ep2(仮)




 年明けて1945年2月某日。寒さはなお厳しさが続いていた。俺は早朝に身を起こし身支度を済ませると、壁際にある小さな
作業机に向かった。俺は引き出しから上品な木製のケースを探し当ててそれを開くと、サーシャから貰ったあの小粋な万
年筆を手に持った。そして、俺は普段通り故郷の家族に宛てた手紙をしたためていく。

 便箋の上に筆を辷らせながら、俺はふと昔を思い出していた。中庭の上枝に実った柿欲しさに背伸びして中空に手を仰いだ、
あの頃のことを。

少年時代は、引っ込み思案で学友との関わりが少なかった。それ故に常夏の火照るような暑さの日に常緑の樹々の中に駆け出し、
燦爛たる美華や雨上がりに濡れた葉を眺めるのは、唯一の楽しみであった。

夏の野草を探しだし、スケッチに集中する少年はいかに奇怪であっただろうか。それを思うととても滑稽である。
恐らく、人見知りの孤独な少年が戦地の前線に立っていることなど、誰も想像もできなかったに違いない。

 そんな事を思いながら、俺は手紙を書き終えると丁寧に便箋を三つ折りにして質素な封筒に入れ、壁にかけられた時計で時間を
確認する。朝食にはまだ早い時間だった。俺が便箋を抽斗にしまい入れた所で、ノックの音がした。俺は軽く返事をすると、
扉の前に行って静かに開く。そこにはサーシャがいた。

サーシャ「おはようございます、俺さん」

俺「うん、おはよう。まだ朝食には早いけど、どうかしたのかな?」

サーシャ「特に大事な用事でもないのですが、これを忘れていたので…」

そういってサーシャは一枚の紙切れを渡す。見ると、それはストライカーユニットの性能評価用の紙だった。

俺「…それは俺が昨日探してたやつだ。それでわざわざ……ほんとうに助かったよ、ありがとうな」

彼女は髪を掻き上げながら、少し照れくさそうに笑う。

サーシャ「いえいえ、御礼言われるほどのことでは…。…それはそうとこれ、ストライカーの性能評価用のですか?」

俺「うん、ストライカーの安定評価用のナイキスト線図でね。最近制御系統の動作を確認していた所だったんだ。
  …そうだ、御礼代わりと言っちゃなんだが、サーシャもココア一杯どうかな?」

そう言って俺はちょうど入れたばかりのココアを彼女に差し出す。彼女は少し考えこむ仕草をした後、微笑を浮かべて
こう言った。

サーシャ「そうですね、朝食にはまだ時間がありますし。…それじゃ、お言葉に甘えて」



 甘い芳醇な香りが部屋を充たすと、質素で貧しい装飾品は磨きたての食器のように明るさをもった。サーシャは丸テーブルの
傍の椅子に座ると、俺にこう訊いてきた。

サーシャ「俺さんは、ここのところの世界の動向をどう思いますか?」

俺「どう思うって…?」

サーシャ「最近の話を聞くに、ここのところ連合軍上層部の動きが慌ただしくなっているそうです。多分、件の事のことでしょうけど…」

俺「例の人型ネウロイの話か?」

彼女は『ええ』と一言漏らすと、目を伏せる。彼女はそのことで少し思うことがあるらしかった。俺には彼女の言わんとしている
ことが何となくわかった。

俺「そうだな…昨年、501の宮藤軍曹が人型ネウロイとコンタクトしたという報告…。彼女の証言に何らの確証が得られないにせよ、
  サーシャが考えているとおり、ここの所の上層部の動きをみるに、ネウロイとの来るべき接触のための行動とみて相違ないと
  思う。連合各国としては、早期決着は望むところだし、長期戦による疲弊も避けたいのだろう。焦燥が人々の不安を煽りたて、
  内乱と擾乱が起こる前にね…。だが、不安要素はまだまだ多くある。作戦がいつ、どのように実行されるのか、我々の懸念は
  未だに渦巻いたままだ。しかし…」

俺は断言したようにこう言う。

俺「サーシャの不安の種はそこにあるわけじゃない」

サーシャ「…鋭いですね、俺さん。まさしくその通りです」

彼女は納得したようにそう言うと、サーシャは丁寧にカップを手に取り、口をつけた。

サーシャ「私は人型ネウロイの接触には概ね賛成です。ネウロイとの対立が避けられるのならば出来る限りそうするべきです。
     ですが…」

そして、息を少しつくと不安気な調子でこう言った。

サーシャ「ですが、私にはどうにも連合軍司令部の真意がよく読めないのです。何しろ私たちの意向を無視してまで
     行動しているのですから」

俺「…確かにそうだな」

 俺にはサーシャの言葉には心当たりがあった。ここの所、司令部の行動は明らかに不審な点が多かった。各国首脳や皇族への上
申もなく、軍部だけが動いている状況。

そして、情報筋によって明らかになった、軍需物資がロマーニャに運搬され、研究者及び技術者が続々と扶桑に集結しようとしている
状況は誰の目から見ても不可解であった。彼女は更に続けて言う。

サーシャ「それに、行動を起こすにしてもマスコミはおろか人々にもその事は公表されないでいるのは何か変です。それに、末端の
     私達にも仔細が伝えられていません。私達が何処に向かっているのか、何をしなければならないのか、その方針が示され
     もせず、いったい何ができるというのでしょうか…」

俺は彼女の言葉に頷く。そうして、彼女の溌剌とした意見には力があった

俺「それについては、サーシャの言う通りだと思う。しかし、残念なことに俺達は末端の存在だ。上層部に掛けあってもそのこと
  は公表されないだろう。俺達がどうこう容喙することもできないしね。今はただ事の趨勢を見て、初めて行動するべきなの
  かもな」

サーシャ「それには私も同意見です。それがいつになるかはわかりませんけど…」

彼女は困ったような笑みを口辺に浮かべたので、俺もそれにつられて柔和な表情になる。

サーシャ「さて、そろそろ朝食の時間ですし、そろそろいかないと…。俺さん、温かいココア、ありがとうございました。
     使用したカップとかは私の方で洗いましょうか?」

そう言って、彼女は手にとったカップをテーブルに置き、静かに立つ。

俺「ああ、それは俺が洗っとくからそのままでいいよ」

サーシャ「…俺さんがそういうのなら。 それでは、私は朝食の前に隊長の執務室に用があるので、これにて」

彼女は俺に背を向けると、ドアの方に向かおうとした。俺はそのサーシャの小さな背を見て、俺はある衝動に駆られた。
そして、俺はサーシャを呼びとめてしまった。

俺「ちょっと待ってて欲しい。…そのままじっとしてて」

彼女は俺の言葉に従ってそこに立ち止まる。

サーシャ「あ、はい。わかりました…。…それで俺さんどうs……ふにゃ!?」

サーシャは頓狂な声を上げる。俺はいつの間にか、感情の赴くまま彼女を後ろから抱擁していた。

サーシャ「お、俺さん…。急にこんな…」

俺「…ごめん、サーシャの背中を見てたらさ、急にこうしたくなった」

サーシャ「わ、私はまだ心の準備が…。お、俺さんはずるいです、唐突にこんな…」

わたわたする彼女の反応が可笑しかったので、つい意地悪なことを口にする。

俺「ずっとこのままで隊長の部屋の前まで行こうか?スリルがあって面白いと思うよ」

サーシャ「ば、馬鹿を言わないで下さい。こ、こんなところを誰かに見られでもしたら…」

俺「じゃあ、ちょっとの間だけでもこうしてていいかな」

彼女は真っ赤な顔と潤んだ瞳で何か反論したげだったが、拗ねたように『わかりましたよ』と小声で一言言った。

 しばらく間、二人は無言となり、僅かな時間が流れる。時計の針だけがかちこちと微動して、刻々と過ぎる時間だけを告げた。
窓から差し込む夥しい陽光が小波立ち、一つに重なった陰翳を壁面に映しだしていく。その翳は微かに揺曳し、一つの完成された
フィルムみたいに間断なく蠢いていたのである…。

サーシャ「…俺さん、そろそろいいでしょうか?」

サーシャが気恥ずかしそうに顔を見上げて、か細い声で言った。その動作には彼女独特のいじらしさがあった。

俺「うん、わかった」

そうして、俺達は名残惜しそうに離れようとした。しかし、その時ドアは軽快な音と立てて開かれた。
サーシャはものすごい勢いで退歩する。

ニパ「俺、 朝食の時間だぞー。 ってあれ、大尉…なんでこんなところに…。てか、そのポーズは一体…」

サーシャはその如何にも熊がするようなポージングに対して、わたわたと苦し紛れにこう言った。

サーシャ「…えっと、あのその…、そう!これは東洋武術の一種で、こうやって戦う相手に敬意を示しているんです!」

ニパ「…とーよーぶじゅつ? けーい? なんじゃそりゃ…」

俺「…ははは」

ニパは訝しげに呆然とそこに立ちつくした。後に残ったのは俺の乾いた笑いと、彼女の気恥ずかしさだけであった。



ロスマン「聞きましたよ、大尉。さっき俺さんの部屋にいたんですってね」

朝食の後、開口一番にロスマン軍曹にそんな事を言われた。

サーシャ「…だ、誰がそんな事を…」

ロスマン「菅野少尉あたりがそういってましたね」

それを聞いて私はため息をつく。恐らくはニパさんから人づてに伝わったのだろう。

サーシャ「…ひょっとして、それをネタに私を揶揄う心算だったとか」

ロスマン「フフッ、流石にそんな趣味の悪い真似はしないわよ」

どうやら、彼女の言葉に嘘はないようだった。こういう時、彼女は人の心を弄ぶなどという事はしないのは、私に安心感を与えた。
ちなみに彼女は、俺さんとのこれまでの経緯、そして私が俺さんに告白したことも凡て知悉している。まあ、尤も前々から俺さん
との事について相談をしていたのだが…。

ロスマン「で、どう?あれから少しは進展しました?」

彼女の主な興味はそこにあるらしい。無論、女の子としての好奇心も含まれていた。

サーシャ「…し、進展したというか、部屋で後ろから強引にハグされたというか…」

ロスマン「へー、俺くんって見かけによらずやるのねー。それで…それから先は?」

サーシャ「そ、それから先って…?」

ロスマン「接吻とか、そういうのですよ。 ひょっとしてそこまでいってないとか…」

私は気恥ずかしくなって、コクリと頷く。

ロスマン「なるほどね。 相変わらず大尉は奥手というか。大尉ももっと積極的にいけばいいのに…。まー、そういうところに
     俺君は惹かれたのでしょうけど」

サーシャ「だって、あんな状況ではまともに顔を見られないし、それにその…身体が密着しちゃって…その時点で
     頭が真っ白になって、それでぼーっとした感じになって」

私は顔を赤くしながらも髪の毛をくるくるさせながら、ありのままに思ったことをぶつける。
ロスマンは苦笑いしながら『うーん、重症ね』という意味のことを言った。

ロスマン「そうね、ここはひとつ下原少尉に相談してみましょうか」

サーシャ「え…!?」

思っても見ない人物が急に出たので、私はつい上っ調子な返答をした。ロスマン軍曹はその疑問に
応じるかのように言葉を続けた。

ロスマン「扶桑の男の心を知るには、扶桑の人に聞くのが一番だと思うんです。ひょっとしたら、
     うまく篭絡する方法があるかも…」

サーシャ「…えっとその…言いたいことは何となく理解できます。ただ、気がすすまないというか…。
     それに、下原少尉にあんまり御迷惑を掛けたくありませんし」

ロスマン「大丈夫、彼女ならば快く引き受けてくれるでしょう。とにかく段取りとかは私に任せて頂戴」

サーシャ「は、はぁ…」

曹長に勢い良くそう言われ、何となく断りにくくなる。…私は上手く口車に乗せられたような気がしてならなかった。



 午前のブリーフィングの後、ニパからの連絡で、ラル少佐の執務室に呼ばれることとなった。
俺は執務室の前に来ると目の前の荘厳な扉を叩いた。隊長の応えを確認すると、俺は『失礼します』と一言断って中に入る。
執務室の重々しい机の前に、既に呼び出されていたサーシャとジョゼの姿があった。

 隊長は全員揃ったのを確認すると穏やかな口調で話し始めた。

ラル「さて、君たちをここに呼び出したのは他でもない。くだくだしい説明を差し置いて、単刀直入に言おう。
   俺技術士官、ポクルイーシキン大尉、ルマール少尉、以上の3名は、3月8日の明朝午前5時、ロンドンに飛んで欲しい」

俺「ロンドンにですか?」

ラル「急な話だが…まあそういうことだ」

サーシャ「ロンドンに飛ぶということは、一斉に集まって会合があるということでしょうか?」

ラル少佐は『察しがいいな』と小さく呟き返した。

ラル「実を言うと、各国連合首脳、及び皇族関係者の面々で3月10日に鳩首凝議を執り行う事が、本日の明朝、司令部の閣議で
   決まったそうだ。それに際し、各統合戦闘航空団の代表を3名ほど募り、私達から直に意見を求め、今後の
   打開策や展望について話しあいたいそうだ」

沈黙を保っていた連合司令部の急な動きに俺は戸惑いを隠せずにいた。無論、俺だけではなく、皆が当惑した表情をしていた。

ラル「皆が驚くのも無理は無い。何分急に湧いて出た話でな、私自身も戸惑っている」

ラル少佐はそう付け加えるようにして言う。

ラル「連合司令部の思惑がどうであれ、私達もその話に乗らねばなるまい。恐らくは私たちの命運を分けるかどうかの話し合い
   だろう。それに我々が上層部に具申できるいい機会になるかもしれない」

サーシャ「…既に各統合戦闘航空団は動き出しているんでしょうか…?」

ラル「我々の他に、503はもちろん、ロマーニャ方面より504、スオムスの507、果てはウラル方面の505までもが、呼びかけに呼応し、
   出立の準備をしているらしい。もちろん、ガリア防衛を担う506も集まるそうだ」

ジョゼ「506部隊…」

ジョゼは小声で儚げに呟く。彼女の眼は深い藍に沈んでいた。それはどこか懈怠を含んでいて、冷め果てた眼差しをして
いる。ジョゼは暫く押し黙っていたがラル少佐の視線に気づくと、慌てて隊長の方に向きをただした。

ジョゼ「あの…恐れながらひとつ質問してもよろしいでしょうか」

ラル「なにかな?」

ジョゼ「今回の件で私がここにいるのも、506部隊と何かしら関係があるからでしょうか」

ラル少佐は頷き、端然とした態度で彼女を見据えた。

ラル「…そうだな。こればかりは少尉に話さなければならないと思っていたことだ。
   ここからが大事な話だが、鳩首凝議の後、その場で506部隊と接触、後にガリアに行き、その上で帰投して欲しいと
   考えている。ルマール少尉にはガリア復興のための様々なアイディアの手助けをして欲しい、そう思ってのことだ」

その言葉にジョゼは明らかな動揺を見せた。帰投の途中に立ち寄るだけとはいえ、数年ぶりのガリアへの帰還は、彼女自身に
複雑な感情を呈していた。彼女はしばらくの間押し黙っていたが、やがてこう答えた。

ジョゼ「…申し訳ありませんが、その話辞退してもいいでしょうか」

彼女は珍しく強気な態度を見せたので、ラル少佐は少し眼を見開いていた。

ラル「ふむ、辞退ね。何か特別な理由でもあるのか?」

ジョゼ「それはその…」

彼女は言葉に詰まり、目を伏せて俯く。彼女は喉元で引っかかる言葉を発することが出来ずにいるようだった。

ジョゼ「…辞退するというのは、今の私にはその資格がないからです。本国を捨てて撤退した私には…皆に合わせる顔もあり
    ません」

彼女は嘆願するかのように細々としていた。少佐はその言葉から多くを汲み取ったのか諭すようにして言った。

ラル「…少尉、気持ちはわかるがそれは皆とて同じだよ。私もカールスラントから撤退するときは決断を強いられ、
   苦渋を舐めたのだからね」

ジョゼは真摯に彼女の言葉を受けとめているようだった。

ジョゼ「少佐はガリア撤退戦での出来事を覚えておいででしょうが、…沈没する軍艦の上に乗って私に向かって敬礼する一兵士の姿が未だに忘れられないのです。
    軍帽を深く被り、前庇で見えなくなった彼の顔、その慄然とした険しい表情。激戦の中助けを呼ぶことも出来ずに海の中に消えゆく姿…。
    だから、私怖いんです。故郷に戻った時、彼がしていたあの顔でダカール軍港での事を責められるんじゃないかって」

彼女はかなり深い負い目を感じていたようである。それは鉛のように重く、常に肩にのしかかる刑架となって、彼女を錆朱色に徐々に
蝕ばみ続けていたのかもしれない、俺はそんな事を思った。

ジョゼ「…そのごめんなさい。失礼なことばかり言って」

ラル「…少尉の気持ちはよくわかった。返事は後でも構わないから色々と検討してみてくれ」

隊長はそれ以上の追求はしなかった。少尉の気持ちをあれこれと忖度し、搾り出した言葉には、いかにも隊長らしい気遣いが
感じられた。




 執務室を出た後、部屋の方向が同じなので廊下でジョゼと二人だけになった。厨前の渡り廊下を曲がった所で、少尉は立ち止
まって、彼女の方から俺に話を振った。

ジョゼ「つかぬ事を聞きますが、その…俺さんは怖くないのですか? …戦地で取り残された時のことを考えたりした時に」

俺「それってさっき話したようなこと?」

ジョゼ「はい…」

ジョゼは不安げな調子で、俺に一つのことをぶつけた。

ジョゼ「もし、あの兵士が私だったらと思うと、不安と焦燥で押しつぶされそうになります。見捨てられた時の気持ちとか考
    えただけでも恐ろしいのです。そう考えると、あの時助けられなかった兵士はどのような想いで私を見ていたので
    しょうか…」

俺は思わず彼女の痛烈な思いに胸をつまらせた。俺は彼女の感情を受け止めてこう答える。

俺「そうだなあ、俺はそういう状況下を経験したことがないから、よくわからない。…ただ、ひとつ言えることは俺自身が
  戦地を転々とした経験したから言えることだけど、俺達が戦場へ送り出した兵士たちは皆肝が座っていたように思う。
  無論、肝が座ってない奴もいたが、最後には覚悟を決めて戦場に赴いていった」

ジョゼ「けど、一人の人間として、あの兵士は助かりたかったはずです…。今思うと、あの懇願するような表情は私への恨み言も
    あったのではないかと思うのです」

彼女の言う事に、彼女自身の不安定な気持ちがありありと見て取れた。俺は彼女が思っていることを慮ってすぐさま自分なりの
解釈を述べる。

俺「それは考え過ぎだよ、ジョゼ。彼は一蓮托生の想いでその艦橋の上に立っていた。恐らく、その兵士はもう覚悟を決めて
  いたんだと思う。俺が思うに、彼自身が一旦そうと決めた時、不安と畏れも吹っ切って充足に似た感情が沸き起こっていた
  んだんじゃないかな。
  もちろん、死への恐れは拭えなかっただろうが、戦っている少尉をみて、彼女に凡てを託したかったに違いない。そこに
  一縷の望みがあるのなら、彼女を快く送り出すことくらいはしたかったはずさ。少なくとも、俺だったらそうするよ」

ジョゼ「…俺さん」

彼女は確かめるかのように小さく呟く。やがて彼女はたどたどしい口調でこう言った。

ジョゼ「私にできるでしょうか、托された想いを叶えることが…」

俺「ジョゼには粘り強さがあるから、諦めないでいればいつかは結実するよ。それにジョゼ一人じゃ不可能なことでも、皆で補填
  し合えばいい。そのために俺みたいな技術者もついてるんだからさ」

ジョゼ「俺さんの言うとおりですね。やはり、私は考えすぎる性質のようです」

彼女は意を決したように俺に向き直る。その横顔はいつもにまして美しかった。

ジョゼ「…私決めました。私はガリア復興のために出来る限りのことをしたいです。そのためにも、506の部隊と話し合って
   色々と力添えできたらと思います」

ジョゼのその言葉に同調するように、俺は莞爾として笑いながら『その調子だよ』とだけ答えた。

 俺はジョゼと別れ、部屋に戻って今日の仕事の準備をし始めた。その最中、俺はふと窓外を眺める。そこにはまさしく凛冽たる
冬の風景があった。その光景は故郷の景色をも思わせた。

 記憶の中の柿の実は、恐らく曲がり屋での父母との小体な暮らしの凡てが詰まっていた。かつて山口素堂という俳人が『素堂家集』の中で
『ほぞ落ちの柿の音きく深山かな』と詠んだように…。

…自然には柿を我々のもとに落とす力があった。自然界に存在するどの力よりも遥かに小さい重力の作用が、いとも容易に
柿の実を落としているのは驚くべきことである。秩序、秩序、秩序…、それらを手繰り寄せる秩序とは一体何なのだろうか。その問いの答えは
未だに誰も知るよしもない。そうして、自身の中でその想念が生まれた時、やがて来るであろう秩序の春を予感させたのだった。






おわり
最終更新:2013年02月15日 13:08