ん?ここはどこだろう?首を動かして周りを見渡した。
上、右、左、下と順番に見てみるが全て青一色。しかし焦点が合ってくると
視界の上下半分ぐらいで、濃い青と薄い青にきれいに分かれているのがわかった。
僕「…飛んでる?」
耳元で鳴る風を切る音、独特の浮遊感、何故か両足に履いたストライカーと
雲1つ浮かんでいない光景から割り出した。誰かが耳元で僕の名前を読んでいるらしい。
僕「鬱陶しいな…」
もっと遠くまで、もっと速く飛びたいのに
耳元で叫ぶ誰かのせいで気が散ってしょうがない。
誰かを振り払おうとして左手を動かすと、急に僕の左脚が熱くなった。
僕「おい、バカ、誰だよ整備したやつは!」
思わず叫んだ。帰ったら整備担当をぶちのめしてやる。くそったれ。事故ったらどうすんだ。
じわりと左のストライカーが発熱する。外そうにも外せない。熱い。
しかも雨粒が当たった時のように、規則的に熱くなる。
しかもその熱い雨粒はだんだん大きくなる。耳元の無線もうるさくなった。
僕「ちくしょう、何だってんだよぉぉぉぉぉ!!!!」
虚空に向けて叫ぶと
「………て下さい、中尉!起きてくださいって!」
整備兵が僕の肩を揺すっていた。
眠気の奥深くで沈殿していた意識が一気に浮上する。
僕「…夢……か?」
錆付いたような喉から言葉を搾り出して、首を動かし周りを見る。
石造りの床、古びた電灯、表皮が剥がれかけたソファ、カドが欠けたコーヒーテーブル。
漂う空気の脂臭さでここが整備中隊の休憩室とわかった。
「中尉、大丈夫ですか?勤務中に居眠りした上にうなされるとか、らしく無いですよ」
僕「ああ、すまない…」
心配そうに整備兵がこちらを見てくる。連日の整備と書類の処理で疲れが出たのだろう。
先任が虫垂炎で入院してから、いままで先任が受け持っていた業務がこちらに回ってきた。
慣れない書類整理で消灯時間ギリギリまで物書きをしていることが多くなった。
僕「うげ、作業着にコーヒーが…」
カーキ色の作業着を見て呻いた。左脚の膝下から香ばしい匂いがする。
こぼれたコーヒーは書類にギリギリかからずに、テーブルを伝って脚に滴ったらしい。
片付けようと書類をどけて雑巾を机の上に載せると、壁のスピーカーがブツッと鳴り
管制塔からの指令が入った。
<<整備中隊全員に告ぐ。天使達が戻ってくる。着陸の受け入れ準備を>>
それだけ伝えて唐突にスピーカーの電源が落ちた。管制はいつもこうだ。
余分な事は伝えない。
僕「飛行後点検と地上誘導の準備を。かかれ」
落ちた略帽をかぶり直しながら、管制と同じぐらい簡潔な指示を出す。
ウィッチが帰ってくると聞いて浮き足立った整備兵に混じり、誰にも聞かれないように呟いた。
僕「嫌な夢だったな…」
根拠はないが何となくそう思った。
作業靴と脚まとわりつく違和感に顔をしかめつつ、飛行後点検の準備に取り掛った。
格納庫
格納庫の入口から紺と朱が上下2つにぼんやりと分かれた空が見える。そろそろ夕暮れ時か。
まだぼやけた影にしか見えないが、ウィッチが着陸のアプローチで滑走路に正対して
ゆっくりと降下しているのが見えた。
天使達が着陸し歩く速度まで減速した後、地上誘導員役の腕の動きにあわせて
後ろ向きに発進ユニットへ近づく。十分に近づいたら腕をクロスさせ、後ろに控えていた
別の整備兵がクランプを締める。ウィッチがストライカーを脱いでから点検に移った。
僕「少佐、お疲れ様です」
坂本「あ、ああ…中尉か…」
整備担当の紫電改を脱いだ坂本少佐を労うが、どこか上の空な反応が返ってきた。
研ぎ澄まされた刀にも似た人が、ぼんやりとしているもの珍しい。
さっきまで勤務中に寝ていた僕が言えたことではないが。
坂本「いつも通り、紫電改の整備を頼んだ…」
僕「了解」
そのままフラフラと他のウィッチに続いて通用口から出ていった。
魔法力の消耗で戦闘後に足元が覚束無くなることは、無いことではない。
ただ、魔法力だけでなく、それ以外の何かも削っているように見えた。
ミーナ「…僕
技術中尉さん、少し話があるので応接室まで今から来れますか?」
いつの間にか横にいた中佐に話しかけられる。表情が険しい。
僕「紫電改の飛行後点検があるのですが…」
ミーナ「今後に関わる重要なことです。すぐに出頭出来ますか」
有無を言わせぬ口調で言葉を被せられた。お茶会レベルの話ではないようだ。
僕「…了解です。点検の引継ぎがあるので少々遅くなりますが、よろしいでしょうか?」
ミーナ「わかりました。終わったらすぐに来てくださいね」
そう言って踵を返し、通用口から出ていった。
中佐直々に話があるとは、かなり重要なことだろう。
「中尉、ヴィルケ中佐とお茶会ですか?」
僕「寝言は寝て言え。お前がウィッチに手を出したからこうなったんだ」
「いやいやいや、出してませんて人聞きの悪い」
僕「ならば良し。今から中佐の『お茶会』に行ってくる。紫電改の点検は任せた」
「了解、任せられました!」
剽軽な整備兵の頭を軽く小突いてから、襟を正して通用口へ向かう。
…そういや応接室はどこだったっけ。
ここの基地、元は誰かさんの城だから、何がどこにあるかわかんねぇよ…
応接室
散々迷って基地内をうろついた挙句、途中で会ったハルトマン中尉に
応接室の場所をかなり適当に教えてもらった。もちろんお代として飴を5つほどまき上げられた。
…割りに合わないガイド料金だったな。右と左を全部間違えてたし。
何とか応接室の前にたどり着き、襟を直して重厚な木製の扉をノックする。
「…どうぞ」
中から中佐の声。重い扉を引いて中へ入ると、すでに中佐が待っていた。
大理石のテーブルにはココアが置いてある。踵を合わせて敬礼。
僕「僕技術中尉、ただいま出頭致しました」
ミーナ「遠いところからご苦労様、座っていいわよ」
遠いんじゃない、迷ったんだ。
足を取られつつ毛深い上等な絨毯の上を歩き、格納庫の休憩室にあるオンボロソファが山ほど買えそうな
これまた上等なソファに腰掛けると、腰が沈み込むのがわかった。
僕「…基地にいる隊員の好みも把握するのも、司令の仕事のようで?」
机に置かれたココアに目を遣り、中佐に尋ねた。
ミーナ「あら、中尉は甘い物が嫌いなの?」
僕「まさか。むしろ好物ですよ」
ミーナ「…宮藤さんが中尉は甘い物好きですよって教えてくれたわ」
カップを手にとって一口含んだココアで咽そうになったが、何とか飲み込む。
僕「…よくご存知で」
食えない人だ。ココアを飲みながら改めてそう思った。
19歳にして戦闘団のボス、人類第三位の撃墜数だったか。
それほどの肚と頭が無ければやっていけないのだろう。
ミーナ「それに
シャーリーさんと音速を超えたいと聞いたけど?」
今度は心臓が止まりそうになった。
僕「まぁそうですが。なにせ予算が下りないので、折半で材料を買いましたよ」
別にこれくらいなら聞かれても問題は無い。
逆にここでお金が足りませんと言えば案外、予算が下りるかもしれない。
ミーナ「材料と言っても、ストライカーを一から作り上げる気なのかしら?」
僕「いや、今のところ外皮だけですよ。あとのパーツは払い下げでも買い取りますが
いかんせんエンジンだけはどうしようもありませんね」
肩を竦めて答えた。
ストライカーの心臓部、魔導エンジンだけはコピーしようにも
使われてる金属材料の成分、工作精度まで簡単にコピー出来る代物ではない。
少人数なら尚更、手間も時間もかかる。
ミーナ「じゃあ、エンジンだけは他から流用する予定なの?」
僕「いいえ。お金が足らないからロールスロイス・グリフォンを下さい」
もちろん基地の予算で。言葉には出さずに付け加えた。
2000馬力超級のそれとシャーリーの固有魔法なら、レシプロでも音速突破ができるだろう。
ミーナ「まったく、扶桑の人って無茶を言うわね…一応こちらでも考えておくわ」
そう言って表情を緩め、今まで手に付けなかった紅茶を飲んだ。
僕「夢見る阿呆の戯言ですよ。何も見られないよりか、断然に良い。
ところで、僕をわざわざ呼んだのも何かあるのでしょう?」
両膝の上に両肘を置き、伸ばした手を組んだ。
まさか本気でお茶会をしてるわけではないだろう。
ミーナ「…ええ、中尉を呼んだのは世間話のためではないわ。
反攻作戦の指令があなた達にも届いているのよ」
すぐさま組んでいた手を解いて、両膝に乗せた。受令をお気楽に聞けるほど神経は太くない。
そして今までキナ臭かった空気が実態を持った。
ミーナ「命令。第501ストライカーユニット整備中隊は、対ネウロイ戦の反攻作戦において
扶桑艦隊の航空母艦に乗艦。作戦中、作戦後のストライカーユニットを整備、点検せよ」
そうか、もうそんな時期なのか。
今後の布石にもなりそうな作戦に参加すると聞いたものの、その程度の実感しか湧かない。
内容が衝撃的で、頭の中に過負荷が掛かった結果かもしれないが。
さらに中佐が続ける。
ミーナ「それに伴ない、同中隊からストライカーユニット担当の整備兵を22名
武装担当の整備兵を11名、指揮官1名を選出せよ、とのことです。何か質問は?」
僕「はい、2つほど。まず指揮官の選出の件ですが、本来なら先任が指揮官になりますが
現在入院中なので、僕がその指揮官に該当すると?」
ミーナ「そうね、階級順で順当に考えればあなたになるわ」
困ったな、初の実戦参加で指揮官か。指揮官の心得でも先任に聞いておけば良かった。
僕「…それと何故、その空母には整備兵が乗っていないのですか?」
聞いた瞬間に思いついた、不自然な点について訊いた。
艦載機を載せてこそ真価を発揮する航空母艦に、同乗しているはずの整備兵について
一言も言及されていないのはあまりにも不自然だ。
ミーナ「…それは機密事項です」
僕「なるほど、失礼致しました」
機密ならば仕方がない。何かとんでもない物でも戦線に投入するのだろう。
カップに残っていたココアを飲み干す。
自分で作るのもいいが、誰かに作ってもらうココアも良いものだな。
ミーナ「詳しい内容は後日、またお知らせします」
僕「了解です。一大作戦となれば、ストライカーの分解点検と再塗装も必要ですね」
ミーナ「…?点検はわかるけど、何故塗装する必要が?」
僕「生きて帰ってきて欲しいという願掛けですよ。
地上で這うことしか出来ない、地上員達のささやかな贈り物です」
剥げかけた塗装で出撃した機体と、塗装し直した機体で出撃した時の
帰還率を比較した詳しい数値的なデータはない。思い込みに近いものだろう。
僕「塗装の綺麗な方が、戦う方も気分が良いでしょうし」
一言付け加えカップを傾けるが、ココアを先程全て飲んだことに気づいた。
僕「…ココアのおかわりってあります?」
ミーナ「あらあら、美味しかったかしら?」
妙に大人びた笑みを浮かべて、コーヒーテーブルをコツコツと叩く。
すると、奥の扉が開いて
バルクホルン「…失礼します」
珍しい人がワゴンを押して応接室へ入ってきた。主計科のコックではなく大尉か。
それぞれのカップへココアと紅茶を継ぎ足し
バルクホルン「…失礼しました」
応接室の奥にある使用人用の小さな扉を開けて消えた。
意外な人選に言葉を失った。
ミーナ「意外そうな顔をしているようだけど、トゥルーデ、いいえバルクホルン大尉は
私の業務の補佐をしているのよ。だから、たまにこうやってお茶を淹れてくれるの。
おいしいでしょう?」
僕「ええ…」
継ぎ足されたココアを口へ運んだ。先任が以前「シフトの調節が云々」と嘆いていたのは
大尉の仕事にも関わっていたからだろう。自由気ままな先任とは、ソリが合わない気がした。
僕「…それでまだ何かあるようですが?」
カップを持ったまま中佐に訊いた。
まだ何か残っているはず。
ミーナ「ええ、あるにはあるけど…」
中佐が言うべきか言わぬべきか迷っているかのように、紅茶の入ったカップを回した。
攪拌されたダージリンの香りが漂う。
ミーナ「…ここから先は他言無用にしてくれるかしら?」
僕「わかりました」
ミーナ「…少佐の魔法力が少なくなっていることに、中尉は気付いてるの?」
ああ、だから自らのウィッチとして飛べる時間も削っているように見えたのか。
僕「…いいえ。ただ、今日少佐が帰還した際に、何となく変だとは思いましたが」
ミーナ「もう受け入れるしか無いのね……報告ありがとう。下がっていいわ」
諦めたように中佐が呟いた。
残ったココアを一口飲んでテーブルに置く。ソファから立ち上がり、敬礼。
真鍮色に輝くドアノブに手をかけ、重い扉を少し押したところで振り向き
僕「…バルクホルン大尉にお伝え下さい。ココア美味しかったですよ。ごちそうさまでした、と」
言い残して応接室から出ると、後ろで重い音を立てて扉が閉まった。
窓の外で太陽の朱が、名残惜しそうにして夜の紺に押し出されていた。
僕「猛き者も遂には滅びぬ、か…」
古文の一節を思い出した。少佐も、今さっき話していた中佐も、シャーリーも。
それまでに音の向こう側へ連れていけるだろうか。
僕「…急ごう」
まだ整備兵がストライカーの点検をしている頃だろう。
明日辺りに行う分解修理と再塗装の班分けを伝えるべく足早に格納庫へ向かうが
一度浮かんでしまった仄暗い予感を拭えなかった。
最終更新:2013年02月07日 13:31