――隊舎廊下 夜



ロスマンとの狩猟から一週間。何とか次の補給まで金を払うことなく乗り切ることができた。
余計な懸念から解放された俺は今日の鍛錬を終え、シャワーを浴びてから自室へ向かっていた。


俺「――――?」


隊舎の内部を奇妙な気配を徘徊していることに気付く。
侵入者などではないのは明らかだった。そもそもこの基地内に侵入者が入ったのなら、もっと早い段階で気付いていたはず。
衛兵達にも警戒が手薄となっている所は既に伝えてある。詰まる所、侵入者があるとするならば、俺と同程度かそれ以上の手練れであることは疑いようがない。

察知した気配は俺のよく知った人物のものだ。通りで、侵入者にしてはお粗末な気配の殺し方なのだろう。
しかし、その人物がこんな時間に食堂に居るのかが、俺には思い当たる節がない。

放置しておくのも手だが、如何に安全圏であってもこの時間に女を一人放置では暗兵として立つ瀬がない。
仕方なしに食堂のドアを音も立てずに開けると、ガサゴソと何かを漁る音が静寂をかき乱していた。
此方に気付きもしないで探索を続ける人物に溜息をつき、カチリと食堂の電気をつける。


?「――――ひゃッ!?!?」

俺「おい、何をやってるんだ?」

?「…………………………にゃ、にゃー」

俺「…………猫の鳴き真似をするのは勝手だが、そんな手で俺を騙せると思っているのなら心外だよ、ジョゼ」


使い魔がペルシャ猫とあっても、本人の鳴き真似が似ているかは、どうやら別問題のようだった。

自分は何をやっているんだろうという恥ずかしさと、このまま出て行ってくれないかという期待を込めて待っていたが、俺は動く様子はない。
逡巡の後、隠れていたジョゼは顔を真っ赤にしながらキッチンの影から顔を出した。


ジョゼ「あ、あはは。み、見つかっちゃったー、……なんて」

俺「一人でかくれんぼ? それはまた随分と奇特な趣味だ」

ジョゼ「……うぅ」


俺の容赦のない言葉に、しょぼんと肩を落として今にも泣きだしてしまいそうな涙目となる。
その様子に、うぐと言葉に詰まる。俺としてはそれほどきつい物言いではなかったのだが、ジョゼにとってはそうでもなかったようだ。

俺は次に何と言葉をかけるべきか迷い、ジョゼもジョゼでこの状況で何といえばいいのやら。
お互いを牽制している かのように見えて実際のところは自分がどうすればいいのか分からない間抜けな時間が過ぎていく。

結局、現状を破ったのは二人の言葉でもなく、ジョゼの腹の虫だった。ぐぅ~と静寂の中ではよく響く可愛らしい音。
ああ、合点がいったという表情を俺がし、音を聞かれたと察したジョゼは顔を真っ赤にして俯いた。


ジョゼ「う、うぅ、ううううう~~~~ッ!!」

俺「え、ちょ、な、泣くなぁ!」

ジョゼ「だ、だっでえ゛ぇ゛……」


深夜一人だけツマミ食いをしようとした罪悪感と何よりも恥ずかしさで、ジョゼはポロポロと泣き出す。
他の隊員であれば、ここまでの姿を見せなかったかもしれないが、年下かつ異性である俺に見られたのがマズかった。

彼女としては俺を特別扱いしているつもりは毛頭なかったが、やはり心の何処かでは明確な線引きが引かれていたのだ。
それは決して悪いことではない。寧ろ、女として当然の潜在意識というもの。だが今回に限って、それはよくない方向に向いてしまったようだ。

たった二人でてんやわんやの騒ぎが巻き起こる。正確には、俺一人で慌てていただけであるが。
どうにかこうにか俺はジョゼを食堂の椅子に座らせて宥める。時間はそれほどかからなかったが、精神的な疲労がどっと押し寄せてきたのは言うまでもない。


ジョゼ「…………うぅぅ」

俺「何も泣くことはなかっただろうに」

ジョゼ「だ、だって、恥ずかしいし、申し訳ないし」

俺「何? もしかして、この間の食糧不足、自分のせいだとでも思ってるの?」


問いかけに、はいと蚊の鳴くような声で返事をするジョゼ。

その見当違いな答えに俺は大きく溜息を吐いた。
あのラルやロスマン、サーシャが補給において、ジョゼの食べる量を間違うわけもない。
仮にツマミ食いに気付いていないとしても、それは余裕を持って補給を要請しなかった者にこそ責任がある。俺からすれば、ジョゼが必要以上に責任を感じる必要はない。


俺「で、この間のことがあったから夕餉の量を抑えたけど我慢できなくて今に至る、と……」

ジョゼ「は、はい……」


普段彼女が食べる量を考えれば、今日は確かに少なかったような、そうでなかったような。
ともあれ、ジョゼがよく食べる方なのは知っている。俺は燃費がいい方なので、それほど食べなくとも満腹感を得られるので、あの痩せっぽち(俺の基準である)の身体に収まっていく量が信じられない。

俺は無言のまま椅子から立ち上がり、厨房へと入っていく。ジョゼは未だに顔を赤くしたまま、その背中を不思議そうに眺めていた。

記憶通り、厨房には夕飯時に炊いた白米の残りがあった。
冷蔵庫の中には様々な食材が並んでいたが、その殆どは下原の話し合いの結果として、どのような料理となるかは決まっている。
ふむ、とこれから一週間の献立と、冷蔵庫とは別の場所に保存されている食糧を思い浮かべ、要相談。とは言え、以前の失敗を見越して、今回の補給は少々大目に入ってきている。何ら問題もないだろう。


俺「今から簡単なものでも作るが、食べるよな?」

ジョゼ「え? で、でも、いいんですか!?」

俺「そこまで驚くこともないだろ。俺だって調理の手伝いをしてるんだ。俺がいいと判断したなら、何の問題もないはずだが?」

ジョゼ「で、でも、こんな遅くに悪いですし……」

俺「勝手に食糧を食べられる方が問題だ。困りものであるが、迷惑じゃないから気にするな」

ジョゼ「じゃ、じゃあ、お願いします!」


今の今まで沈んでいたジョゼの表情がぱっと輝いた。本当に食べるのが好きだな、と呆れながらも苦笑を浮かべる。

俺はそれほど食にこだわりはない。基本的に食べて栄養になればそれでよい、という方だ。速く、簡単、安いが俺の食べる上で重視するものである。
それでも美味いものを食べる喜びは知っている。シユウの村でも数少ない喜びの一つであったのは間違いない。
ましてや俺は飢えて死にかけたことのある身。ジョゼの気持ちも分からないでもなかった。



     ∧,,∧
 俺→(;`・ω・)  。・゚・⌒) 「では……チャーハン作るよ!!」
    /   o━ヽニニフ))
    しー-J

ジョゼ(今、俺さんが猫さんに!? …………チャーハン? をつくる猫だけにチャーニャン、なんて)


おかしなものを幻視したジョゼであったが、俺はテキパキと準備を整えていく。
もっとも用意したものは冷や飯と卵と調味料、あとはお玉とフライパンのみ。中華鍋がなかったのと、火力が足りなかったのが不満であったが作る分には問題ない。
準備を初めて調理完了までおよそ5分。料理人としてはさておき、一般人としては十分な速さである。


俺「ほい、お待ち」

ジョゼ「うわぁ!」


目の前に置かれた湯気を立てるチャーハンに目を輝かせる。輝き三割増しである。
俺はジョゼの体面に座るが、キラキラとした表情でチャーハンを眺めるだけで一向に食べ始めないジョゼに首をひねった。


俺「食べないの?」

ジョゼ「食べていいんですか!?」

俺「いや、そのために作ったんだから。……どうぞ、ご随意に」

ジョゼ「ありがとうございます!」


喜びの余りテンションが可笑しくなっているジョゼであったが、きちんといただきますと言う辺り、両親の躾の良さと下原が持ち込んだ扶桑文化が滲み出ている。


ジョゼ「もぐもぐ、…………ッ! おいしい!」

俺「味見はしたが、正直いまいちだな。火力がなぁ。やっぱり中華は火力だよ」

ジョゼ「そうなんですか、とってもおいしいですけど。これは何だか、ピラフみたいですね」

俺「作成過程は真逆だがね。ピラフは炒めた米を出汁で炊く。チャーハンは炊いた米を炒めて味付けする」

ジョゼ「……俺さんって、その中華? とかの料理もできるんですか?」

俺「料理全般、レシピさえ知っていれば大抵のものは作れるよ。味覚音痴という訳でもないし、手際が悪い訳でもないからな」

ジョゼ「もし機会があったら、中華も食べてみたいですね」


期待するような眼差しを向けるジョゼであったが、知った事ではないとばかりに視線を受け流す。
その様子に残念とばかりに肩を落とすも、スプーンですくったチャーハンを小さい口で頬張るとにへらと顔を緩ませる。
食べる度にコクコクと頷いて、また食べる。時には一度に多くを口に含み過ぎて、ハムスターのような可愛らしい姿を見せた。

頬杖をついてジョゼの様子を見守る俺は、一人なるほどと納得する。
これは下原も気合を入れて、調理に勤しむはずである。見ていて飽きないとはこのことだ。
目まぐるしく変わる表情は調理をした者として、満足感を得るには十分と言えるだろう。


ジョゼ「あ、あの、そんなに食べてるところを見られると、恥ずかしいんですけど……」

俺「ああ、悪い。他にすることもなくてな。何となく小動物の食事を見ているようで面白かった」


褒められているのか貶されているのか。どうにも判断の困る言葉であったが、ジョゼは気にした様子もなかった。

本当にお腹が減っていたらしく、ものの10分程度で完食してしまう。大した食欲である。
ごちそうさま、と両手を合わせて感謝の念を表す彼女に、はー、俺は呆れたような感心したような声を出す。


ジョゼ「じゃあ、食器の片付けもやっちゃいますね」

俺「いや、そのまま座ってろ」

ジョゼ「あー、もしかして、私の事を洗い物もできないと思っていますね?」

俺「そんなことは言ってないだろ? 単に料理を作ったら、洗い物までやらないと落ち着かないんだ、俺は」


食器を片づけようとするジョゼを椅子に座らせる。
そんな俺を見て、家事能力が皆無と思われていると勘違いした彼女は不満げに、ぷくっと頬を膨らませた。

しかし、俺からすれば下拵えから洗い物までを含めて料理という感覚なのだ。最後の一つが抜け落ちるのは座りが悪い。


ジョゼ「じゃあ、私も手伝いますから」

俺「そこまでいうならお好きにどうぞ」

ジョゼ「はい!」


肩を竦めて答える俺に、ジョゼは笑顔で答えた。
彼女からすれば感謝の気持ちを表し、自分の尻くらい自分の拭こうと言う心意気であったが、俺はそんなに食器洗いが楽しいのかと盛大な勘違いをしている。ズレた男である。


ジョゼ「うぅ、やっぱりお水は冷たいですねぇ」

俺「そりゃ冬だからな。止めた方がいいんじゃないか? 手が荒れるかも」

ジョゼ「それは俺さんも一緒じゃないですか」

俺「いや、それ以上の怪我を負ってたこともあるし、手なんてこんなんだし」


ほれと顔の前に差し出した手は、少年のものとは考えられない形をしていた。

度重なる鍛錬の結果、無数の傷跡を残すようになった手は、鉈のようにぶ厚くなり、皮まで巌のように厚い。
あかぎれなどと無縁の、繊細なナイフ捌きや包丁の扱いを見せてくれる手とはとても思えない。
モノを殴りすぎて痛覚どころか感覚さえ失われた手は、同時にすっかり人間らしさも失ってしまっていた。

俺が受けたであろう痛みを想像してジョゼは顔を歪めたが、すぐに口を開く。


ジョゼ「それとこれとは話が別です。私がやりたいことですから」

俺「物好きだなぁ。やりたいなら止めはしないけどさ」


俺は使った調理器具を、ジョゼは自分で使った食器を分担して洗い始める。

しかし、雪も降り始めたこの時期の水道水は、肌に針でも刺されたのかと錯覚するほどに冷たい。
実質の時間は僅か数分の出来事に過ぎなかったが、温暖でこそないもののオラーシャやスオムスほど厳しい冬には至らないガリア出身のジョゼには厳しい時間であった。
彼女の手は氷のように冷たくなり、かじかんでまともに自分の意思通りには動かせなくなる有り様だった。


ジョゼ「うぅぅぅ、俺さんは寒くないんですか……?」

俺「ああ、修行と称して猛吹雪吹き荒ぶスオムスの湖にぶちこまれた時に比べればマシだ」

ジョゼ「それは比較対象が違い過ぎますよぉ」


いよいよ歯の根すら噛み合わなくなってきたジョゼは、俺の薄ら寒くなる話に更に身体を震わせた。

渡されたタオルで手を拭うが、一度失われた体温はなかなか戻らない。風呂に入ろうにも一度入っているし、何より消灯時間を過ぎたこの時間ではお湯も出るかどうか。
両手を揉みながら擦りあわせ、はーと息を吹きかけていたジョゼは、ふと俺を見る。
だから俺がやると言ったのに、と言いたげな表情はさておき、いくらあんな手をしていたところで、あの冷たさの前では何の意味もないだろうに、まるで寒がる様子は見せていない。


ジョゼ「お、俺さん、ちょっと手、いいですか?」

俺「は? 手がどうかした?」

ジョゼ「えい……! ………………ふぁぁぁぁぁ」

俺「何やってんの?」


俺の手をとったジョゼは幸せそうに表情を緩めた。その様子に、俺は若干ヒキ気味である。
驚いたことに、俺の手は冷たい水に晒されたにもかかわらず暖かかった。ほぼ常と変わらない温度である。


ジョゼ「どうして! どうしてこんなに暖かいんですか!? 冷え性の逆?!」

俺「俺はどうしてそういう考えに至ったのか知りたい。冷え性の逆なんかあるの?」


何の事はない。答えを紐解けば簡単なことである。
暗兵には独特の体温を操作する術を持つ。
例えば心臓を自分の意志で強制的に稼働させ、血液の循環を高めたり。例えば、筋肉を受動させることで熱を生みだしすなど。
身体は道具。そう考え続け、鍛え続けた先に得た完全なる身体操作法とでも言うべきもの。極端な話、俺は自分の意志で心臓すら止めることが可能。文字通り、自身の意思通りにならぬ部位など彼には存在しない。


俺「あー、感動するのはいいけど、そろそろ離して欲しいんだけど」

ジョゼ「嫌です。だってとっても暖かいんですよ!」

俺「それならお茶入れるから」

ジョゼ「この人肌の暖かさがいいんです!」


訳の分からない主張に、成すがままの俺であったが、頬が若干赤い。まだまだ女という生き物との触れ合いは不慣れらしい。

暫くの間、ジョゼは自分の両手で相手の手を包み込んだり、擦りあわせて手の暖かさを堪能していたが、妙な視線に顔を上げる。
俺は人差し指で頬を書いていたものの、照れながらも苦笑いを浮かべていた。

途端、自分がかなり恥ずかしい行為をしていたのだと悟り、顔を真っ赤に染め上げていく。


ジョゼ「す、すみません……」

俺「あー、別に構わないけど……(つーか、謝るのに手は離さないのか)」


彼女としてもすぐにでも手を離すべきと考えているのだろうが、奇妙なまでに固い感触と体温の前に誘惑を断ち切れずにいた。
しどろもどろ、という表現しかできないジョゼに、俺は逆に冷静さを取り戻していく。どうやら彼は周囲のテンションが上がっていくと、自分は冷静になる性質らしい。

次の行動と言葉を探るジョゼに何かを言っても効果はないと判断し、手を引いて歩き出す。


ジョゼ「え? わ、あわわ、俺さんどこに?」

俺「部屋まで送る。それまではこのままでいいよ」

ジョゼ「は、はあ……、ありがとう、ございます?」

俺「うん。俺も礼を言われていいのか分からないな」


皮肉げな口調で笑いながらも、しっかりと握った手を離さない。

そういえば男の子と手を握ったなんて初めてではないだろうか、とジョゼは考えたが、初めてのシチュエーションというのは緊張するので思考を中断しておく。
現に今も俺の優しさなのか男らしさなのか、それともただ面倒臭いだけなのか分からない行為を前にして、心臓が早鐘を打っていた。緊張と何となく感じる気恥ずかしさに、ジョゼは口を開いて意識を逸らそうとする。


ジョゼ「お、俺さんの手って、暖かいですね」

俺「さっきも聞いたよ。手の感覚なんて殆どないが、寒冷地で手がかじかんで動かずに仕事で下手を踏みたくないからな」

ジョゼ「本当に、俺さんったら仕事ありき過ぎますよ。もうちょっと、息抜きをしなきゃ」

俺「そういうものかねぇ? ……ああ、それとも手は暖かいから心は冷血とでも言いたいのか?」

ジョゼ「そ、そんなこと思ってませんよ。もう、意地悪なこと言わないで下さい……!」

俺「クク。意地悪ついでにツマミ食いの件をラルに報告してやろうか?」

ジョゼ「そ、それだけは止めてください!」


くつくつと低く笑う俺に本気で慌てるジョゼであったが、今の会話で先程の緊張は何処へやら。つられたように笑い出す。


ジョゼ「ふふふ。今日は、ありがとうございました」

俺「別に構わない。ただ、次は俺か下原に一言声をかけてくれ。すぐに分かるしな」

ジョゼ「そうします。…………そうだ、今度は俺さんの言っていたその中華ですか? それも食べてみたいです」

俺「色気より食い気って感じだな。ま、考えておこう」

ジョゼ「もう、今日は本当に意地悪ですね」

俺「ああ、何となくそういう気分だ。それにジョゼはイジメ甲斐があるみたいだしな」


酷いなあ、と呟きながらもその顔から笑みが消えることはなかった。握られた手同様に、心まで温かくなるような気さえした。
俺もジョゼも、こんな関係も悪くない、と同じようなことを考えながら、皮肉と笑顔の応酬は続いていった。
最終更新:2013年02月06日 23:28