入隊を決めたのも智子を守ろうと考えてついていっただけのことだ。
空に対する憧れも、飛べたら気持ちが良いだろうなという程度のもの。
ましてや世界を守るだとか、弱い者の盾になるだとか、そんな物語に出てくる主人公が抱くような大それた志は抱いていなかった。
ただ幼かった智子をたった一人で軍隊に送るという事実を受け入れることができなかったから自分は軍人としての道を選んだのだ。
後悔はしなかったし、今もしていない。
あのまま智子を一人で行かせた方が、きっと自分は後悔するはずだから。
黒江「……っっ」
それまで俺の話に無言で耳を傾けていた黒江の胸に黒く濁った嫉妬の情念が沸き上がった。
俺に軍人としての道を歩ませるほど大切に思われている智子がどうしようもないほど羨ましく、自分が欲しくても手を伸ばしても易々と掴み取れないものを智子が手に入れているという現実に歯噛みしてしまう。
俺「でも。今は違うんだ」
黒江「ちがう?」
自然な手つきで頭に置かれた手の感触に、思わず瞼を閉じて身を任せた黒江の言葉に優しげな笑みを浮かべた俺が頷く。
自分には両親がいない。
だからなのか、幼い頃から家庭の温もりというものを知らずに育った自分にとってこの陸軍第一飛行戦隊こそが家でもあり、家族といってもよかった。
無論、智子の両親も本当の家族のように接してくれたが正直に言えば軍の方が居心地が良いのだ。
俺「智子だけじゃない。武子も、圭子も、綾香も。俺はおまえたちが好きだ。おまえたちと過ごす毎日が大好きだ……それを守っていけたらいいなって、思ってる」
自分で言っておいて気恥ずかしいのか、俺が赤らめた頬を掻く。
それがどれだけ夢物語なのかは俺とて自覚していた。
欧州派遣が決まれば自分と部隊の仲間は散り散りになる。
派遣先で命を落とすかもしれないし、上がりを迎えても最前線に留まるかもしれない。
違えた道が再び交わる保証など、どこにも無いから自分は幸せな今を守っていきたいのだ。
大それたことを口にしたものの自分に出来ることといえば共に出撃した際に彼女たちが命を落とさないように支援をし、時には率先して敵を殲滅することぐらいだ。
だが、幸いなことに自分の固有魔法は破壊力と範囲に特化した衝撃波。
出力を上げれば、それこそ一撃でネウロイの軍勢を滅却するほどの力を秘めた破壊の権化である。
上手いことものにすれば彼女たちの命が危険に晒されるよりも先に敵を全滅させることも可能なはず。
俺「ようやく手に入れた家族なんだ……失ってたまるかよ」
絶対に死なせない。絶対に奪わせない。
命に変えてでも自分の家族だけは守り抜いてみせる。
黒江「おれ……?」
俺「あぁ、悪い。柄にもないこと熱く喋っちまったな……さってと! 風も冷えてきたし、戻るか?」
黒江「……そうだな」
立ち上がり、黒江から返された上着に袖を通して前を留める俺が思い出したように手をズボンのポケットに突っ込んで、しまっておいたものを引っ張り出す。
多少、袋に皺が入ったものの中身には大した影響は及んでいないはずだ。
俺「おっと、そうだ。綾香!」
黒江「ん?」
俺「これ、俺からの誕生日プレゼントな」
黒江「わ、私にか!?」
差し出された紙袋を両手で受け取った黒江が声を弾ませる。
今日が自分の誕生日であることを俺は今に至るまで一度も話題に出さなかったため、半ば諦めかけていただけに喜びも一入だった。
黒江「開けても良いか!?」
俺「もちろん」
袋の中から姿を見せたのは鮮やかな翡翠色の下げ緒。
黒鞘に映えることは通さずとも分かる。
見た目から見てかなり高価なものだということは黒江から見ても明らかだった。
黒江「きれい……本当に私が貰ってもいいのか……? こんな高価なもの」
俺「あぁ。知り合いの組み紐屋に少しだけまけてもらったんだ」
以前、知り合った三重出身の職人に特別に安くしてもらったとはいえ、それでも俸給の数か月分に相当する。
俺「(そういえば……三重って確か伊賀の里があった場所だよな……もしかして、あいつ。まぁ、いいか)」
黒江「ありがとう……!! 俺! これは一生の宝物にするぞ!!」
両手で下げ緒を胸元に抱き寄せる黒江が瞳を僅かに潤ませて弾けんばかりの笑顔を浮かべてみせた。
俺「一生の宝物って……大げさだなぁ。綾香は」
閉ざされた瞼の隙間から零れ落ちる透明の雫を指先で拭う俺が苦笑を零して返す。
涙まで流されると必死に選んだ甲斐があるというものだ。
黒江「ぐすっ。お前から、貰ったものなんだ……大切にしないわけがないじゃないか……」
俺「え……?」
黒江「あ、ああああ!! 何でもない!! 忘れてくれ!!!」
火が出る勢いで顔を赤らめた黒江が慌てて俺に背を向けた。
それから基地へ戻った数日後の話である。
幸せそうな笑顔を浮かべて下げ緒に頬を摺り寄せる黒江の姿が頻繁に目撃されたそうな。
おしまい
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おまけ |
肌の上を這い上がる寒気に目を覚ます。
身体を横たわらせた状態で四肢を伸ばすと布団に包まれた全身が音を立てて解れていった。
瞼を擦りながら上体を起こして辺りを見回せば暗がりが支配する自室が目の前に広がる。
黒江「夢、か」
今にも消え入りそうな呟きは硝子越しの世界を駆け抜けていく凍えた風によって掻き消された。
それにしても懐かしい情景を夢に見たものだ。
大切な仲間がいて、そして“彼“がまだ生きていたあの幸福だった日々。
同時にそれは、どれだけ手を伸ばしても、どれだけ祈りを捧げても二度と取り戻すことが出来ない日々でもあった。
起床後の柔軟運動を終えて机の引き出しから小さな箱を取り出した。
ただの安物ではなく漆塗りの表面に艶やかな金の文様が描かれている豪奢な一品。
その外見から中にしまわれたものが彼女にとって如何に大切なものであるかが窺える。
蓋を開いて手に取った中身は夢となって蘇ったあの日に“彼“から誕生日プレゼントとして貰った下げ緒。
一点の汚れも見出せないそれは新品と同等の輝きを放っており、一度も使用されていないことが見て取れる。
実際に黒江は一度も使うことなく上がりを迎えた。
この下げ緒が彼の形見となってしまった以上は鞘に通して出撃などできるわけが無い。
彼が自分に、自分にだけ贈ってくれたこの下げ緒が汚れるのも痛むのも見たくなかった黒江は欧州派遣が決まり、最前線で戦う際もお守り代わりとして肌身離さず持ち歩くことにしていた。
これだけが自分と俺を繋ぐ唯一の証だったから。
黒江「あ……れ?」
不意に視界が滲み、暗がりが広がる自室がその輪郭を崩す。
熱くなる目頭に手を添えれば生暖かい液体が指の腹を濡らした。
黒江「どう……して?」
もう慣れたはずなのに。
どれだけ辛くとも前を向いて歩き続けると欧州へ向かう船の中でそう心に誓ったのに。
今は亡き彼に向かって、笑って語りかけられるほど立ち直ったと信じていたのに。
そんなものは強がりだと言わんばかりに大粒の涙が零れ落ち、次いで嗚咽が漏れ出した。
黒江「いや、だっ……止まれ……止まれ……!!」
両の瞼を強引に擦るも涙は止まるどころか更に溢れ出す。
何とか嗚咽だけでも堪えようと歯を喰いしばるが、篭った悲鳴は上がり続けた。
悲しくて。切なくて。
張り裂けそうになる胸に手を押し付けて、その場に跪く。
黒江「お、れぇ! 会いたいよ……おまえに! もう一度だけでいいんだ……会いたい……!!」
寂しさに耐え切れなくなり本音を吐いた。
叶うわけがない望みであることは、理性では分かっていても心が俺の死を認めていない。
遺体すら見つかっていないことが、もしかしたら生き延びてどこか遠い地で暮らしているのかもしれないという淡い希望を黒江に抱かせていた。
黒江「っく……うぁっぁあああああぁっぁぁぁあああ!!!」
また一緒に釣りに行きたい。また一緒に団子を食べたい。
もしもチャンスが貰えるならば幽霊だろうと構わない。せめて、あのとき伝えられなかった気持ちを伝えたかった。
大好きだと。世界中の誰よりも愛していると伝えたかった。
黒江「っぐ……ぐす……もう、時間か……」
一通り泣き終えた黒江が瞼を擦っていると明瞭になった視界に、壁に掛けられた日捲りのカレンダーが飛び込んできた。
今日の日付が大きな赤丸で囲まれているのを目にした黒江は自分を訪ねてくる友人の存在を思い出す。
時計に目線を移せば、約束の時刻までにはまだ幾ばくかの余裕があった。
旧友に涙で充血した目や濡れた頬を見せたくなかった黒江は手早く着替えを終えて愛用の麦藁帽と釣具を手に取る。
勘が鋭い彼女のことだ。自分が俺を思って涙を流していたことなどすぐに気付くに違いない。
余った時間を趣味に費やすことで気を紛らわせるのが吉だろうと考え、
黒江「……いってくる」
写真に写る俺に向かって一声かけて部屋を後にした。
所属している基地近くの海岸線。
その浜辺から僅かに離れた岩場の一角に腰を下ろした黒江は頭上を飛び交うウミネコの鳴き声を聞きながら両手に握る釣竿に得物が掛かる瞬間を待ち構える。
普段ならば大物のチヌやメジナが釣れるというのに今日はメバルすら一匹も連れずにいた。
それでも黒江は顔色一つ変えるどころか楽しむかのように頬を綻ばせる。
こんな日もあるさ。
俺を釣りに誘った際、一匹も釣れずに終わって落ち込んだ彼に放った言葉を思い出した。
そういえば釣った魚を煮付けにして出したら喜んでいたな。もっと俺に自分の手料理を食べて欲しかったなと胸中で独りごちたときである。
???「釣れますか?」
凛とした女性の声が鼓膜を打った。
岩にぶつかる波の音に負けないほどの張りを持ち、それでいて凛冽としたその声音に黒江の頬が自然と吊りあがる。
黒江「……いやぁ、いつもなら大物のチヌやメジナがよくかかるんだけどねぇ……今日はメバル一匹釣れやしないよ。でも、別の大物は釣れたようだ」
釣竿を脇に置いた黒江が立ち上がり、声のほうへと顔を向ける。
視線の先に佇んでいたのは黒鞘に納められた一振りの扶桑刀を右手に佩く女性。
長い黒髪を後頭部で結い上げ、右目を眼帯で覆うその姿を目にした途端に黒江の笑みが一層深いものへと変わっていく。
黒江「久しぶりだな。坂本」
女性――坂本美緒が豪胆な笑みを伴って差し出してくる左手を握り返しながら笑みを返した。
扶桑海事変以来の再会だから、かれこれ七年になる。
溢れ出る気品も、佇まいも一人前の航空魔女の見本のような存在へと変わっていた坂本の姿を見つめていると何かに気付いたのか彼女が視線を自分の背後に向けた。
坂本「む? 黒江、釣竿が引いているぞ?」
黒江「なに!?」
指摘を受け、慌てて釣竿を握って手元に引き寄せると釣り針に掛かった獲物は逆に黒江を海の中へ引きずり込むかのように潜行を開始した。
徐々に、そして確実に海へと引っ張られる黒江が顔をしかめる。
今まで様々な魚を釣り上げてきたが、これほどの力強さを持つ大物は初めてかもしれない。
黒江「ぐっ……こいつは……手強い!! 手伝え坂本!!」
坂本「あぁ!! ぬっ!? なんだこの力は……もしや主か!?」
刀を脇に置いた坂本が黒江の脇に腕を通し、腹部の前で組むや否や手前に引き寄せる。
二人分の力を前に鬩ぎ合いはようやく五分の段階に入ったが、獲物が発揮する馬鹿力を前にいつまで保つかどうか分からず、このままでは埒が明かないと踏んだ黒江が魔法力を発動させると同時に口を開いた。
黒江「そうかもしれん!! いいか!? せーので一気に引き上げるぞ!!」
坂本「承知した!!」
勇ましく応えた坂本の頭部からドーベルマンの耳が発現する。
互いに呼吸を整え、合わせる二人の双眸が刀身を思わせるほどの鋭利な光を放ち始めた。
そして、
黒江・坂本「「せーの!!」」
タイミングを合わせ、勢い良く飛び退がると同時に黒江が釣竿を掴む腕を豪快に振り上げた。
次の瞬間、
???「ぬぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!???」
絶叫と共に海中から引きずり上げられた何者が水しぶきと共に宙を舞った。
声から見て男性――それも扶桑人。年は坂本と黒江よりも上だろう。
逆光の所為か顔の輪郭までは見えないものの慮外の獲物は背中から岩場に叩きつけられ、断末魔にも似た短い悲鳴を口から迸らせた。
黒江「お、おい……」
突然の事態に頭が上手いこと働かない。
釣りが趣味なだけに色々な魚を見てきたが人間を釣り上げたのはこれが初めてである黒江はどう対処すれば良いのか分からず、その場に立ち尽くして小刻みに痙攣する男の背中を見下ろすことしか出来なかった。
黒江「はっ!」
我を取り戻し、足場に注意を払いながら男の許へと駆け寄った。
怪我をしているならばまずは患部を見る必要がある。度合いによっては応急処置を施し、基地へと運ばなければならない。
黒江「おい! だいじょ…………ぶ……か…………」
後頭部を押さえて岩の上で身体を丸める男を抱き起こした瞬間凍りついた。
波の音も、風の音も、ウミネコの声も、隣で何かを喋る坂本の声も。
黒江はこの世からありとあらゆる音が消失したような錯覚を覚えた。
涼しげに整えられた黒い髪に引き締まった逞しい顔つき。
???「あいたたた……」
黒江「うそ……だ。こ、こ……んな」
震えた声を絞り出す。
こんなことがあるわけがない。これはきっと何かの悪い夢に違いない。
黒江「どうして……どうして」
どうして目の前で苦痛に顔を歪めながら頭をさするこの男は、こんなにも俺と瓜二つなのだろうか。
黒江「お……れ? 俺……なのか?」
他人の空似なのかもしれない。
でも、もしかすると。
もしかすると……
唾を飲み込み呼びかけるや否や男の身体が微かに強張って徐に瞼が開かれた。
俺「あ……や、か?」
綾香。
男が――俺が自分の名を呼んだその瞬間、黒江の視界は再び滲んでいった。
ほんとうにおしまい
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最終更新:2013年02月04日 14:44