――――市街、レストラン――――


 一通りの買い物を終えた四人は食事のためにレストランを訪れていた。大部分の荷物は基地まで郵送してもらったため、今彼らが所持しているのはわずかな買い物袋だけだ。もっとも、これから量は増えるのだが。

「買い残した物はあるか?」

「んーん、全部買った……買ってない。あとは本だけかな」

 最後の最後に男が走り書きで付け加えた購入物資が、最後の買い物になるらしい。本屋であれば緩やかな時間が過ごせるだろうと考えたのか、男は薄く笑みを浮かべて規格帽を脱ぎ去る。この男、笑うことが増えたものだ。

「本とは、どういうものを買えば良いのだろうか」

 唐突に男は呟く。その言葉に、宮藤とリーネも考えをめぐらせる。まさかバルクホルンがやろうとしたように「カールスラントの未来を支える重工業」を買うわけにも行かない。とはいえ、目の前の男がこの類の本に全く手を出さないとは言い切れないのだ。ひょっとしたら、「歴史年鑑」や「医療大辞典」といった本を嬉々として買い揃えて公共スペースに置くのかもしれない。

「んー、皆さんが手に取るようなものであれば、無難に小説とかじゃないですかね? マンガとかでも良いと思いますけど」

「雑誌とかでも良いかもしれませんね、月刊の」

「ふむ……小説にマンガに雑誌、か。君達の年頃はやはりファッション雑誌などが良いのだろうか? 私としては『フューチャーウェポン』シリーズがお勧めなのだが」

 その言葉に、リーネと宮藤は苦笑いを浮かべ、ルッキーニは否定の言葉を口にする。それもそのはず、軍事雑誌と言えば聞こえは良いが、どう考えても現実化しないであろう兵器がつらつらと紹介されているのだ。磁力と火薬を複合した広範囲制圧用対空砲台や一定高度で炸裂して鉄の雨をばら撒く砲弾、ネウロイの懐深くまで軍を運搬できる重巡航管制機なんて、夢物語以外の何物でもないのだから。

「あ、世界の航空歩兵シリーズでもかまわんぞ? アレは良い雑誌だ」

 男は心底楽しそうに雑誌の話を始める。確かに、世界の航空歩兵シリーズは基地に1冊あって損をするような本ではない。現に彼女達の知り合いも何人か載せられているのだから。

「とりあえず、実際に本屋さんに行って見てからですね」

 リーネはそう結論付け、注文が決まったのかメニューから目を上げる。続いて宮藤とルッキーニも視線を上げると、男はメニューを折りたたんで軽く手を上げた。長身の男が軽く手を上げるだけでも、十分目立ってしまう。注文を取りに来たウェイトレスは、そのテーブルの異様な男女比を目にすると一瞬だけ眉をひそめたが、注文をうかがう。

「お決まりでしょうか?」

「私ナポリタン!」

「えぇと、ミートソースで」

「私はカルボナーラを」

「キノコのパスタを」

 各々決めた料理を注文し、注文を取り終えたウェイトレスは再びせわしなく店内を動き回る。

「皆パスタですね」

 なんともなしにリーネが言うと、ルッキーニがメニューを指差した。

「だって、ここパスタ推してるもん、ほら、ここ」

 ルッキーニはメニューに書かれたロマーニャ語を指でなぞるが、他の三人は眉間に皺を寄せて必死に解読を行う。どうやら、ロマーニャ語に詳しいのはルッキーニだけのようだ。

「……それにしても、ここだけを見れば今が戦時中だとは思えないな」

 男は腰のモーゼルをコートで覆い隠しながら小さく呟く。周辺の客がにこやかに談笑を交わす姿は、とても今が命のやり取りをする時間だとは思わせない。それとも、ただ単に彼の観察眼がおかしいだけであろうか?

「毎日ピリピリしているよりはよっぽど良いですよ」

「そうそう、平和でお昼寝が出来れば幸せだよ」

「ルッキーニちゃんはいつもお昼寝してるよね」

 三人の少女は和気藹々と言った様子で言葉を交わし始める。一人輪の中から放りだされたようになってしまった男は、大きく息を吐くと天井を見つめ、そして右の腰のモーゼルを撫でる。

 冷たいメタリックな感覚が、彼の思考をクリアにしてくれる。

 こんなにも平和を喜ぶようになったのはいつからだっただろうかと彼は回想する。

 つい最近まではネウロイを駆逐することを至上の喜びとしていたはずなのに、気が付けば顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。それが、彼には理解できなかった。

 自分は唯一つの武器であればそれで良い、それで良かった、それで良いはずだった。

 だが気が付けばいつの間にかそれ以上のものを求めてしまう。魔力が切れて本当に飛べなくなったら爆弾を抱えてネウロイに特攻して散っても良いとさえ思っていたのに、気が付けば彼女と共にガリアの土を踏むことを考えている。

 今も昔も、彼自身を狂わせるのは月光だけのはずだった。それなのに、もう一つ、いや、もう一人が、彼を「狂い立たせる」。その彼女のためならば、何でもやるだろうという確信にも似た予想が、そして、予想にも似た確信があった。

「お待たせいたしました」

 ウェイトレスの声が彼を現実に引き戻す。どうやら、彼が思考の彼方を覗いている間にも時間は着々と流れていたらしい。男は呆けたような表情を一瞬で引き締め、眉間に皺を寄せるといつも通りの険しい表情を作った。

 ウェイトレスは一体自分のどんな行動が目の前の男の機嫌を損ねたのか、ありもしない不祥事を思い起こしながら、薄く冷や汗を浮かべていた。


――――501基地、ペリーヌの部屋――――


 ペリーヌは枕を抱きながらベッドに腰掛ける。静かな部屋では考え事が捗るのだろうか。今日の彼女はなぜか、無性に苛立たしかった。

 給金のすべてをガリア復興財団に寄付しているために、欲しいものが気楽に買えないとはいえ、彼女と彼の関係ならばプレゼントや土産をねだることはたやすかったはずだ。現に彼女は彼にワインを送ったのだから。

 おそらく苛立ちの原因は、買い物に行くメンバーに自らが選ばれなかったこと、彼が選ばなかったことにあるのだろう。その上、ただでさえ目の敵にしている宮藤を共に連れて行ったのだから。

「……馬鹿みたいですわ」

 枕に口元を埋め、くぐもった声でペリーヌは言う。途方も無い喪失感が、彼女の胸にぽっかりと存在していた。

 もちろん彼の思考としては、ペリーヌと共に買い物に行きたかったのだ。しかし、ルッキーニもいるのだからあっという間に二人の関係が部隊内に知れ渡ることを危惧していたためのことなのだが……。

「本当、馬鹿みたいですわ。一人ではしゃいで、一人で悲しくなって。これではまるで道化(ピエロ)――」

 コンコンという軽いノックの音が響く。ペリーヌはちらりと視線を向けるが、言葉は発しない。一瞬の間を置いてかちゃりと音を立てて扉は開かれた。

 姿を現したのは、シャーリーであった。

「……もし私が着替え中でしたら、枕を投げつけているところでしたわよ、シャーリー大尉」

「でも、そうならなかった。ペリーヌは今ちゃんと服を着てるじゃないか」

 ペリーヌの憎まれ口を気にする様子は無く、シャーリーはするりと部屋の中に入ると扉を閉める。シャーリーはいつも通りの穏やかな表情で、ペリーヌの部屋の壁にもたれかかった。

「最近良く笑うようになったのに、今日は珍しくツンツンしっぱなしだな。何か相談があれば乗るぞ?」

「結構ですわ」

 ぴしゃりと、ペリーヌは言う。シャーリーはおどけたように声を漏らし、大げさに肩をすくめた。

「ペリーヌは何でも一人で抱え込むから、辛いだろ?」

「貴族の義務ですわ。それに、私よりももっと辛い思いをしている人は一杯いますもの」

「だからと言って、ペリーヌが辛い思いをする必要は無い」

 ペリーヌの言葉が詰まる。いつのまにかシャーリーの顔からは穏やかな笑みは溶け落ちていた。

「お前は今まで頑張って頑張って、必死に耐えて耐えてきたんだから、ちょっとくらい休んでも誰も咎めはしないさ。だからもっと素直になってくれよ。いつかお前が壊れてしまいそうで、辛いんだよ」

 シャーリーは悲痛な顔で言う。思えば彼女がこんな顔をしたのは、見たことが無い。

「……謝りたいことがあるんだ。花壇での一件、覗いてごめん」

 その言葉に、ペリーヌが浮かべた感情は怒りでも困惑でも無く、羞恥だった。シャーリーからすれば花壇の件とは俺大尉の過去の告白なのだが、ペリーヌからすれば花壇の件とは俺大尉が二回目の医務室送りから回復したその朝の事、彼とのくちづけの事に他ならないのだから。

「な、あ、あ、貴女は一体どうしてあんな朝早く花壇にいらしたんですの!?」

「は? だって起床ラッパが鳴ってただろ?」

「へ?」

 その言葉に、一瞬だけペリーヌは考え込み、そして、「やってしまった」というような表情を作る。その表情を見て、シャーリーの瞳が怪しく輝いた。

「おやおや? まさか私が知らないうちにお二人の関係は絶賛進行中ですか? 淫靡でインモラルな関係が絶賛進行中ですか?」

 ペリーヌに肩を組みながら、シャーリーは真っ赤な顔のペリーヌに尋問を始める。

「も、も、黙秘しますわ」

 ペリーヌは真っ赤な顔で枕に顔をうずめたまま、ようやく言葉を搾り出す。

「ほうほう、つまり淫靡な関係は進行中と? なんてこった、ペリーヌは魔女(ウィッチ)じゃなくなってしまったのか」

「そこまでは言っていませんでしょう!? っていうか、そんなはしたないことを私がするとでも?!」

 先ほどまでのシリアスな雰囲気はどこへやら、きゃあきゃあと言う声が部屋に響く。そして、ひとしきり話し疲れたのか、シャーリーは息を整えて言葉を紡ぐ。

「っていうか、ペリーヌと俺の関係って結構部隊に知られていると思うんだ」

「へ!?」

「だって私とルッキーニ、それにエイラは花壇の一件を見てたし、ミーナ中佐とハルトマンはなんか感づいてそうだし」

 その言葉に、さーっとペリーヌの顔から血の気が引いて行く。ルッキーニが知っているという事は、それすなわち部隊全員、ひいては部隊外にまで情報送信されると言う事なのだから。

「あ、でも坂本少佐とバルクホルンは絶対に知らないと思うな、サーニャと宮藤、リーネはうすうす気付いてそうだけど――」

 その言葉に、ペリーヌはついにベッドに倒れこむ。無理も無い、部隊の80%以上がこの関係に気付いているのだから。

「まあ、良いじゃないか。恋をするのは悪い事じゃないし」

「それは貴女が当事者で無いから言える台詞でしょう。ああ、これからどんな顔をして皆に会えば……」

 ペリーヌはベッドから起き上がるが、枕は抱きかかえたまま思考をめぐらす。

「いっそのこと、開き直って部隊内では常にイチャラブすれば――」

「その発想はおかしいですわ」

 鋭い突っ込みに、シャーリーは再びおどけたように肩をすくめる。だが、今度はシャーリーの顔の笑みは消える事は無い。

「どうだ? だいぶ楽になったんじゃないか?」

 はっとしたように、ペリーヌは目を見開く。確かに陰鬱な気持ちは吹き飛んだのだから。

「私は応援するよ。今度は好奇心じゃなくて、真剣に。だから私も頼ってくれよ」

 そう言うと、シャーリーはペリーヌに抱擁する。

「(まるで、母様みたい……)」

 遥か過去のぬくもりを思い出しながら、ペリーヌは瞳を閉じる。日差しは変わる事無く、世界を照らしている。

 そしてシャーリーはペリーヌを抱擁から開放すると、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「で、結局どこまで行ったのさ? A? B? さすがにCは無いよな? な?」

 唐突に雰囲気の変わるシャーリーの質問に、紅潮が抜けかけていたペリーヌの頬はまた一段と紅に染まる。

 ペリーヌとていわゆる「ABC」の意味がわからないわけではない。

 普段なら断固として回答を拒否するところだが、なぜかペリーヌは実直に、羞恥をこらえながら、回答を導いた。

「え、Aまでですわ。そ、そもそも! 私達は軍人ですから、本当ならばこんなことに現を抜かすべきでは――」

「あっはははは! ペリーヌはかわいいなあ!」

「わぷっ!?」

 先ほどの抱擁とは違う、いつもルッキーニに施すような荒い抱擁がペリーヌに行われる。豊満な胸に顔をうずめたペリーヌは、思わず間抜けな声を漏らした。

「っていうか、俺でも恋愛の感情表現はするんだな、それは申し訳ないが素直にびっくりした。まあ、思い返せば俺も恋愛の国ガリアの出身だしな」

「ぷはっ、あら、それは彼に対する侮辱と受け取っても良くて?」

 ペリーヌも意地悪そうな笑みを浮かべ、言葉を紡ぐ。シャーリーはそんな彼女の髪を荒っぽく掻き回すと、朗らかに笑った。

 以下にリベリアンらしい、豪快な笑い方で。でもペリーヌは知っている、彼女が実は、母性に溢れる人物である事を。

 ガールズトークはまだまだ続く。互いに笑みを浮かべて笑う様は、普段の彼女達からは想像も出来ないほど、平和な光景であった。

最終更新:2013年02月07日 15:22