――――談話室――――
医務室で消毒と絆創膏を貼り終えた後で談話室の扉を開けると、心地良いピアノの音が空気を揺らしている。
たった二人といつもよりも人数が少ないが、彼女達は街へ出ているのだろうか。
何せ大型ネウロイ艦隊を撃破したのだから、浮かれるのも分かる。
談話室に残る少女の一人、エイラは背を向けたままタロットカードに興じている。
「俺ー、少佐に聞いたゾー。厳重注意で済んで良かったナ」
まったく背後を見ずに人物の正体が分かるあたり、彼女に予知能力があるのは本当らしい。
「ああ、耳が早いな、ユーティライネン中尉。これでまた飛べる」
ピアノを演奏しているサーニャの妨げにならないように、男はエイラの近くまで歩み寄ると、小声で言葉を紡いだ。
「ツンツン
メガネが心配してたゾ。付きっきりで介抱してたらしいし、同じ
ガリアの生まれ同士何か思うことがあるのかもナ」
「ああ、彼女には世話になりっぱなしだ」
男は一言つぶやき、話題を区切る。彼自身、ペリーヌとの関係を暴かれるのは気恥ずかしいのだから。
「……Blue skiesか。良い曲だ」
「当たり前ダロ、サーニャが演奏してる曲なんだから」
軽快なリズムで生まれる旋律は、彼の心を捕らえたようだ。
そして、的外れな返答を行うエイラに、男は薄く笑みを浮かべる。
「そういえば、君達とはあまり話した事が無かったな」
「私はオマエの着任初日に覗きに行って、少佐にゲンコツもらったけどナ」
彼はそのときの様子を思い出して苦笑する。宮藤にリーネ、
シャーリーにルッキーニ、そしてエイラ。この五人のせいで、バルクホルンに淫行の疑惑をかけられたのだった。
「リトヴャク中尉とは、言葉を交わすのも
初めてかもしれない……いや、食事時に軽く自己紹介をしてもらった程度か」
演奏は締めくくられる。パチパチという乾いた拍手の音が部屋に溶ける。
「素敵な演奏だった。リトヴャク中尉」
男の言葉に、サーニャは顔を赤らめてそっぽを向く。男は残念そうな表情を作るが、一瞬でその表情を払拭すると、次の言葉を紡ぐ。
「君はオラーシャの生まれだったな。ピアノを学んだのはその時か?」
「いえ、育ちがウィーンなので、そこで」
「ほう、なるほど。君のような人物が部隊に一人居てくれれば良いのだが。
ナイトウィッチとしても、演奏家としても」
その言葉に、さらにサーニャの顔が染まる。エイラはむっとしたような表情を浮かべている。
「――俺大尉は、ラ・マルセイエーズがお好きなんですか?」
その言葉に、男は固まる。そういえば初めてあの空中空母を撃墜したときに、彼はあまりにもテンションが上りすぎてついついあの歌を口ずさんでしまったのだった。
「あくまで、メロディが好きなだけだよ」
彼がそう言うのも無理は無い、田畑をネウロイの亡骸で埋め尽くす歌を愛しているなどと言ったら、危険人物以外の何者でもない。
「あの歌詞は本国でも歌唱禁止にされる位のものだからな。私も士官学校でようやく歌詞を知ったくらいだ」
その言葉に、サーニャは笑みをこぼす。彼女の意識では、目の前の男はこれほど饒舌に物事を話す人間ではなかった。むしろ口数が少ない部類かと思っていたのだが、そんなことは無いらしい。
「へー、あの歌はそんなに歌詞が酷いのカ」
「ああ、あの歌を作詞した人間は私以上の戦闘狂らしい」
くく、と男の喉が鳴る。エイラは次の言葉を紡ごうと息を吸い込んだが、その行動は勢い良く開かれた扉によって妨害されてしまった。
「たっだいまー! エイラ! サーニャ!」
元気の溢れ出るルッキーニは大声で叫ぶ。エイラはキッとルッキーニのほうを見つめると、ジト目で言葉を紡いだ。
「オマエ今サーニャが演奏してたらズボン没収してたとこだゾ。んで、目当てのものは手に入ったカ?」
「うん! ばっちり!」
ルッキーニに続いて、談話室にはシャーリーと遅れて宮藤とペリーヌが入る。この二人は青白い顔でなにやらうわごとを呟いていた。
「うふふー、トラックって飛ぶんですねー、ペリーヌさーん」
「おほほー、トラックは飛ぶんですわよー、宮藤さん」
どうやら、何かがあったらしいが、それを尋ねるほど彼の心にはゆとりは無い。
おそらく、何か恐ろしい経験をしたのだろう。精神的に。
だが、彼は彼女に言わなくてはいけないことがある。それは、すぐにでも。
男は大きく息をすうと、ペリーヌへと歩み寄る。彼女は、自分の力では正気に戻れないらしい。
「……ペリーヌ」
低い声が空気を伝い、鼓膜を揺らす。ペリーヌははっとしたように、頭二つ分ほど高い位置にある黒い瞳を見つめた。
「あら……俺大尉?」
いつの間に、という言葉を紡ぐよりも早く、男は深く頭を下げた。
「先日の戦いで、いや、その後も、手間をかけさせた。感謝する」
ペリーヌの顔が朱に染まり、彼女はいつもの憎まれ口を叩く。
「な……べ、別に感謝されるような事ではありませんわ! 高貴な身分には高貴な義務が付き従いますの!」
ふい、と顔を背け、ペリーヌは言う。男はゆっくりと頭を上げると、一瞬だけ穏やかに微笑んだ。
「あ、笑った」
「えぇ!? 見せて! みーせーてー!!」
シャーリーが心底驚いたように言うと。ルッキーニがシャーリーの胸に飛び込みながら男の顔面を眺める。
残念な事に、既に笑みは溶け落ちている。
「ねぇ! もう一回笑ってよ!」
「私はそれほど器用ではない」
空いている椅子に腰掛け、男は言う。ほんの少しだけ、眉間の皺は弛緩した。
きっとこれからも、強敵と戦うのだろう。そして多くの傷を負い、皆は人生を過ごして行くのだろう。
長い人生なのだ。これくらいの休息をもらっても良いじゃないか。
ちらりと、男はペリーヌの方を向く。ペリーヌもそれに気付いたのか、男を見つめる。
「――――」
男は聞き慣れぬ発音で、ペリーヌに言葉をつぶやくと、ペリーヌは顔を真っ赤にして口をパクパクと動かす。
そうだとも、これくらいの戯れは、許されるはずだ。
男は指を組み、少しだけ眼を瞑る。サーニャの奏でてくれた音色が、彼の脳から鼓膜を揺らしていた。
――昼間、滑走路――
輸送機が基地に近づく。先日全損したストライカーユニットの補充のためである。
ガリアの輸送機ではなく、カールスラントの輸送機であることが、彼の心に一抹の不安を浮かべていた。
俺大尉の横に立つミーナは、その事に気付いているのだろうか。
輸送機は基地に到着し、ハッチが開くと内部から十数人の男達が歩み出、ハッチに沿って列を作ると右手を高く掲げた。
ミーナはわずかに眉をひそめ、そして呆れたような苦笑いを浮かべる。
カーゴの内部からは二人の女性が歩み出てくる。一人は似合わない丸いメガネをかけた小柄な女性――いや、ひょっとしたら少女かも知れない。
右手を掲げる男達――親衛隊の面々が作る列の間を威風堂々と歩きながら、女性も軽く右手を掲げて歩き――そして勢い良く前方に転んだ。
一瞬だけ兵士達がどよめくが、近くの列に居た男が女性の下でクッション代わりになったため、怪我は無いようだ。下敷きになった黒衣の男はなぜか恍惚の表情を浮かべている。
白いグローブを両手に着け、真っ白い仕官服でその体とズボンを包んだ女性は、顔を真っ赤にして起き上がると、ぎくしゃくとした足取りで再び歩き始める。
その後ろに付き従うのは、長身の女性である。
足元までをすっぽりと覆う白衣をまとっているが、胸元までしかボタンで留められておらず、豊満な下乳と黒いズボンが丸見えになっている。
女性に似つかわしくない多重レンズ付きの眼鏡をかけたその女性は、台車に固定されているユニットと小包を運搬しながら、冷静に少女の後に付き従っている。
「お久しぶりです、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐。ご機嫌麗しゅう」
女性は細い腕で敬礼を行う。ミーナも、困惑の表情とともに返礼を行った。
「ええ、久しぶり、『少佐』。『博士』も久しぶりね」
小柄な彼女はカールスラント情報部の特務少佐であり、長身の女性はカールスラントの軍医である。彼女は以前からこの二人に対して強く出られないでいた。
二人はミーナが軍に入る以前からその場所で「少佐」と「博士」として在籍し、一部では彼女達が不老不死であると言う噂まで流れているのだ。
「そして『
エクスキャリバー』、久しぶりね。貴方がずっとカールスラント勤務だったら砂糖とミルクアリアリのヴァンホーテンが毎日飲めたのだけど」
「お久しぶりです、少佐殿」
身長差は優に五十センチ以上はあるだろう。それほどまでに「少佐」は小柄なのだ。
ストライカーを運搬する「博士」も、ミーナに軽く敬礼を行い、男に視線を向ける。
「ガリアの技術とわが国の兵器廠の技術を届けに来た」
「感謝する『博士』」
「博士」の身長は百八十センチはあるだろうか。すらりと伸びたスレンダーな体には似つかわしくない豊満な胸が揺れている。
気のせいか、列を作っていた男達がなにやら呟いているが、彼女は気にならないようだ。
「総員傾注!」
小柄な体からは想像も出来ないようなまっすぐに芯の通った声で、「少佐」は声を発する。その言葉に、列を作る黒衣の親衛隊は一斉に「少佐」を見つめた。
「第501統合戦闘航空団ストライクウィッチーズ、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐に敬礼!」
軍靴の音が空気に溶けながら、十数人の集団は一斉にミーナへ向けて敬礼を行う。「少佐」と「博士」に向けたロマーニャ式敬礼ではなく、一般的な敬礼である。
ミーナも返礼を以って、集団の礼に応えた。
「今回のカールスラント本国からの補給物資は以上です。それでは、またいつか」
「少佐」は小さく右手を上げ、黒衣の集団の列の間を通り抜けてカーゴルーム内に戻る。その後ろには「博士」が続き、列を保ったまま黒衣の集団もカーゴルーム内に入る。
滑走路をタキシングした輸送機はやがて、轟音とともに空へと還って行った。
「……いつ見ても壮観ですね、カールスラント情報部の『ミレニアム』は」
「ええ。あの子達はいつも変わらないわ」
ミーナは薄く笑みを浮かべ、輸送機の向かう先をしばらく眺め、そして口を開いた。
「さて、早く運んじゃいましょう。今度は壊さないようにね」
「ええ。今度は『堕ちません』」
コツコツと靴音を響かせ、男は台車をハンガーへ押す。ミーナは呆れたような表情を浮かべたが、再び虚空を見つめる。
輸送機が作る飛行機雲が一筋、青空に溶けていった。
最終更新:2013年02月07日 15:19